廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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四十九話目です。
ひっそり暮らしたい。……そう願うネルが、今回ある決意をします。
それは、その願いと矛盾するようで――


一章 第四十九話「守りたいから」

 

 

【ネル視点】

 

 砦ができてから、数日が過ぎた。

 

 廃墟の…いつもの日常。ボクは奥の部屋で、人形作りをしている…糸を紡いで。森の入り口のほうからは、時々砦の兵士たちの賑やかな声が風に乗って届いてくる。

 

 守られている。……そのあたたかさは、確かにある。

 

 でも。

 

――(……なんだろう、この感じ)

 

 胸の奥に何か…澱みたいなものが、ずっと沈んでいる。

 

 

   *   *   *

 

 

「ネル様」

 

 アウラがお茶を持ってきてくれた。ボクは口から飲むことはできないけれど、糸を伝わせて、そのほんのわずかな温もりと味だけは、感じ取ることができる。腹が満たされるわけでもない……ただ、あたたかいだけ。それでも、淹れてくれる。その気持ちが嬉しいんだ。

 

 アウラは、森の入り口のほうに目を向けた。そして――ふわりと微笑んだ。

 

「……これで、安心できますね」

 

 ……。

 

 純粋な言葉だった。ボクたちを守ってくれる…それが嬉しい。……ただ、それだけの。

 

――(……安心)

 

 ボクは。

 

 その言葉を、心の中で繰り返した。

 

――(……本当に、そうなのかな?)

 

 

   *   *   *

 

 

 安心。

 

 ……そう、なんだろうか。

 

 ボクは、糸を紡ぐ手を止めた。

 

 あの砦…村の人たちが、汗を流して建ててくれた木の砦。ウェイブが隊長を務めて守ってくれる。……ありがたい。本当に、ありがたいことなんだ。

 

 でも――ボクは知っている。

 

 あのザガンを。

 

 ガリガリの体が、突然化け物みたいに膨れ上がって…あの力自慢のミネルバを、力で押し込んで。……あんな恐ろしいものが、この世にはいる。

 

――(あの砦は…あんなのが来ても……守れるのかな?)

 

 木の柵と村の人たちと……そして、ウェイブ。

 

 ……無理だ。たぶん、無理だ。あんな化け物が来たら…あの砦はきっと、紙みたいに破られる。

 

 

   *   *   *

 

 

 それに――思い出す…あの戦いを。

 

 ボクはあの時、何ができただろう…?

 

 ヒナタを起動させた。奥の手の、戦闘に特化した人形……確かに強かった。あのザガンを追い詰めて倒しきれた。

 

 でも――ほんの、数分。

 

 たったそれだけだったのに、ボクの魔力は空っぽになった。ヒナタは糸が切れて、崩れ落ち…ボクは、そのまま三日も眠ってしまった。

 

――(……ヒナタ)

 

 あの子は。あんなに立派に戦ってくれたのに。

 

――(……あんなに短い時間しか、動かしてあげられなかった)

 

 もっとボクに力があれば、あの子をもっと長く動かしてあげられたのに。……ごめん、ヒナタ。ボクが未熟なばっかりに。

 

 ……。

 

 ボクは、はっとした。

 

――(人形に謝るなんて…)

 

 人形には意思なんてない。心なんてない……ボクが、そう作ったんだから。なのに、またどうしてこんな…「ごめん」なんて…?

 

――(……おかしいな、ボク)

 

 

   *   *   *

 

 

 もし。

 

 ……もし、あの日。

 

 ミネルバと、ウェイブが倒されていたら。……ヒナタの起動が、間に合わなかったら。

 

 ボクは。

 

 廃墟の奥で震えながら、守ってくれる人たちが倒れていくのを…ただ、見ているしかできなかったかもしれない。

 

 そして――ボクはザガンに捕まって、実験台にされて…。

 

――(……)

 

 ぞっとした。心臓なんてないのに…背筋が凍るような。

 

 あの日は、たまたま。……本当に、たまたま勝てただけ。ミネルバが生きていて、ヒナタが間に合って。……いくつもの偶然が、重なって。

 

――(……次も、そうとは限らない)

 

 

   *   *   *

 

 

 ボクは。

 

 ずっと逃げてきた。隠れて、震えて…争いごとから目をそらして。「ひっそり暮らしたい」って、そればっかり。

 

 ……それは、今も変わらない。ボクは平穏がいいし、誰とも争いたくない。静かに、暮らしていたい。

 

 でも。

 

――(……気づいてしまった)

 

 守られるだけじゃ……いつか、必ず後悔する気がする。

 

 大切なものが増えた。アウラにミネルバ…それに、ロイドや子どもたち。守ってくれる人たち……守りたいものが、こんなにも増えてしまった。

 

 なのに、ボクは弱い。あまりにも弱い。

 

 ……次に何かが来たとき、また震えているだけなら……大切な誰かが傷ついてしまうかもしれない。ボクはまた「ごめん」って謝るしかないのかな…ヒナタにそうしたみたいに。

 

――(……いやだ)

 

 それは、いやだ。

 

 絶対に、いやだ。

 

――(ボクは……強く、ならなきゃ)

 

 ひっそり暮らすために。この、ささやかな平穏を守るために……ボクは、戦う力を持たなきゃいけないんだ。

 

 矛盾してる?…わかってるさ。平穏を望むボクが、戦う力を求めるなんて。

 

 でも。……これが、ボクの答えだ。

 

 

   *   *   *

 

 

 その夜。

 

 ボクは、ミネルバのところへ行った。

 

 焚き火のそばで、ミネルバは斧を手入れしていた。

 

「ん? ……どうした、ネル?」

 

 ボクは。

 

 近くにあった紙に、文字を書いた。……以前までは上手くできなかったけど、ゆっくりと。でも、はっきりと。

 

――『ミネルバに、おねがいがある』

 

「おう。……なんだ?」

 

――『ボクに……たたかいかたを、おしえてほしい』

 

 ……。

 

 ミネルバの手が、止まった。

 

 橙色の目が、じっとボクを見つめる。

 

「……お前が。戦い方を、教えてくれ、だと?」

 

 ボクは頷いた。

 

 ミネルバは、しばらく黙っていた。ボクの目を―じっと見て。

 

 その口が、何か言いかけて……止まった。

 

 たぶん――「戦うってのは、傷つくことなんだぞ」とか、そういうことを言おうとしたんだと思う。……でも、ミネルバはそれを飲み込んだ。ボクの目の奥に、何かを見つけて。……もう、止めても無駄だってわかったみたいに。

 

 そして。

 

 ふっと――笑った。

 

「……いい顔になったじゃねえか」

 

――(……え?)

 

「前のお前なら、そんなこと言わなかっただろ。」ミネルバは立ち上がった。「……何があった?」

 

 ボクは、また文字を書いた。

 

――『まもりたいものが、ふえたんだ』

 

 ……。

 

 ミネルバは、その文字をじっと見て。

 

 それから、スッと…ボクのシルクハットの上を撫でた。

 

「……そうか」

 

 その声は。……なんだか、とても優しかった。

 

「わかった。俺が鍛えてやる……覚悟しろよ? 俺の稽古は、甘くねえぞ」

 

 

   *   *   *

 

 

 焚き火が、ぱちぱちと爆ぜる。

 

 ボクは……たぶん、笑っていた。顔は動かないけど。この固定された笑みの、その奥で。

 

 ずっと逃げてきたボクが。初めて――自分から、前に進もうとしている。

 

 怖い。戦うのは、怖い。……でも。

 

――(守りたいんだ、この場所を。みんなを)

 

 明日からボクは変わる。……ううん、変わってみせる。

 

 夜空を見上げる。……閉じられない瞳に、多くの星が映った。

 

 なんだか――ほんの少しだけ。前よりその光が……綺麗に、見えた気がした。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。
平穏を望みながら、戦う力を求める。
……その矛盾を抱えたネルの覚悟が、少しでも伝わったら嬉しいです
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