廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
ようやく目を覚ましたネル。でも、そこで知るのは……女王陛下からの『褒美』の話でした。ひっそり暮らしたいだけのネルにとって、それは——
【ネル視点】
意識が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
深い、深い水の底から。手足が……鉛みたいに重い。
――(……ここは)
ボクの瞳は閉じられない。眠っている間も……黄色いガラス玉は、ずっと開いたまま……天井を見つめていたのだろう。意識が戻って、ようやくその景色が像を結ぶ。見慣れた廃墟の天井。暗がり、埃の匂い。
――(……ボクの、廃墟だ)
生きている。ボクは、生きている。
「……ネル様」
消え入りそうな声。すぐそばに……アウラがいた。その顔が、ぱっとほころぶ。
「よかった……よかったです……ネル様。やっと、目を覚まして……」
――(アウラ……ボクは、どれくらい……)
体を起こそうとする。でも、力が入らない。まだ、指の一本を動かすのもやっとだ。
「……無理は、しないでください。三日……です」アウラが、そっと言った。「ネル様は……三日も眠っていたんです」
――(三日……!)
そんなに!? ……ヒナタを動かした反動で、魔力を根こそぎ持っていかれた。その……代償が。三日も、ボクを眠らせていた。
――(でも……守れたんだ)
それだけは確かだ。ミネルバも、ウェイブも、アウラも、この廃墟も。ボクは守りきった。
――(……よかった)
* * *
「お、起きたか」
ミネルバが、廃墟の奥へ入ってきた。傷はだいぶ癒えているみたいだ。
――(ミネルバ……!)
ボクは、身振りで必死に伝えようとした。ありがとう、無事でよかった!と。ミネルバは、ふっと笑った。
「礼はいい。……お前が無事なら、それでいい」
その、ぶっきらぼうな優しさが。じんわりと、胸にしみた。
でも――ミネルバの顔が、すぐに少しだけ真剣になった。
「ネル……お前が眠ってる間に、いろいろあった。聞いてくれるか?」
ボクは頷いた。
ミネルバは語り出した。ザガンは魔封じの首輪をつけられて、城の牢に収監されたこと。王都で操られていた人たちも、みんな正気に戻ったこと。……戦いは、完全に終わったのだと。
――(……よかった。本当に)
ほっと、する。これで、また平穏が戻ってくる。静かな日々が。
そう思った――そのときだった。
「それでな……」ミネルバが続けた。「女王陛下が……お前に、褒美をやりたいと言ってる」
……。
……え?
――(……いま、なんて)
「女王陛下だ。セレシア・ヴァルドレイン女王。この国の、頂点。……そのお方が今回の働きに、礼をしたいとよ。俺と、ウェイブと……そして『廃墟の主』。つまり、お前にな」
……。
ボクの頭の中が、真っ白になった。
* * *
――(……む、無理だ!!)
それが、最初に浮かんだ言葉だった。
――(この国の女王様が? ボクが? 人間の頂点に……会う?)
無理だ。無理に……決まってる。
ボクは、人間が怖い。声も出せない。こんな、不気味な道化師の人形の姿で……人間の世界の、いちばん高いところにいる人の前に……出るなんて。
――(見つかりたく、なかったのに)
ずっと、隠れて暮らしてきた。廃墟の奥でひっそりと。人間と争わず、関わらず……それが、ボクのたった一つの願いだったのに。
――(褒美なんて……いらない。ボクは、ただ……静かに暮らしたいだけなのに)
なのに。世界は……ボクを見つけてしまった。いちばん見つかりたくなかった場所に。いちばん高いところに。
「……おい、ネル?」ミネルバが、ボクの顔を覗き込んだ。「大丈夫か? ……まあ、気持ちはわかる。お前が人間を怖がるのはな」
ボクは…震える指で、宙に文字を書いた。
――『いきたく、ない』
「……だろうな」ミネルバが、ため息をついた。「でも、相手は女王だ。無視するわけにもいかねえ。……断れば、逆に怪しまれる」
……そう、なんだ。
断ることも……できない。行かなければいけないのか、女王の前に。
――(……どうしよう)
* * *
でも。
ボクは諦めなかった。
――(……出なくて、いい方法は……ないのかな?)
必死に考える。震えながら……それでも、頭を動かす。ボクは、表になんて出たくない、その一心で。
――そうだ。
――(……人形を使えば!)
ボクの能力。紫の糸で、人形を作り操る力。それを使えばいい!
ボク自身は出ない。代わりに――小さな人形を作る。魔力をあまり食わない、簡単な身代わりを。それを「廃墟の主」ってことにして、女王の前に立たせる。ボクは城のどこかに隠れて、糸でそれを操る。
――(それなら……ボクは、姿を見せなくて済む)
「……なあ、ネル」ミネルバが怪訝そうに、ボクの手元を見た。ボクは、震える手で細い紫の糸を、紡ぎ始めていた。「何を、してるんだ?」
ボクは宙に書いた。
――『みがわりをつくる』『ボクは、かくれてあやつる』
ミネルバはしばらくそれを見ていた。それから腕を組んで、唸った。
「……身代わり、ねえ」
――『それなら、ボクはでなくていい』
「……なあ、ネル」ミネルバは、少し困った顔をした。「女王ってのは……ただ者じゃないぞ。そんな小細工で……ごまかせると思うか?」
……。
わかってる、そんなこと。相手は一国の女王……ボクの稚拙なあがきなんて、見抜かれるかもしれない。
でも。
――『それでも……やってみたい』
ボクは書いた。
――『ボクは、出たくないんだ!』『静かに暮らしたいんだ!』
その一心だった。臆病で、情けなくて……それでも、ボクは最後まであがきたかった。自分の平穏を、手放したくなかった。
ミネルバは……その文字を、じっと見つめた。
そして――ふっと、息を吐いて笑った。
「……わかったよ。しょうがねえな」ミネルバが、頭をかいた。「付き合ってやる! 城まで、俺が付き添う。……ただし、バレても知らねえぞ?」
――(……ミネルバ)
ありがとう……その呆れたような優しさに。ボクはまた、救われた。
* * *
それからボクは、小さな人形を作り始めた。
アウラや、ヒナタみたいな精巧なものじゃない。ただ、人の形をした簡素な身代わり。魔力をあまり食わないように……城まで、遠く離れても操れるように。
――(これで……なんとか、やり過ごせる、はず)
そう、自分に言い聞かせた。
ボクは知らなかった。
あの城に――かつて、この廃墟に踏み込んで、ボクの本当の姿を、その目に焼きつけた者が……いることを。
そして。
あの玉座に座る女王の、氷のような瞳が――どんな嘘も、どんな虚飾も、静かに見抜いてしまうことを。
――(……大丈夫。きっと、うまくいく)
かすかな胸のざわめきに蓋をして。ボクは、震える指で…身代わりの人形に糸を通した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
身代わりを立てて、やり過ごそうとするネル。……でも、あの城にはその正体を見抜く者がいて...次回、いよいよ女王との対面です