廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【セレシア視点】
玉座の間の扉が、外から打ち破られようとしていた。
叩く、という生易しいものではない。何十もの拳と、剣の柄と、肩とで――内側へ、こじ開けようとしている。
セレシアは、杖を手にしたまま……静かにそれを見ていた。水色の宝石が冷たく輝いている。部屋の温度はもう、息が白むほどに下がっていた。
――(来ましたね)
次の瞬間、扉が内側へ弾け飛んだ。
雪崩れ込んできたのは――蒼剣騎士団の騎士たち。王城の衛兵。蒼雷魔法師団の団員。本来であれば、この身を守るべき者たち。
その全員が、虚ろな目をしていた。
糸で吊られた人形のように、ぎこちなく、けれど止まることなく、まっすぐ玉座へと押し寄せてくる。
――(ザガン……「容赦しない」と、申し上げましたね。ええ、覚えていますとも)
杖を握る手に、静かな怒りが込もる。
――(ですが――今は、それどころではないようです)
セレシアは、静かに杖を振るった。
「下がりなさい。――【氷壁】」
床から……分厚い氷の壁がせり上がった。雪崩れ込む人波を、真正面から堰き止める。氷を叩く拳。食い込んで止まる剣。
……だが、止めただけだ。
――(殺すのは容易い)
セレシアは半透明の壁越しに、虚ろな顔の群れを見た。見覚えのある顔ばかりだった。廊下で挨拶を交わした衛兵。式典で剣を捧げた、若い騎士。
みな、彼女の民だった。
――(この者たちに、罪はない。罪があるとすれば――それは、糸を引く者にこそある)
ならば、答えは一つ。
――(殺さず、止める。それだけ)
それが、どれほど困難な道かを承知の上で。セレシアは、静かに息を吐いた。白い息が宙に溶けた。
* * *
氷壁が軋んだ。
操られた魔法師団員が、壁の向こうから炎や風の魔法を放ち始めたのだ。壁の一角が、砕ける。崩れた隙間から、騎士たちが雪崩れ込んでくる。
「【氷縛】」
セレシアが指を向けると、なだれ込んだ騎士たちの足元が、瞬時に凍りついた。膝まで氷に呑まれ、その場に縫い止められる。
「【氷牢】」
続けて彼らの全身を……氷の檻が包み込んだ。透明な棺の中で、虚ろな目の騎士たちが眠るように動きを止める。
息はある。傷もない。ただ、閉じ込めただけ。
――(これでいい。目が覚めたとき、生きてさえいれば)
だが――氷牢が一つ増えるたび、新たな兵が、二人、三人と押し寄せてくる。
玉座の周囲では、近衛兵たちが戦っていた。
レイニーを除く、女王直属の精鋭十人。一人ひとりがCランク上位の手練れだ。操られた騎士を、的確な当て身で昏倒させ、魔法師団員の詠唱を、寸前で潰していく。
一対一であれば、近衛の敵ではない。
だが――数が、違いすぎた。
一人を眠らせる間に、三人が玉座へ迫る。それを近衛が食い止める間に、また別の方向が空く。じわり、じわりと、包囲が狭まっていく。
――(押されていますね……「数の暴力」とは、よく言ったものです)
* * *
セレシアは、玉座の前に立ったまま、冷静に戦況を読んだ。
そして――気づいていた。
この戦いには……終わりがないということに。
操っているのは、ザガン。だが――その姿は、ここにはない。
――(あの男は別の場所で、本当の目的を遂げようとしている。ならば、この者たちを縛る糸は……あの男を断つまで切れることはない)
つまり、いくら凍らせても……根本は変わらないのだ。眠らせた兵が自ら目覚めることはない。新手は尽きることなく湧き続ける……糸の大本を断たぬ限り。
――(私にできるのは、この者たちを……これ以上傷つけさせないこと。守りきることだ。ただそれだけ……)
守る戦い。攻めることを、自ら禁じた戦い。
なんと、もどかしいことか。
包囲がさらに狭まった。近衛の一人が、背後からの一撃を受けて膝をつく。
――(仕方ありませんね)
セレシアは、杖を高く掲げた。宝石がまばゆい水色の光を放つ。部屋の温度が、一気に下がった。
「――【氷結界】」
玉座の間全体が、白く凍りついた。
床が、壁が、宙の空気までもが、凍てつく霜に覆われる。押し寄せていた兵たちの動きが、半ば凍りつき、見る間に緩慢になっていく。近衛たちが、その隙に距離を取り……体勢を立て直した。
……これで、少しは時間が稼げる。
だが……セレシアの額にも、うっすらと汗が滲んでいた。これほどの規模の氷を、生かさず殺さず操り続けるのは――Bランク相当の彼女をもってしても、消耗が激しい。
――(長くは保ちませんね……)
* * *
そのときだった。
凍りついた兵たちの群れを、かき分けて――一人の大柄な男が進み出てきた。
白と青の、重厚な鎧。手には、槍斧。
――(マグナス……)
蒼剣騎士団の団長。マグナス・グロウン。
彼もまた、虚ろな目をしていた。けれど――その瞳の奥で、何かが、必死にもがいていた。
セレシアは見た。操られた体に逆らおうとして、わずかに震える指先を。固く食いしばった、奥歯を。
――(意識があるのですね。自分の体が、女王に刃を向けていると――わかっていながら、止められずにいる)
なんという……惨い魔法か。
マグナスの足が、一歩、また一歩と玉座に近づいてくる。凍てつく床を踏み砕きながら。さすがは騎士団長――氷結界の中ですら、その歩みは止まらない。
――(これは……私一人では抑えきれませんね)
セレシアは杖を構え直した。氷の女王の瞳が、静かに、相手を見据える。
* * *
その瞬間。
玉座の間の、砕けた扉の向こうから。
怒声とも、悲鳴ともつかぬ声が響き渡った。
「――どきなさいのよォ!! わたくし様の前に立つんじゃねえです!!」
操られた兵たちが、まとめて吹き飛ばされる音。
金色のツインテールが、人混みを割って、まっすぐに飛び込んできた。
「セレシア様ァ……! ご無事ですか!?」
レイニー・ブラッドフォート。
女王の剣が……ついに戻ってきた。
セレシアは、ふっと、口元を緩めた。
――(遅いですよ、レイニー)
けれど、その瞳は、確かに安堵していた。
――だが。
玉座へと迫る、騎士団長の足は。
まだ、止まらない。
凍てつく玉座の間で……本当の攻防が今、始まろうとしていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。圧倒的な強さなのに、攻めきれない……女王の抱える矛盾が伝わったでしょうか?
次回、女王の剣・レイニーの戦いにご期待ください