かぐや様は告らせたい 〜ありもしない噂(うそ)〜 作:おたっきー
石上会計はその後、僕が仕事にのめり込んでいる事を察してか、先ほどの話題を振ることはなくなった。
迂闊だった…。生徒会の中で、僕の『秘密』がバレるのも時間の問題かもしれない…。
僕は内心の焦りを自ら育てて、更に作業スピードを加速させる。もはや石上会計は何も触れないようだった。
「……わりぃ、遅くなった」
重い足取りと共にドアが開き、白銀会長がフラフラと入ってきた。
昨日の爽やかが嘘のようにいつも以上に会長の顔色はドブのように濁り、目の下のクマはもはやブラックホールのようになっている。
奉心祭を週末に控えての激務の中、このスキャンダル騒動。反動も強く心身に影響しているようだ。
「あ、お疲れ様です、会長。ネットの噂、マジでヤバいレベルまで肥大化してますよ。風紀委員の火消しも逆効果だし……このままだと奉心祭の運営に支障が出ます。何か、弁明することはないんですか?」
石上会計が、画面から目を離さずに単刀直入に切り込んだ。
僕はタイピングの速度を落とさず、しかし全神経を会長の口元に集中させた。
「……すまない、石上。伊井野たちにも苦労をかけてるな」
白銀会長は、フラフラと自分の席に座り、深く息を吐き出した。
今なら藤原書記がいない! ここで『金曜日の男の語らい』『あの金曜日の「ゆう」について』『土日の女は知らない』って、全てありのまま真実を言ってくれ!
しかし祈るような気持ちも虚しく。
「だが、俺は何もやましいことはしていない。あれは誤解だ。……とはいえ、俺がここで『あいつ』の事を出すわけにはいかないんだ」
「……なんでですか? 誤解なら、相手の名前を出して証明すればいいじゃないですか」
「ダメだ。あいつの『素顔』と『過去』は、とても繊細なものなんだ。俺は、あいつのプライドを墓まで守り抜くと誓った! だから……俺一人が泥を被れば済むことなんだよ」
「………」
この人、本当に救いようのない
「……なるほど。やっぱり、会長には『どうしても隠さなきゃいけない悲劇のヒロイン』がいるんですね」
「いや、ヒロインっていうか……ん? 石上、お前何を納得してるんだ?」
「いえ、こっちの話っす。……漢ですね、会長」
全然話が噛み合ってない!! 石上のドラマチック妄想が補強されただけだ!!
そこに、ガラリ、と。 今度はゆるやかに生徒会室の扉が開いた。
「……お疲れ様です、会長、皆さん」
入ってきたのは、四宮副会長だった。 朝の一件から、今は血の気が引き、能面のように強張っていた。
今日一日、学園中で肥大化した『会長の浮気疑惑』と『自分への哀れみの視線』に晒され続けた結果、彼女の精神は確実に摩耗し、悲鳴を上げていたように思えた。
それに加え、左頬を右手で抑えている。歯でも痛いのだろうか…?
「四宮……!」
白銀会長が、弾かれたように立ち上がった。
「四宮、あの噂だが――頼む、誤解なんだ! 俺の話を聞いてくれ!」
白銀会長は、流石に昨日のかぐやちゃんには話が伝わっていないと悟ったのか、藁にもすがるような思いで弁明しようと一歩を踏み出す。
しかし、四宮副会長はビクッと肩を震わせ、後ずさった。
僕はキーボードを叩く手を止め、息を呑んだ。
今の余裕のない状態で白銀会長と話せば、四宮副会長の口からは確実に「私以外の女を選ぶなんて」という『醜い疑いの言葉』が飛び出してしまうのではないか。
プライドが高く、会長を愛している彼女にとって、それは絶対に避けたい事態のはずだ。
白銀会長が更に距離を詰める。後退りする四宮副会長の右手首を掴んだその瞬間!
ーーパァン!!
静まり返った生徒会室に、乾いた音が響き渡った。 四宮副会長が、自らの左頬を、右手で強く叩いたのだ。それはまさに、近づく白銀会長を振り払うかのように。
「し、四宮……?」
「……も、申し訳ありません、会長。い、今、少し…立て込んでおりますので」
四宮副会長は、微かに震える唇で言葉を発し、息を整えながら冷静さを取り戻した。動揺を覆い隠すために、また右手を左頬へ。彼女なりのルーティンのように思えた。
そして、 無理やり表情筋ー疲労と困惑が混ざり合ったようなーを固定した四宮副会長は、白銀会長の伸ばした手を冷たくすり抜け、自分のデスクへと向かってしまった。
「そうか……」
白銀会長は、四宮副会長に向けた手を力なく下ろし、絶望的な表情で立ち尽くしていた。
それは女の子特有の好き避け。 いや、恐怖からの逃避のようにも感じた。
僕は胃の辺りを強く押さえた。 四宮副会長は今日という日を、会長を避けることでなんとか乗り切ろうとしている。だが、その『逃避』によるダメージは、確実に彼女の心を蝕んでいるのが目に見えて分かった。
ギリギリで保たれている氷の防壁。 これが完全に砕け散り、彼女が去年まで見せていた絶対零度の姫へと変貌してしまうのではないか。
***
朝の緊急ミーティングで四宮副会長から「
僕は現実から逃避するため、誰もいない空き教室で備品リストの整理を始めようとした。その時だった。
「――あんたの推しの子になってやるんだから!」
「……っ!?」
ドアの隙間から聞こえてきたのは、最近話題の深夜ドラマ内での『KANA』のセリフの一つだった。凍りつく僕の耳に、さらにもう一つの「聞き覚えのある声」が重なる。
「……ふふっ、KANAちゃん。 ……今、この瞬間の私は、『究極のアイドル』をその身に降ろしているのだから」
……は? 究極のアイドル?
恐る恐る中を覗き込むと、 窓ガラスを鏡代わりに、赤みがかったショートボブのウィッグを被り「KANA」の表情を真似しながら、笑みを浮かべる早坂さん。
そして、青いロングヘアのウィッグを被り、KANAと共に今話題の
僕は、早坂さんのその「赤い髪」に釘付けになった。
「なによ朱音……! その、瞳に星を宿したような嘘の演技、鼻につくわね!」
早坂さんが、憑依したような鋭い声で言い放つ。その時、彼女の鋭い視線が、ドアの隙間にいた僕を正確に射抜いた。
「……あ。ごめん、書記ちゃん。ちょっとタンマ〜」
早坂さんはそれまでの芸能人のようなオーラをスッと消すと、いつものルーズなギャルの足取りでドアまで歩み寄り、勢いよく開け放った。
「上澤さーん? 覗きは犯罪ですよぉ?」
「ひっ……! 早坂さん、藤原書記と何やってるんですか!」
僕が必死に詰め寄ると、早坂さんは僕の肩に手を置き、逃げ場を塞ぐようにして耳元で囁いた。
「……落ち着きなさい、上澤さん。これは貴方への『救済』です」
「……救済?」
「今、学園中であの『金曜日のメイド』がKANAにそっくりだったと噂になっているでしょう? 私が貴方の報告をかぐや様に伝えても、『早坂まで上澤に丸め込まれた!』と逆上して、貴方の実家の農園を物流網から切り離すだけです」
彼女は、自分の被っている赤いウィッグを指先で弄ぶ。
「ですから、私たちがこうして目立つ格好で『ドラマごっこ』をして遊んでいるところを周囲に見せつければ……噂の『KANA似のメイド』の正体も、『単に早坂たちが変装して遊んでいただけだ』という結論に上書きできます。メイド喫茶の宣伝にもなりますからね。……私がスケープゴートになってあげるんですよ。感謝してください」
「な……っ!!」
ドクン、と。僕の中で、最悪のパズルが完成してしまった。
……なんて人だ! 早坂さんは、自分の『遊び』として泥を被ることで隠蔽しようとしてくれているのか!?
そうか、これなら四宮副会長だって「早坂が変装して遊んでいただけ」と納得してしまう。早坂さんは、自分のプライドや藤原書記の面倒くささを犠牲にしてまで、僕のジャガイモ畑を守るために自ら『ゆう』を演じてくれているんだ!
「早坂さん……僕、そんなこととは知らずに、なんて失礼なことを……っ!」
「ふふ。分かればよろしい。……ただし上澤さん」
早坂さんは、スッと笑みを消すと、スカートの隠しポケットから物騒な火花を散らすスタンガンを取り出した。
バチィィィィンッ!!!
「ヒィィィィィィッ!?」
「私がこうして『布石』を打っている間に、貴方が余計な真実を口にして私の顔に泥を塗ったら……明日は上澤農園が更地になりますよ?」
「ナニモミテナイ! シンパイナイ! モンダイナイ! 僕は重曹の味しか分からない子羊ですぅぅぅ!!」
僕はバインダーを投げ捨て、廊下を脱兎のごとく駆け出した。なんとか生徒会室に逃げ込んだ僕は、新調した黒縁眼鏡を震える手で直し、ディスプレイに映るスプレッドシートの数字へと「逃避」した。
早坂さんが