ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

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第20話 列の朝

 

 目が覚めた。

 

 マナ結晶の夜光が薄れ、部屋の空気が夜から朝へほどけていく。

 

 最初に感じたのは、石鹸と薬草の匂い。

 そして、背中をすっぽりと包み込む温もりだった。

 

 ゆっくり目を開けると、すぐ背後にアキさんの寝息があった。

 

 アキさんの腕が、私のお腹のあたりにそっと回されている。

 背中に伝わってくるのは、砦にいた頃と同じ、ひどく安心する柔らかさ。

 

 心地よさに引き戻されそうになりながら、アキさんの腕を起こさないよう、ゆっくり抜けた。

 素足が冷たい。

 

 窓に近づこうとした時、コン、コン、と扉が静かに鳴った。

 開けると、ばあやがいた。

 

「おはようございます、ひめ様」

「おはよう」

 

 ばあやの視線が、私の後ろへすべる。

 

 私がいつも使っているベッドで眠っているアキさんを、見たはずだった。

 けれど、ばあやは何も言わなかった。

 

「……目覚めておられましたか。不覚でございました」

「え」

「こちらの話でございます」

 

 ばあやは何事もなかったように部屋へ入ると、アキさんの肩にかかった毛布を、そっと整えた。

 

「……窓ぎわは冷えます。上着をどうぞ」

「ありがとう」

 

 上着を羽織って、窓に近づく。

 

 カーテンに手をかけたところで、ばあやが静かに声をかけた。

 

「ひめ様」

「なに?」

「深呼吸をひとつ、なさってから」

 

 手が止まった。

 

「……なんで?」

「朝一番の景色が、少々にぎやかでございます」

 

 その言い方が、まるで天気の話みたいだった。

 

 私は言われた通りに、すう、と息を吸った。

 それから、カーテンを開ける。

 

(……?)

 

 広場に、人がいた。

 列だった。

 

 城の石段の下から、屋根付きの大通りの方まで、ずっと人が並んでいる。

 

 子供も、大人も、老人もいた。

 立っている人。

 座り込んでいる人。

 誰かに肩を借りている人。

 

 列の終わりは、中央通りの奥に消えて見えなかった。

 

 カーテンを握る手に、力が入った。

 

「あの人たち……いつから、いるの?」

「昨夜から、でございます」

「昨夜?」

「はい。最初は数人ほどでした。けれど、夜が更けるにつれて、一人、また一人と」

 

 ばあやは、窓の外の列へ静かに目を向けた。

 

「今朝には、この通りでございます」

「……ふえてる」

「はい。たいへん見事な自然発生の列でございます」

 

 ばあやは真面目に言った。

 

「ただ、座る場所と水が足りません。夢の国では、待つ時間もお迎えの一部でございますので」

 

 ばあやは、列の見方が私とは違っていた。

 

 私は窓をわずかに開けた。

 

 朝の風に乗って、広場の声が入ってくる。

 

「お城のひめ様は、まだお休みでしょうか」

「昨日、子供たちと遊んでいた白い子だろう?」

「でも、傷を治すんだろう。聖女様みたいなものじゃないか」

「私は昨日から並んでるんですよ」

「足が悪くて……でも、治してもらえるなら」

「うちの子も。ずっと咳が続いてて」

 

 ひめ様。

 白い子。

 聖女様。

 

 誰のことだろうと思った。

 けれど、答えはすぐに自分へ戻ってきた。

 

(……わたしか)

 

 窓から顔をそっと離す。

 

 まだ決まっていない名前が、私の知らないところで増えていく。

 私ではない何かが、私より先に広がっていく。

 

「ひめ様」

 

 ばあやの声に、顔を向けた。

 ばあやは静かに頭を下げた。

 

「……どうか、皆のこと、よろしくお願いいたします」

 

 頭を上げる。

 それからもう一言だけ。

 

「——できる分だけで、よろしゅうございます」

 

 何か言わなきゃと思うのに、言葉の形にならなかった。

 

「……うん」

 

 私はそれだけ言った。

 

「では、お支度を」

「いま?」

「はい。皆さまがお待ちでございますので」

 

 ばあやが白い外衣を広げた。

 

 昨日の、薄緑の刺繍が入った白い服だった。

 

 白い布が肩にかかる。

 襟元が整えられ、胸元の花が朝の光を受けた。

 

 これを着ると、別のものになる。

 そんな気がして、息が詰まった。

 

「衣装は、ひめ様を別の方にするものではございません」

 

 ばあやが静かに言った。

 

「皆さまが、ひめ様を見つけやすくするためのものでございます」

 

 その言葉は、昨日も聞いた。

 

 でも、今朝は少し違って聞こえた。

 

 窓の外に、列があるから。

 私を探している人たちが、もうそこにいるから。

 

 別の人になるためではなく、見つけてもらうため。

 

 私は胸元の花に、そっと触れた。

 

◇ ◇ ◇

 

「ユキ、もう支度してるのね」

 

 背後から声が聞こえた。

 

 アキさんだった。

 

 白衣の前の留め具を指先で留めながら、私を見て、それから窓の外を見た。

 

「ばあやが、はやかった」

「でしょうね」

 

 アキさんは短く言って、外を一瞥した。

 

 長い沈黙。

 

「……こうなるかもしれないとは思ってた」

 

 アキさんが白衣の袖をまくる。

 

 それから私を見た。

 何かを確認するような、静かな目だった。

 

「ユキ、ここにいてね。すぐ戻るから」

「……うん」

 

 そう言って、アキさんは部屋を出て行った。

 

 私は窓の隙間から、そっと広場をのぞく。

 

 しばらくして、広場から声が届いてきた。

 

 アキさんが列の先頭へ向かう。

 慌てる住民たちに対して、アキさんは淡々としていた。

 

「症状を教えてください。順番に確認します」

 

 住民たちが、口々に話し始める。

 アキさんは何度か頷き、列全体へ届く声で告げた。

 

「軽い傷、長く続く痛み、軽い体調不良は、こちらに並んでください。私が診ます」

 

 人々がざわめく。

 

「三日以上続く熱、膿んでいる傷、自力で動けない方は、あちらに。ユキに診てもらうかは、私が決めます」

 

 ざわめきが大きくなった。

 

「でも聖女様は」

「せっかく並んだのに」

「子供は診てもらえたんだろう」

 

 声が混ざる。

 

 アキさんが、もう一度声を上げた。

 そこには、砦で培ってきた医師としての冷静な響きがあった。

 

「ユキが全員を診れば、途中で倒れます。結果として、誰一人救えなくなる」

 

 ざわめきの波が、いったん引いた。

 

「軽い症状は私が診ます。重い人から順に見ます。ユキの力が必要な人だけ、奥へ通します。その方が、早く、確実です」

 

 正論だった。

 住民たちはしばらく顔を見合わせて、それから列が二つに分かれ始めた。

 ハルカさんが、アキさんのそばへ駆け寄る。

 

「診る場所はどうしましょう?」

「今日はここで」

「ここで、ですか?」

「今から別の場所へ移す方が危ないわ。大きい医務室も裏の小部屋も使えるけれど、この人数を動かせば列が崩れる。歩けない人もいる」

 

 アキさんは広場の端を指した。

 

「あそこに布を張って。椅子と水を用意して。手前で私が診ます。ユキは奥。必要な人だけ通します」

「分かりました」

 

 ハルカさんは頷き、すぐに走った。

 

 アキさんが仕切っていた。

 白衣の背中が、列の人たちの視線を受け止めている。

 その向こう側にいる私は、少しだけ息がしやすかった。

 

 胸の奥が、静かになる。

 

 アキさんがいると、私は「ただのユキ」でいられる気がした。

 その「ただのユキ」がどんな形なのか、まだ輪郭はぼやけている。

 

 でも、聖女でも、おひめさまでも、魔法使いでもない。

 ただ、ここにいる自分だけでいい気がした。

 

 しばらくして、アキさんが戻ってくる。

 

「行くわよ、ユキ」

「うん」

 

 アキさんが先を歩いた。

 

 部屋を出て、階段を降りる。

 

 一階の回廊へ入ると、足音が石の壁に響いた。

 出口の方から光が差し込んでいて、モザイク画がわずかに浮かび上がっている。

 おとぎ話の一場面みたいだった。

 

 広場に出ると、列は窓から見た時よりもずっと長く感じた。

 

 広場の端には、スズキさんがいた。

 何かを指示しているわけではない。

 ただ、立っている。

 

 住民は見ない。

 けれど、列を整えている人たちは時々そちらを見る。

 

(……自然にできた列、だよね)

 

「あなたはこっち。呼ぶまで動かないで」

「うん」

 

 アキさんは私の横に戻ってきて、半歩だけ前に立つ。

 

 意識してやっているのかどうかは、分からなかった。

 

「アキ先生!」

 

 ハルカさんが石段の下から声をかける。

 

「重い方が何名か——」

「通して。私が確認する」

 

 アキさんが答えた。

 

 声は落ち着いている。

 足取りだけが、先へ急いだ。

 

 私はアキさんの後ろについて歩いた。

 気づいたら、白衣の裾を小さく掴んでいた。

 

 砦でも、旅でも、そうしていたから。

 

 アキさんは何も言わなかった。

 ただ、歩幅を半歩、私に合わせた。

 

 空は、まだ朝の色をしていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 布の奥で待つ時間は、思っていたより長かった。

 

 すぐ近くで、人の声がする。

 

 痛む場所。

 熱が出た日。

 歩けるかどうか。

 昨日から並んでいたという声。

 

 呼ばれるたびに、身体が前へ出そうになる。

 アキさんの言葉を思い出す。

 

 呼ぶまで動かないで。

 

 私は膝の上で、白い外衣の裾を握りしめた。

 薄緑の刺繍が、指の下で小さく歪む。

 

 ハルカさんが布をめくって入ってきた。

 

 

「ユキちゃん」

 

 いつもの明るさが、そこにはなかった。

 

「右手首の骨折です。二ヶ月ほど、固定できていなかったそうです」

 

 二ヶ月。

 

 その手首のまま。

 

 最初の一人は、男の子だった。

 七歳か、八歳。

 私と同じくらいの外見年齢で、右手首には古い包帯が巻かれていた。

 

 付き添いのお母さんが、私を見て息をのむ。

 

 白い衣装。

 胸元の花。

 薄緑の刺繍。

 

 それから、お母さんの視線が私の裾へ落ちた。

 

 昨日、広場で子供たちと跳ねていた白い服。

 石畳の上で、土を跳ねさせてしまったはずの裾。

 

 けれど今は、何事もなかったみたいに真っ白だった。

 

 たぶん、ばあやが夜のうちに全部きれいにしてくれたのだ。

 胸元の花も、裾の端も、今朝は昨日より少しぴんとしている気がした。

 

「昨日、広場で……」

 

 お母さんはそこまで言って、言葉を飲み込んだ。

 

 子供たちと笑っていた白い子。

 その子が今、自分の息子の前に立っている。

 

「……本当に、聖女様……」

 

 その言葉に、肩がびくりと反応した。

 

「ちがうよ」

 

 反射的に言った。

 

「ただのユキです」

 

 お母さんは何か言いかけて、結局、深く頭を下げた。

 

 言葉は届いていない。

 そう思った。

 否定されたわけではない。ただ、別の形で受け取られてしまった。

 

 

「……できる分だけ、やります」

 

 それだけ言った。

 

 ハルカさんが私の横にかがみ、症状を低く伝える。

 

「右手首です。古い骨折。痛みが残っています」

 

「なまえ、なんていうの?」

「……ソラ」

「ソラくん。手、さわっていい?」

 

 ソラくんは、怖がりながらも手を差し出した。

 

 ソラくんの右手首に両手を当てる。

 骨のあたりに、変な引っかかりがあった。

 緑の光を、ゆっくり流す。

 

 ソラくんは声を上げなかった。

 目だけが大きくなる。

 

「……うごく?」

 

 ソラくんが、ゆっくり指を開いた。

 

「……あ」

 

 お母さんが泣いていた。

 

 二ヶ月間。

 その子は曲げられなかった指を、今朝初めて開いた。

 

「ありがとうございます」

 

 お母さんが深く頭を下げる。

 つられるように、ソラくんも頭を下げた。

 

「……だいじょうぶです。いってらっしゃい」

 

 何か言えたのか分からないまま、そう言った。

 

 ハルカさんが二人を外へ案内する。

 

 布が閉じる。

 外の声が、少しだけ遠くなった。

 

 身体の中心にあった光が、一枚薄い布をかけられたみたいに鈍っている。

 まだ動ける。

 

 私は、自分の手を見た。

 

 白い衣装。

 小さい手。

 その手に残った、緑の光。

 

 聖女様。

 

 さっきの声が、まだ耳に残っていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 次の人が来るまで、あまり時間は空かなかった。

 

 膿んだ傷のある人。

 熱の続く子。

 片足を引きずる男の人。

 

 アキさんが手前で診て、必要な人だけをハルカさんが奥へ連れてくる。

 ハルカさんは、入ってくるたびに症状を短く伝えた。

 

「左足の膿です」

「三日続く発熱です」

「歩くたびに痛むそうです」

 

 私はその言葉を聞いて、手を伸ばす。

 緑の光を出すたびに、身体の中心から温度が一枚ずつ剥がれていく。

 

 夜になれば戻る。

 そう信じることにして、また次の人に手を当てた。

 

 

 十一人目が終わったあと、アキさんが水を持ってきた。

 

「飲んで」

「ありがとう」

 

 水が冷たい。

 

「疲れた?」

「……ちょっと」

「疲れたら言って。約束よ」

「……やくそく」

 

 その時、布の向こうで男の低い声がした。

 

「なんで、スズキさんが城の中の子だけ囲ってるんだ」

 

 誰かが小さく止める。

 

 それきり声は聞こえなくなった。

 アキさんは私をちらりと見たが、何も言わなかった。

 

 しばらくして、ハルカさんが小さなパンを持ってきた。

 

「アキさんから。ちゃんと食べてね」

 

 パンを一口かじる。

 広場の声は、まだ途切れなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 日が傾いてきた頃、アキさんが奥に来て言った。

 

「今日はここまでにするわ」

「……まだいる」

「日没前には終わりにしたいの。続きは明日でいいわ」

 

 列の方を見た。

 まだ、たくさんの人が残っていた。

 

「……でも」

「ユキ」

 

 アキさんが私の横に来た。

 声を落とす。

 

「今日中に全員を診ることが、一番良いことじゃないわ。あなたが明日また動けること。その方が、ずっと大事なの」

「……うん」

「分かった?」

「わかった」

 

 アキさんが列の残った人たちに声をかけた。

 

「申し訳ございませんが、本日の診察はここまでとさせていただきます。明日、同じ時間から再開します。列の前の方から順番にご案内しますので、番号をお渡しします」

 

 ハルカさんが走って、番号の書かれた紙を用意した。

 

 準備がよかった。

 昨日から用意していたのかもしれない。

 

 残った人たちの間に、不満のざわめきが走った。

 けれど、誰も怒鳴らなかった。

 

 番号札を受け取って、また明日来ると言って、帰っていく。

 

 広場から人が散ったあと、アキさんが横に来た。

 

「何人だった?」

「かぞえてなかった」

 

 アキさんは記録帳を開いた。

 

「ユキに回したのは、十八人」

「……そんなに」

「私だけで処置を終えた人が三十一人。合わせて四十九人」

「ごじゅう人くらい……」

「ええ。今日一日で診られるのは、このくらいね」

 

 今日で終わったわけではない。

 

 明日も来る。

 明後日も来る。

 

 私は、朝に見た列を思い出した。

 

 子供も、大人も、老人もいた。

 立っている人。

 座り込んでいる人。

 誰かに肩を借りている人。

 

 その全員の期待が、こちらを向いていた。

 

「アキさん」

「何?」

「つかれた?」

「……ちょっと」

「おなじだ」

 

 アキさんの掌が、頭に降りてきた。

 

 何も言わなかった。

 でも、その沈黙が何を言っているのかは伝わった。

 

 広場がだんだん静かになっていく。

 マナ結晶の夕方の光が、石畳を橙色に染めていた。

 

「帰りましょうか」

「うん」

 

 立ち上がろうとして、わずかによろめく。

 アキさんの手が、静かに腕を支えた。

 

 城の中に入っていく。

 

 石の廊下が、夕方の光で赤かった。

 明日も、同じ朝が来る。

 たぶん、今日よりも整った形で。

 

 それが、こわかった。




次回「八週間の約束」
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