ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

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第24話 聖女の集会

 城の前の広場には、朝から人が集まっていた。

 

 窓の外を見た瞬間、身体が一歩ぶん後ろへ下がりそうになった。

 石段の下にも、屋根つきの中央通りにも、広場の端にも人がいた。

 

 昨日まで診療の列に並んでいた人たちが、今日はただ、こちらを見上げている。

 

 子供も、大人も、老人も。

 杖をついた人も、誰かの肩を借りて立つ人も。

 

 千五百人。

 数字として聞いた時より、ずっと大きかった。

 

「ひめ様」

 

 ばあやの声で、私は窓から顔を離した。

 白い外衣は、もう着せられている。

 

 胸元には花。

 薄緑の刺繍の下には、小さな光の輪が増えていた。

 ばあやは最後に裾を整えると、深く頭を下げた。

 

「行ってらっしゃいませ」

 

「……うん」

 

 アキさんが隣に来る。

 今日は記録帳を持っていない。

 でも、いつもの小さな鞄は肩にかけていた。

 

 何かあったら、すぐ動けるように。

 それが、アキさんだった。

 

「見るのは、全員じゃなくていいわ」

「え?」

「足元。私。見られるところだけ見なさい」

 

 私は頷いて、小さく手を出した。

 昨日、約束した手。

 アキさんは何も言わずに握ってくれた。

 

◇ ◇ ◇

 

 城の裏口から表へ出ると、そこはもう広場より少し高い場所だった。

 

 足元の石畳は、丁寧に掃かれていた。

 城の前には人々が集まり、両側にはハルカさんを先頭に案内役の人たちが並んでいる。

 

 階段を上がったわけではない。

 ただ外へ出ただけなのに、広場の人たちから見上げられている。

 

 特別な壇はない。

 それなのに、そこは最初から、人々が誰かを見上げるために作られた場所みたいだった。

 つないだ手だけを頼りに、私は城前の石畳を進んだ。

 

 アキさんが、半歩だけ前に出る。

 私を隠すほどではない。

 でも、私だけを広場の前に置かない位置だった。

 

 私は、つないだ手を握り返した。

 

「あ……」

「来た」

「ユキ様……」

「聖女様」

 

 声が、小さく広がっていく。

 

 結んだ手に力が入りかけた時、広場の端から別の声が飛んできた。

 

「ユキひめ様ー!」

 

 ルミだった。

 

「がんばれー!」

「混ぜないでってば」

 

 小さく返した声は、たぶん届かなかった。

 でも、口に出しただけで少し息ができた。

 

 スズキさんは、高台の中央に立っていた。

 

 いつもの穏やかな笑顔。

 けれど今日は、顔色がいつもより白く見えた。

 

 スズキさんも緊張するのだろうか。

 そう思うと、あの人が少しだけ人間に見えた。

 

「皆さん。本日はお集まりいただき、ありがとうございます」

 

 スズキさんの声が、広場に通った。

 ざわめきが静まっていく。

 

「八週間にわたる診療が、昨日をもって一区切りを迎えました」

 

 人々の間に、小さな波が走る。

 

「所在確認の取れなかった方を除き、夢の国に暮らすほぼ全ての方の診療記録が残りました。症状。処置。経過。必要な再診。そのすべてを、アキ先生が記録してくださいました」

 

 視線が、アキさんへ集まった。

 アキさんは、表情を変えずに小さく頭を下げる。

 

「そして、多くの方がユキさんの力に触れました」

 

 今度は、視線が私へ向いた。

 手が震えそうになる。

 アキさんの指が、ぎゅっと私をつなぎ止めた。

 

「傷が癒えた方がいます。熱が下がった方がいます。痛みが軽くなり、眠れるようになった方もいます」

 

 スズキさんは、そこで一度言葉を切った。

 

「そして、救えなかった方もいます」

 

 広場の空気が沈む。

 桜井さんの顔が浮かんだ。

 眠ったまま亡くなったおじいさん。

 最後の夜は、手があたたかかったと伝えられた人。

 

 私は目を逸らさなかった。

 

「この八週間で、私たちは知りました」

 

 スズキさんの声は静かだった。

 

「ユキさんの力は、特別です」

 

 奇跡、と言わなかった。

 

「ですが、万能ではありません」

 

 広場が、さらに静かになる。

 

「治せるものと、治せないものがあります。楽にできるものもあれば、時間をかけて見なければならないものもあります」

 

 その言葉は、アキさんの記録帳から来ている気がした。

 数字ではなく、人の話として。

 

「それでも」

 

 スズキさんの声が、少しだけ強くなった。

 

「この八週間で、私たちは顔を上げる理由を得ました」

 

 誰かが、小さく息を呑む。

 

「暗い通路で痛みを抱えていた人が、朝を待つようになった。子供たちが、傷を見せに走ってきた。家族が、もう少し一緒にいられるかもしれないと話した」

 

 老婦人の言葉を思い出した。

 もう少し、いてみるわ。

 あの声の温度まで、まだ覚えている。

 

「その中心にいたのが、ユキさんです」

 

 私は、足元を見そうになった。

 でも、見なかった。

 

 ルミが見ている。

 ハルカさんも、まっすぐこちらを向いている。

 ばあやは胸に手を当てて立っている。

 アキさんは、隣で手を握ってくれている。

 

「子供たちは、彼女を遊びの中で呼びました」

 

 広場の端で、ルミたちが小さく笑う。

 

「けれど、大人たちは、祈る時の言葉で呼び始めています」

 

 スズキさんは、一度だけ間を置いた。

 

「聖女様、と」

 

 その言葉が、はっきりと広場に置かれた。

 

 怖かった。

 けれど、昨日ほど遠くへ押し出される感じはしなかった。

 

「私は、この名を否定しません」

 

 スズキさんは言った。

 

「ただし、今日この場で、皆さんに理解していただきたいことがあります」

 

 スズキさんが、私を見る。

 

「その言葉を、彼女一人に重荷として背負わせてはなりません」

 

 広場が、かすかに揺れた。

 

「聖女様と呼ぶならば、その名は、求めるためだけのものではありません。できることと、できないことを、共に受け止めるための名前でなければならない」

 

 私はスズキさんを見上げた。

 

「ユキさん」

 

 スズキさんが静かに呼んだ。

 

「皆さんに、伝えたいことを」

 

◇ ◇ ◇

 

 紙を開いた。

 

 昨日、アキさんと一緒に考えた紙。

 何度も読んだ紙。

 

 文字が、少し揺れていた。

 

 ぜんぶは治せません。

 できることと、できないことがあります。

 でも、できる分だけやります。

 アキさんと一緒に、続けます。

 

 読める。読めるはずなのに、喉が動かない。

 

 人が多い。

 待たれている。

 祈られている。

 

 怖い。

 

 その時、つないだ手が、ぎゅっと強くなった。

 痛くはない。

 ただ、ここにいる、と伝えるみたいな強さだった。

 

 アキさんを見る。

 アキさんは、ただ頷いた。

 

 私は首を横に振らなかった。

 息を吸う。

 

「……わたしは」

 

 声は小さかった。

 けれど、広場は静かだった。

 

「わたしは、ぜんぶは治せません」

 

 言えた。

 

「なおせるものと、なおせないものがあります。楽にするだけで、せいいっぱいの時もあります」

 

 紙を見る。さっきより、文字の形が分かった。

 

「わたしが強く光を出しても、なおらないものはあります」

 

 桜井さんの顔が浮かんだ。

 

「だから、聖女様って呼ばれても、わたしはかみさまじゃないです」

 

 誰も、何も言わない。

 

「でも」

 

 紙を握る手に、力が入る。

 

「できる分だけ、やります」

 

 今度は、広場の奥まで届いた気がした。

 

「水をきれいにします。包帯も、ちゃんときれいにします。傷を見て、熱も見ます。痛い人がいたら、アキさんと一緒に、どうするか考えます」

 

 アキさんの手が、私の背中にそっと触れた。

 

「ひとりではできません」

 

 これは、紙にはなかった言葉だった。

 

「アキさんがいないと、できません。ハルカさんが人を連れてきてくれないと、順番も分かりません。ばあやが休めって言ってくれないと、たぶん休めません」

 

 ばあやが、一度だけ目を伏せた。

 

「だから」

 

 顔を上げる。

 

「わたしだけに、お願いしないでください」

 

 広場の空気が揺れた。

 

 怖かった。

 でも、言った。

 

「アキさんにも、ハルカさんにも、近くにいる係の人にも、ちゃんと聞いてください。スズキさんとアキさんが決めた順番も、守ってください。わたしが、できないって言っても、怒らないでください」

 

 喉が熱い。目も熱い。でも、泣かなかった。

 

「それでもいいなら」

 

 紙を下げて、前を見た。

 

「できる分だけ、やります」

 

 沈黙が落ちた。

 

 長かった。

 言いすぎたのかもしれない。

 聖女様には、もっときれいな言葉を期待していたのかもしれない。

 

 できないことばかり並べてしまった。

 そう思った時。

 広場の端で、小さな手が上がった。

 

 ルミだった。

 拍手ではなく、両手を口の横に添えて、精いっぱい声を張る。

 

「ユキひめ様ー!」

 

 その声が、広場に跳ねた。

 隣にいた女の人が、慌てたようにルミの肩へ手を置く。

 けれど、止めなかった。

 

 遅れて、その横にいた男の人が、深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございました」

 

 低い声だった。

 ルミの隣にいた男の人だった。

 女の人も、目元を押さえながら頭を下げていた。

 

 その一礼で、張りつめていた広場の空気に、息をする場所ができた。

 

 ぱち、と音がした。

 最初に手を叩いたのは、ルミだった。

 

 それに、隣の子供が続いた。

 その親も、遅れて手を叩く。

 杖をついた老人が、ゆっくりと手を合わせる。

 腕に包帯を巻いた男の人が、胸の前で小さく拍手する。

 

 拍手は、少しずつ広がっていった。

 

 大きな歓声ではなかった。

 熱狂でもなかった。

 

 でも、ひとりずつ、自分の場所から返してくれているような音だった。

 

「ありがとう」

「ありがとうございます」

「無理しないでくださいね」

 

 そんな声が、拍手の間からぽつぽつと聞こえる。

 息が、戻ってきた。

 祈るみたいな声だけじゃなかった。

 

 ルミの明るい声もあった。

 誰かの「無理しないで」もあった。

 

 それなら、まだここに立っていられる。

 

◇ ◇ ◇

 

 拍手が静まるのを待って、スズキさんが一歩前へ出た。

 

「皆さん、聞いていただいた通りです」

 

 声は、いつもより少し低かった。

 

「ユキさんは、万能ではありません。彼女一人に、すべてを背負わせてはなりません」

 

 広場の人たちは、静かに聞いている。

 

「今後も診療は、アキ先生の判断で行います。順番を守っていただきます。急を要する症状は医務係へ。ユキさんへの直接のお願いは控えてください」

 

 何人かが頷いた。

 

「そして、できることと、できないことがあります」

 

 スズキさんは、そこで私を見た。

 

「それでも、彼女はここに立つと言いました」

 

 また、広場が静かになる。

 

「ならば我々は、その名前を、重荷ではなく、約束にしなければならない」

 

 約束。

 その言葉だけが、耳に残った。

 

「この夢の国は、本日より、彼女をこう呼びます」

 

 スズキさんが、ゆっくりと頭を下げた。

 

「夢の国の聖女、ユキ様」

 

 広場に、静かな波が広がった。

 

 新しい呼び名が、人々の間をゆっくり渡っていく。

 けれど、もう一人で受け止めている感じはしなかった。

 

 ぜんぶはできないと言えたから。

 ひとりではできないと言えたから。

 アキさんの名前も、ハルカさんの名前も、ばあやの名前も、ちゃんと出せたから。

 

 私は小さく頭を下げた。

 

「……よろしく、おねがいします」

 

 また、拍手が起きた。

 

◇ ◇ ◇

 

 集会が終わっても、人々はすぐには散らなかった。

 広場のあちこちで、小さな声が交わされている。

 

「……あんな小さい子が、ちゃんと言ってくれたんだな」

「ああ。全部は治せないって」

「それでも、できる分だけやるって」

「なら、こっちが守らなきゃだめだ」

 

 誰かが、医務室の方を見た。

 

「まずはアキ先生だ」

「ユキ様に直接お願いしない」

「今まで通り、先生の判断に従う」

 

 今まで通り。

 その言葉を聞いて、肩から力が抜けた。

 

「ユキ」

 

 アキさんが呼んだ。

 

「なに?」

「終わったわね」

 

「……うん」

 

 終わった。

 でも、始まった気もした。

 

 今日から、私はあの名前で呼ばれる。

 

 それは怖い。

 でも、ぜんぶはできないと言えた。

 それでもやると、自分の口で言った。

 

 そのことだけは、手の中に残った光みたいだった。

 

 ばあやが近づいてきた。

 

「ひめ様」

「ばあや」

「たいへん立派でございました」

 

「……ほんと?」

「ええ」

 

 ばあやは、目元をやわらげる。

 

「聖女様として、ではなく」

 

 そこで、にっこり笑った。

 

「ユキ様として」

 

 胸の奥がふっとゆるんだ。

 

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 

 ばあやは、そこで外衣の裾を見た。

 

「それから、裾が汚れております」

「え」

「お話しされている間、ひめ様の足が、少しずつ後ろへ下がっておりましたので」

 

「……そんなところ見てたの」

「もちろんでございます」

 

 ばあやは真面目な顔で頷いた。

 

「それでも、最後までお立ちでした」

 

 その言葉で、喉の奥が熱くなった。

 

 私は逃げなかった。

 足は下がっていたかもしれない。

 裾も汚したかもしれない。

 

 でも、最後まで立っていた。

 ばあやは、それを見てくれていた。

 

「……ばあや」

「はい」

「帰ったら、きれいにできる?」

「もちろんでございます」

 

 ばあやは、誇らしげに胸へ手を当てた。

 

「ばあやは、ひめ様の裾を見逃しません。汚れも、ほつれも、ぜんぶ綺麗にいたします」

 

 アキさんが横で小さく笑った。

 私も、つられて笑った。

 

 聖女様になったばかりなのに。

 こんな話ができる。

 

 そのことに、ほっとした。

 

◇ ◇ ◇

 

 その日の夕方。

 城の窓から広場を見ると、人々はいつも通り動いていた。

 

 配給の列があり、水を運ぶ人たちが行き交っている。

 石畳では子供たちが走り、椅子に座った老人が広場を眺めていた。

 

 何かが劇的に変わったわけではない。

 

 でも、医務室の前には、いつもの札が立っていた。

 診療は順番に。

 急な症状は医務係へ。

 その下に、ハルカさんの字で、新しい一行が足されている。

 

 ユキ様に直接お願いせず、まずアキ先生へ。

 

 私はそれを見て、息を吐いた。

 

「……アキさんの名前、ちゃんとある」

「当然よ」

 

 隣でアキさんが言った。

 

「私が決めるって約束したもの」

「うん」

 

 足元が、ちゃんと戻ってきた気がした。

 聖女様という名前が増えても、入り口は変わらない。

 

 まず、アキさん。

 順番があって、止める人がいる。

 

 それなら、明日もここに立てる気がした。

 

◇ ◇ ◇

 

 夜。

 

 城の上の部屋に戻ると、身体の力が一気に抜けた。

 

 ばあやの手で白い外衣を脱がされる。

 胸元の花が外れ、薄緑の刺繍が畳まれ、白い布が私の体から離れていく。

 肩が、ようやく自分のものに戻った気がした。

 

 寝間着に着替えると、私はベッドの端に座ったまま、自分の手を見た。

 

 小さい手。

 八歳の手。

 今日、たくさんの人の前で震えていた手。

 

 でも、言えた。

 

 ぜんぶは治せない。

 でも、できる分だけやる。

 

 それは、聖女様の言葉ではなかった。

 私の言葉だった。

 

「ユキ」

 

 アキさんが隣に座った。

 

「今日は、よく言えたわ」

 

 その一言で、目の奥が熱くなる。

 

「……うん」

「泣いてもいいわよ」

「泣かない」

「そう」

 

 アキさんは、それ以上言わなかった。

 ただ、私の頭をそっと撫でた。

 

「アキさん」

「なに?」

「手、つないでくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 私は少し迷ってから、もう一度聞いた。

 

「……明日も、つないでいい?」

「必要なら、いつでも」

 

「……うん」

 

 私はアキさんの手を握ったまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。




次回「夢の国の夜に」
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