廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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四話目です。ロイドとの距離が少し縮まり、そしてあの人物がまた現れます。ネルの廃墟生活、少しずつ変わっていきますよ。


序章 第四話「名前と、少しずつの距離」

 

 ミネルバが去った翌日、ボクは廃墟の掃除をしていた。

 

 正確にはアウラが掃除をしていて、ボクはそれを眺めていた。昨日ようやく調達できた掃除道具を使って、アウラがぎこちない手つきで床の埃を払っている。モップを持つ手が少し不安定で、壁にぶつかりそうになるたびにボクは魔力糸で微調整する。

 

――(もう少し右……そう、そこ。うん、上手い)

 

 誰に言うわけでもないが、心の中で声をかけてしまう。意思のない人形に向かって。我ながら妙な習慣だと思う。

 

 廃墟は少しずつ、人が住める場所に近づいていた。

 

 蜘蛛の巣は払い、床の植物は取り除き、崩れた石は隅に積み上げた。完璧とは言えないが、少なくとも足の踏み場はある。窓枠の蔦は……まあ、これはこれで趣があるので残しておくことにした。

 

――(そういえば、ミネルバはまた来るのだろうか)

 

 昨日の女冒険者のことを思い出す。「今日のところは見逃してやる」と言っていた。「今日のところは」という言葉が引っかかっている。つまり、また来る可能性があるということだ。

 

――(来てほしくないけど……来ないとも言い切れないな)

 

 ボクは複雑な気持ちで考えた。ミネルバは今のところ敵ではない。でも味方とも言えない。糸が見える実力者で、ボクの存在を知っている。それは脅威でもあり、あるいは……。

 

 そこまで考えたところで、廃墟の外から足音が聞こえた。

 

 小さい。軽い。子どもの足音だ。

 

――(来た……やっぱり来た……!)

 

「ネルー! いるー?!」

 

 ロイドだった。

 

 元気な声が廃墟の石壁に反響する。ボクはアウラに入り口へ向かわせながら、自分も廃墟の奥からゆっくりと出ていった。

 

 入り口に、ロイドが立っていた。今日は昨日よりも泥が少ない。ちゃんと道を覚えてきたらしい。

 

「いた! ネルだ!」

 

 ロイドが駆け寄ってくる。ボクの前でしゃがみ込んで、顔を覗き込む。

 

「ねえねえ、昨日お母さんにおこられた。でも来ちゃった」

 

――(来ちゃったじゃないよ……)

 

「ネルのこと、お母さんに話したら、もりにはいっちゃいけませんって言われた。でも来ちゃった」

 

――(お母さんの言うことを聞いてください……)

 

 ボクは首を横に振った。「来てはいけない」という意味を込めて。

 

 ロイドは首を傾けた。

 

「もどれってこと?」

 

 頷く。

 

「……でも、ネルのことが気になって」

 

――(気になるのはわかるけど……)

 

「ねえ、ネルはここにずっといるの?」

 

 頷く。

 

「ひとり?」

 

 ボクはアウラを指し示した。アウラがロイドを見下ろしている。

 

「あ、この子もいるか」ロイドはアウラを見上げた。「おねえちゃん、なまえは?」

 

「……あの、わたしは、アウラ、といいます……」

 

「アウラおねえちゃん! ボクはロイド! よろしく!」

 

 アウラがぺこりと頭を下げる。ロイドは満足そうに頷いて、またボクに視線を戻した。

 

「ネルはしゃべれないの?」

 

 頷く。

 

「そっか。じゃあ、うなずくのと、首ふるので話すんだね」

 

――(飲み込みが早い……)

 

「わかった! じゃあボクがいろいろきくね!」

 

――(質問攻めにしないでほしいんだけど……)

 

 ロイドはそれから、次々と質問を投げかけてきた。好きな食べ物はあるか。夜は怖くないか。廃墟は寒くないか。どこから来たのか。魔法は使えるか。

 

 ボクはそのひとつひとつに、頷いたり首を振ったりで答えた。答えられないものは、首を傾けて「わからない」を表現した。

 

 ロイドはそのたびに「そっか!」と頷いて、また次の質問をする。

 

 不思議な時間だった。

 

 子どもと人形が、廃墟の入り口で向かい合って、身振りだけで会話をしている。傍から見たらどんな光景だろう。でもボクは、不思議と嫌ではなかった。

 

――(平穏……とは少し違うけど。悪くも、ない……かな)

 

 ひとしきり質問を終えたロイドが、ふと思い出したように言った。

 

「そうだ。ネルってなまえ、ちゃんとしたなまえだよね?」

 

 頷く。

 

「だれかにつけてもらった?」

 

 ボクは少し考えてから、ロイドを指さした。

 

 ロイドが目を丸くした。

 

「……ボクが?」

 

 頷く。

 

「ボクがネルってつけたの?!」

 

 頷く。力強く。

 

「……えへへ」

 

 ロイドが照れたように笑った。頭を掻いて、少し俯いて、それからまたボクを見る。

 

「じゃあ、ちゃんとしたなまえだね。ネル」

 

――(うん。ちゃんとした名前だよ。ロイド)

 

 ボクは静かに頷いた。

 

 

   *   *   *

 

 

 ロイドが帰っていったのは、昼過ぎのことだった。

 

「またくるね!」と手を振りながら森の中へ消えていく背中を見送りながら、ボクは小さくため息をついた。人形の体にため息機能はないが、気持ち的に。

 

――(また来る宣言をしていった……)

 

 でも、止めることはできなかった。あの子の足は速く、意志は固い。そして何より、ボクにはあの笑顔を拒絶する気力がなかった。

 

 廃墟に戻ろうとしたそのとき、森の奥から別の足音が聞こえた。

 

 重い。しっかりした足音。

 

――(また来た……!)

 

 ミネルバだった。

 

 昨日と同じ装備で、昨日と同じ表情で、廃墟の入り口に立っている。ボクとアウラを見て、それから廃墟の中を覗き込んだ。

 

「……また来た」

 

――(見ればわかります……)

 

「昨日言いそびれたことがあって」

 

 ミネルバがボクの前で腰を折り、目線を合わせてきた。間近で見ると、やはり迫力がある。でも昨日ほどの恐怖はなかった。なぜだろう。

 

「お前、名前はあるのか?」

 

 ボクは頷いた。

 

「なんていう?」

 

 ボクはアウラを見た。アウラが静かに口を開く。

 

「……ネル、様です」

 

 ミネルバがその名を繰り返した。

 

「ネル……」

 

 しばらく考えるような間があった。

 

「……変な名だな」

 

――(変って言わないでほしい……)

 

「でも、まあいい」

 

 ミネルバが立ち上がった。ボクを見下ろして、腕を組む。

 

「ネル。お前のことは、まだ信用したわけじゃない。でも……あの娘を傷つけるつもりがないのはわかった。それだけだ」

 

――(……はい)

 

「俺はしばらくこの辺りに仕事で滞在する。何かあったら……まあ、来い。アウラを通じてでもいい」

 

――(何かあったら来い……? それはどういう……)

 

 ミネルバはそれだけ言って、また踵を返した。去り際に、ぼそりと呟く。

 

「……掃除したのか。少しマシになったな、ここ」

 

――(ありがとうございます……)

 

 大きな背中が、また森の中へと消えていった。

 

 ボクは廃墟の前に立ったまま、しばらく動けなかった。

 

 敵ではない。でも味方でもない。

 

 でも……「何かあったら来い」と言った。

 

――(これは……どういう関係なんだろう)

 

 ボクにはよくわからなかった。人形になって以来、人間との関係というものを考えたことがなかった。ただ平穏に暮らしたかっただけだから。

 

 でも今、ボクの周りには少しずつ、人の気配が増えていた。

 

 ロイドという名の好奇心旺盛な男の子。

 

 ミネルバという名の豪快な女冒険者。

 

 そしてアウラ……意思のないはずの、白い人形。

 

――(平穏って、ひとりでいることだと思ってたけど……)

 

 ボクは空を見上げた。雲ひとつない、青い空だった。

 

――(……まあ、いいか)

 

 廃墟の中から、アウラがボクを見ていた。

 

 白い瞳が、静かにボクを映していた。

 

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。「何かあったら来い」というミネルバの一言……ネルにとってどんな意味を持つのでしょうか。
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