廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
廃墟が、少しずつ変わっていた。
アウラが丁寧に磨いた石床は、薄汚れていた頃より格段に歩きやすくなった。崩れた天井の隙間から差し込む光が、昼間は廃墟の中を柔らかく照らしている。窓枠の蔦はそのままだが、それはそれで悪くない。緑の葉が揺れるたびに、光と影がゆらゆらと揺れる。
――(……悪くない。思ってたより、ずっと悪くない)
ボクは廃墟の中央に鎮座しながら、そんなことを思っていた。
ミネルバが廃墟に来るようになって、十日ほどが経っていた。
最初の頃は毎日来ていた。何か用があるわけでもなく、廃墟の入り口に立って、ボクとアウラの様子を確認して、「問題なさそうだな」と呟いて帰っていく。それだけだ。
――(見張りのつもりなのかな……)
最近は三日に一度くらいに減っていた。どうやら仕事が忙しいらしい。アウラが街で情報を集めてきた話では、ベルンハルト王国の辺境近くで魔物の出没が増えているとのことだった。Bランク上位の冒険者であるミネルバが駆り出されるのも、無理はない。
――(ミネルバが来ない日は、静かだ。静かで……まあ、いつも通りだ)
そう思いながらも、ボクは廃墟の入り口の方角を何度か確認している自分に気づいた。
――(……べつに、来るのを待ってるわけじゃない。断じて)
アウラが廃墟の隅で植物に水をやっていた。いつの間にか、鉢に入った小さな草花が窓際に並んでいた。アウラが買い出しのついでに買ってきたものだ。
――(そんなの買ってきてたのか……)
ボクが指示したわけではない。アウラが自分の判断で……いや、そんなはずはない。人形に判断などない。きっとボクが無意識に指示を出していたのだろう。
そういうことにしておいた。
そのとき、廃墟の外から元気な声が飛び込んできた。
「ネルー! いるー?!」
――(来た)
ロイドだった。
ここ最近、ロイドは二日に一度くらいのペースで廃墟に来ている。お母さんに怒られながらも懲りずに来る、その根性だけは認めざるを得ない。
「いた! あとアウラおねえちゃんも!」
ロイドが駆け込んできた。今日は膝に泥がついている。来る途中で転んだのだろう。
――(また転んだのか……)
「ネル、見て見て! これ、森で見つけた!」
ロイドが手のひらを広げた。そこには丸くて赤い木の実がひとつ。森でよく見かける、甘酸っぱい実だ。
「アウラおねえちゃんにあげる! 好き?」
「……あの、ありがとう、ございます……」
アウラがおずおずと受け取る。白い手のひらの上で、赤い木の実が小さく転がった。
「ネルにもあげたかったんだけど、ネルって食べないんだよね?」
ボクは頷いた。
「そっか。じゃあ、かわりに……」
ロイドはごそごそとポケットを探って、小さな石を取り出した。白くて丸い、きれいな形の石だ。
「これあげる。ひかってたから、ネルが好きそうだと思って」
――(……なんで好きそうだと思ったんだ)
でも受け取った。小さな石を、細い指先でそっと。
――(……まあ、確かにきれいな石だ)
「えへへ。喜んでくれた?」
ボクは頷いた。ロイドがぱっと笑顔になる。
その笑顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる気がした。人形の体に胸などないはずだが。
しばらくロイドと身振りで会話をしていると、廃墟の外から重い足音が聞こえてきた。
ひとつ。ふたつ。
――(あ)
入り口に、見慣れた大きな影が現れた。
「……なんだ、ガキが来てるのか?」
ミネルバだった。三日ぶりだ。
――(三日ぶりだということをなぜボクは把握しているんだ……)
「あ! おねえさんだ! ネルの知り合い?」
ロイドがミネルバを見上げた。ミネルバはロイドを見下ろして、少し眉を上げた。
「知り合い……まあ、そんなとこだ。お前は?」
「ロイド! ネルのともだち!」
――(友達……)
その言葉が、不思議と胸に刺さった。
「ふうん」ミネルバがボクを見る。「ガキの友達もできたのか?」
――(友達かどうかはわからないけど……)
「ネル、このおねえさんは?」
ロイドがボクに問いかける。ボクはアウラに目を向けた。アウラが口を開く。
「……ミネルバ、さんです……冒険者の、方で……」
「ミネルバ! すごい名前! 強そう!」
「……そうだな。強いぞ」
ミネルバが珍しく素直に頷いた。ロイドが目を輝かせる。
「あ!」ロイドが突然声を上げた。「ミネルバおねえさんの名前にも、ネルって入ってる!」
ミネルバが固まった。
「……そう、だな」
――(気づいてなかったのか……)
「おそろい!」
「…………」
ミネルバはしばらく何も言わなかった。
「じゃあミネルバおねえさんとネルって、どんな関係なの?」
――(それはボクも聞きたい……)
ミネルバが少し考えた。腕を組んで、廃墟の天井を眺めて、それからぼそりと言った。
「……まあ。腐れ縁ってやつだ」
――(腐れ縁……!? いつの間に……)
「くされえん? なに、それ」
「ずっと関わり続けてる相手ってことだ。嫌でも気になっちまう」
――(嫌でも、って言った。嫌でも、って)
「へえ! じゃあネルのこと好きなの?」
ロイドが無邪気に言った。ミネルバが固まった。
「……な、なんでそうなる」
「だって、嫌でも気になるって、好きってことじゃないの?」
――(子どもって怖い。論理が真っ直ぐすぎて怖い)
ミネルバはしばらく沈黙して、それから盛大に頭を掻いた。
「……うるさい。子どもは余計なことを言うな」
「えー」
「帰る時間じゃないのか。暗くなる前に帰れ」
「まだ明るいよ!」
「明るいうちに帰るんだ。じゃないと森で迷う」
ロイドがむくれた顔でボクを見た。ボクは静かに頷いた。ミネルバの言う通りだ、という意味を込めて。
「……ネルまで」ロイドがため息をついた。「わかったよ。また来るね、ネル!」
「おう。気をつけて帰れ」
ミネルバがロイドを廃墟の外まで送り出した。ロイドが手を振りながら森の中へ消えていく。
廃墟に静寂が戻った。
ミネルバが戻ってきて、ボクの前に立った。いつものように腕を組んで、ボクを見下ろす。
「……あのガキ、よく来るのか?」
頷く。
「危なくないのか、子どもが森を一人で歩いて」
頷く。心配だということを込めて。
「……お前が心配してどうする」ミネルバがため息をついた。「俺が帰り道を確認しといてやる。今日だけだぞ」
――(今日だけ、か)
でもそれが「また来る」という意味だということを、ボクはなんとなくわかり始めていた。
ミネルバが廃墟を出ていく。その背中を見送りながら、ボクは手の中の白い石を見つめた。
廃墟の窓際では、アウラが赤い木の実をそっと花瓶の隣に置いていた。
飾るつもりらしい。
――(……意思がないはずなんだけどな)
ボクはそう思いながらも、止めなかった。
廃墟は今日も少しずつ、変わっていく。
平穏を望む道化師の人形は、それが嫌いではなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。「嫌でも気になる」……ロイドの一言、刺さりましたでしょうか。