ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

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ここから夢の国編です。
ユキが“保護される子供”から、“人々に求められる役割”へ変わっていく章になります。


夢の国
第17話 白い城の奥で


第17話 白い城の奥で

 

 城の部屋で目を覚ました。

 

 天井が高い。

 朝の光を受けたシャンデリアが、私の体よりずっと大きく見えた。

 

 壁には、古いタペストリー。

 白いドレスの女の人と、かぼちゃの馬車。

 三年分の埃をかぶっていても、ここが昔、誰かに夢を見せるための場所だったことは分かった。

 

 ベッドの端まで這い寄って、足を下ろす。

 

(……つかない)

 

 床が遠い。

 静かに飛び降りると、石の床が足の裏に冷たかった。

 

「つめた……」

 

 棚の銀の水差しに、八歳の女の子の顔がぼんやり映っている。

 

 銀色の髪。

 碧灰色の目。

 

 もう何度も見た顔だ。

 それでも朝いちばんに見ると、まだ自分の顔だと分かるまで、心が追いつかない。

 

 男だった。

 それだけは覚えている。

 

 でも、名前も、顔も、声も、もう霧の向こうに沈んでいた。

 

 私は水差しから目を逸らし、重いカーテンを引いた。

 外に、千五百人の生活が広がっていた。

 

 かつておとぎの国だった場所に、畑がある。

 煙突から炊き出しの煙が上がっている。

 洗濯物が揺れ、子供が走っている。

 

 昨日見た時より、ずっと生きている場所に見えた。

 

「……おはよう」

 

 扉が開いて、アキさんが入ってきた。

 

 白衣に着替えている。

 砦で見慣れた白衣とは形が違う。

 夢の国で用意された、きれいに洗われたものだった。

 

 それでも、中にいるのはアキさんだ。

 そう分かっただけで、肩の力が抜けた。

 

「おはよう。もう起きてた?」

「うん。ちょっと、外を見てた」

 

 アキさんは窓の外を見る前に、私の顔を一度だけ見た。

 

「寒くない?」

「だいじょうぶ」

「そう」

 

 二人で同じ景色を見た。

 かつてのおとぎの国で、ちゃんと続いている生活を。

 しばらく、どちらも喋らなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 朝食のあと、ハルカさんがよく使う場所だけを案内してくれた。

 

 きちんと洗われた揃いの上着。

 腕に巻かれた同じ色の布。

 柔らかな笑顔。

 

 でも、その目の奥には、荒野を知っている人の硬さが残っている。

 

「まずは、こちらです」

 

 巨大なガラス屋根の下に、朝の光が落ちていた。

 

 両側の建物には、子供が描いた絵が貼られている。

 花。

 魚。

 太陽。

 人の顔。

 

 その下では、薪で炊き出しをしていた。

 魚の焼ける匂い。

 芋の甘い香り。

 薄いスープの湯気。

 

「あ、昨日の子だ」

「銀色のおねえちゃん」

「お城に泊まった子?」

 

 子供たちが目を輝かせる。

 大人たちは会釈した。

 

 けれど、木皿を持つ手は大鍋から離れなかった。

 

(……砦の大人たちと、同じだ)

 

 夢の国というから、もっと違う場所かと思っていた。

 でもここも、ちゃんとお腹が空く場所だった。

 

 広場の一角には、畑があった。

 土が敷かれ、青い葉が風に揺れている。

 

「三年かけて土を作ったの。ここのみんなで」

 

 三年。

 私がマナ結晶の中にいた時間と、同じだ。

 

 アキさんは、畑よりも、その向こうの建物を見ていた。

 

「……あちらは?」

「医務室です。今は、あまり使えていませんが」

 

 ハルカさんの声が、そこで陰った。

 

◇ ◇ ◇

 

 医務室に入ると、アキさんの歩き方が変わった。

 

 棚を見て、瓶を確かめ、布を手に取る。

 視線が早い。

 

「このあたりの灯りは使えますか?」

「一応は。ただ、頼りきれるほどではありません」

「水と、消毒に使えるものは?」

「手洗い用と煮沸用の水。消毒に使う強い液が少し、灰汁、それから薬草です」

 

 アキさんはしばらく黙った。

 何かを計算している顔だった。

 

「……できることが増えるわ」

 

 小さな声だった。

 声の底に、わずかな熱がある。

 

 私はその横顔を見上げる。

 足取りまで、さっきより軽く見えた。

 ハルカさんが、棚の隅を指差す。

 

「前任の方は――」

 

 そこで、ハルカさんは言葉を切った。

 何かを飲み込むような間だった。

 

「……こちらでよければ、何でも使ってください」

 

 アキさんは、その間を聞き逃さなかったと思う。

 ただ、問いただしはしなかった。

 

「分かりました」

 

 短く答えるだけだった。

 ハルカさんは私の方へ視線を向ける。

 

「ユキちゃんも、困ったことがあれば言ってね」

「うん。ありがとう」

 

 私は頷いた。

 不自然な何かは感じた。

 気づかないふりをした。

 

 ここでは、まだ知らないことが多すぎる。

 

◇ ◇ ◇

 

 案内されたのは、スズキさんの執務室ではなかった。

 

 城の中。

 昔は、魔法で姿を変えた少女の物語を見せるための広間だったという。

 高い天井の広間には、色褪せた絵と古い展示台が並んでいた。

 

 そのひとつに、透明な靴が片方だけ残っている。

 埃をかぶっているのに、そこだけ光を拾っていた。

 奥には玉座がある。

 

 その前で、スズキさんが待っていた。

 二人で入ると、スズキさんは私からアキさんへ、また私へと視線を動かした。

 

「……確かに。失礼しました」

 

 浅く頭を下げる。

 

「どうぞ、お二人とも」

 

 玉座の前には、ただの木の椅子が二つ置かれていた。

 

 私とアキさんは並んで座った。

 

 スズキさんは玉座には座らなかった。

 立ったまま、壁の古い絵を一度だけ見て、それからこちらへ向き直る。

 

「ここは昔、物語を見るための場所でした」

 

 静かな声だった。

 

「ですが今は、千五百人の場所です」

 

 千五百人。

 

 私はもう、巨大なガラス屋根の下にいる人たちを知っている。

 

 配給の列。

 走り回る子供たち。

 畑の青い葉。

 薬草の匂いが残る医務室。

 

 その数字は、もう数字だけではなかった。

 

「千五百人いると、人は理由を探します。自分たちはまだ大丈夫だと、思える形を」

 

 スズキさんが私を見た。

 

「あなたには、その形になり得る力がある」

 

 背中がひやりとした。

 

「……みんな、怖がってた」

「ええ。ですが、人は恐れたものにも意味を求めます」

 

 意味。

 その言葉だけが、うまく飲み込めなかった。

 

「ここは、かつておとぎの国でした。ならば人々は、あなたを姫君と呼ぶかもしれない」

「ひめぎみ……」

「ですが、私が見ているのは、飾られる姫君ではありません」

 

 スズキさんは静かに続けた。

 

「傷ついた人が顔を上げるための、もっと別の役割です」

「……やくわり」

「ええ。今はまだ、名前をつける段階ではありません」

 

 スズキさんの目が、私をまっすぐ見る。

 

「まずは知りたい。ユキさんの魔法は、具体的に何ができるのでしょう」

 

 私はアキさんを見た。

 アキさんは静かに頷く。

 

「……きれいにできます」

 

 私はゆっくり言った。

 

「水とか、包帯とか。あと……けがと、びょうきも、ちょっとなら、なおせます」

 

 部屋の空気が、かすかに変わった。

 

「病気も、と」

 

「……全部はむりです。でも、軽いものなら。うつる病気は……たぶん」

 

 スズキさんは、すぐには答えなかった。

 それから、いつもの柔らかな笑顔に戻る。

 

「……少々、お付き合いいただけますか」

 

◇ ◇ ◇

 

 連れて行かれたのは、人の暮らす場所から外れた建物だった。

 かつて舞台の裏を支えていた人たちの建物だと、ハルカさんが小声で教えてくれた。

 

 扉の前に立っただけで、空気が変わった。

 煮沸した水。

 薬草。

 汗。

 それから、病の匂い。

 

 アキさんの顔が、医務室で見た時よりも硬くなる。

 

「人にうつる熱病です。効く薬は、もう残っていません」

 

 ハルカさんは扉に手をかけなかった。

 

 その立ち方だけで、ここがただの医務室ではないのだと分かった。

 

 アキさんが一歩前に出る。

 

「口元を覆う布を。二人分」

「……ご用意します」

 

 ほどなく、担当の人が口布を二枚持ってきた。

 私の結び目を確認するアキさんの指先は、いつもの倍だけ慎重だった。

 

「苦しくない?」

「うん。平気」

「じゃあ、行くわよ。私が先に入る。ユキは後ろね」

 

 私は頷いた。

 

 部屋に足を踏み入れた途端、まとわりつく熱気と、薬草の混じった汗の匂いが鼻を突いた。

 

 白い布で覆われた窓から、頼りない光が差し込んでいる。

 

 粗末な寝台には、青白い顔の男性が横たわっていた。

 傍らには、水差しと使い古された布。

 

 看病していたらしい女性が、すがるような目を向ける。

 けれどすぐに、祈るように男性へ視線を落とした。

 

 アキさんが脈を取り、瞳孔を見て、呼吸を聞く。

 動きは早く、雑ではない。

 

「……重い。もっと早ければ――」

 

 アキさんが小さく言った。

 

「アキさん」

「私が脈を見てるわ。ユキは、できる範囲でいい」

「うん」

 

 私は寝台のそばに膝をつき、患者さんの手にそっと触れた。

 熱い。

 

 息を整える。

 体の中心にある熱い塊へ、意識を向ける。

 

 光は、触れた手から静かに灯り始めた。

 

 金色。

 昨日の盾みたいな激しさではない。

 病気の女の子を包んだ時のような、やわらかい光。

 

 部屋が、ほんのり明るくなる。

 

(……ここだ)

 

 熱の根。

 体の奥に絡みついた、黒い糸みたいなもの。

 

 それをほどくように、光を流す。

 アキさんが患者さんの脈を取りながら、何かを数えている気配がした。

 

 一分。

 二分。

 三分。

 

 患者さんの顔から、汗が引いていく。

 荒かった呼吸が、しだいに深くなる。

 

 思ったより、重い。

 腕が熱い。

 歯を食いしばって、光を流し続けた。

 

 やがて、患者さんが目を開けた。

 白い天井をしばらく見て、それから、ゆっくり口を動かす。

 

「……体が、軽い」

 

 アキさんが患者さんの額に手を当てた。

 長い沈黙。

 

「……熱が、下がってるわ」

 

 その声には、驚きが混じっていた。

 アキさんが驚くことは、あまりない。

 

 患者さんが、ゆっくりと私の手を見る。

 

「……神の、御業か」

 

 私は首を振った。

 

「まほうだよ。ふしぎな力があって、ずっと使ってきた」

「……あなたは、神様ではないのか」

「ちがうよ。ただのユキです」

「……ただの、ユキ」

 

 患者さんの乾いた唇が、何度か動いた。

 

「……どうして」

「え?」

「どうして、私なんかに」

 

 言葉が詰まった。

 そんなふうに聞かれるとは思わなかった。

 

「苦しそうだったから」

 

 私は、ゆっくり答えた。

 患者さんは何かを言おうとして、うまく声にならなかったみたいだった。

 

「……ありがとう、ユキさん」

 

 その言葉を聞いて、触れていた手の熱が、さっきとは違って感じた。

 アキさんが鞄から小さな帳面を取り出す。

 

「お名前は?」

 

 患者さんが、かすかに目を瞬かせる。

 

「……田島、イツキ。三十八です」

 

 アキさんが短く頷く。

 

 鉛筆の先が紙の上を走った。

 

 田島イツキ。

 三十八歳。

 高熱三日目。

 ユキの浄化、症状緩和。

 経過観察。

 

 ふと、扉の方を見た。

 

 扉が、細く開いていた。

 その隙間に、スズキさんが立っている。

 

 いつもの笑顔だった。

 でも、目の奥だけが、さっきとは違う。

 次の瞬間、スズキさんはもう患者さんへ顔を向けていた。

 

「……ありがとうございます、ユキさん」

 

 外に出ると、ハルカさんが待っていた。

 

 手には、きれいに折られた布。

 水の入った瓶。

 それから、小さな木箱。

 

「念のため、と」

 

 アキさんの眉が、かすかに動いた。

 

「……用意がいいですね」

 

 念のため。

 その言葉が、外の石畳の冷たい空気に残った。

 

◇ ◇ ◇

 

 戻る道で、スズキは一度だけ足を止めた。

 何もない石畳の上だった。

 

 ハルカも、半歩後ろで止まる。

 

「スズキさん?」

「いえ」

 

 短い返事だった。

 それ以上、説明はない。

 

 スズキはいつもの歩幅で、城の方へ歩いていく。

 

 ハルカは、去年の冬を覚えていた。

 

 熱が出た人たちを、裏手の小屋へ移したこと。

 扉の前で泣いていた家族を、誰かが止めていたこと。

 その時、スズキがどこに立っていたか。

 

 忘れられるはずがなかった。

 けれど、それを今ここで口にする権利が、自分にあるとは思えなかった。

 

 ハルカは、その背中を追った。

 

◇ ◇ ◇

 

 外に出ると、アキさんが私の前に回り込み、顔を覗き込んできた。

 冷たい指先が首筋に触れる。

 

「……首、熱いわ」

「え?」

「使いすぎると、ちゃんと体に出るの。隠さないで」

 

 不意に、視界がぐらりと揺れた。

 膝から力が抜けそうになるのを、アキさんの腕が支える。

 

「歩ける?」

「……たぶん」

「たぶんは駄目」

「……ちょっと、ふらふらする」

「最初からそう言って」

 

 叱る声なのに、支える手はひどく慎重だった。

 

「スズキさんの話、どう思った?」

 

 答えを探した。

 

「みんなの中心にいるって、こわい」

「そうね」

「わたしじゃない名前で呼ばれるのも、ちょっとこわい」

「ええ」

 

 言葉を足す。

 

「同じまほうの人がいるかもしれないって聞いて……ほっとした」

 

 アキさんは黙った。

 

「アキさん?」

「ううん。何でもないわ」

 

 嘘だ、と思った。

 追いかける力は残っていなかった。

 

 スズキさんの言葉が、耳の奥に残っている。

 

 象徴。

 役割。

 まだ名前のないもの。

 

 アキさんは私の手を引いた。

 すぐには離さなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 夜、巨大なガラス屋根に覆われた中央通りの奥に、まだ灯りが残っていた。

 

 かつて案内所だった部屋の、そのさらに奥。

 夢の国の報告が集まる部屋で、スズキさんは机の前に座っていた。

 

 白い紙を一枚、前に置く。

 しばらく、何も書かなかった。

 

 やがて、短く一行だけ書く。

 

——子供には、自由に浄化を使っていただいてかまいません。以上。——

 

 紙を折りたたみ、封をする。

 

「朝一番で、ハルカさんへ」

 

 控えていた係の者が、静かに頭を下げた。




次回「子供は計算しない」
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