廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
日の出と同時に、ボクはアウラを森へ向かわせた。
ミネルバの依頼はシンプルだ。討伐区域の周辺を見回り、一般人がいないかを確認する。もし人がいたら、アウラを通じてミネルバに知らせる。それだけでいい。
――(索敵の補助、か……ボクにできることがあるとは思わなかった)
廃墟の中央に鎮座したまま、ボクはアウラの視界に意識を集中させた。アウラが森の中をゆっくりと歩いている。朝の森は静かで、鳥の声だけが響いていた。
ミネルバはすでに討伐区域へ向かっているはずだ。ボクはアウラを迂回させながら、区域の外縁をぐるりと確認していく。
――(……誰もいない。猟師も旅人も、この時間はまだ動いていないか)
安堵しながら確認を続けていると、アウラの視界の端に何かが映った。
木の影に、人影。
――(え)
ボクは意識を集中させた。人影は小さい……子どもだ。男の子が一人、木の幹に背中を預けて座り込んでいる。
――(なんでこんな朝早くに子どもが……)
よく見ると、膝を抱えて俯いていた。泥だらけの服。泣いているのかもしれない。
――(迷子……? それとも別の何かか)
ボクは迷った。ミネルバへの知らせを優先すべきか、子どもに近づくべきか。
でも答えはすぐに出た。
――(どちらも、だ)
ボクはアウラを子どものそばに向かわせた。アウラが木の影の男の子の前に立つ。男の子がはっと顔を上げた。目が真っ赤だ。やはり泣いていた。
「……だれ?」
男の子が掠れた声で言った。アウラを見て、怯える様子はない。ただ驚いている。
「……あの、大丈夫ですか……?」
「……うん」明らかに大丈夫ではない顔で、男の子は頷いた。「まいごに、なった」
――(やっぱり迷子か……)
ボクはアウラに「ここで待っていろ」という仕草をさせながら、同時にミネルバへの伝達方法を考えた。アウラが迷子の子どもそばにいる間、どうやってミネルバに知らせるか。
そのとき、森の奥から大きな音がした。魔物の鳴き声だ。討伐が始まったらしい。
――(ミネルバ、もう動いてる……)
ボクは決断した。この場所は討伐区域から離れている。子どもがここにいる限り、直接の危険はない。ならばアウラに子どもを廃墟まで誘導させて、ミネルバが戻ってから報告する方が安全だ。
「……あの、一緒に、来ますか……? 怖くない、ですから……」
アウラが消え入りそうな声で言った。男の子がアウラを見て、少し考えて、頷いた。
「……うん。いく」
――(よし)
アウラが男の子を連れて廃墟へ戻ってきたのは、それから十分ほど後のことだった。
* * *
男の子の名前はリクといった。八歳で、近くの村の子だという。早起きして森に入ったら道に迷ったらしい。
廃墟の中で、リクはきょろきょろと辺りを見回していた。怖がる様子はない。むしろ好奇心旺盛な目をしている。
「ここ、おばけやしきみたい」
――(ロイドも同じことを言っていたな……)
「でも、おはながある」リクが窓際の花を見た。「きれいだね」
「……ありがとう、ございます……」アウラがぺこりと頭を下げた。
リクがボクを見た。ボクは廃墟の中央で静かに座っている。
「にんぎょう、ずっとそこにいるの?」
頷く。
「うごかないの?」
首を横に振る。動ける、という意味で。
「じゃあなんでそこにいるの?」
――(それはボクの定位置だからですよ……)
ボクが答えに困っていると、廃墟の外から足音が聞こえた。
ミネルバだった。
討伐を終えたのだろう、斧に返り血が付いている。廃墟に入ってきて、リクを見て、ボクを見た。
「……また子どもが増えてる」
――(今回はボクのせいじゃないです)
「……森で、迷子に、なっていたので……わたしが、連れてきました……」
アウラが説明した。ミネルバがため息をついて、リクの前にしゃがんだ。
「村はどこだ」
「……東の村」
「わかった。送ってやる」ミネルバが立ち上がった。それからボクを見る。「……お前、ちゃんと索敵してたのか。迷子を見つけるとは思わなかったが」
――(結果的に役に立ちましたよ……?)
ボクは頷いた。ミネルバが小さく鼻を鳴らした。
「……まあ、悪くない働きだ」
――(褒められた……!)
ボクの内心が、じんわりと温かくなった。
「リク、行くぞ」ミネルバが言った。「……ネルに礼を言え」
「ネルっていうんだね!」リクが嬉しそうにボクを見た。「ありがとう、ネル! またくるね!」
――(ネルって、すぐ馴染んだな……)
ミネルバとリクが廃墟を出ていった。足音が遠ざかっていく。
廃墟に静寂が戻った。
――(……悪くない働き、か)
ミネルバの言葉を、ボクは頭の中で繰り返した。
初めて誰かの役に立てた。ただ廃墟に引きこもって平穏を望んでいただけのボクが、今日は確かに誰かのために動いた。
――(平穏を守るために動くのも……悪くないかもしれない)
アウラが静かにボクの隣に立っていた。
白い瞳が、穏やかにボクを見ていた。
まるで「よくできました」と言うように。
最後まで読んでいただきありがとうございます。「悪くない働きだ」……ミネルバの一言、ネルに届いたでしょうか。