ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

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第12話 スズキさんが来る

 翌朝。

 

 ダイヤの砦の巨大な鉄扉が、ゆっくりと開いた。

 ギギギギと錆びた蝶番が、広場の空気を削る。

 

 広場を囲む足場や見張り台には、ザキさんの指示で完全武装した砦の大人たちが配置されていた。

 

 古いライフルに、手製のクロスボウ。

 鉄パイプを削った槍や、修理を重ねた散弾銃まである。

 銃口も刃も、すべてゲートの向こうへ向けられていた。

 

 私は広場の端にある救護所用のテントの陰に隠れていた。

 正確には、アキさんの腕の中に閉じ込められていた。

 

 アキさんは私を自分の白衣の内側へ隠し込むように抱き寄せ、片手で私の肩を押さえている。

 痛くはない。

 ただ、逃げ道だけをきれいに塞がれている。

 

「ここから出ちゃ駄目よ」

「……うん」

 

 小さく頷く。

 

 アキさんの白衣から、石鹸と薬草の匂いがした。

 その匂いに包まれていると少しだけ落ち着く。

 

 でも、ゲートの向こうから流れ込んでくる空気は、まったく別のものだった。

 

 土煙ひとつ立てずに、彼らはやって来た。

 数十人の集団。

 野盗でも、探索者でもない。

 もっと別の訓練された何かだった。

 

 誰も怒鳴らない。

 武器を振り回す者もいない。

 列は、最初から最後まで乱れなかった。

 

 全員が清潔な衣服を身にまとい、左腕には統一されたエンブレムの腕章をつけている。

 靴音は揃っていて、歩幅まで同じに見えた。

 

 泥。

 汗。

 鉄錆。

 焦げた油。

 血と薬草。

 

 そういうものが、この砦の空気には染みついている。

 その中で、彼らの清潔さだけが異物だった。

 

(……綺麗すぎる)

 

「……そこまでだ」

 

 広場の中央で待ち構えていたザキさんが、低く唸るように言った。

 ザキさんの手は、いつでもライフルの引き金を引ける位置にある。

 

 夢の国の集団は、ぴたりと足を止めた。

 そして、整然と並んだ列が左右に割れる。

 その奥から、一人の男がゆっくりと歩み出てきた。

 

「お招きいただき、光栄です」

 

 よく通る声だった。

 

 舞台の上から、客席の一番後ろまで届くような響き。

 柔らかく、穏やかで、少しも揺れていない。

 

 六十代くらいだろうか。

 

 黒より白の方が増え始めた髪は、几帳面に撫でつけられている。

 特に、こめかみのあたりはもうほとんど白かった。

 着ているのは、わずかに色褪せたテーラードジャケット。

 

 この世界では、あまりにも場違いな装いだった。

 

 けれど、彼だけはそれを当然のように着こなしている。

 崩壊前の世界からそのまま歩いてきたように。

 

 顔には、完璧にコントロールされた穏やかな笑顔が張り付いている。

 

(……舞台の笑顔だ)

 

 アキさんの腕の中で、そんな言葉が浮かんだ。

 

 どこで覚えた感覚なのか、自分でも分からない。

 けれど、そうとしか見えなかった。

 

 仕事で作る笑顔と、本物の笑顔の境目がない。

 この人にとっては、役割を演じることと、本心であることが同じなのだ。

 

 私はアキさんの白衣に顔を埋めている八歳の女の子だ。

 こんな男を評価する立場ではない。

 

 でも、頭のどこかが警鐘を鳴らしていた。

 

 このタイプは厄介だ。

 

 自分が善いことをしていると、心の底から信じている人間。

 他人を踏み潰しても、それを救済と呼べる人間。

 

「私が、鈴木光博(スズキミツヒロ)です」

 

 男は胸に手を当て、穏やかに微笑んだ。

 

「皆様はどうぞ、親しみを込めてスズキさんとお呼びください」

 

 スズキさん。

 生き延びるためにザキと名乗り、血と泥にまみれてきた男の前で、あまりにも日常的で平和なその名前が響いた。

 ザキさんの頬が、微かに引きつる。

 

「……何の用だ、スズキさんよ」

 

 ザキさんの声は低い。

 

「随分と仰々しいお使いじゃねぇか」

「ご挨拶と、ささやかな提案に伺いました」

 

 スズキさんは笑顔のまま、指先を軽く上げた。

 

「資料を」

 

 後ろに控えていた若い男が、一歩前へ出る。

 

 まだ二十代か、三十代前半くらい。

 髪は短く整えられ、服にはほとんど汚れがない。

 手には、紙の束を持っていた。

 

「我々からの、提案書になります」

 

 若い男が口を開いた瞬間、ザキさんが怪訝そうに眉をひそめた。

 提案書。

 この世界で、その言葉はあまりにも浮いていた。

 

 ザキさんは突き出された書類を乱暴にひったくる。

 紙の束が、乾いた音を立てた。

 

「三年です」

 

 スズキさんが、ゆっくりと両手を広げる。

 

「この世界が変わってから、我々は皆、恐怖と飢えの中で生きてきました」

 

 広場の大人たちは黙っている。

 スズキさんの声だけが、よく響いた。

 

「ですが、我々の『夢の国』は違います。我々は秩序を守り、笑顔を絶やさず、今では千五百人を超える人々の命と、安全な暮らしを維持することに成功しました」

 

 千五百人。

 砦のあちこちで、息を呑む気配が広がった。

 

 ダイヤの砦の何倍もの規模。

 それだけの人を食べさせ、守り、従わせている。

 その事実だけで、広場の空気が少しだけ重くなる。

 

「外の世界は、あまりにも過酷です」

 

 スズキさんは続ける。

 

「だからこそ我々は、この安全で美しい夢の舞台を、より多くの人々に広げていきたいと願っている」

 

 夢の舞台。

 甘いはずの言葉なのに、妙に冷たく響いた。

 

「そこで、隣人である皆様にご相談なのです」

 

 スズキさんは、ザキさんをまっすぐ見た。

 

「この『ダイヤの砦』ごと、我々のパークに合流していただけないでしょうか」

 

 広場が、凍りついた。

 誰も声を出さない。

 

「皆様の安全と毎日の食事は、我々が完全に保障いたします」

 

 スズキさんは、穏やかに言う。

 

「代わりに、この葛西の拠点を我々の管理下へ置き、皆様には我々のルールの中で新しい役割を担っていただく。共に手を携え、飢えも恐怖もない大きな国を作りましょう」

 

 それは、立ち退き要求ですらない。

 千五百人のインフラと、規律と、旗を背景にした、吸収の通告だ。

 

「……ふざけるな」

 

 ザキさんが、奥歯を鳴らす。

 

「俺たちの砦を明け渡して、お前らのルールで飼われろって言うのか」

 

 ザキさんの声が低くなる。

 

「綺麗な言葉で飾り立てても、やってることは略奪と同じだぞ」

 

 広場の空気が張り詰める。

 その時、スズキさんが、ほんの一瞬だけ鼻先を動かした。

 広場の空気を探るように。

 

 視線が、滑る。

 

 ザキさん。

 見張り台。

 武装した大人たち。

 救護所のテント。

 

 そして。

 私が隠れている場所で、止まりかけた。

 

「……っ」

 

 アキさんの腕に力が入った。

 私は反射的に身を縮める。

 スズキさんの視線は、すぐにザキさんへ戻った。

 

 けれど、見られた。正確には、見つけられた。

 そんな気がした。

 

「略奪? とんでもない」

 

 スズキさんは、大げさに肩をすくめてみせた。

 

「これは救済です」

 

 穏やかな声。

 けれど、その言葉の奥には、硬いものがあった。

 

「もし無用な血が流れるとすれば、それは皆様が、我々の差し出した善意を拒絶したからに他なりません」

 

 スズキさんの視線が、もう一度広場を一周した。今度は、最初より私の方で長く止まった。

 

「……っ」

 

 アキさんの腕に、わずかに力が入る。

 けれどスズキさんは、何も見なかったようにザキさんへ視線を戻した。

 

「どうか、賢明なご判断を」

 

 柔らかい響きの中に、絶対的な力関係による脅迫が隠れていた。

 

 悪意がないからこそ、止まらない。

 

 この人たちは、自分たちが正しいと信じている。

 だから、相手が折れるまで進み続ける。

 

 スズキさんは優雅に一礼した。

 

「数日の猶予を差し上げます」

 

 それだけ言って、踵を返す。部隊も、乱れなく向きを変えた。

 

 交渉担当の若い男が、救護所のテントの風下で足を止めた。

 

 鼻先が動く。

 こちらを見かけて、慌てたように視線を伏せた。

 それから、渋々といった様子で部隊に続いていく。

 

 彼らの姿がゲートの向こうに見えなくなっても、砦の空気は凍りついたままだった。

 アキさんの腕の中で、私は自分の手が汗で濡れていることに気づいた。

 

 数日の猶予。

 あまりにも穏やかな響きだった。

 

 でもそれは、暴力が来るまでの時間を、丁寧な言葉で数え直しただけだった。

 

* * *

 

 スズキさんが最初の通告に来てから、数日が経った。

 交渉の場は、広場から、端に置かれた巨大なコンテナの内部へ移された。

 

 人目を避けるため。

 余計な混乱を防ぐため。

 何より、砦の子供たちに、あの綺麗な圧力を見せすぎないため。

 

 そう説明された。

 

 錆びた鉄板に囲まれた、風通しの悪い密室。

 そこでは連日、舞浜からの使者たちと、砦の幹部が向き合っていた。

 重苦しい空気が、鉄の箱の中に溜まっていく。

 

 私はアキさんに手を引かれ、コンテナの隅に置かれた木箱の上に座らされていた。

 

 怪我人が出た時のための待機。

 それが名目だった。

 実際には、アキさんの手が、テーブルの下でずっと私の指を捕まえていた。

 

「……ですから、我々のルールの下に入っていただければ、皆様の安全は完全に保障されます」

 

 使者の男が、淡々と話す。

 昨日、提案書を持ってきた若い男だ。

 ノートをめくり、数字を読み上げる。

 

「計算上、この砦の皆様全員を保護するための物資と役割はすでに確保可能です。現在の居住人数を三百二十名と仮定した場合、再配置に必要な期間は――」

 

 ザキさんが、苛立たしげに足を組み替えた。

 

 男の言葉は整っていた。

 数字も、筋道も、間違っていないのかもしれない。

 

 けれど、その数字の中には、リクも、ナナも、ハルも、アキさんも、私も入っている。

 そう気づいた途端、膝の上で握った手に汗がにじんだ。

 

 交渉は数時間を超えていた。

 

 狭いコンテナの中に、大人たちの熱気がこもる。

 鉄板は昼の熱を吸っていて、空気が重い。

 

 私はアキさんの隣で、膝の上の手をぎゅっと握っていた。

 ふいに、使者の男の声がわずかに揺れた。

 

「……」

 

 紙をめくる指が止まる。

 男は、何かを探すように顔を上げた。

 目が合ったわけではない。

 私を見た、とも言い切れない。

 

 ザキさんが、静かに口を挟む。

 

「続けろ」

 

 低い声だった。

 男は一拍おいて、自分を取り戻すように目を瞬かせる。

 

「……いえ。我々とて、皆様を追い詰めたいわけではありません」

 

 男の声から、さっきまでの硬さが抜けていた。

 視線の端はまだこちらに残っていた。

 アキさんの手が、私の指を強く握る。

 

 その時だった。

 コンテナの鉄扉が、重々しく開いた。

 

 外気が流れ込む。

 鉄の箱に溜まっていた熱が、かすかに揺れた。

 入り口に、スズキさんが立っていた。

 

「お疲れ様です。少々、休憩にしましょうか」

 

 相変わらずの、あの笑顔。

 スズキさんはコンテナの中をぐるりと見渡した。

 

 ザキさんから、砦の幹部たちへ。

 使者の男。

 アキさん。

 最後に、私のいる隅。

 

 何かを言ったわけではない。

 表情を崩したわけでもない。

 ただ、コンテナの中へ一歩入った瞬間、笑顔の形が変わった。

 

 視線が私へ届く前に、アキさんが私の肩を抱き寄せる。

 スズキさんの目が、アキさんの腕の動きまで拾った。

 

 それから、何事もなかったようにザキさんへ向き直る。

 

「明日、最終的なお返事を伺いに参ります」

 

 それだけ言うと、スズキさんは使者たちを連れてコンテナを出ていった。

 

 鉄扉が閉まる。

 ザキさんが、低く舌打ちした。

 

「……嫌な目をしやがる」

 

 誰も返事をしなかった。

 でも、アキさんの手だけが、私の指を痛いくらい強く握っていた。

 

 

* * *

 

 その日の夜。

 

 砦は嵐の前のような、不気味な静けさに包まれていた。

 救護所のゴンドラの中には、ランプの灯りもついていない。

 

 私とアキさんは、一つの毛布にくるまって、並んで座っていた。

 窓から差し込む青白いマナ結晶の光が、アキさんの横顔を淡く照らしている。

 

 アキさんは膝の上で、医療用のハサミと、小さな包丁を布で包んでいた。

 乾かした包帯。

 傷薬。

 針。

 火打ち石。

 革の水袋。

 

 それらを、ひとつずつ鞄にしまっていく。

 

 逃げる準備だ。

 説明されなくても、それだけは分かった。

 

 万が一、砦が戦場になった時。

 スズキさんたちが私を探し始めた時。

 ここが、安全な場所ではなくなった時。

 

 アキさんは、私を連れて逃げるつもりなのだ。

 

「……アキさん」

「なあに?」

「こわい?」

 

 自分でも頼りない問いかけだった。

 アキさんの手が止まる。

 彼女はゆっくりとこちらを向いた。

 

 それから、私の冷たくなった手を両手で包み込む。

 温かい。

 アキさんはその手を、自分の唇にそっと押し当てた。

 

「明日、何が起きるかは誰にも分からないわ」

 

 手の甲に、唇の感触が残る。

 チリチリと、そこだけ熱を持ったみたいだった。

 

 アキさんは私の目を見つめる。

 静かな声だった。

 

「……でもね、ユキ」

「うん」

「私は、この砦がどうなっても構わないの」

 

 息が止まった。

 砦がどうなっても。

 アキさんの声は、震えていなかった。

 

 怒っているわけでもない。泣いているわけでもない。投げやりでもない。

 ただ、決めている声だった。

 

「アキさん……?」

 

 アキさんは、少しだけ目を伏せた。

 言葉を探しているようだった。

 

 この砦には、リクたちがいる。ナナがいる。ハルがいる。

 熱を下げた女の子もいる。

 怪我人も、病人も、アキさんが手当てしてきた人たちもいる。

 

 その全部を、アキさんは分かっているはずだった。

 分かっていて、それでも。

 

「私は、あなたが連れていかれるくらいなら」

 

 そこで、アキさんの言葉が止まった。

 続きは、言わなかった。

 言わなかったのに、分かってしまった。

 

 背中に回ったアキさんの腕が、逃げ道を塞ぐように近づいた。

 

 私はアキさんの胸に頬を押し当てた。

 

 怖い。

 

 スズキさんが怖い。

 夢の国が怖い。

 明日、何が起きるか分からないことが怖い。

 

 でも、それ以上に。

 私を抱きしめるアキさんの強さが、少しだけ怖かった。

 

 それなのに、安心してしまう。

 

「……アキさん」

「なあに、ユキ」

「わたし、どこにも行きたくない」

 

 言葉にした瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。

 

「ここにいたい。アキさんと、ここにいたい」

 

 アキさんは、答えの代わりに私を抱きしめた。

 

「うん」

 

 それだけだった。

 でも、その一言で十分だった。

 この小さなゴンドラの中だけは、私とアキさんだけの甘く逃げ場のない繭みたいな空間になっていた。

 

 外では、鉄の樹上都市が海風に吹かれて低く軋んでいる。

 明日、何かが壊れる音のように。




次回「金の光」
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