廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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四十四話目です。ネルは魔力切れで眠ったまま……なのに、アウラは動いている。戦いのあとの廃墟で、ひとつのちいさな秘密が生まれます。


一章 第四十四話「目を覚ますまで」

 

 

【アウラ視点】

 

 戦いの音が、止んでいた。

 

 廃墟に静けさが戻ってくる……土埃が、ゆっくりと舞い降りていく。

 

 わたしは廃墟の奥にいた。

 

 床に、ネル様が倒れている。小さな体を丸めて……ぴくりとも動かない。

 

 わたしはその傍らに、膝をついていた。

 

「……ネル様」

 

 呼びかけても、返事はない。

 

 魔力を使い果たしてしまったのだ。あの黒い髪の人形――ヒナタ様を動かすのに、ネル様は、自分の力をすべて注いでしまった。

 

――(……ネル様の気配は……まだ、ある)

 

 ほんのわずかに……いつもの、ネル様の魔力の気配が残っている。それを感じてわたしは、ほっとした。

 

 ……あれ。

 

 ふと、わたしは思った。

 

 ネル様は気を失っている。

 

 なのに――わたしは、どうして…………動いているのだろう?

 

 ネル様の糸が、わたしたちを動かしている。それは知っている。なのに……その糸を操るネル様が倒れているのに……わたしの手は、足は、ちゃんと動いている。

 

 ……不思議。

 

 でも、今はそれより……。

 

「……ネル様。早く、目を、覚まして……」

 

 わたしはネル様の小さな手を、そっと握った。

 

 

   *   *   *

 

 

 ざり、と。

 

 足音が近づいてきた。

 

 顔を上げると――ミネルバ様だった。

 

 全身傷だらけ。赤い髪が、汗で頬に張りついている。その腕には――崩れ落ちた、ヒナタ様を抱えていた。

 

 ヒナタ様はもう動かない。さっきまで、あれほど鮮やかに……華麗に刀を振るっていたのに。今は……ただの動かない人形。糸が切れてしまったから。

 

「……おい」ミネルバ様が、静かに言った。「そいつ……ネルは無事か?」

 

「……はい」わたしは頷いた。「魔力を使いすぎて……気を失っているだけ……です」

 

「そうか」

 

 ミネルバ様は、ヒナタ様をそっと床に横たえた。それから、わたしをじっと見た。

 

 その目が……何かを確かめるように細められる。

 

「なあ。さっき、あの黒髪が……自分で言ったんだ。『ネルに作られた、戦闘用人形だ』ってな」

 

 わたしの心臓が――心臓なんて、ないはずなのに。きゅっと、なった。

 

「……お前も、なのか?」ミネルバ様が言った。「お前も……人形なのか? アウラ」

 

 ……。

 

 わたしは、すぐには答えられなかった。

 

 でも――嘘は、つけない。

 

「……はい」

 

 小さく頷いた。

 

「わたしは……ネル様が作ってくださった……人形です」

 

 

   *   *   *

 

 

 ミネルバ様は、驚いた様子はなかった。ただ、静かに頷いた。

 

 けれど――次の瞬間、その眉が、ふっと寄せられた。

 

「……待てよ」

 

 ミネルバ様が、横たわるヒナタ様と、わたしを見比べた。

 

「こいつは……ネルが倒れた途端、糸が切れて崩れた。そして動かなくなった」

 

「……はい」

 

「なのにお前は」ミネルバ様の声が低くなる。「ネルが気を失ってるのに……なんで動けているんだ?」

 

――(……っ)

 

 わたしは、答えられなかった。

 

 だって――わたしにも、分からないから。

 

 ネル様はいつも言っていた。

 

 お前たちに意思はない。心はない、と。

 

 だから……わたしも、そう思っていた。わたしは、ただの人形。ネル様の糸で動くだけの、空っぽの器。心なんて、あるはずがない。

 

 なのに――。

 

 今、わたしは、糸もないのに、動いている。

 

 ネル様が心配で……倒れたネル様を放っておけなくて。早く目を覚ましてほしくて。一人に、したくなくて。

 

 ……この気持ちは、なに?

 

 胸の奥が、ぎゅっとする、この感じ。ネル様の手を握ると、温かくなる、この感じ。これは――心がないと……生まれないものではないの……?

 

 ……分からない。

 

 わたしには、何も、分からない。

 

「……わかりません」

 

 わたしは、正直に言った。

 

「わたしにも……どうして動けているのか、分からないんです。ただ……ネル様を、放っておけなくて……気づいたら、動いて、いました」

 

 

   *   *   *

 

 

 ミネルバ様は、しばらく黙っていた。

 

 わたしを、じっと見て。それから、倒れているネル様を見て。

 

 その沈黙が、怖かった。

 

 ……ううん。違う。怖いのは……沈黙じゃない。

 

 わたしは――ひとつだけ、どうしても伝えたいことがあった。理由はわからない。でも、これだけは言わなきゃいけない……そう、思った。生まれて初めて……こんなに強く、何かを思った。

 

「……あの」

 

 わたしは声を絞り出した。

 

「お願い、です……ミネルバ様」

 

「……ん?」

 

「このことは……わたしが、こうして動けることは……ネル様には言わないでください」

 

 ミネルバ様の目が、見開かれた。

 

「……なんでだ?」

 

 なんで。――そう聞かれても。

 

「……わかりません」

 

 わたしは、首を横に振った。

 

「でも……なんだか、怖いんです。ネル様が知ったら困る気がして……悲しむ気がして。……うまく言えなくて、ごめんなさい。でも……お願いします」

 

 消え入りそうな声で。それでも、必死に。

 

 わたしは頭を下げた。

 

 

   *   *   *

 

 

 ミネルバ様は、わたしを見つめていた。

 

 その橙色の目が――ふっと、和らいだ。

 

「……わかった」

 

 ミネルバ様は言った。

 

「言わねえよ。約束する」

 

「……っ、ありがとう、ございます」

 

「礼はいい」ミネルバ様が頭をかいた。「正直、俺にもよくわからん。お前が人形だってのも、なんで動けるのかも。……でもな」

 

 ミネルバ様は、横たわるネル様を見た。

 

「お前がこいつを心配してるのは……本物だ。それだけはわかる。だったら、それで十分だろ」

 

 

   *   *   *

 

 

 ……ああ。

 

 この人は。

 

 ミネルバ様は、本当に優しい……。

 

 わたしはもう一度、頭を下げた。胸の奥が、また温かくなる。この……名前もわからない気持ちが、じんわりと広がっていく。

 

 ミネルバ様は、それ以上何も聞かなかった。倒れているウェイブ様のところへ歩いて行って、「おい、生きてるか?」と、その肩を揺すっている。ウェイブ様は気を失っているだけみたい。少し離れた場所には、あの恐ろしい男――ザガンも倒れたまま。でも、今はもう誰も襲ってこない。

 

 戦いは終わったのだから。

 

 わたしは、ネル様のそばに座り直した。

 

 眠っているネル様の顔は、いつもの固定された笑み。黄色いガラス玉の瞳は、閉じられない。でも、わたしにはわかる。今、この人はただ静かに眠っている。守り切って……力尽きて。

 

 わたしは、その小さな手をもう一度握った。

 

「……ネル様」

 

 返事はない。

 

「早く……目を、覚ましてください」

 

 わたしのこの気持ちがなんなのか。

 

 わたしには、まだ、分からない。

 

 でも――この想いだけは、ネル様には内緒。

 

 わたしだけの、小さな秘密。

 

――(だって……ネル様を困らせたくないから)

 

 窓から差し込む光が、眠るネル様を、そっと照らしていた。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。アウラとミネルバと……読者のみなさんだけが知る、ちいさな秘密。この種が、いつか芽を出す日が来るかもしれません。
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