ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜 作:Naito
対戦よろしくお願いします。
第1話 おむすびが食べたかっただけ
「ひぐっ……、う、ち、ちがうもん……っ!」
両手で顔を覆って泣きじゃくる私の眉間に、黒くて長い銃口が向けられていた。
「わたし、ばけものじゃ、ないよぉ……っ! ただ、おむすびが、たべたかっただけで……っ、ひぐっ、こわくしないでぇ……!」
廃墟に、子供の号泣が響き渡る。
銃を構えた男たちは、私を前にして固まっていた。
呆然と顔を見合わせる。
引き金にかかっていた指が、ほんの少しだけ迷う。
銃口を向けられて、おむすびのことで泣きじゃくる化け物なんて、たぶんいない。
理屈は合っている。
合っているんだけど。
違う。
なんで「おむすび」なんて言ったんだ、私のバカ。
しかも「ちがうもん」ってなんだ。
頭を抱えてのたうち回りたい衝動とは裏腹に、口から出るのは完全に年相応の迷子の泣き言だけだった。
これが、私と『ダイヤの砦』の、最初の出会いだった。
◇ ◇ ◇
数時間前。
崩れ落ちたコンクリートの隙間から、錆色の光が差し込む。
その薄汚れた明かりを頼りに、私は南へ歩いていた。
瓦礫の隙間には、青白い結晶の欠片。
踏むたびに、靴底の下で小さく砕ける。
目指すのは、この先にあるはずの『ダイヤの砦』。
観覧車の足元に、生き残った人間たちが集まっているという。
安全な壁がある。綺麗な水もある。
そう信じたかった。
視界が低い。
瓦礫の向こうが見えない。
大人だった頃なら跨げた段差にも、今は両手をつくしかなかった。
背嚢の肩紐がずり落ちる。
直そうとすると、防刃ベストが鎖骨に食い込んだ。
ライフルに至っては、腕の長さにまるで合っていない。
引き金に指は届く。
けれど構えた瞬間、銃の方が私を振り回している気がした。
頭の中には、アラフォーの男だった記憶がある。
なのに身体は、八歳くらいの女の子のものだった。
「……もー、ほんとに嫌になっちゃう……」
廃ビルの陰で一息つきながら、自分の口からこぼれた声に、私は唇を噛んだ。
高く、か細く、どこか甘ったるい子供の声。
身体が変わってから、感情の逃げ足が早い。
怖いと認識する前に、目の奥が熱くなる。
怒るより早く、言葉が泣き声に寄ってしまう。
頭では分かっている。
泣いている場合じゃない。
こんな廃墟で足を止めていたら、変異獣ミュータントの餌になるだけだ。
それでも、喉の奥はすぐにひくついた。
「……お腹、すいちゃったなぁ」
文句を飲み込みながら、背嚢からアルミパウチされた携行食料を引きずり出す。
中身は、大豆タンパクを固めたブロックだ。
小さな前歯でかじると、パサパサの段ボールみたいな食感が舌に貼りついた。
噛んでも、噛んでも、食べ物になってくれない。
「うぅ……まずいよぉ……」
ふと、現代日本にいた頃の塩むすびを思い出した。
白いお米。
海苔の匂い。
ほんの少しの塩味。
……おむすび、食べたい。
舌の奥が、勝手にその味を探した。
こんな世界で、そんなものが食べられるはずない。
きっと、この街のどこにも残っていない。
それでも、舌だけが覚えていた。
私は携行食料を無理やり飲み込み、瓦礫の隙間から空を見上げた。
雲の切れ間から、巨大な魔法陣の破片みたいな光の帯が浮かんでいる。
ここは、崩壊した東京だ。
錆と煤の匂いが混じる風。
薬莢の散った道路。
淡く光るマナ結晶。
建物の陰では、人の背丈ほどの結晶柱がコンクリートを割って伸びていた。
この世界が三年で生やした、新しい植生だった。
「……行かなくちゃ」
立ち上がって、重いライフルを細い腕に抱え直す。
足を踏み出すたび、大きすぎるコンバットブーツの中で小さな足が滑る。
マメが潰れかけた痛みが、一歩ごとに頭の奥まで響いた。
かつて環七通りと呼ばれていた大動脈は、地殻変動と巨大な根でズタズタに裂けている。
ひび割れたアスファルトの脇に、傾いた標識が突き出している。
焼け落ちた車の残骸は、黒い殻みたいに道路へ転がっていた。
その向こう、かつて都心だった方角には、有毒な紫色の胞子雲が重く垂れ込めていた。
「……むかしは、ここからでもスカイツリーが見えたのになぁ」
口から出た愚痴は、ひどく頼りなかった。
その時。
遠くで、ギャリリリッ、と金属を引っ掻くような音が響いた。
全身の産毛が逆立った。
軽い足音が、乾いた道路を刻んでいる。
一つではない。
爪の音がずれる。三匹。いや、それ以上。
「……
声が勝手に震えた。
私は慌てて身を屈め、近くにあった半壊した建物へ転がり込んだ。
かつてコンビニだった場所だ。
自動ドアは砕け、入り口にはガラスの破片が散っている。
踏んで音を立てないよう、つま先で店内へ潜り込む。
中は薄暗い。
カビと腐ったプラスチックの匂いがこもり、倒れた商品棚が通路を塞いでいた。
黒ずんだ冷蔵ケースの前には、色褪せた値札が散らばっている。
私は棚の陰にしゃがみ込み、震える指でライフルの安全装置を外した。
カチッ。
小さな音なのに、耳の奥でやけに大きく跳ねた。
入り口の外を、泥だらけの四足獣が通り過ぎていった。
三匹。四匹。
チッチッ、という舌打ちみたいな呼吸音。
アスファルトに滴る、粘った涎の音。
……こわい。
奥歯が鳴りそうになるのを、必死に噛み締めた。
ひっ、と漏れかけた悲鳴を、両手で口を塞いで押し殺す。
数分が、永遠みたいに長かった。
やがて、獣たちの気配が遠ざかっていく。
「……っ、ふぅぅ……」
張り詰めていた糸が切れ、その場にへたり込んだ。
冷や汗で服が肌に張り付く。
膝が痛い。
手のひらも痛い。
でも、息はできている。
生きている。
そう思って横を見ると、倒れた陳列棚の隙間に、色褪せた紙が落ちていた。
ひび割れて、端が黒く焦げたポップ広告。
そこには、かろうじて読める文字でこう書いてあった。
『塩むすび 100円』
「……お塩の、おむすび……」
涙声がこぼれた。
白くて。
ふっくらしていて。
海苔の香ばしい匂いがして。
ほどよくしょっぱいお米。
想像しただけで、口の中に唾液が湧いてくる。
でも、ここにはない。
棚は空っぽだ。
冷蔵ケースも黒く汚れている。
この街のどこを探したって、たぶんもう見つからない。
「……たべたいなぁ」
子供みたいな声だった。
いや、今の私は子供なのだ。
そう思った瞬間、肋骨の内側がぎゅっと縮んだ。
アラフォーの男だった記憶がある。
なのに、こんな廃墟のコンビニで、百円の塩むすびの広告を見ただけで泣きそうになっている。
馬鹿みたいだ。
けれど、そんなくだらない願いほど、どうしても捨てられなかった。
「……行く」
私は商品棚に手をついて、ゆっくり立ち上がった。
猟犬の気配は、もう遠い。
外はまだ危険だ。
ここに残っても、飢えるだけだ。
ひび割れたガラスを踏み越えて、再び外へ出る。
目指すのは南。
巨大な観覧車の麓に築かれたという、『ダイヤの砦』。
足は痛い。肩は重い。喉は乾いている。
それでも、進むしかない。
私は涙でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭った。
袖で涙を拭った、その先に。
陽炎の向こうで、何かが揺れていた。
最初は、崩れたビルの骨組みかと思った。
違う。
丸い輪郭。
空に向かって掲げられた、錆びた巨大な鉄の輪。
観覧車だ。
「……見えた」
吐き出した声が、涙に引っかかった。
かつて『ダイヤと花の大観覧車』と呼ばれた巨大な構造物。
けれど、今のそれは遊具でも観光名所でもない。
錆びた骨組み全体に、人の暮らしが巣食うように張り付いていた。
太いツタ。
青白いマナ結晶。
鉄骨の隙間という隙間に組まれた、鳥の巣みたいな小屋。
骨組みを縫うように渡された吊り橋。
あちこちで風に揺れる布や洗濯物。
そして、その高みを行き交う人影。
まるで、観覧車そのものが一つの街になっているみたいだった。
「人が……いる」
足の痛みより先に、その事実が身体へ染み込んできた。
昨日まで、私はずっと一人だった。
瓦礫の中で、自分の足音だけを聞いていた。
誰かに見つかったら殺されるかもしれない。
でも、誰にも見つからなければ、そのまま死ぬだけだった。
だから、行くしかない。
あそこに、人がいるなら。
壁があるなら。
温かいものが、まだ残っているなら。
「いくもん」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと言った。
言ってから、頬に熱が集まる。
行くぞ、ではない。
いくもん。
この口は、最後の最後で私を裏切ってくる。
それでも、今はそれでよかった。
私は重たいライフルを抱え直し、痛む足を引きずりながら、観覧車へ向けて一歩を踏み出した。
その先に待っていたのが、銃口だとも知らずに。
次回「鏡の中の少女」
読んでいただきありがとうございます!
ユキの旅は、このあと人のいる砦へと続いていきます。
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