廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
その日、ロイドは一人ではなかった。
「ネルー! ともだち、つれてきたよ!」
廃墟の入り口から飛び込んできたロイドの後ろに、もじもじした様子の子どもが二人いた。一人は赤毛のおさげの女の子、もう一人はぽっちゃりした男の子だ。どちらもロイドと同じくらいの年齢に見える。
――(ともだち……?)
ボクは固まった。
――(来客が増えた。増えてしまった。ロイドだけでも十分手一杯なのに……!)
「ネル、すごいんだよ! うごくにんぎょうなんだよ!」
ロイドが得意げに説明している。二人の子どもがおそるおそる廃墟の中を覗き込んだ。
「……ほんとうに、うごいてる」赤毛の女の子が目を丸くした。「こわい……けど、かわいい」
――(かわいい……?)
「ぼく、にんぎょうこわい」ぽっちゃりした男の子が半歩後退した。
――(正直でよろしい。でも来ないでほしかった……)
「こわくないよ! ネルはやさしいから!」
ロイドが胸を張って言い切った。
――(ロイド……ボクのことをそんなふうに……)
胸の奥がじんわりした。人形の体に胸などないはずだが。
「ねえ、ネルって言うんだよね? かわいいなまえ! わたしはマリー!」
――(マリー……か)
「ぼくはトム……」ぽっちゃりの男の子がおずおずと名乗った。「にんぎょう、ほんとにこわくない……?」
ボクはゆっくりと頷いた。怖くない、という意味で。
「……じゃあ、ちょっとだけ、ちかづいてみる」
トムがそろりそろりと近づいてきた。ボクの前で立ち止まって、じっと見つめる。
「……おっきい」
――(そうですよ。君たちよりは大きい人形ですよ)
「……あったかい?」
――(人形なので……どうだろう)
ボクは首を傾けた。「わからない」という意味で。
「トム、さわってみればいいじゃん!」
「やだ! こわい!」
「こわくないって言ったじゃん!」
「ちかづくのとさわるのはちがう!」
マリーとトムが言い合いを始めた。ロイドがボクを見て、困ったように笑う。
「ごめんね、ネル。にぎやかで」
――(いや、まあ……うん)
ボクは首を横に振った。気にしていない、という意味で。
それは……半分本当で、半分は嘘だった。
確かに賑やかすぎる。ボクが望む平穏とは少し違う。でも、子どもたちの声が廃墟に響いているこの光景は……悪くない、とも思う。
――(悪くない。本当に、悪くない)
アウラが子どもたちにそっと近づいて、窓際の花を指し示した。マリーが目を輝かせる。
「わあ! おはな! きれい!」
「おねえちゃんが、うえてるの?」
「……はい……すこし、だけ……」
「じょうずだね!」
アウラがぺこりと頭を下げた。その白い頬が、わずかに……いや、気のせいだろう。人形の頬は色づかない。
そのとき、廃墟の外から重い足音が聞こえてきた。
――(あ)
ミネルバだった。入り口に立って、子どもたちを見て、ボクを見て……大きなため息をついた。
「……増えてる」
――(そうなんです……)
「ロイド、また来たのか?」
「ミネルバおねえさん! ともだちつれてきたよ!」
「見りゃわかる」
ミネルバがどかりと廃墟の隅に腰を落ち着けた。子どもたちがミネルバを見て、その大きさに目を丸くする。
「おねえさん、おおきい!」マリーが言った。
「……そうだな」
「つよそう!」
「強いぞ」
「すごーい!」
ミネルバが珍しく、ほんの少し口の端を上げた。
――(子どもには弱いな……)
* * *
子どもたちが帰っていったのは、夕暮れ前のことだった。
ミネルバが帰り道を確認しながら送り出して、廃墟に戻ってくる。それからボクの前に立って、少し言いにくそうに口を開いた。
「……ネル、一つ頼みがある」
――(頼み?)
「明日、森の奥で魔物の群れを討伐する依頼がある。単独でこなせる規模だが……念のため、アウラに周辺の様子を見ておいてほしい。人間がいたら教えてくれ」
――(索敵の補助、か……)
ボクは少し考えた。アウラを使った索敵なら、ボクの能力の範囲内だ。ミネルバを危険にさらすわけでもないし、人間を傷つけるわけでもない。むしろアウラが周辺を確認することで、無関係の人が巻き込まれるのを防げる。
――(平穏のためなら……悪くない判断だ)
ボクはゆっくりと頷いた。
「……助かる」
ミネルバがそれだけ言って、視線を外した。お礼を言うのが照れくさいのか、少し耳が赤い。
――(耳が赤い……)
――(気のせい、かな)
「あと」ミネルバが続けた。「子どもたちが来るのを止める気はないが……あまり広めるなよ。お前の存在が知れ渡ると面倒なことになる」
――(それはボクが一番よくわかってます……)
ボクは力強く頷いた。
「……ならいい」
ミネルバが立ち上がって、廃墟の出口へ向かった。去り際に振り返る。
「明日、日の出と同時に頼む」
頷く。
「……じゃあな、ネル」
大きな背中が廃墟の外へ消えた。
ボクはしばらく、その場に立ったままでいた。
――(頼まれた)
――(ボクが、ミネルバに、頼まれた)
それはつまり、ミネルバがボクを……少し、信頼してくれているということだ。たぶん。おそらく。
廃墟の窓際で、アウラが花に水をやっていた。その動きが、今日もどこか自分の意志で動いているように見える。
――(信頼……か)
ボクは空を見上げた。夕暮れの空が橙色に染まっていた。
平穏を望む道化師の人形は、少しずつ、確かに、この世界に居場所を作り始めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。ミネルバからの頼まれごと、ネルにとってどんな意味を持つのでしょうか。