ポストアポカリプス世界でTS少女になりました〜廃墟の聖女と呼ばれるまで〜   作:Naito

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第4話 パパの銃

 今は、そういうことにしましょう。

 アキさんのその言葉は、優しかった。

 

 全部を信じた、という意味ではない。

 

 けれど、撃たれない。

 追い出されない。

 

 今は、それだけで十分だった。

 

 ブリキのマグカップを両手で包み込み、ただ息を吐いた。

 薄いスープの熱が、手のひらに残っている。

 手のひらの熱に、身体が騙された。

 

 ほんの一瞬、ここが安全な場所のように思えてしまった。

 

「で」

 

 壁際から、低い声が落ちてきた。

 

「次は、あの銃の話だ」

 

 手のひらに残っていたスープの熱が、一気に遠のいた。

 

 ザキの視線は、部屋の隅に置かれた私のライフルへ向いている。

 その隣には、防刃ベストと男物のジャケット。

 床には、大きすぎるコンバットブーツ。

 

 どれも、今の私には不自然すぎる証拠品だった。

 

「ザキ」

 

 アキさんが静かに言った。

 

「この子は疲れてる。詳しい話は後でもいいでしょう」

「後に回して、夜中に仲間を呼ばれたらどうする」

「そんな聞き方——」

「優しく聞けば、危険が消えるのか?」

 

 アキさんが言葉を飲み込む。

 ザキはパイプテーブルの前に立った。

 

「可愛いガキをいじめたくはねぇ。だが、辻褄が合わねぇんだ」

 

 ガチャン、と音を立てて、ライフルがテーブルの上に置かれる。

 

「この銃は手入れされてる。埃も詰まってねぇ。弾も残ってる」

 

 ザキの指が、安全装置のあたりを叩いた。

 

「しかもお前は、これの外し方を知ってた」

 

 息が止まった。

 

「こっちは大人の男用。靴も同じだ。サイズが合ってねぇどころじゃない」

 

 コンバットブーツが、テーブルの下に置かれる。

 

「身長百二十そこらのガキが、一人で持つ荷物じゃねぇ」

 

 ザキの声が低くなる。

 

「誰の持ち物だ?」

 

 口の中が乾いた。

 

「誰かに持たされて、この砦に寄こされたんじゃねぇだろうな」

 

 背中に冷たい汗がにじむ。

 

「例えば、野盗の囮として」

 

 プレハブ小屋の空気が固まった。

 

 実際に見たわけじゃない。

 けれど、この世界なら、きっと起こり得る。

 

 子供を囮にして門を開けさせる。

 中を探らせて、夜に仲間を呼ぶ。

 

 そんなやり方をする人間がいても、不思議ではない。

 

「……ちがう、よぉ」

 

 声の端がほどけた。

 半分は演技だった。でも、半分は本当に怖かった。

 

「じゃあ、誰のだ」

 

 ザキは逃がしてくれない。

 

 下手に誤魔化せば、ボロが出る。

 真実を言えば、その時点で終わる。

 

 なら、選ぶしかない。

 

 大人が納得しやすい話を。

 今の私に一番似合う、子供の嘘を。

 

 私はテーブルの上のライフルに、小さな手を伸ばした。

 

 ザキの視線が鋭くなる。

 

 撃つつもりなんてなかった。

 そもそも、持ち上げる力も残っていない。

 

 ただ、指先で銃床を撫でただけだった。

 

「これ……」

 

 声が、勝手に幼くしぼんだ。

 

「パパの、なの」

 

 アキさんの息が、ほんの少し止まった。

 ザキは黙っている。

 

「パパと、ふたりで隠れてたの」

 

 言いながら、頭の中で話を組み立てる。

 

 場所は北の廃墟。

 父親と二人。

 変異獣(ミュータント)

 クローゼット。

 血。

 

 子供の言葉で話せ。

 大人が、それ以上踏み込みにくくなる形にしろ。

 

「でも、おっきな猟犬(ハウンド)がいっぱい来て……」

 

 息が混じって、言葉が頼りなく崩れた。

 

「パパが、わたしをクローゼットに隠して……静かにしてろって……ひとりで戦って……っ」

 

 そこで、喉が本当に詰まった。

 

 架空の父親。

 存在しない死。

 そのはずなのに、言葉にした瞬間、どこにもいないはずの誰かを本当に失った気がした。

 

 元の家族がどうなったのか、私は知らない。

 

 私を探した人がいたのか。

 死んだと思われたのか。

 誰も覚えていないのか。

 

 答えは一つもない。

 だから、この嘘は半分だけ本当だった。

 

「静かに、なってから……出たら……」

 

 涙がこぼれた。

 

「パパ、動かなくなってて……いっぱい、血が出てて……っ」

 

 アキさんが口元を押さえた。ザキはまだ黙っていた。

 私はライフルの銃床に、小さな指を添える。

 

「これ、お守りだからって……パパが、いつも言ってて……」

 

 嘘だ。

 そんな父親はいない。

 そんな会話もしていない。

 でも、涙は本物だった。

 

「だから、持ってきたの……」

 

 私は顔をくしゃくしゃに歪めた。

 

「お靴も、わたしの、なかったから……パパのを履いて……」

 

 言葉の途中で、声が崩れる。

 

「だれも、いないよ……」

 

 もう止まらなかった。

 

「わたし、ひとりだけだもん……っ」

 

 両手で顔を覆い、わあわあと泣き出してしまった。

 

 最低だ。

 自分でそう思った。

 

 私は、存在しない父親を殺した。

 その死体の上に、私の居場所を作った。

 最低だ。

 

 でも、生きたかった。

 

「……ザキ」

 

 アキさんの声が低くなる。

 

「もう、いいでしょう」

 

 ザキは答えなかった。

 

 テーブルの上のブーツを手に取る。

 そして、私の足元を見る。

 男物のブーツを脱がされた足は、ひどい状態だった。

 

 かかとにも、足の指にも、水ぶくれができている。

 いくつかは潰れて、血が滲んでいた。

 靴下にも、赤黒い染みが残っている。

 

 ザキはブーツと私の足を見比べた。

 それから、深く息を吐く。

 

「……なるほどな」

 

 信じたのか。

 見逃したのか。

 そのどちらなのか、私には判別できなかった。

 

 ただ、ザキの纏っていた刺々しさが、わずかに緩んだ。

 

「悪かったな」

 

 低い声だった。

 

「疑うのが、俺たちの仕事なんだ」

 

「……はい」

 

 声が震える。

 

「でも、まあ」

 

 ザキは気まずそうに頭を掻いた。

 

「その足でここまで歩いてきたのは、本当らしい」

 

 そこだけは、誤魔化しようがなかった。

 嘘で塗り固めた話の中で、唯一、確かに残っているもの。

 

 痛かった。

 怖かった。

 それでも、ここまで歩いてきた。

 

「アキ」

「分かってる。足を診るわ」

「靴は、砦のガキのお下がりを探す。布でも何でも、今のやつよりマシなのをな」

 

 アキさんは小さく頷いた。

 

「ありがとう」

「礼を言う相手が違うだろ」

 

 ザキはそれだけ言って、テーブルの上のライフルを持ち上げた。

 私は反射的に顔を上げる。

 

「あ……」

「返せねぇぞ」

 

 ザキは言った。

 

「少なくとも、今はな」

 

「……はい」

「お守りだってんなら、預かっといてやる。壊しはしねぇ」

 

 嘘なのに。

 パパの銃なんかじゃないのに。

 

 その言葉に、安心してしまった自分がいた。

 

 ザキはドアの方へ向かう。

 出ていく直前、ふいに足を止めた。

 

「それと、おチビちゃん」

 

 私は顔を上げる。

 

「嘘をつくなら、もう少し上手くやれ」

 

 心臓が止まりそうになった。

 

 アキさんも、驚いたようにザキを見る。

 ザキはそれ以上何も言わなかった。

 ただ、低く付け足す。

 

「全部は信じてねぇ。でも、追い出す理由にも足りねぇ」

 

 ドアが開く。

 

 外の音が少しだけ流れ込んだ。

 鉄を叩く音。

 誰かの話し声。

 遠くで軋む観覧車の音。

 

「保護はする。飯も出す。足も治す」

 

 ザキは振り返らずに言った。

 

「だが、目は離さない」

 

 ドアが閉まる。

 プレハブの中が、しんと静かになった。

 

 私はマグカップを抱えたまま、動けなかった。

 

 見抜かれた。

 全部ではない。

 けれど、何かを隠していることだけは、見抜かれた。

 足先から、冷えがじわじわ這い上がってくる。

 

「ユキちゃん」

 

 アキさんの声がした。

 さっきよりも、少しだけ近い。

 

「足、見せて」

 

「……はい」

 

 逆らう力もなく、足を差し出した。

 

 アキさんは、私の足元に膝をつく。

 包帯も何も巻かれていない、血の滲んだ足。

 その小さな足を、アキさんの冷たい指がそっと支えた。

 

「痛かったわね」

 

 優しい声だった。

 

「よく、ここまで歩いたわ」

 

 その一言で、また涙がこぼれそうになる。

 

 嘘をついた。

 見抜かれかけた。

 それでも、痛かったことだけは、本当だった。

 

「……ごめんなさい」

 

 何に対して謝ったのか、自分でも分からなかった。

 

 アキさんは、少しだけ手を止める。

 それから、何も聞かずに首を横に振った。

 

「今は、謝らなくていいわ」

 

 消毒液の匂いが広がる。

 傷口に染みて、私は小さく息を呑んだ。

 

「痛い?」

 

「……ちょっと、だけ」

「ちょっとだけって顔じゃないわね」

 

 アキさんが困ったように笑う。

 その笑い方があまりにも普通で、胸の奥がまた痛んだ。

 

 この砦で、私は生きる権利を得た。

 身寄りのない、可哀想で、ちっぽけな女の子として。

 

 でも同時に、知ってしまった。

 

 この身体の弱さは、誰かの手を止める。

 この涙は、誰かの判断を鈍らせる。

 そして私は、生きるために、それを使った。

 

 最低だ。

 そう思っても、アキさんの手は冷たくて、優しかった。

 

 私は、どうしてもその手を拒めなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 少女が寝息を立て始めたのを確認して、アキはプレハブ小屋のドアをそっと閉めた。

 

 外は、青白い夕暮れに沈み始めていた。

 観覧車の鉄骨に絡みついたマナ結晶が、薄い光を返している。

 プレハブの裏手では、ザキが煙草代わりの乾燥草を噛んでいた。

 

「寝たか」

「ええ。ぐっすり」

 

 アキは少しだけ声を落とした。

 

「……あんな小さな子に、あそこまで聞く必要があった?」

「ある」

 

 ザキは即答した。

 

「この砦には、他のガキもいる。年寄りもいる。病人もいる。俺が疑うのをやめたら、そいつらが死ぬ」

「それは、分かってる」

「分かってねぇ顔だ」

 

 アキは言い返せなかった。

 分かっている。頭では。

 

 でも、泥だらけで泣いていたあの子の足を見てしまった。

 血の滲んだ、あまりにも小さな足を。

 

「パパの話」

 

 アキは小さく言った。

 

「あなたは、信じたの?」

 

 ザキは少し黙った。

 それから、低く答える。

 

「半分だな」

「半分?」

「親が死んだかどうかは知らねぇ。北から来たのも、本当か分からねぇ。だが、あの足で歩いてきたのは本当だ」

 

 ザキはプレハブの小さな窓を見る。

 その向こうで、少女は毛布にくるまって眠っている。

 

 大きすぎる男物のTシャツ。

 血の滲んだ小さな足。

 くすんだ銀色の髪。

 

「罠にしちゃ、痛がり方が本物すぎる」

 

「……それでも、監視するのね」

「守るんだ」

「同じ言葉に聞こえるわ」

 

 ザキは苦い顔をした。

 

「この世界じゃ、だいたい同じだ」

 

 アキは黙った。

 

 夜風に乗って、かすかな甘い匂いが漂ってくる。

 花のような匂い。

 血と泥と鉄の世界には、あまりにも場違いな匂いだった。

 

「保護はする」

 

 ザキは言った。

 

「飯も出す。靴も探す。寝床も用意する」

 

 それから、少しだけ声を低くする。

 

「だが、目は離さない。あの子が何者か分かるまではな」

 

「……子供よ」

 

 アキは窓の向こうを見る。

 

 少女は眠っている。

 寝顔だけは、あまりにも無防備だった。

 

「今は、ただの子供よ」

 

 ザキは否定しなかった。

 ただ、観覧車の上を見上げる。錆びた鉄輪が、夕暮れの風に低く軋んでいた。

 

「だったら」

 

 ザキは言った。

 

「なおさら、放っておけねぇだろ」

 

 その言葉に、アキは何も返せなかった。

 

 プレハブの中から、小さな寝息が聞こえる。

 アキはその音を聞きながら、胸の奥が締めつけられるのを感じていた。

 あの日から三年。

 

 子供の泣き声を聞くのが、ずっと怖かった。

 守れなかった日の叫び声が、まだ耳の奥から消えない。

 

 でも、この子は生きている。

 泥だらけで。

 嘘を抱えていて。

 それでも、生きてここまで辿り着いた。

 

「……もう、痛い思いなんてさせないからね」

 

 アキは小さく呟いた。

 その声は、ザキには聞こえなかった。

 

 観覧車の街に、青白い夜が降りてくる。

 そして私は、その夜を、砦の中で初めて眠った。




次回「はじめてのお手伝い」
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