廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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四十六話目です。
ようやく目を覚ましたネル。でも、そこで知るのは……女王陛下からの『褒美』の話でした。ひっそり暮らしたいだけのネルにとって、それは——


一章 第四十六話「隠れていたい」

 

【ネル視点】

 

 意識が、ゆっくりと浮かび上がってくる。

 

 深い、深い水の底から。手足が……鉛みたいに重い。

 

――(……ここは)

 

 ボクの瞳は閉じられない。眠っている間も……黄色いガラス玉は、ずっと開いたまま……天井を見つめていたのだろう。意識が戻って、ようやくその景色が像を結ぶ。見慣れた廃墟の天井。暗がり、埃の匂い。

 

――(……ボクの、廃墟だ)

 

 生きている。ボクは、生きている。

 

「……ネル様」

 

 消え入りそうな声。すぐそばに……アウラがいた。その顔が、ぱっとほころぶ。

 

「よかった……よかったです……ネル様。やっと、目を覚まして……」

 

――(アウラ……ボクは、どれくらい……)

 

 体を起こそうとする。でも、力が入らない。まだ、指の一本を動かすのもやっとだ。

 

「……無理は、しないでください。三日……です」アウラが、そっと言った。「ネル様は……三日も眠っていたんです」

 

――(三日……!)

 

 そんなに!? ……ヒナタを動かした反動で、魔力を根こそぎ持っていかれた。その……代償が。三日も、ボクを眠らせていた。

 

――(でも……守れたんだ)

 

 それだけは確かだ。ミネルバも、ウェイブも、アウラも、この廃墟も。ボクは守りきった。

 

――(……よかった)

 

 

   *   *   *

 

 

「お、起きたか」

 

 ミネルバが、廃墟の奥へ入ってきた。傷はだいぶ癒えているみたいだ。

 

――(ミネルバ……!)

 

 ボクは、身振りで必死に伝えようとした。ありがとう、無事でよかった!と。ミネルバは、ふっと笑った。

 

「礼はいい。……お前が無事なら、それでいい」

 

 その、ぶっきらぼうな優しさが。じんわりと、胸にしみた。

 

 でも――ミネルバの顔が、すぐに少しだけ真剣になった。

 

「ネル……お前が眠ってる間に、いろいろあった。聞いてくれるか?」

 

 ボクは頷いた。

 

 ミネルバは語り出した。ザガンは魔封じの首輪をつけられて、城の牢に収監されたこと。王都で操られていた人たちも、みんな正気に戻ったこと。……戦いは、完全に終わったのだと。

 

――(……よかった。本当に)

 

 ほっと、する。これで、また平穏が戻ってくる。静かな日々が。

 

 そう思った――そのときだった。

 

「それでな……」ミネルバが続けた。「女王陛下が……お前に、褒美をやりたいと言ってる」

 

 ……。

 

 ……え?

 

――(……いま、なんて)

 

「女王陛下だ。セレシア・ヴァルドレイン女王。この国の、頂点。……そのお方が今回の働きに、礼をしたいとよ。俺と、ウェイブと……そして『廃墟の主』。つまり、お前にな」

 

 ……。

 

 ボクの頭の中が、真っ白になった。

 

 

   *   *   *

 

 

――(……む、無理だ!!)

 

 それが、最初に浮かんだ言葉だった。

 

――(この国の女王様が? ボクが? 人間の頂点に……会う?)

 

 無理だ。無理に……決まってる。

 

 ボクは、人間が怖い。声も出せない。こんな、不気味な道化師の人形の姿で……人間の世界の、いちばん高いところにいる人の前に……出るなんて。

 

――(見つかりたく、なかったのに)

 

 ずっと、隠れて暮らしてきた。廃墟の奥でひっそりと。人間と争わず、関わらず……それが、ボクのたった一つの願いだったのに。

 

――(褒美なんて……いらない。ボクは、ただ……静かに暮らしたいだけなのに)

 

 なのに。世界は……ボクを見つけてしまった。いちばん見つかりたくなかった場所に。いちばん高いところに。

 

「……おい、ネル?」ミネルバが、ボクの顔を覗き込んだ。「大丈夫か? ……まあ、気持ちはわかる。お前が人間を怖がるのはな」

 

 ボクは…震える指で、宙に文字を書いた。

 

――『いきたく、ない』

 

「……だろうな」ミネルバが、ため息をついた。「でも、相手は女王だ。無視するわけにもいかねえ。……断れば、逆に怪しまれる」

 

 ……そう、なんだ。

 

 断ることも……できない。行かなければいけないのか、女王の前に。

 

――(……どうしよう)

 

 

   *   *   *

 

 

 でも。

 

 ボクは諦めなかった。

 

――(……出なくて、いい方法は……ないのかな?)

 

 必死に考える。震えながら……それでも、頭を動かす。ボクは、表になんて出たくない、その一心で。

 

 ――そうだ。

 

――(……人形を使えば!)

 

 ボクの能力。紫の糸で、人形を作り操る力。それを使えばいい!

 

 ボク自身は出ない。代わりに――小さな人形を作る。魔力をあまり食わない、簡単な身代わりを。それを「廃墟の主」ってことにして、女王の前に立たせる。ボクは城のどこかに隠れて、糸でそれを操る。

 

――(それなら……ボクは、姿を見せなくて済む)

 

「……なあ、ネル」ミネルバが怪訝そうに、ボクの手元を見た。ボクは、震える手で細い紫の糸を、紡ぎ始めていた。「何を、してるんだ?」

 

 ボクは宙に書いた。

 

――『みがわりをつくる』『ボクは、かくれてあやつる』

 

 ミネルバはしばらくそれを見ていた。それから腕を組んで、唸った。

 

「……身代わり、ねえ」

 

――『それなら、ボクはでなくていい』

 

「……なあ、ネル」ミネルバは、少し困った顔をした。「女王ってのは……ただ者じゃないぞ。そんな小細工で……ごまかせると思うか?」

 

 ……。

 

 わかってる、そんなこと。相手は一国の女王……ボクの稚拙なあがきなんて、見抜かれるかもしれない。

 

 でも。

 

――『それでも……やってみたい』

 

 ボクは書いた。

 

――『ボクは、出たくないんだ!』『静かに暮らしたいんだ!』

 

 その一心だった。臆病で、情けなくて……それでも、ボクは最後まであがきたかった。自分の平穏を、手放したくなかった。

 

 ミネルバは……その文字を、じっと見つめた。

 

 そして――ふっと、息を吐いて笑った。

 

「……わかったよ。しょうがねえな」ミネルバが、頭をかいた。「付き合ってやる! 城まで、俺が付き添う。……ただし、バレても知らねえぞ?」

 

――(……ミネルバ)

 

 ありがとう……その呆れたような優しさに。ボクはまた、救われた。

 

 

   *   *   *

 

 

 それからボクは、小さな人形を作り始めた。

 

 アウラや、ヒナタみたいな精巧なものじゃない。ただ、人の形をした簡素な身代わり。魔力をあまり食わないように……城まで、遠く離れても操れるように。

 

――(これで……なんとか、やり過ごせる、はず)

 

 そう、自分に言い聞かせた。

 

 ボクは知らなかった。

 

 あの城に――かつて、この廃墟に踏み込んで、ボクの本当の姿を、その目に焼きつけた者が……いることを。

 

 そして。

 

 あの玉座に座る女王の、氷のような瞳が――どんな嘘も、どんな虚飾も、静かに見抜いてしまうことを。

 

――(……大丈夫。きっと、うまくいく)

 

 かすかな胸のざわめきに蓋をして。ボクは、震える指で…身代わりの人形に糸を通した。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。
身代わりを立てて、やり過ごそうとするネル。……でも、あの城にはその正体を見抜く者がいて...次回、いよいよ女王との対面です
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