ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

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ダイヤの砦
第3話 ばけものじゃない


 ザキと呼ばれた男は、私の数歩手前で足を止めた。

 

 銃口は、まだこちらを向いている。

 ただ、さっきのように眉間を射抜く角度ではない。

 

 撃つためではなく、油断しないための構え。

 そう見えた。

 

「顔を上げろ」

「ひっ……」

 

 怒鳴られたわけではない。

 低い声が肋骨の内側に響き、肩が勝手に跳ねた。

 私は両手で顔を覆ったまま、首を横に振る。

 

「こわい、です……撃たないで……」

「撃たねぇ。今すぐはな」

 

 今すぐは。

 その言い方で、口の中が一気に乾いた。

 

 ザキは舌打ちして、少しだけ声を落とした。

 

「……泣くな。話ができねぇ」

「だ、だってぇ……」

「だってじゃねぇ。こっちも怖ぇんだよ」

 

 怖い?

 

 銃を持っているのは、向こうの方だ。

 防壁の上には、まだ私を狙う影がある。

 

 こっちは武器を置いた、泥だらけの子供でしかない。

 それなのに、ザキの顔に冗談の色はなかった。

 

「廃墟で子供の泣き声がしたら、普通は罠だ。そうやって人間を釣る化け物もいる」

 

「……っ」

 

 背筋が冷えた。

 

 化け物と言われた理由が、ようやく腑に落ちた。

 撃たれそうになったことまで、納得できてしまった。

 

「だから確認する」

 

 ザキは銃口を下げないまま言った。

 

「名前は」

 

「……な、まえ」

「名前だ。言えるか」

 

 一瞬、息が止まった。

 

 元の名前。

 男だった頃に使っていた呼び名。

 もう、この声で呼ばれることのないもの。

 

 どれも遠い水底に沈んでいて、指を伸ばしても届かない。

 

「……ユキ」

 

 ようやく、それだけを絞り出した。

 

「ユキ、です」

「歳は」

 

「……たぶん、八歳くらい」

「たぶん?」

「わ、わかんない……」

 

 嘘ではない。

 この身体が、本当に何歳なのかなんて知らない。

 

「どこから来た」

「北の、ほう……」

「一人でか」

 

 私は黙った。

 

 黙っただけで、防壁の上の銃口がこちらを向き直った。

 

 まずい。

 答えないと、また疑われる。

 

「ひとり……です」

 

 声の端がほどけた。

 

「ほんとに、ひとりです……」

 

 ザキは私の顔を見て、次に地面のライフルを見た。

 

 私の背丈とあまり変わらない大きな銃。

 足に合わないブーツ。

 身体の中で余っている服。

 泥と涙でぐしゃぐしゃの顔。

 

「……チッ」

 

 ザキは短く舌打ちした。

 

「罠にしちゃ、雑すぎる」

「ザキさん」

 

 後ろの男が低く呼ぶ。

 

「分かってる。決めつけるな」

 

 ザキは私から目を離さずに言った。

 

「武器は預かる。妙な真似をしたら撃つ。だが、今は中に入れる」

 

「……中?」

「検疫だ。あと、話を聞く」

 

 検疫。

 その言葉だけで、身体が固まった。

 

 調べられる。

 隠しているものを、引きずり出される。

 

 マナ結晶の中で眠っていたことも。

 頭の中に、大人の男だった記憶があることも。

 

 知られたら、今度こそ化け物扱いされるかもしれない。

 

「こ、こわい……」

「怖くても来い。外にいるよりはマシだ」

 

 ザキは後ろを振り返った。

 

「銃、拾え。暴発させんなよ」

「了解」

 

 別の男が、私のライフルを慎重に拾い上げる。

 自分の手から完全に離れた瞬間、急に足元が頼りなくなった。

 

 あんなに重くて扱いづらかったのに。

 なくなると、急に丸裸にされたような気がした。

 

「立てるか」

 

「……た、立てます」

 

 私は急いで立ち上がろうとした。けれど、足に力が入らなかった。

 大きすぎるブーツの中で擦れ続けた足が、今さら悲鳴を上げる。

 

「あっ……」

 

 膝が崩れた。

 

 倒れる、と思った瞬間、ザキの手が私の腕を掴んだ。

 掴んできた手は大きく、硬く、熱かった。

 指には古い傷がいくつも走っている。

 

 私は反射的に身をすくめた。

 

「暴れんな。落とすぞ」

「ご、ごめんなさい……」

「謝るな。歩けねぇなら、そう言え」

 

「歩けます……」

「歩けてねぇ」

 

 ザキは呆れたように息を吐いた。

 それから、扱いに困ったような顔をする。

 

「……アキを呼べ」

 

 後ろの男が無線に手を伸ばす。

 

「検疫所に連れていく。子供だ。足、やってる」

 

 子供。

 

 その言葉だけが、妙に耳に残った。

 

 化け物ではなく。罠でもなく。

 ひとまず、そう扱われている。

 だから私は、まだ撃たれていない。

 

 防壁の巨大な鉄扉が、重苦しい音を立てて開いた。

 

 ギギギギッ、と錆びた金属が擦れる音。

 その奥に、影と光があった。

 

 私はザキに腕を支えられながら、足を引きずるように進む。

 

 背後で、分厚いトタンと車のスクラップでできたゲートが閉ざされた。

 ガチャン、と重いカンヌキが落ちる。

 

 その音に、肩が跳ねた。

 

 ここは殺されるかもしれない場所だ。

 同時に、変異獣からは守られる場所でもある。

 

「……すごい」

 

 顔を上げた瞬間、声がこぼれた。

 

 観覧車の内側に、街があった。

 

 鉄骨にしがみつくような小屋が、頭上に並んでいる。

 細い吊り橋を誰かが渡り、青白く灯るマナ結晶の下で布が揺れていた。

 広場には踏み固められた道があり、その脇に小さな畑まである。

 

 誰かが、ここで眠っている。

 誰かが、ここで火を焚いている。

 誰かが、明日も生きるつもりで畑を作っている。

 

 錆と潮風に混じって、薪の煙と、何かを煮る匂いがした。

 

 人が生きている気配だった。

 そう思った瞬間、張り詰めていたものが切れた。

 足から力が抜ける。

 

「おいおい」

 

 ザキが慌てて腕を支え直した。

 

「ここで寝るな、おチビちゃん」

「ね、寝ません……」

「寝そうな顔してるぞ」

 

 言い返したかった。

 でも、言い返す力も残っていなかった。

 

 ザキたちに囲まれたまま、砦の入り口近くにあるプレハブ小屋へ連れて行かれた。

 検疫と、事情を聞くための場所らしい。

 

◇ ◇ ◇

 

 部屋の中は、アルコール消毒液と古いカビの匂いが混ざっていた。

 

 パイプ椅子に促される。

 腰を下ろした、というより、その場に崩れ落ちた。

 

 重たいライフルを取り上げられた。

 防刃ベストとジャケットも外される。

 残ったのは、男物の大きなTシャツと、裾を何重にも折り返したズボンだけ。

 

 体は急に軽くなった。

 なのに、心細さだけが増していく。

 

「怪我してないか見るだけだ。暴れるなよ」

 

 ザキはそう言ったけれど、私の体は勝手に小さくなる。

 

 知らない大人。

 閉じた部屋。

 取り上げられた武器。

 

 理屈なら追いついている。

 検疫だ。

 確認だ。

 向こうからすれば当然の手順だ。

 

 ただ、子供の身体は理屈を待ってくれない。

 

「ザキ」

 

 その時、ドアが開いた。

 

 入ってきたのは、白衣を着た女の人だった。

 

 洗い込まれて色の落ちた白衣。

 茶色いショートボブ。

 疲れているのに、目元だけはやわらかい人だった。

 

 彼女は部屋に入るなり、まず私を見た。

 次に、ザキへ視線を移す。

 

「……この子に、銃を向けたの?」

「向けた。向けなきゃ死ぬこともある」

「それは分かってるけど」

 

 女の人は小さく息を吐いた。

 

 それから、私の前で膝を折る。

 目線が、同じ高さになった。

 

 たったそれだけで、肩から力が抜けた。

 

「怖かったわね」

 

 声がやわらかかった。

 

「私はアキ。ここで怪我人を診ているの」

「あ……」

 

 返事をしようとしたのに、喉がうまく動かなかった。

 

 アキさんは急かさなかった。

 ただ、片手に持っていたブリキのマグカップを、私の手が届きやすい位置まで下げてくれる。

 

「熱いから気をつけて。両手で持てる?」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 私は両手でマグカップを受け取った。

 片手では、重かった。

 

 中身は、お魚の骨とクズ野菜で出汁を取っただけの、薄い塩味のスープだった。

 おそるおそる口をつける。

 

「……っ」

 

 おいしい。

 

 パサパサの携行食料ばかり齧っていた舌に、薄い塩味が染みていく。

 冷えていた身体の内側が、ゆっくりほどけた。

 それだけで、また涙が出そうになった。

 

「ゆっくり飲んで」

 

 アキさんは、私の泥だらけの顔を見て、少しだけ目を細めた。

 

「本当に、小さいのね」

 

「……小さくないです」

 

 反射的に言ってしまった。

 でも、アキさんは怒らなかった。

 

「うん。そうね。ごめんなさい」

 

 そう言って、柔らかく笑った。

 その笑顔に、胸の奥が変なふうに痛んだ。

 

 優しくされると、困る。

 

 嘘をつかなければいけないのに。

 正体を隠さなければいけないのに。

 そんな声を向けられるたび、言葉が喉の手前で止まってしまう。

 

「それで」

 

 ザキが壁際から口を挟んだ。

 

「こいつは何なんだ」

「こいつじゃなくて、ユキちゃん」

「名前は聞いた。問題は中身だ」

 

 アキさんの表情が少しだけ引き締まる。

 ザキは腕を組み、私を見た。

 

「廃墟のど真ん中に、銀髪のガキが一人。大人用の銃と装備つき。おまけに、花みたいな匂いがする」

 

 花。

 その言葉に、私はマグカップを握る手に力を込めた。

 

「ハウンドの囮か、ミュータントか、野盗の罠か。どれでもないなら、それを確認しなきゃならねぇ」

「言い方」

「優しく言えば安全になるのか?」

 

 アキさんは言い返しかけて、言葉を飲み込んだ。

 

 ザキの言うことは、間違っていない。

 この世界では、疑わない方が死ぬ。逆の立場なら、私だって同じ目で見る。

 そう思えてしまうことが、怖かった。

 

「あのね」

 

 アキさんが、私の方を向いた。

 

「さっき、どうして化け物って言われたのか、気になる?」

 

 かろうじて首を縦に動かした。

 

「人の声を真似るミュータントがいるの。赤ん坊や女の子の泣き声で誘って、近づいた人間を食べる」

 

 マグカップの中のスープが、小さく揺れた。

 手が震えていた。

 

「だから、廃墟で子供の声がしたら、罠だと思うのが普通なのよ」

 

「……じゃあ、わたしも?」

「最初はね」

 

 アキさんはそこで、ふっと表情を緩めた。

 

「でも、銃を向けられて『おむすびが食べたい』って泣く化け物は、たぶんいないわ」

 

「……うぅ」

 

 顔が熱くなった。

 恥ずかしい。

 穴があったら入りたい、という言葉の意味を、初めて本気で理解した。

 

 おむすびが食べたいと泣いた。

 銃を向けられて。

 砦の人たちの前で。

 子供みたいに、わんわん泣いた。

 

 その結果、人間扱いされかけている。

 

 私のプライドは、完全にズタズタだった。

 

「ほら、お顔を拭かせてね。泥と涙でぐしゃぐしゃよ」

「じ、自分でできます……」

 

 言えた。

 今回は、できるもん、とは言わなかった。

 けれどアキさんは、私の手の震えを見て、首を横に振る。

 

「うん。できるわよね。でも、今は私にやらせて」

 

 温かい布が、頬に触れた。

 悔しいくらい、気持ちよかった。

 

「動かないでね。擦ると痛いから」

 

 子供に言い聞かせる声だった。

 そう分かっているのに、布が頬を滑るたび、目の奥がじんわり熱くなる。

 

 アキさんは泥を溶かすように、ゆっくりと布を動かした。

 

 頬。

 額。

 鼻の頭。

 涙で固まった目元。

 布が通ったところから、泥の膜が溶けていく。

 

 アキさんの手が、ふいに止まった。

 

「……こんな顔だったのね」

 

 声が、ほんの少し変わった。

 

 柔らかいだけではない。

 戸惑い。驚き。それから、警戒とは別の何か。

 アキさんは、私の顔を覗き込む。

 

「あなた、本当に……どこから来たの?」

 

 マグカップを持つ小さな手に、冷や汗がにじむ。

 

 本当のことは言えない。

 

 マナ結晶の中で眠っていたこと。

 目が覚めたら、この姿になっていたこと。

 頭の中に、大人の男だった記憶があること。

 

 どれも、口にした瞬間に終わる話だった。

 

 そんな話を信じてもらえるはずがない。

 下手をすれば、やっぱり未知のミュータント扱いだ。

 でも、黙り込むのも不自然だった。

 

 私はマグカップを握りしめ、この小さな身体に一番似合う嘘を探した。

 

 可哀想で、ちっぽけで。

 大人が納得しやすい、子供の嘘。

 

「……北の、ほうから」

 

 上目遣いにして、おずおずと口を開く。

 細く震える声は、半分だけ演技だった。

 

「ずっと、北のほうから、きたの」

 

 アキさんの目が、静かに揺れた。

 ザキは、壁際で何も言わない。

 ただ、その視線だけは、まだ私を見ていた。

 守るために疑う、大人の目で。

 

 マグカップを両手で包み込み、もう一度だけ声を絞った。

 

「わたし、ばけものじゃ、ないです」

 

 アキさんは、少しだけ息を呑んだ。

 それから、私の髪に触れないぎりぎりのところで手を止めて、静かに頷いた。

 

「うん」

 

 その一言は、断定ではなかった。

 全部信じてもらえたわけでもなかった。

 それでも、今すぐ撃たれないだけの重さはあった。

 

「今は、そういうことにしましょう」

 

 私は、熱の残ったマグカップを抱えたまま、小さく頷いた。




次回「パパの銃」
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