ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

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第10話 秘密の告白

 夜の救護所に、浅く荒い呼吸音が響いていた。

 

「……はぁっ、はぁっ……」

 

 パイプベッドの上で丸くなっているのは、六歳くらいの小さな女の子だった。

 

 泥だらけの服は脱がされ、清潔な布が掛けられている。

 けれど、小さな顔は異常なほど赤く火照っていた。

 汗で髪が額に張りつき、唇は乾いて、呼吸のたびに細い喉が苦しそうに震えている。

 

「熱が下がらないわ……」

 

 アキさんが、井戸水で濡らした布で女の子の額や首筋を拭う。

 

 けれど、布はすぐに生温かくなる。

 何度取り替えても、熱を奪いきれていない。

 

「おねえ、ちゃん……おかあ、さん……」

 

 女の子が、うわ言みたいに呟いた。

 私はパイプベッドの傍らに座り、その子の小さな手を両手でそっと握っていた。

 

 熱い。

 

 まるで、ストーブに触れているみたいだった。

 脈の速さが、手のひらから直接、私の胸まで伝わってくる。

 

(……治してあげたい)

 

 思った瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。

 

 私の金色の光を使えば。

 昨夜、手のひらから漏れたあの光。

 今日、こっそり指先に灯して、消せると分かったあの光。

 

 あれを使えば、きっとこの子は楽になる。

 でも。

 

(ダメだ)

 

 頭の中の大人の部分が、必死にブレーキをかけた。

 こんな高熱が一瞬で下がるなんて、不自然すぎる。

 ただの水や薬草で説明できるはずがない。

 

 ここにはアキさんがいる。

 救護所だ。

 誰かが入ってくるかもしれない。

 もし見られたら、私はもう「よく手伝いをする小さな女の子」ではいられなくなる。

 

 この砦で守られるだけの子供ではいられなくなる。

 

 昨日、夜の窓の下で漏れた光を思い出す。

 毛布の中で必死に握り潰した金色。あの時の怖さが、まだ指先に残っていた。

 

「ごめんなさい、ユキちゃん」

 

 アキさんが桶を持ち上げた。

 

「水を取り替えてくるから、少しだけこの子のそばにいてあげて。苦しそうにしたら、声をかけて」

 

「……うん」

 

 アキさんは一瞬、私の顔を見た。

 

 何か言いたそうな目だった。

 でも、何も言わずにゴンドラを出ていく。

 

 鉄扉が閉まる音がした。

 

 部屋の中には、私と女の子の二人だけが残された。

 すぐには、魔法を使えなかった。

 

 女の子の手を握ったまま、私はじっと息を殺していた。バレてはいけない。

 自分の身を守るには、見守るしかない。アキさんが戻ってくるまで、ちゃんと待つしかない。

 

 そう、自分に言い聞かせる。

 私は残っていた生温かい布で、女の子の汗を拭った。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶだからね」

 

 自分でも頼りない声だった。

 

 数分が経つ。

 時間が、ひどく遅い。

 

 女の子の呼吸は一向に落ち着かない。

 それどころか、ヒューヒューと喉の奥で擦れるような音が混じり始めていた。

 

「……っ、おかあさん……いたい、よぉ……っ」

 

 固く閉じられた目から、ぽろりと涙がこぼれた。

 その涙を見た瞬間。

 私の中で必死に踏みとどまっていた大人の計算が、音を立てて崩れた。

 

 だめだ。

 見ていられない。

 

 この子は、今、痛い。苦しい。

 助けを求めている。

 それだけで、十分だった。

 

「……ごめんね」

 

 私は女の子の手を、両手で包み直した。

 

「痛かったね。苦しかったね」

 

 自分でも驚くくらい、声がやわらかかった。

 

 小さな子に言い聞かせる声。

 泣いている子に、目線を合わせる声。

 このあいだ広場で転んだ子に「いたいのいたいの」と言った時と同じ声だった。

 

 私はその小さな手に、自分の額を押し当てる。

 

(熱よ、下がれ)

 

 胸の奥の熱い塊に、そっと触れる。

 

 怖がらない。

 慌てない。

 昨日みたいに暴発させない。

 

 でも、止めない。

 

(いたいの、いたいの……とんでけ)

 

 その瞬間、胸の奥がドクンと大きく脈打った。

 包帯を洗った時の緑とは違う。

 夜の毛布の中で漏れた時とも違う。

 

 私の感情に応えるように、金色の光が両手から溢れ出した。

 

 ポゥ……と。

 

 淡く、温かい光だった。

 

 女の子の手を包む私の両手から、金色がこぼれる。

 それは水のように広がり、小さな身体をやさしく包み込んでいく。

 

「あ……」

 

 光は、女の子の胸に、額に、頬に染み込んだ。

 

 あんなに荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。

 ヒューヒューという苦しげな音が薄れ、やがて、静かな寝息へと変わった。

 

 苦痛に寄っていた眉間の皺がほどける。

 異常に赤かった頬の色が、自然な血色へ戻っていく。

 

 握っていた手の熱が、少しずつ引いていく。

 女の子が小さく寝返りを打った。

 

「……ん……」

 

 そして、私の指をきゅっと握り返してきた。

 さっきまでの恐ろしい熱は、もうなかった。

 

 治ってしまった。

 

 私は自分のしたことに気づいて、息を呑んだ。

 いくらなんでも、早すぎる。

 あれほど苦しんでいた熱が、嘘みたいに下がっている。

 

 これは、隠せない。

 

 慌てて手を離そうとした。

 その時だった。

 

 ギィィ……と。

 

 背後の鉄扉が開く音がした。

 

「ユキちゃん、お待たせ。お水……」

 

 振り返る。

 水を汲み終えたアキさんが、ゴンドラの入口に立っていた。

 

 声は途中で止まっていた。

 アキさんの視線は、桶でも、眠る女の子でもなく、私の両手に向けられていた。

 金色の光の残滓が、まだ指先に薄く残っている。

 

「アキ、さん……」

 

 喉が詰まる。

 

「ちがっ、これは……」

 

 何が違うのか、自分でも分からなかった。

 アキさんの目は大きく見開かれていた。

 

 驚き。

 確信。

 それから、痛みみたいなもの。

 

 ああと思った。もう隠せない。

 

 水場の時とは違う。

 包帯が白くなっただけなら、まだ誤魔化せたかもしれない。

 でもこれは、命に関わる熱を下げてしまった。

 

 誰かを守りたいと思ったこの身体の感情が、一番見られてはいけない相手の前で、私の秘密を零してしまった。

 静まり返ったゴンドラの中で、女の子の穏やかな寝息だけが響いている。

 

 私は言い訳の言葉を失い、血の気の引いた顔で、アキさんの揺れる瞳を見つめ返すことしかできなかった。

 

* * *

 

 翌朝。

 

 昨夜の高熱が嘘のように下がった女の子は、迎えに来た親代わりの大人に手を引かれ、救護所のゴンドラを後にした。

 

「ありがとう、ユキおねえちゃん!」

 

 女の子が振り返って、大きく手を振る。

 私は小さく手を振り返した。

 

「……うん。元気でね」

 

 助かってよかった。

 

 その気持ちは、本物だった。

 胸の奥から、ほっと息が抜ける。

 

 でも、それ以上に、胃の底には鉛みたいな冷たい塊が沈んでいた。

 女の子の足音が、吊り橋の向こうへ消える。

 

 ゴンドラの中に、波の音だけが残った。

 

 昨夜からずっと、アキさんは私に何も聞いてこなかった。

 いつも通りにスープを作り、いつも通りに女の子の様子を見て、いつも通りに包帯を畳んでいた。

 それが、かえって怖かった。

 

「……ユキちゃん」

 

 薬草を片付けていたアキさんが、パイプ椅子を引いた。

 

「こっちに座ってくれる?」

 

 ビクッと肩が跳ねる。

 逃げ出したかった。

 でも、そんなことできるはずがない。

 

 私は重い足取りで歩み寄り、椅子にちょこんと座った。

 アキさんは向かいに座る。

 

 静かに。

 けれど、逃げ場のないまっすぐな視線で、私を見つめた。

 

「昨夜のこと……話せる?」

 

 怒っていなかった。怯えてもいなかった。

 でも、その静けさが怖い。

 

 私は膝の上の布をぎゅっと握った。

 頭の中が、言い訳を探そうとする。

 

 でも、無理だった。

 あんな光景を見られた後で、どんな嘘をついても通じるはずがない。

 

(……言わなきゃ)

 

 ずっと一人で抱えてきた。

 言ったらどうなるか分からなくて、黙っていることだけが身を守る方法だと思っていた。

 

 もう黙っていられない。

 

「ごめんな……さい」

 

 震える声が、口からこぼれた。アキさんは静かに聞いていた。

 

「あの光は、ユキちゃんの力なのね」

 

 私は小さく頷く。

 

「……水場の包帯の時も?」

「……うん」

 

 涙がこぼれた。

 

「わたし、この砦に来る前から、この力が使えたの……っ」

 

 そこからは、言葉がほどけるみたいに出てきた。

 

 マナ結晶の繭から出たことは、まだ言えなかった。

 自分が大人の男だったことも、言えなかった。

 

 そこまで言えば、アキさんの目が変わってしまう気がした。

 だから、言える範囲だけを話した。

 

 この砦に来る前、水をきれいにしたこと。

 包帯を洗った時も、同じように力を使ったこと。

 夜、金色の光が勝手に出て怖かったこと。

 昨日、こっそり練習して、少しだけ出したり消したりできると分かったこと。

 そして、昨夜の女の子の熱を下げたのも、自分の魔法だったこと。

 

「ごめんなさい、だまってて……」

 

 しゃくり上げながら、必死に言葉を絞り出す。

 

「でも、あの子が、すごくくるしそうだったから……っ。わたし、見ていられなくて……っ」

 

 顔を上げるのが怖かった。

 私は涙で滲む自分の靴先を見つめていた。

 

 しばらく、アキさんは黙っていた。

 どんな言葉が来るのか分からなくて、身体が小さく縮こまる。

 やがて、アキさんが静かに言った。

 

「……謝らないで」

 

 近くで、アキさんの匂いがした。

 言葉より先に、それがアキさんだと分かった。

 

 温かい両手が、私の震える頬を包み込む。

 そっと顔を上げさせられる。

 

 アキさんの目には、涙が滲んでいた。

 

「あなたは、あの子の命を救ってくれたのよ」

 

 声が、少し震えていた。

 

「私、すごく嬉しかったわ」

 

 私は目を丸くした。

 

 責められると思っていた。

 化け物だと言われるかもしれないと思っていた。

 道具みたいに見られるかもしれないと思っていた。

 

 でも、アキさんは泣きそうな顔で、嬉しかったと言った。

 

「でもね、ユキちゃん」

 

 アキさんの瞳が、すっと真剣な色を帯びる。

 

 優しいだけではない。

 砦で三年間、怪我人と病人を見続けてきた大人の目だった。

 

 アキさんは私の両手をしっかり握った。

 

「この力は、あまりにも特別すぎるわ」

 

 背筋が冷える。

 

「もし砦の他の大人たちに知られたら……どうなるか、分かる?」

 

 私は首を振った。

 分かりたくなかった。

 

「ユキちゃんは、もう普通の女の子としては生きられなくなる」

 

 アキさんの声が低くなる。

 

「毎日毎日、怪我人を治すために力を使わなきゃいけなくなるかもしれない。清潔な水や布を作るために、ずっと水場に縛られるかもしれない。外に出る時にも、便利な道具として連れていかれるかもしれない」

 

 言葉が、一つずつ胸に沈んでいく。

 

「誰かを助けるためだと言われたら、断れなくなるわ。断れば、責められる。助けられなかった人が出れば、泣かれる。怒鳴られる。もっと早く使えばよかったのにって、言われるかもしれない」

 

 血の気が引いた。

 

 想像できてしまった。

 血の匂いのする部屋。並べられる怪我人。伸びてくる大人の手。

 お願いします、助けてください、どうして助けてくれないんですか、という声。

 

 自分の意思とは関係なく、光を求められ続ける未来。

 

「……やだ」

 

 声が漏れた。

 小さくて、情けない声だった。

 

「うん」

 

 アキさんは私の手を包んだまま、頷いた。

 

「だから、約束して。あの力は、もう二度と人前では使わないって」

「アキ、さん……」

「これは、私たち二人だけの秘密よ」

 

 アキさんは、私をまっすぐに見つめた。

 

「あなたのことは、私が絶対に守るから」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がほどけた。

 ずっと握りしめていた何かが、ようやく少しだけ緩んだ気がした。

 

 アキさんは私を抱き寄せる。

 小さな背中を、強く、強く抱きしめた。

 

 砦の大人たちの思惑から。この世界の残酷さから。

 私の秘密を、私ごと隠すように。

 

 私はアキさんの胸に額を押し当てた。

 あたたかい。

 なぜ、こんなに安心するんだろう。

 

 アキさんの体温に包まれるたびに、不思議に思う。

 でも答えは出ない。

 

 アキさんだから。

 それ以上に進む言葉が、今の私にはなかった。

 

 私は、自分が大人の記憶を持っていて、もっと計算高く振る舞えるはずだと思っていた。

 この世界を一人で生き抜くための手札も、秘密も、ちゃんと抱えているつもりだった。

 

 でも、アキさんの腕の中にいると、そんな強がりはどうでもよくなっていく。

 

 アキさんが好きだ。

 ただ、それだけをはっきりと思った。

 

 守ってくれる人で。

 優しい人で。

 そばにいると、安心できる人。

 

 それで全部だった。

 

「……うん」

 

 私は涙で濡れた顔を、アキさんの白衣に押しつけた。

 

「やくそく、する」

 

 それから、小さな腕をアキさんの背中に回す。

 

「アキさんにも、もう、だまってないようにする」

 

 言ってから、少しだけ怖くなった。

 

 全部は言えていない。

 マナ結晶の繭のこと。前の身体のこと。自分が何者だったのか分からないこと。

 

 まだ言えないことはある。

 

 でも、この力のことだけは、もう一人で抱えなくていい。

 アキさんは私の背中を撫でながら、静かに言った。

 

「うん。ゆっくりでいいわ」

 

 その言葉が、胸に染みた。

 私はアキさんの腕の中で、もう一度、小さく頷いた。




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