ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

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第18話 子供は計算しない

 翌朝、ノックは三回だった。

 

「はい」

 

 扉を開けると、ハルカさんが廊下に立っていた。

 中へは入らない。

 敷居の手前で止まり、折りたたんだ紙だけを差し出してくる。

 

「おはよう、ユキちゃん。スズキさんから」

「スズキさんから?」

「うん」

 

 受け取って開いた。紙には、一行だけ書いてあった。

 

 ――子供には、自由に浄化を使っていただいてかまいません。以上。――

 

 子供には。

 その言い方が、少しだけ引っかかった。

 大人には、とは書いていない。

 

 でも、そこを聞いていいのか分からなかった。

 

「……これだけ?」

「うん、これだけ」

 

 ハルカさんは困ったように眉を下げた。

 

「びっくりするよね。もっと長く説明してくれたらいいのに」

 

 小さく笑ってから、廊下の方を一度見る。

 

「大丈夫。子供たちが集まりすぎないように、私も見ておくから」

「……うん。ありがとう」

 

 ハルカさんは軽く手を振って、廊下の向こうへ戻っていった。

 扉が閉まったあと、私はしばらく紙を見ていた。

 

 使ってはいけないと言われたことはない。

 でも、使っていいと言われたこともなかった。

 

(……子供だけ)

 

 その線を引いたのは、私じゃない。

 

「どうしたの?」

 

 振り返ると、アキさんがドアの縁から顔を出していた。

 白衣の前ボタンを、まだ留めていない。

 

「スズキさんから」

 

 紙を渡した。アキさんが一読する。

 表情は変わらない。

 

「……そうね」

「アキさん」

「なに?」

「これ、いいこと?」

 

 アキさんは、すぐには答えなかった。

 

「悪いことではないわ」

「じゃあ、いいことなんだ」

 

「……そこまでは、分からない」

 

 正直な返事だった。

 アキさんは白衣のボタンに指をかけながら、もう一度だけ私を見た。

 

「ユキだけで決めなくていいわ。何かあったら、すぐ言ってね」

「うん。分かった」

 

 私はそう言って、頷いた。

 

◇ ◇ ◇

 

 午後の広場は、朝よりも人が多かった。

 炊き出しと洗濯物と土の匂いが、ガラス屋根の中央通りに混ざっている。

 

 アキさんは大きい医務室に呼ばれていた。

 私は「近くを少し見てくる」と言って、ハルカさんの目が届く範囲を歩いていた。

 すると、向こうから小さな足音が近づいてくる。

 

「ユキちゃん!」

 

 七歳くらいの女の子だった。

 今朝、草で切れた腕を見せてくれた子だ。

 

 女の子は私の前で止まると、ぱっと腕を差し出した。

 

「見て!」

 

 差し出された腕は、朝とまるで違っていた。

 赤い線も、腫れも、かさぶたも消えている。ただ、きれいな子供の肌だけがあった。

 

「なおった! ユキちゃんがなおしてくれたから! みんなに言ったよ!」

「え」

 

 言ったの。

 そう思う前に、女の子はもう笑っていた。

 

「ありがとう!」

「う、うん」

 

 女の子はそれだけ言うと、広場の方へ走っていった。

 その先には、子供が五、六人固まっている。

 

「傷が消えるって本当?」

「ほんとだよ!ユキちゃんがさわったら、緑色の光が出たの!」

「ユキちゃんって誰?」

「お城にいる子!銀色の髪の子!」

「お城?」

「じゃあ、おひめさま?」

「光が出るおひめさま?」

「見た!ちゃんといた!」

 

 声が、ころころと転がっていく。

 

(……おひめさま)

 

 自分のことだと気づくまでに、少し間があった。

 お城にいる。

 銀色の髪。

 光が出る。

 だから、おひめさま。

 

 子供の中では、そういうふうにつながるらしい。

 

(……昔の私が聞いたら、頭を抱えそう)

 

 納得していいのだろうか。

 そんなことを考えていたら、別の子が駆け寄ってきた。

 

「ねえ、わたしも」

「ぼくも」

「ほんとに光るの?」

 

「どこがいたいの?」

「ここ」

 

 差し出される手が、四つ、五つと増えていく。

 

 私は順番にしゃがみ、差し出された手や膝を見た。

 擦り傷。

 小さな切り傷。

 昨日転んだという、赤く腫れた指。

 

 全部を治すわけにはいかなかった。

 

「そこは、かさぶたになってるから、そのまま」

「えー」

「光を見るためには使わないよ」

「えー」

 

 子供たちが不満そうに口を尖らせる。

 

 必要な傷にだけ、緑の光を細く灯す。

 十分も経たないうちに、五人ぶんの痛みが消えていた。

 

 子供たちの目が、いっせいに輝く。

 

「ほんとに、なおった」

「あったかかった」

「おひめさま、すごい」

 

「……おひめさまじゃないよ」

 

 そう言ったけれど、たぶん誰も聞いていなかった。

 

 大人たちの反応は、子供とは違った。

 

 配給の列で、木皿を持つ手が止まる。

 隣の人に何かを言いかけて、やめる。

 

 袖口から古い包帯が見えた。

 その人は、私の視線に気づくと、そっと袖を引いた。

 別の人は、逆に、包帯の巻かれた手をこちらへ差し出しかけた。

 

 誰も、こちらへは来ない。

 でも、誰も、見ていないふりはできていなかった。

 

(……子供だけ)

 

 朝の紙の文字を思い出した。

 

◇ ◇ ◇

 

 広場を駆け出した七歳の少女、ルミは、煙突の煙を目印にまっすぐ走った。

 石畳でつまずきかけても、止まらない。

 

 早く教えたい。

 それだけで、足が前に出た。

 

 お父さんとお母さんは、大鍋の並ぶ場所にいた。

 お母さんは鍋の様子を見ていて、お父さんは木箱を運んでいた。

 ルミは息を切らしたまま、二人の前へ飛び込む。

 

「見て、きれいになったの!」

「ルミ? どうしたの」

「腕! ほら!」

 

 ルミは袖をまくって差し出した。

 朝まであった赤い傷は、もうどこにもなかった。

 

 お母さんが眉をひそめる。

 

「……何があったの?」

「城にいる子が――ユキちゃんっていうの――さわってくれたら、なおったの。緑色の光が出てきて、あったかくて、ぜんぶきれいになった!」

「城に入ったの?」

「ちがう。広場に来てくれてたの」

 

 ルミは一生懸命に説明する。

 

「銀色の髪の子。きれいで、やさしくて、物語に出てくる子みたいで」

 

 お父さんは木箱を下ろし、ルミの袖口をそっと持ち上げた。

 

「……どうやって」

「さわるだけなの。ユキちゃんはすごいの」

「痛くなかったのか」

「うん。あったかかった」

 

 お父さんは、確かめるように、治った場所を何度も見ていた。

 お母さんは鍋の火を弱めるのを忘れていた。

 焦げる匂いが少しして、慌ててかき混ぜる。

 

「……よかったね」

 

 そう言うまでに、少し時間がかかった。

 

「うん!」

 

 ルミは大きく頷く。

 

「ユキちゃん、おひめさまみたいだった」

 

 お父さんがしばらく黙った。それから、小さくうなずいた。

 

「……本当に、きれいになってる」

「でしょ! ユキちゃんがなおしてくれたの! ほんとでしょ!」

 

 その日の夕食は、いつもの味だった。

 薄いスープも、固い芋も、変わらない。

 なのに、お父さんとお母さんの声だけが違って聞こえた。

 

 ここに来てから、二人はいつもちょっとだけ遠くを見ていた。

 今夜だけは、その目がルミの方へ戻ってきた気がした。

 

 ルミには、理由が分からなかった。

 きっと、ユキちゃんの魔法がお父さんたちにも効いたのだと思った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 夕方、スズキは城の東側を歩いていた。

 

 食料の減り。

 人々の顔。

 会話の切れ目。

 この三年間、毎夕続けてきた確認だった。

 

 畑の手前で、老人が二人向き合っている。

 

「聞いたか。あそこの家族の娘の傷、消えたって」

「あの七つくらいの子か?」

「城にいる子に触ってもらったんだと。緑の光が出てきたって言ってたぞ」

「……本当か」

「孫が見てた。嘘じゃない」

 

 スズキは足を止めず、その情報を頭の中に書き込んだ。

 医務室の前では、別の声が聞こえる。

 

「うちの子も見せに行ったら?」

「子供なら大丈夫らしいよ。ルミちゃんのところがそうだったから」

 

(……速い)

 

 昨日の治癒から、まだ一日も経っていない。

 絶望の世界で、人々がどれほど「救い」に飢えているのか。

 スズキは、その速度を甘く見ていた。

 

 彼は足早に広場を横切る。その時、子供の声が聞こえた。

 

「おひめさまがね、傷を治してくれたの!」

 

 足が、ほんの一瞬だけ遅くなる。

 

「お姫様?」

「お城に住んでるの。おひめさまだよ」

 

 足は止めない。

 ただ、その言葉だけを頭の中で転がした。

 

 子供たちは、おひめさまと言う。

 大人たちは、本当か、と囁く。

 誰も、スズキに確認しに来ていない。それがよかった。

 

「スズキさん」

 

 振り向くと、ハルカが立っていた。

 

「住民からユキちゃんへの接触が増えています。制限しますか」

「……今はいいです。安全管理だけお願いします」

「大人の方は?」

「直接会わせるのは避けてください。ですが、話が広がることまでは止めなくていい」

「……分かりました」

 

 ハルカが下がった。

 スズキはもう一度、広場を見る。

 夕暮れの中で、子供たちがまだ走り回っている。笑い声がした。

 配給の残りを手に持った大人が一人、その声に顔を上げて、わずかに表情を緩めていた。

 

 誰かがまた、城を見上げた。

 

 スズキは追わない。

 見なくても、そこに何があるかは分かっていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 城に戻ると、アキさんが入り口で待っていた。

 

 小走りで近づくと、アキさんは何も言わず、私の頭に手を置いた。

 あたたかかった。

 

 その温度が離れようとした瞬間、気づいたら、自分から頭を押しつけていた。

 アキさんの指が止まる。

 それから、ゆっくりと撫でてくれた。

 

「どうだった?」

「……子供が、いっぱい来てた」

「そう」

「大人も、とおくから見てた」

 

 アキさんが頷く。

 それから、私の顔をじっと見た。

 

「疲れた?」

「すこし」

「本当に少し?」

「……けっこう」

「そう。今日は早く寝ましょうね」

「うん」

 

 アキさんの声は少しだけ厳しい。

 でも、手はやさしかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 翌朝、アキさんに呼ばれた。

 

 手には鞄を持っている。

 中で薬瓶が、かすかに揺れた。

 

 城の裏口を出て、石畳を歩く。

 おとぎ話の建物に挟まれた通路には、朝の光が斜めに差していて、まだ人が少なかった。

 

「こっちよ。足元、気をつけて」

「うん」

 

 アキさんが先を歩く。

 石畳を進み、小さな石造りの建物の前で止まった。

 もとは裏方の荷物置き場だったらしい。

 

 大きい医務室とは別に用意された、小さな診療部屋だった。

 

(……せまい)

 

 でも、清潔だった。

 窓から城の裏側と、白い石畳の通路が見える。

 今日も子供が数人、遠くで走り回っていた。

 

「ユキ」

 

 アキさんが薬瓶を棚に並べ直しながら言った。

 

「今日から、子供たちはここで診るわ」

「……広場じゃなくて?」

「あそこだと際限なく集まってくるの。ユキが誰を見ればいいか、分からなくなるでしょう」

 

 確かに、昨日の広場はそうだった。

 ユキちゃん。

 おねえちゃん。

 こっち見て。

 なおして。

 

 呼ばれるたびに身体が反応して、どこを向けばいいのか分からなくなった。

 

「ここなら、一人ずつ診られる。先に私が見て、必要な子だけユキにお願いするわ」

「……うん、分かった」

「重い症状の子から順番。軽い傷は私が処置する」

 

 アキさんが私を見る。

 

「迷ったら、判断は私がする。ユキは、お願いされた子だけ見て」

「はい」

 

 返事をすると、アキさんは少しだけ表情をやわらげた。

 扉がノックされた。二回。

 

「失礼します」

 

 ハルカさんだった。

 入り口の敷居に立ったまま、中には入らない。

 まず、私の方を見た。

 

「ユキちゃん、無理しないでね」

「うん。ありがとう」

 

 ハルカさんはそれだけ言ってから、棚の端に小さな水差しを置いた。

 

「ここに置いておくね。あとで飲んで」

 

 それからアキさんの方へ向き直る。

 

「確認させてください。診察は、お子さんのみ、ということで」

 

 アキさんが薬瓶を拭く手を止め、かすかに目を伏せた。

 

「そうです」

「大人の方からも、問い合わせが――」

「今日は子供だけです」

 

 ハルカさんが黙考する。

 

「……スズキさんにお伝えします」

 

 扉が閉まった。

 私は水差しを見た。

 

「子供だけ」

 

 思わず口にすると、アキさんがこちらを見る。

 

「ええ」

「大人は、だめなの?」

「今日は、まだ」

「まだ?」

「順番を決めないと、壊れるものがあるの」

 

 壊れるもの。

 

 その言葉の意味は、すぐには分からなかった。

 でも、アキさんが分かっている顔をしていたので、それ以上は聞かなかった。

 

 砦での日々と同じように、水差しへ手をかざす。

 緑の光が、水の中にじわっと広がった。

 包帯の束にも、同じ光を通す。

 数秒で終わった。

 

「終わった」

「ありがとう」

 

 アキさんが確認して、うなずいた。準備が整った。

 

◇ ◇ ◇

 

 最初の患者は、八歳の男の子だった。

 膝の擦り傷が、三日前から膿み始めている。

 

「……化膿してる。ユキ」

「うん」

 

 私は男の子の前にひざまずいた。

 

「今だけ、がまんして」

 

 緑の光を流すと、膿の黄色が薄れ、赤く腫れていたふちが落ち着いていく。

 

「包帯はかえてもらって。しばらくは走りまわらないでね」

「うん」

 

 その後も、子供たちは何人か来た。

 

 唇を切った女の子。

 足に棘が刺さった男の子。

 熱っぽい幼い子。

 

 アキさんが先に診て、必要な時だけ私を呼ぶ。

 ハルカさんが次の子を入れる。

 

 私は頼まれた分だけ、光を灯した。

 

 広場とは違った。

 声が一つずつ届く。

 それだけで、息がしやすかった。

 

 昼を過ぎると、大人が来た。

 

◇ ◇ ◇

 

 最初の一人は、四十代くらいの女性だった。

 背中をわずかに丸めながらドアを開ける。

 

「……アキ先生に、診ていただきたくて」

「どうぞ」

 

 アキさんが椅子を勧めた。

 

 三年続く肩の痛み。

 重いものを持つと、右腕が上がらなくなるらしい。

 

 私は棚の整理をしながら聞いていた。

 

 女性の視線が、何度かこちらへ流れた。

 そのたび、すぐに逸れる。

 アキさんが肩を触っている間にも、また一度。

 

(……気にしてる)

 

 アキさんは何も言わなかった。

 布に薬草を包んで、温湿布を作る。

 

「熱を持っている時は冷やして、落ち着いている時はこれで温めてください」

 

 女性が頷いた。

 帰り際、女性は私に会釈していった。

 

 次は、農業エリアで働く五十代の男性だった。

 アキさんに腰を診てもらい、「だいぶ楽になりました」と言ってから、立ち上がる前に動きを止めた。

 

「……あの、アキ先生」

 

 椅子の背に置いた手に、力が入っていた。

 

「ユキさんには……診ていただけないのでしょうか」

 

 部屋が静かになる。

 ユキさん。その呼び方が、少しだけ重かった。

 

「どなたを、ですか」

「……妻です。三日前から熱が下がらなくて」

 

 アキさんは、すぐには答えなかった。

 記録帳の端に、男の妻の症状を書き足す。

 三日前からの発熱。成人。未診察。

 

 それから、静かに言った。

 

「……軽い症状なら、私が診ます」

「重い場合は?」

「スズキさんと相談します」

 

 男性は、口を開きかけた。でも、何も言わなかった。

 

「……はい。ありがとうございます」

 

 そう言って出ていく。

 扉が閉まったあとも、頼まれた言葉だけが部屋に残っていた。

 

 私は棚に向かったまま、やりとりを聞いていた。

 記録帳のページがめくられる音がする。

 アキさんは何も言わなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 夕方、最後の患者が帰った。

 アキさんが記録帳を閉じる。椅子の背に体を預けた。

 

「疲れた?」

「……まあね。ユキ、あなたも疲れたでしょ」

「すこし」

「本当に?」

「……けっこう」

「そう。今日はそれで十分よ」

 

 窓の外が暗くなり始めていた。

 広場に人影は少なく、石畳が夕暮れの色を静かに吸っていた。

 アキさんが言う。

 

「……明日も来ると思うわ。今日より多く」

「大人も?」

「大人も」

 

 私は少し間を置いた。

 

「スズキさんがいいって言ったのは、子供だけだよ」

「ええ」

 

 アキさんが立ち上がった。

 白衣の前を整える。

 

「だから――」

 

 そこで、言葉が止まった。

 アキさんは記録帳を開き直した。

 今日来た大人の名前の横に、症状を書き足していく。

 

 子供の欄とは別に。新しい線を引いて。

 子供だけ。今日は、まだ。

 

 でも、大人たちはもう見ている。

 待っている。線の向こう側で。

 

 外に出ると、夜の空気が冷たかった。

 アキさんが医務室の扉に鍵をかける。それから、かすかに低い声で言った。

 

「明日は、断れないかもしれないわ」

 

 石の壁で、マナ結晶の光が静かに揺れていた。




次回「ひめ様と眠れない夜」
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