ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

25 / 27
第25話 夢の国の夜に

 夕方になると、夢の国の空気は昼の熱を手放していく。

 

 昼のざわめきが、ゆっくり薄くなっていく。

 配給の列が短くなり、水を運ぶ人たちの足音も、どこか落ち着いたものになる。

 

 そして、大きい医務室の奥で、緑の光が灯る。

 その日、最後の浄化だった。

 

 水差し。

 包帯。

 使い終えた布。

 明日のために、整えておくもの。

 

 誰が決めたわけでもない。

 鐘が鳴るわけでもない。

 スズキさんが命令したわけでもない。

 

 それでも、その時間になると、広場の人たちが自然と一度、医務室の方へ顔を向けた。

 

 手を合わせる人がいた。

 目を閉じる人も、仕事の手をほんのひと呼吸だけ止める人もいた。

 

 私はそのことを、最初は知らなかった。

 アキさんに言われて、窓の隙間からそっと見た時、思わず息を止めた。

 

「……なにしてるの?」

「見てるのよ」

「わたしを?」

「あなたの光を、でしょうね」

 

 医務室の中で、私は水差しに手をかざしていた。

 緑の光が、水の底へ静かに沈んでいく。

 

 その光は、外から見えるほど強くはない。

 でも、薄い布のしきりと窓の隙間から、夕方の広場へ細く漏れていた。

 

「……変なの」

「そうね」

 

 アキさんは記録帳を閉じながら言った。

 

「でも、悪いことではないわ」

 

 悪いことではない。

 その言い方が、アキさんらしかった。

 

 私はもう一度、窓の外を見る。

 広場の端で、誰かが小さく頭を下げていた。

 それを見て、窓枠に置いた指が、うまく止まらなくなった。

 

 祈りなのか。

 期待なのか。

 ただ、今日も終わったのだと確かめているだけなのか。

 

 私には、まだ見分けられなかった。

 

 でも。

 少なくとも、その時間はもう、夢の国の中にできていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 城の前の石畳には、子供たちの絵が増えていた。

 

 白い石を削った棒で、丸い光が描かれていた。

 お城。

 長い髪の小さな人。

 その横に、緑の線。

 同じ絵が、あちこちにある。

 

 誰かが教えたわけではない。

 でも、子供たちは同じようなものを描いていた。

 

「これ、ひめ様!」

「こっちはお城!」

「ここ、ぴかーってなってるの!」

 

 ルミが得意そうに説明してくれる。

 

「……わたし、こんなに光ってないよ」

「光ってるよ!」

「光ってる!」

「ぴかーって!」

 

 子供たちが一斉に言う。

 私は困って、隣にいたアキさんを見た。

 

「……光ってる?」

「少なくとも、子供たちにはそう見えてるんでしょうね」

「アキさんまで」

 

 アキさんは、困ったように目を細めた。

 

 石畳に描かれた私は、実物よりずっと大きかった。

 お城と同じくらいの高さで、頭から緑の光を出している。

 

 その横に、小さな字で何かが書いてあった。

 ここにいれば、だいじょうぶ。

 

 私は、その文字から目を離せなかった。

 

「これ、だれが書いたの?」

「みんな」

 

 ルミが言った。

 

「きのう、おじさんが言ってた。ここにいれば、だいじょうぶって」

「おじさん?」

「水くばってる人」

「それ、あいさつみたいになってるの」

 

 別の子が言う。

 

「夕方になると、みんな言うよ。おつかれさま、ここにいればだいじょうぶ、って」

 

 おつかれさま。

 ここにいれば、だいじょうぶ。

 

 それは、前にはなかった言葉だった。

 

 砦では、夜になると扉を閉めた。

 見張りが立って、銃が向けられて、外の音に耳を澄ませた。

 

 夢の国でも、危険がなくなったわけではない。

 壁の外には、まだ崩れた世界がある。

 ハウンドも、変異獣も、マナ結晶に侵された道もある。

 

 それでも。

 

 この壁の内側では、そんな言葉が生まれていた。

 

「……だいじょうぶ、なのかな」

 

 小さく呟くと、アキさんが私の方を見た。

 

「全部が、ではないわ」

「うん」

「でも、そう言いたくなる場所にはなってきたのかもしれない」

 

 アキさんの言葉は、いつも少しだけ慎重だった。

 だから、私は頷けた。

 

「……うん」

 

 石畳の絵の中で、緑の光は大きく丸く描かれていた。

 私はその前でしゃがみ込み、はみ出した緑の線を指先でならした。

 

「ここ、そんなに大きくない」

「えー!」

「大きい方がかっこいいのに!」

「だめ。うそはだめ」

 

 子供たちが笑う。

 その笑い声が、夕方の広場に混じっていった。

 

◇ ◇ ◇

 

 夜の夢の国は、昼と違う顔をしていた。

 城の高いところに、小さな緑の光が灯っている。

 

 発光するほどではない。

 ただ、石の塔の一角に、穏やかな光が残っているだけ。

 

 それが私の部屋の窓から漏れる光だと知っているのは、アキさんと、ハルカさんと、ばあやくらいだった。

 

 広場には、マナ結晶がいくつか点在している。

 青白いはずの光が、今夜は緑をひとしずく含んで見えた。

 青とも、緑とも言えない色。

 気のせいかもしれない。

 けれど、その曖昧な光は、鏡で見た自分の瞳の色に少し似ていた。

 

 結晶は、静かに、ゆっくりと明滅していた。

 

 その光の間を、子供たちが走っていた。

 夜なのに。

 子供たちが、外にいた。

 

「ここはまもられてるから、夜も出ていいんだって!」

「ひめ様がいるから、ハウンドこないんだって!」

「ちがうよ、アキ先生が夜は走りすぎちゃだめって言ってたよ!」

「じゃあ、ちょっとだけ!」

 

 声が、石畳の上で軽く弾む。

 

 それを見て、私は窓辺で小さく息を呑んだ。

 

「……夜なのに」

「ええ」

 

 隣にいたアキさんが頷く。

 

「前は、だめだった?」

「だめだったわ。少なくとも、こんなふうには」

 

 アキさんの声は静かだった。

 

「夜は、静かにしていた方が安全だった。音も、光も、できるだけ外へ漏らさないようにしていた」

「いまは?」

「今も、本当は注意した方がいい」

 

 アキさんはそこで、少しだけ目を細めた。

 

「でも、この数週間、ハウンドの目撃が減っているの」

「ハウンドが?」

「夢の国の周り、一キロくらい。見回りの報告では、ほとんど出ていない」

 

「……なんで?」

「分からないわ」

 

 アキさんは、すぐには断言しなかった。

 

「浄化した水。浄化した包帯。医務室の光。農地の端に流した緑。そういうものが、少しずつこの場所を変えているのかもしれない」

 

 私は窓の外を見る。

 

 広場のマナ結晶が、ゆっくり光っている。

 青白い光。

 緑の光。

 夜の石畳を走る子供たち。

 

「わたしが、やったの?」

「あなた一人ではないわ」

 

 アキさんは、すぐに言った。

 

「水を運ぶ人がいる。土を見る人がいる。夜には見回りがいて、記録を取る人もいる。ハルカさんたちは列を整える。スズキさんは場所を決める。ばあやは、あなたを休ませる」

「うん」

「その上で、あなたの光も、たぶん関係している」

 

 その言い方なら、受け取れた。

 

 私だけではない。

 でも、私も関係している。

 

 そのくらいの重さなら、持てる気がした。

 

◇ ◇ ◇

 

 かつて入場ゲートだった場所は、今では夢の国の門になっていた。

 

 古い柱の間には簡単な柵が渡され、足元の石畳はきれいに掃かれている。

 そのそばには、腕章をつけた門番が立っていた。

 

 外から来る人に、所属と目的を尋ねる。

 出ていく人の荷物を確かめる。

 壁の外から、何かが紛れ込まないように。

 

 その柱の一本に、緑の布が巻かれていた。

 

 いつ巻かれたのか、誰が始めたのか、誰もはっきりとは知らない。

 古くなれば、誰かが取り替える。

 ほどければ、誰かが結び直す。

 雨で汚れれば、洗われて、また同じ場所に巻かれる。

 結び目は、いつも通り道の邪魔にならない高さに整えられていた。

 

 誰の仕事でもない。

 でも、誰かが必ずやっていた。

 

 夜の見回りから戻った門番が、その布にそっと触れてから中へ入る。

 水桶を運ぶ人が、通りすがりに曲がった結び目を直す。

 子供がその前で立ち止まり、両手を広げて「ここが入り口!」と叫ぶ。

 

 そこは、昔の入場口とは違う意味を持っていた。

 

 外の世界から入ってくる境目。

 夢の国へ帰ってくる境目。

 そして、誰かが「ただいま」と息を吐くところだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 城の窓辺で、スズキが広場を見下ろしていた。

 

 夜なのに、人の気配がある。

 明かりがある。

 子供の声がある。

 

 三年前、この場所に留まると言った時、何があったのか。

 私は知らない。

 でも、きっと今とは違ったはずだ。

 

 その背中を、ハルカは少し離れた場所から眺めていた。

 

「……夢の国ですね」

 

 ハルカが言った。

 

 スズキは、すぐには答えなかった。

 窓枠に置いた指先が、かすかに動いた。

 

「そう見えますか」

「少なくとも、前よりは」

「それはよかった」

 

 声は穏やかだった。

 

「そういえば、東門から一人、外へ出たそうです」

「イツキさんですね」

「はい。聖女様の噂を、外へ持っていくと」

 

「……噂は、止められませんね」

 

 スズキは広場を見たまま、そう言った。

 

 その声が、満足しているようにも聞こえた。

 心配しているようにも聞こえた。

 

 ハルカには、そのどちらなのか分からなかった。

 

「止めますか」

「いいえ」

 

 スズキは、静かに首を振る。

 

「外へ出ていくものまで、ここで縛ることはできません」

 

「……珍しいですね」

「何がですか」

「スズキさんが、縛らないって言うの」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

 スズキはただ、広場を見ていた。

 

「ここは、まだ小さな場所です」

 

 やがて、そう言った。

 

「夢の国が変わったのなら、外の世界も、こちらを見るようになるでしょう」

「それは、いいことですか」

「分かりません」

 

 その答えは、ハルカの予想から外れていた。

 

 スズキは、いつも答えを持っている人に見えた。

 けれど今の声には、迷いがあった。

 

「分からないから、準備をします」

 

 窓の外では、子供が走っている。

 緑の布を巻いたゲートの向こうには、暗い外の世界がある。

 

 ハルカは、窓辺の空気が急に冷えたような気がした。

 

 変わった夢の国。

 明るくなった広場。

 夜に走る子供たち。

 

 それが外へ知られることは、希望なのか。

 危険なのか。

 

 答えは、まだ外の闇の中にあった。

 

◇ ◇ ◇

 

 城の上の部屋に、緑の光があった。

 

 私は、窓辺に座って広場を見ていた。

 隣には、アキさんがいる。

 

 二人とも、しばらく何も話さなかった。

 

 眼下の広場で、マナ結晶がゆっくり明滅している。

 子供の笑い声が、夜風に乗って小さく届く。

 

 遠くのゲートには、緑の布。

 その向こうは、暗い。

 

 でも、こちら側には光があった。

 

「……きれいだね」

 

「……そうね」

 

 アキさんが答える。

 しばらく、また黙る。

 

「夢の国って、名前をつけた人、すごいね」

「スズキさんでしょう」

「うん。でも、今は、ちょっと分かる気がする」

 

 アキさんの口元が、かすかにゆるんだ。

 

「そうね」

 

 窓辺の石に、二人の影が並んで落ちていた。

 

 影の高さは違う。

 でも、夜の中では、輪郭が重なって見えた。

 

 窓の隙間から、風が入ってくる。

 私の銀色の髪が、ふわりと揺れた。

 

 アキさんが、ほとんど無意識みたいに、その髪を耳の後ろへ撫でつける。

 私は目を閉じた。

 その手があると、夜の風が怖くなくなる。

 

「アキさん」

「なに」

「今日も、手、つないでいい?」

「ええ」

 

 アキさんは、当たり前みたいに私の手を取った。

 

 その下で、夢の国の広場が静かに光っている。

 

 聖女様と呼ばれる明日が来る。

 ユキとして起きる朝も来る。

 

 外の世界には、まだ知らないものがある。

 同じような力を持つ人が、本当にいるのかもしれない。

 イツキさんが、その噂をどこかへ運んでいくのかもしれない。

 

 でも、今夜は。

 ここにいた。

 

 アキさんの隣で。

 緑の光の中で。

 夜の夢の国を見ていた。

 

 窓の向こうで、子供の笑い声がまたひとつ弾ける。

 夢の国が、ゆっくり呼吸している。

 

 私はアキさんの手を握ったまま、その音を聞いていた。




次回「届け物」

次回は、夢の国の外から来た男の視点です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。