廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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四十七話目です。
ついに女王との謁見。……ネルは最後まで、表に出まいとあがきます。


一章 第四十七話「袋の中の道化師」

 

 

【ネル視点】

 

 ボクが目覚めてから数日後、手紙のやりとりを経て謁見の日が決まった。

 

 その間にも、子ども達やウェイブ、クロウが来てくれたりといろいろなことがあったんだ。

 

 そして……ついに王都に向かう日になってしまった。

 

 慣れない森の外ということもあり、王都まで行くだけで一日もかかってしまった。

 

 ミネルバが前もって移動時間について教えてくれていなかったら、遅れていたかもしれない。

 

 長い距離を歩き、とうとう王都の門の前まで来てしまった……。

 

 ボクは、ミネルバの隣を歩きながら……その、あまりの大きさに圧倒されていた。

 

 高い、高い城壁。行き交う……たくさんの人。荷馬車の音、物売りの声。人、人、人。

 

――(……こんなに、たくさん)

 

 怖い。足がすくむ……ボクは思わず、ミネルバのマントの陰に隠れた。

 

「おい、ネル」ミネルバが、呆れたように見下ろしてくる。「そんなにビビるなら……本当に来なくてもよかったんだぞ?」

 

 ボクは首を横に振った。

 

――(そういうわけにはいかない)

 

 ボクの魔力糸は、遠く離れるほど消耗が激しくなる。アウラの買い出しくらいの距離ならなんとかなる……でも、王都は歩いて、まる一日もかかる場所だ。

 

 あんな遠くから身代わりを操るなんて……できるわけがない。

 

――(だから……ボクも来るしかなかった)

 

 ボクの隣には……もう一体、小さな人形がちょこちょこと歩いている。

 

 ……ボクの、身代わり。

 

 ボクよりも少しだけ小さい。緑と黒のまだらの衣装。黒いシルクハットに灰色の髪。……ボクを真似て作った、粗末な写し身。

 

 急ごしらえだから、精巧じゃない。近くでじっくり見られたら……たぶん違うってわかってしまう。

 

――(でも……遠くから見るだけなら)

 

 女王は玉座の上にいる……ボクは離れた場所から糸で操る。近くで見られることは……ない、はずだ。

 

――(大丈夫……きっと、うまくいく)

 

 そう、自分に言い聞かせた。

 

 そのときだった。

 

 

   *   *   *

 

 

「ミネルバ殿ーーー!」

 

 うるさい声が、門のほうから聞こえた。

 

 騎士団の鎧に、少しセットされた茶色の髪。自信満々の顔。……ウェイブだ。

 

「ふぅん、待ちくたびれたぞ! この俺を待たせるとは……まあ、許してやるが」

 

「うるせえな」ミネルバが、面倒くさそうに言った。「時間通りだろうが」

 

 ウェイブが、ボクたちのほうを見た。

 

 ――そして。

 

「おお、ネル! 来ていたのか!」

 

 ぱっと、顔を輝かせて。ウェイブは身代わりの人形のほうへ駆け寄った。

 

――(……!)

 

 ボクは慌てた。まずい、近づいたら――。

 

「また会えて嬉しいよ、麗しきマド……」

 

 ウェイブの声が、途中で止まった。

 

 ……。

 

 その顔から笑みが、すうっと消えていく。彼は身代わりの人形を、じっと見つめた。それから、ミネルバを見た。また人形を見た。

 

 そして。

 

「……ん?」

 

――(……や、やばい)

 

「……いや、待て。……なんだこれは」

 

 ウェイブが眉をひそめる。

 

「ネル……じゃない? いや、そっくりだが……違う。……ふぅん、誰だこれ!?」

 

「……っ」

 

 ミネルバがため息をついた。

 

「……気付くのかよ」

 

「気付くに決まっているだろう!」

 

 ウェイブが胸を張った。

 

「俺は、ネルをずっと見てきたんだぞ! 髪の、この……感じ。目の、この…角度。全部、微妙に違う! 俺の目は、ごまかせない!」

 

 ……。

 

 ボクは絶望した。

 

――(……ウェイブに見抜かれた。あのウェイブに……)

 

 しかも、一目で。近づいて数秒で。

 

――(……これで……女王の前で、いけるの……?)

 

 胸の奥が、ざわりと冷たくなった。

 

「で?」ウェイブが腰に手を当てた。「これは、どういうことだ?」

 

 ミネルバが、マントの中のボクをちらりと見せながら……面倒くさそうに説明した。ネルは表に出たくない。だから、身代わりを立てて離れた場所から操る。そういう作戦だ、と。

 

 ウェイブの顔が、みるみる青くなった。

 

「じょ、女王陛下を……欺くのか!?」

 

「……そういうことになるな」

 

「そ、そんな……騎士として、それは……!」

 

 ボクは、必死に宙に文字を書いた。

 

――『ごめん』『でも、ボクは、でたくない』

 

 ウェイブは、その文字をじっと見た。

 

 ……そして。

 

「……ふぅん」

 

 急に腕を組んで、したり顔になった。

 

「まあ、いいだろう。ネルがそう望むのなら……俺は何も見ていない。ふぅん、寛大な男だからな、俺は」

 

 ……。

 

――(……ちょろい)

 

 いや。助かったけど。

 

 でも――ウェイブがこんなに簡単に見抜いた。その事実だけが、ボクの胸に……重く残った。

 

 

   *   *   *

 

 

 城門の前で、ボクは袋に入った。

 

 ミネルバが持ってきた大きな荷袋。冒険者が旅の道具を入れる、あの……ぼろぼろの袋。

 

――(……本当にこれでいくの……?)

 

「文句あるか?」ミネルバが言った。「お前が隠れたいって言うから、用意したんだ」

 

 ボクは、膝を抱えて身を丸めた。

 

 ボクの手足は、ひょろりと細い。体も小さい、こうして丸まれば……なんとか、収まる。窮屈だけど……情けないけど。

 

 ミネルバが袋の口を閉じた。

 

 真っ暗。

 

――(……うう)

 

 でも、大丈夫。ボクの目は、この袋の中を見ていない。

 

 ボクの視界は――身代わりの人形の目だ。

 

 袋がふわりと持ち上がる。ミネルバが担いだのだ……ずしり、と揺れる。

 

「……重っ」

 

――(ご、ごめん……)

 

 揺られながら、ボクは身代わりの人形の目を通して、城門を見上げていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 城の中は――静かだった。

 

 綺麗に磨かれた床、高い天井。青と白がふんだんに使われた荘厳な装飾。すれ違う文官や騎士たち。

 

 誰も、ミネルバの荷袋には目もくれない。当たり前だ……冒険者が荷物を持っている、それだけのことなのだから。

 

――(……よかった)

 

 案内された先は、玉座の間の手前にある控えの間だった。

 

 ミネルバが袋を壁際に、そっと下ろす。

 

「……じゃあな。ここで待ってな」

 

 袋越しに小さく囁くように。ボクは、揺れることで返事をした。

 

 そして――ミネルバとウェイブ、身代わりの人形が部屋を出ていく。

 

 残されたのは。

 

 ボクの入った袋と……

 

 ……扉の外に立つ、二人の警備兵だけ。

 

――(……っ)

 

 すぐそこに、人間がいる。槍を持った警備兵が。

 

 ボクは身動きひとつしなかった、できなかった。少しでも動けば物音で――気づかれるかもしれない。

 

――(動くな……ボクは人形だ……ただの荷物なんだ……)

 

 心臓なんてないはずなのに。体の内側で、何かが早鐘みたいに鳴っていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 視界の中で――玉座の間の扉が……開いた。

 

 その、あまりの荘厳さにボクは……息を、呑んだ。呑むための息なんてないけれど。

 

 長い、長い床。両脇に、ずらりと並ぶ衛兵たち。高い天井から差し込む光。

 

 そして――そのいちばん奥。

 

 玉座に、女王が座っていた。

 

 セレシア・ヴァルドレイン。

 

――(……っ)

 

 遠く離れているのに。壁一枚、隔てた隣の部屋にいるのに。

 

 それでも――ボクは震えた。

 

 あの人は……ミネルバとも、レイニーとも違う。ザガンとも違う。「強い」とか「怖い」とか、そういうことじゃない。ただ、そこに座っているだけで――部屋の空気そのものが、あの人のものになっている。

 

 その傍らには――金髪のツインテール。

 

――(……レイニー)

 

 あの時、廃墟に来た近衛兵。ボクの……本当の姿を見た女の人。

 

――(……大丈夫。ボクはここにいる。あそこにいるのは、別の人形だ)

 

 ボクは、糸を慎重に動かした。身代わりの人形が、ミネルバとウェイブの間を進んでいく。

 

 磨かれた床を、一歩、一歩。

 

 そして――玉座の前まで。ミネルバが片膝をついた。ウェイブも慌てて、それに倣う。

 

 身代わりの人形も……ボクは、ぎこちなく頭を下げさせた。

 

「……よく、来ましたね」

 

 女王の声が響いた。

 

 静かな声だった。大きくもない。なのに――部屋の隅々まで、染み渡るような。

 

「ザガンの野望を打ち砕いた三人。……礼を言いましょう」

 

――(……よかった。うまくいってる)

 

 このまま、このまま褒美とやらを受け取って……さっさと帰ろう。廃墟へ。あの、静かな場所へ。

 

 そう、思った――そのときだった。

 

 女王の……水色の瞳が。

 

 すっと――細くなった。

 

「……ところで」

 

 ……。

 

「そこの人形」

 

――(……っ)

 

「あなたの背中から伸びている、その紫の糸は……どこへ続いているのです?」

 

 ……。

 

 ボクの、思考が。

 

 止まった。

 

 

   *   *   *

 

 

――(な……)

 

 なんで。

 

 なんで、見えて――。

 

「面白い色ですね。……黄色ではない。見たことのない魔力です」

 

 女王が静かに続けた。

 

「レイニーの報告通り。……ですが、報告とは違う点が一つ」

 

 女王の視線が。

 

 ゆっくりと、動いた。

 

 身代わりの人形の背中から。床を、するすると辿るように。開かれた扉のほうへ。……その、向こうへ。

 

「……糸の先ですね」

 

 ボクは動けなかった。

 

「レイニー」

 

「はい、セレシア様」

 

「連れてきなさい。……そこの控えの間に、いるのでしょう?」

 

――(……い、や)

 

 やめて。

 

 来ないで。

 

「かしこまりましたですの」

 

 視界の端で――レイニーが玉座の間を出ていくのが見えた。

 

 こっちに。

 

 こっちに、来る。

 

――(いやだ……いやだ、いやだ!)

 

 ボクは袋の中で、身をいっそう固くした。動かない。ボクは人形。ただの荷物。ただの――。

 

 控えの間の扉が。

 

 ゆっくりと開かれる……。

 

 警備兵たちが、姿勢を正す気配。

 

 こつ、こつ、と。

 

 靴音が、近づいてくる。

 

 ……ボクの、目の前で。

 

 止まった。

 

 ……。

 

「……何やってんのよ?」

 

 ため息みたいな声だった。

 

「バレてんのよ、とっくに。……袋の中から、糸がじゃんじゃん出てんのよ。丸見えなの」

 

――(……あ)

 

 ボクは。

 

 自分の迂闊さを。

 

 ……悟った。

 

「セレシア様がお呼びなのよ。……開けるわよ」

 

 ざり、と。

 

 袋の口が、開かれる。

 

 差し込む光。

 

 ……ボクは、真っ白な世界の中で。

 

 膝を抱えたまま丸まった、情けない自分の姿を――レイニーに見下ろされていた。

 

「……ふーん」

 

 レイニーがボクを見て。

 

 少しだけ笑った。

 

「その姿。……そうそう、それなのよ。廃墟で見たのは」

 

 ボクは、震えていた。

 

「……ほら。運んであげるから大人しくしてなさい」

 

 その手が……ボクの入った袋ごと抱きかかえた。

 

 ――こうして。

 

 ボクは。

 

 自分の足でも、自分の意思でもなく。

 

 レイニーに袋ごと運ばれて。

 

 玉座の間へ引きずり出された。

 

 

   *   *   *

 

 

 ……ざわり、と。

 

 玉座の間が揺れた。

 

 衛兵たちが、目を見開いている。

 

 当たり前だ。ぼろぼろの袋から――玉座の前にいた人形を、一回り大きくしたような人形が出てきたからだ。

 

――(……見ないで)

 

 磨かれた床の上に、下ろされる。

 

――(……見ないで、お願い)

 

 でも、逃げ場なんて……どこにもなかった。

 

 ボクは震える足で。

 

 長い、長い床を歩いた。

 

 ……ミネルバの隣まで。

 

 そして。

 

 顔を上げるしかなかった。

 

 閉じられない瞳で。

 

 玉座の女王を。

 

 見上げるしか。

 

 ……なかった。

 

「……なるほど」

 

 女王が言った。

 

「あなたが……本物ですね」

 

 ボクは、何も答えられなかった。

 

 女王がゆっくりと、立ち上がる。

 

 それだけで――部屋の温度が数度、下がったような気がした。

 

「……私を欺こうとするとは」

 

 その声は、静かだった。

 

 怒鳴ってもいない、荒げてもいない。

 

 なのに――ボクの全身が、氷になったみたいに動かなくなった。

 

「勇気があるのか。……愚かなのか」

 

――(……ご……)

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 だって――どうしようもなかったんだ。怖くて、出たくなくて、それだけで。

 

 悪気なんてなかった。

 

 でも――それが、失礼なことだってことくらい。

 

 ……ボクにもわかる。

 

「……ふむ」

 

 

   *   *   *

 

 

 女王は、しばらく黙っていた。

 

 その瞳が。

 

 じっと、ボクを見下ろしている。

 

――(……っ)

 

 見透かされている。

 

 そう、思った。この人には……ボクの、全部が見えている。

 

 ボクが……どれだけ弱くて、どれだけ臆病で。どれだけ、情けないか。

 

 ……全部。

 

「……そういうことですか」

 

 やがて、女王は小さく息を吐いた。

 

 そして――ゆっくりと、玉座に座り直す。

 

「……欺かれたのは事実。ですが」

 

 その声から。

 

 ほんの少しだけ――冷たさが抜けた。

 

「……あなたは……私を害そうとして、そうしたのではない。……ただ、隠れたかった。……そうですね?」

 

 ……。

 

 ボクは、恐る恐る顔を上げた。

 

 そして――こくり、と。

 

 頷いた。

 

「……ええ。見ればわかります」

 

 女王が静かに言った。

 

「これほど震えている者を、私は初めて見ました」

 

――(……っ)

 

 恥ずかしい。でも――何も、言い返せない。

 

「怯えているだけの者を、責める趣味はありません。……此度の件は、不問とします」

 

――(……!)

 

 ボクは思わず、また頭を下げた。

 

「……ただし」

 

 女王の声が、少しだけ鋭くなる。

 

「次はありません。……私の前で、二度と小細工はしないこと」

 

 ボクは頷いた。

 

 ……ほんとうに、もう、二度としない。

 

 

   *   *   *

 

 

「さて」

 

「話を戻しましょう。……あなたは、声が出せないのですね?」

 

 ボクは頷いた。

 

「……そう」

 

 女王は少し考えるように目を伏せた。それから顔を上げる。

 

「ミネルバ」

 

「は、はい」

 

「あなたに発言を許します。……この者の言葉を、代わりに伝えなさい」

 

「……!」ミネルバが……目を見開いた。「よろしいのですか?」

 

「構いません。……声を持たぬ者に、声を出すよう命じるのは道理に合わない」

 

 ……。

 

――(……え)

 

 ボクは驚いて、女王をまた見上げた。

 

 ……この人は。

 

 厳しくて、怖くて。ボクを見透かして、静かに怒って。

 

 ……なのに。

 

 声のないボクのために――規則を曲げてくれた。

 

――(……)

 

 なんだか。

 

 胸の奥が、少しだけ。

 

 ……あたたかくなった。

 

 

   *   *   *

 

 

「では――褒美の話をしましょう」

 

「まずは、ミネルバ。……何が望みですか?」

 

「……はっ」

 

 ミネルバが頭を下げた。

 

「では、遠慮なく。……高品質の魔力回復薬と、回復薬を五本ずつ。それと……報奨金をいただけたら」

 

「……薬、ですか」

 

「はい。俺は、冒険者ですから。……次の戦いで生き残るためのものが、いちばんありがたい」

 

「……よろしい」

 

 女王が頷いた。

 

「王家の秘蔵の品から、最上のものを与えましょう。報奨金も、相応の額を」

 

「ありがとうございます」

 

――(ミネルバ……らしいなあ)

 

 豪華な宝物でも、地位でもなく。次の戦いで生き残るための薬。

 

 ……本当に、ミネルバらしい。

 

「次は――ウェイブ」

 

「は、はいっ!」

 

 ウェイブが、がばっと頭を上げた。

 

「……あなたは、何を望みますか?」

 

 ……。

 

 ウェイブは顔を下げて、少しの間黙っていた。

 

 それから――ゆっくりと、顔を上げた。

 

 その表情は。

 

 ……いつもの、自信満々の顔じゃなかった。

 

「……俺は」

 

「……」

 

「……騎士の身分のままで、廃墟の……警護の任に就かせてください!」

 

 ……。

 

――(……え)

 

「……ほう」女王の眉が、わずかに動いた。「出世でも、金でもなく。……辺境の警護を?」

 

「はい」

 

「……理由を聞きましょうか。」

 

「……俺は」

 

 ウェイブが言った。

 

「あの日、廃墟で……震えていました。怖くて。逃げたくて……大したことは何もできなかった」

 

 ……。

 

「ですが――あそこには、俺の守りたいものがあるんです」

 

 ……。

 

「もう二度と……震えるだけの俺でいたくない。……だから、あそこにいさせてください!」

 

 ……。

 

 ボクは。

 

 その横顔を、じっと見ていた。

 

――(……ウェイブ)

 

 いつものうるさくて、自意識過剰で、ちょっと情けないあの騎士の。

 

 ……見たことのない顔だった。

 

「……よろしい」

 

 女王が、静かに頷いた。

 

「王国の騎士として在籍したまま、廃墟の警護を命じます。……ウェイブ。あなたの働きに期待します」

 

「――はっ!! ありがたき幸せ!!」

 

 ウェイブが顔を輝かせた。

 

 そして――ボクのほうを振り向いて……

 

 左目をぱっちりと閉じて……ウインクをしてきた。

 

 ……。

 

――(…………………………………………え?)

 

 ……。

 

 毎日?

 

 ……あの、うるさいのが?

 

 ……ボクの、廃墟に?

 

 ……毎日?

 

――(……ま、待って)

 

――(ボクの……ボクの、静かな平穏……)

 

 ウェイブは満面の笑みで、胸を張っていた。

 

 同じ言葉が。

 

 この人には、人生でいちばんの栄誉で。

 

 ボクには……かすかな絶望だった。

 

 ミネルバが、ボクの顔を見て。

 

 ……小さく噴き出したのがわかった。

 

 

   *   *   *

 

 

「……そして、最後に」

 

 女王がボクを見た。

 

「あなたです。……廃墟の主」

 

――(……っ)

 

 ボクは…身を固くした。

 

「あなたは、何を望みますか?」

 

 ……。

 

 ボクは、必死に宙に文字を書いた。震える指で。

 

 ミネルバが、それを読み上げてくれる。

 

「……『なにも、いりません』」

 

 ……。

 

「『ボクはただ、静かにくらしたいだけです』」

 

 ……玉座の間が、静まり返った。

 

「『だから……ほうびは、いりません』」

 

 ……。

 

 女王は。

 

 しばらく黙っていた。

 

 それから――小さく、息を吐いた。

 

「……ふむ……なるほど」

 

 女王の視線が、先ほどまでよりも柔らかくなっている気がした。

 

「王国を救った功績に対して、何も要らないと。……欲のない」

 

 女王はそう言って。

 

 ……ゆっくりと、首を横に振った。

 

「ですが。……それは認められません」

 

――(……え)

 

「王家は、恩を必ず返します。……それが、この国の在り方です。何も返さぬまま、あなたを帰すことは……私の名においてできません」

 

 ……。

 

――(そ、そんな……)

 

「それに」

 

 女王が続けた。

 

「……あなたに与えるものは決して、あなたにとって……悪いものではありません」

 

 ……え?

 

「――ベルンハルト王国は……森の奥の廃墟、およびその周辺の森を……あなたの所有と、正式に認めます」

 

 ……。

 

――(…………え?)

 

「あの地はこれより、あなたのものです。何人たりとも、あなたの許しなく……あの廃墟に立ち入ることはできません。……森の恵みも、自由に使いなさい」

 

 ……。

 

 ボクの頭が。

 

 真っ白になった。

 

――(……ボクの……もの?)

 

「加えて、相応の報奨金を。……必要なものを買いなさい」

 

 ……。

 

「これで――あなたは誰にも脅かされることなく、あの廃墟で暮らすことができます」

 

 女王は、穏やかに続けた。

 

「……静かに暮らしたい、と言いましたね。……ならば、これがいちばん、あなたの望みに適うでしょう」

 

 ……。

 

 ボクは。

 

 ……何も、言えなかった。

 

 

   *   *   *

 

 

 城を出ると。

 

 外は、夕暮れだった。

 

 王都の空が、オレンジ色に染まっている。

 

「よかったな、ネル」

 

 ミネルバがボクの頭を、ぽんぽん、と叩いた。

 

「これであの廃墟は、正式にお前のもんだ。誰にも文句は言わせねえ」

 

「ふぅん! 俺の警護つきだしな!」

 

 ウェイブが隣で、胸を張る。

 

「安心していいぞ、ネル! 準備が整い次第、すぐに向かうからな!」

 

 ……。

 

 ボクは。

 

 夕焼けの空を見上げていた。

 

――(……願いは、叶ったんだ)

 

 そうだ。叶った。

 

 廃墟は、ボクのものになった。誰にも追い出されない、森も自由に使える。報奨金だってもらえる。

 

 もう追われることはない。もう、討伐されることを怯える必要もない。

 

 ずっと、望んでいたことだ。

 

 ……ずっと、望んでいた……はずなんだ。

 

 なのに。

 

――(……どうして)

 

 この国の女王に、顔を見られた。

 

 王国の記録に、名前が刻まれた。

 

 うるさい騎士が、いつも近くにいることになってしまった……

 

 誰にも知られず、ひっそりと。

 

 ……そんな暮らしは、もうどこにもない。

 

――(……守られたはずなのに)

 

 ボクの手の中に残っているのは。

 

 守られた平穏の器と。

 

 ……もう二度と戻らない、静けさの抜け殻だった。

 

 夕焼けが、廃墟のある森のほうへ沈んでいく。

 

 ボクはそれを、閉じられない瞳で。

 

 ……ただ、見つめていた。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。
『守られた平穏』と『失われた静けさ』。……ネルにとって、この褒美は幸せだったのでしょうか?答えは...これからの物語の中に
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