廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【ミネルバ視点】
俺の目の前で、ザガンの体が膨れ上がっていった。
ガリガリだった腕に、筋肉が盛り上がる。色白の肌が、血管を浮かせて張り詰めていく。痩せこけた魔法使いの体が……みるみる、別人のように作り変えられていく。地に置いたままの杖には、もう見向きもしない。魔法を、完全に捨てる気だ。
「【疾風迅雷】……全魔力を、肉体の強化だけに注ぐ技です」
ザガンが低く笑った。
「くひひ……さあ、踊りましょうか。ミネルバ殿」
――(……魔法使いが、魔法を捨てて殴り合いに来やがった)
俺は斧を構え直した。全身に、白い炎を纏っている。【白炎】――俺の操るすべての炎を、強化する切り札だ。
だが。
――(時間が、ねえ)
白炎は十分しか保たない……発動して、もう半分以上は過ぎた。残り……三分ってところか。
――(それまでに、こいつを倒す。やるしかねえ)
* * *
「【烈斧】!」
白炎を纏った斧を、渾身の力で振り下ろす。ザガンが腕で受けた。――素手で受け止めやがった……だが、その足が、ずず、と後ろへ滑る。
――(効いてる……! いや、押してる!)
「【回転斬】!」
体ごと回転し、炎の刃で薙ぎ払う。ザガンの胸に、白い炎が走った。肌が焼ける。
「……っ、ほう」
ザガンの顔から、笑みが一瞬だけ消えた。
――(どうだ! これが俺の本気だ)
「【爆炎撃】!」
爆発する炎を纏った斧で、叩き割る。轟音。ザガンの巨体が後ろへ吹き飛んだ……廃墟の柱に、背を打ちつける。
俺は肩で息をした。白炎が、ごうごうと燃えている。
――(いける。この調子なら……こいつに、勝てる)
ザガンが、ゆっくりと立ち上がった。焼け焦げた胸を押さえながら。
「……素晴らしい」掠れた、低い声。「さすがですね、ミネルバ殿。Bランク上位は、伊達ではないと。くひひ……正直、驚いていますよ」
――(へっ。驚くのは、まだ早いぜ)
* * *
俺は、追撃に出ようとした。
その、瞬間。
ふっ、と。
白炎が、揺らいだ。
――(……っ、もう、か)
炎の勢いが、目に見えて弱まっていく。体の奥から……力が抜けていくのがわかる。十分の砂が、落ちきろうとしている。残り――あと、わずか。
――(くそ……っ、あと、もう少しなんだよ。もう少し、時間が……!)
その焦りを、ザガンは見逃さなかった。
「……炎が弱まりましたね?」
ザガンの目が、すうっと細くなる。
「どうやら、その炎……長くは保たないようだ。くひひ。なるほどなるほど。では――ここからが本番ですね」
ザガンが地を蹴った。
速い。さっきまでとは比べ物にならない。白炎が衰えた今、疾風迅雷の本当の速さと力が、牙を剥いた。
「【烈斧】!」
俺は斧を振るった。だが――炎の薄れた一撃は、ザガンの腕にあっさりと受け止められた。
「ぐ……っ!?」
そのまま、強化された膂力で押し返される。力比べに負けた……生まれて初めて、力でねじ伏せられる。
ザガンの拳が、俺のみぞおちにめり込んだ。
「がはっ……!」
体が、くの字に折れる。息が、できない。そのまま……地面へと叩きつけられた。
* * *
白炎が――消えかけている。ちりちりと、最後の火の粉を散らして。
体が動かない……あちこちが軋む。立ち上がろうとして、膝が、笑った。
――(くそ……っ、こんな、ところで……)
ザガンが、ゆっくりと歩み寄ってくる。盛り上がった筋肉を、見せつけるように。
「惜しかったですね、ミネルバ殿」
その声に、嘘はなかった。
「あと数分……その炎が保ってさえいれば……結果は違っていたかもしれない。本当に惜しい。あなたは……強かった」
ザガンが拳を振り上げた。とどめの一撃……。
――(やべえ……避けられ、ねえ……!)
* * *
そのときだった。
「うおおおおおっ!!」
横合いから――あの男が飛び込んできた。
ウェイブ。
――(ばか、よせ……!)
ウェイブが剣を振りかぶり、ザガンの背へと斬りかかった。
――きぃん、と。
甲高い音が響いた……。
刃が、ザガンの強化された肌に弾かれる……傷一つない。ダメージは、ゼロ。当たり前だ。Dランク程度の剣が、今のザガンの肉体に通るはずがない。
「お、お前っ……何して……!」
俺は、掠れた声で叫んだ。
ウェイブの顔は、恐怖で引きつっていた。足も、手も、震えていた。それでも――剣を、握っていた。
「ふ、ふぅん……っ! お、俺ほどの騎士が……っ、見過ごせるか!」
ザガンが、ゆっくりと……振り返った……。
「……無駄なことを」
ザガンの裏拳が、ウェイブの体を捉えた。
「があっ……!」
ウェイブの体が宙を舞った。廃墟の奥へと、まっすぐに――吹き飛んでいく。
――(ウェイブ……!!)
俺は手を伸ばした……だが、届かない。あいつは、廃墟の壁に叩きつけられる――
* * *
そう、思った。
その瞬間。
廃墟の、暗い奥から……
誰かがすっと進み出た。
黒髪の女。腰に一本の刀……そして、この辺りでは珍しい着物を纏った、見たこともない女だった。
その女が――片腕を……ゆっくりと上げた。
吹き飛んできたウェイブの体を、片手で受け止める。
俺は目を見開いた。声が、出なかった。
――(……誰だ。あいつ……いつから、そこに)
女が、ウェイブをそっと床へ下ろし、刀の柄に手をかけた。鋭い目が、まっすぐにザガンを見据えている。
「……お前は」
俺の問いに、女は答えなかった。
口を開いた。
「下がっているでござる。ここからは、拙者が相手をするでござる」
最後まで読んでいただきありがとうございます。勝てないとわかっていて、それでも斬りかかったウェイブ……彼の無謀な一秒が、何を繋いだのか。次回、お見逃しなく!