廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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三話目です。いよいよあの人物が廃墟に……? ネルの平穏が試されます。


序章 第三話「乗り込む女と、震える人形」

 

 

 ミネルバは、気になったことを放っておける性格ではなかった。

 

 あの白い娘のことが、頭から離れなかった。

 

 市場で声をかけてきた商人を追い払ったのは、ほとんど反射だった。ああいう輩を見ると、どうにも腹が立って仕方ない。だが問題は、その後だ。

 

 あの娘の肩の辺りに、細い糸が見えた。

 

 紫の、ほとんど透明に近い糸。普通の人間には見えないだろう。でもミネルバには、かろうじて見えた。Bランク冒険者として長年鍛えてきた「気」の感覚が、あの糸の存在を捉えていた。

 

 あれは魔力糸だ。間違いない。

 

 何者かが、あの娘を操っている。

 

 ミネルバの胸に、じわりと怒りに似た感情が広がった。あんな儚い娘が、何かに操られているなんて……放っておけるはずがない。

 

 ミネルバは宿の天井を睨みながら、腕を組んだ。糸の色は紫。邪悪な魔力の色だ。しかも糸は、街の外の方角へと伸びていた。森の奥の方角へ。

 

 つまり……あの娘を操っている何者かは、森の中にいる。

 

「……行くしかないな」

 

 ミネルバは呟いて、立ち上がった。

 

 

   *   *   *

 

 

 一方そのころ、ボクは廃墟の中で人形の修繕をしていた。

 

 アウラの右手の指先が、少し動きが悪くなっていたのだ。細かい作業をするときに引っかかる感じがある。魔力糸の通り道を微調整して、関節に樹脂を塗り直す。地味な作業だが、こういうメンテナンスを怠ると後で大きな問題になる。

 

――(うん、これで大丈夫かな……)

 

 アウラが指先を開いたり閉じたりする。滑らかだ。ボクは満足して、次の作業に移ろうとした。

 

 そのときだった。

 

 廃墟の入り口から、足音が聞こえた。

 

 ひとつ。

 

 ふたつ。

 

 重い、しっかりとした足音だ。忍んでいる様子はない。まっすぐ、躊躇いなく近づいてくる。

 

――(え)

 

――(え? 人間? 来た? 来てしまった?!)

 

 ボクは咄嗟にアウラを動かして、入り口の方を向かせた。同時に、自分の本体も入り口から見えにくい廃墟の奥へとそっと移動させる。

 

 入り口に、人影が現れた。

 

 背が高い。肩幅が広い。腰に大きな斧。

 

――(あの女だ……!!)

 

 アウラの視界で見た、あの赤髪の女冒険者。ミネルバ。まさか本当に来るとは思っていなかった。

 

――(なんで来るの?! 普通来ないでしょ?! 怖くないの?! 廃墟だよここ?!)

 

 ミネルバは廃墟の中をぐるりと見回した。そしてアウラと目が合った。

 

「……やっぱりいた」

 

 ミネルバが低い声で言った。

 

 

   *   *   *

 

 

【ミネルバ視点】

 

 白い娘は、廃墟の中央に立っていた。

 

 昨日と同じ白いワンピース。白い髪。白い瞳。ただそこにいるだけで、場違いなほど美しい。廃墟の薄暗い空気の中で、まるで発光しているように見えた。

 

 そして、肩の辺りに伸びる紫の糸。

 

 今日は昨日よりもはっきり見える。糸は廃墟の奥の暗がりへと伸びていた。

 

「怖がらなくていい」

 

 ミネルバは両手を広げてみせた。武器は持っていない、という意思表示だ。斧は腰に提げたままだが、それは外すつもりはなかった。護身のためだ。

 

「俺はミネルバ。冒険者だ。お前を助けに来た」

 

 白い娘は、動かなかった。

 

 ただじっと、ミネルバを見ている。その白い瞳に感情の色は薄い。怯えているのか、それとも感情そのものが乏しいのか。

 

「……あの」

 

 娘が小さく口を開いた。

 

「……助け、というのは……」

 

「お前を操っている何者かから、解放してやるってことだ」

 

 娘の肩が、かすかに震えた。

 

 ミネルバはゆっくりと廃墟の中を見回した。糸が伸びる先、奥の暗がり。何かがいる。気配がある。小さい。でも、ただの小動物ではない。確かな魔力を感じる。

 

「……そこにいるのはわかってる。出てきな」

 

 沈黙が流れた。

 

 

   *   *   *

 

 

【ネル視点】

 

――(出てきな、って言われても……!!)

 

 ボクは廃墟の奥の暗がりで、石の陰にへばりついていた。

 

――(無理無理無理。出ていったらやられる。絶対やられる。あの斧で真っ二つにされる。やだやだ平穏がっ……!)

 

 でも、このまま隠れていても意味がない。ミネルバはボクの存在に気づいている。糸が見えているなら、糸を辿ればボクの場所はすぐわかる。

 

――(どうする、どうする……)

 

 ボクは必死に考えた。

 

 このまま隠れ続ける→糸を辿って見つかる→やられる。

 

 出ていく→正体がバレる→やられる。

 

――(どっちもやられるじゃないか……!!)

 

 絶望的な選択肢の前で、ボクは震えた。人形の体は震えないはずなのだが、気持ち的に震えていた。

 

 そのとき、アウラが動いた。

 

 ミネルバの前で、アウラがぺこりと頭を下げた。そして消え入りそうな声で言った。

 

「……あの、ミネルバさん……この方は、悪い方では、ないです……」

 

 ミネルバが目を丸くした。

 

「……お前が、そいつを庇うのか?」

 

「……あの……この方は、悪い方では、ないと……わたしは、思って、います……」

 

――(アウラ……!!)

 

 ボクは驚いた。アウラは意思のない人形のはずだ。ボクが指示を出したわけでもない。なのになぜ、自分から……?

 

 でも今はそれを考えている場合ではない。

 

 アウラが庇ってくれた。ならば、ボクも出ていくしかない。

 

 ボクはゆっくりと、石の陰から姿を現した。

 

 コツ、コツ、と小さな足音を立てながら、薄暗い廃墟の床を歩く。ミネルバの視線がボクに向いた。その目が、大きく見開かれた。

 

「……お前が、元凶か?」

 

 ミネルバの声には、明らかな困惑があった。

 

――(元凶って言わないでほしい……)

 

 ボクはミネルバの前で立ち止まった。見上げると、ミネルバの顔がずっと上の方にある。なにしろボクは小さな人形だ。ミネルバの胸くらいまでしか身長がない。

 

 しばらくの沈黙。

 

 ミネルバがじっとボクを見下ろしている。ボクはじっとミネルバを見上げている。

 

「……なんだ、お前」

 

――(道化師の人形です……)

 

「動いてる。魔力を持ってる。でも……」

 

 ミネルバが額に手を当てた。

 

「……なんか、思ってたのと違う」

 

――(そうでしょうね……)

 

 またしばらくの沈黙。

 

 ミネルバはアウラを見て、ボクを見て、また廃墟を見回した。それから大きなため息をついた。

 

「……お前が、この娘を操ってるのか?」

 

 ボクは頷いた。

 

「なんのために?」

 

 ボクは少し考えて、廃墟の中を身振りで示した。ここで暮らしている、ということを伝えようとした。

 

「……ここに住んでるってことか?」

 

 頷く。

 

「……俺の口を塞ぎに来たわけじゃないのか?」

 

 首を横に振る。力強く。

 

「……この娘は、ちゃんと飯食えてるか?」

 

――(人形なので食事は……いや、説明できないな)

 

 ボクは少し迷ってから、頷いた。

 

「虐待とかはしてないか?」

 

 ボクは首を横に振った。していない、という意味を込めて。全力で。

 

「……ふうん」

 

 ミネルバはまた、じっとボクを見た。長い沈黙だった。ボクは固まったまま、ミネルバの判断を待つしかなかった。

 

――(お願い……討伐しないで……ボクはただ平穏に暮らしたいだけなんだ……)

 

 やがて、ミネルバが口を開いた。

 

「……まあ、今日のところは見逃してやる」

 

――(!!)

 

「ただし条件がある。この娘を、ちゃんと守れ。何があっても守れ。それだけだ」

 

 ボクは何度も、何度も頷いた。

 

 ミネルバはそれを見て、ふっと息を吐いた。それから踵を返して、廃墟の出口へと向かいながら、ぼそりと呟いた。

 

「……変なやつ」

 

――(それはこっちのセリフです……)

 

 ミネルバの背中が廃墟の外へと消えていった。

 

 ボクはその場にへたり込んだ。人形の体はへたり込めないのだが、気持ち的にへたり込んだ。

 

――(助かった……生きてる……平穏がまだある……)

 

 アウラがボクのそばに歩み寄ってきた。白い瞳がボクを見下ろしている。

 

――(ありがとう、アウラ。助かったよ)

 

 アウラは何も言わなかった。ただ、静かに、小さく頭を下げた。

 

 まるで「どういたしまして」と言うように。

 

 ボクは、その動作の意味を深く考えなかった。

 

 ただ、胸の奥にある小さな温かさだけを感じながら、崩れた屋根の隙間から空を見上げた。

 

 夕暮れの空が、橙色に染まっていた。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。ネルの内心、伝わりましたでしょうか。アウラの不思議な行動も、少し気になっていただけると嬉しいです。
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