かぐや様は告らせたい 〜ありもしない噂(うそ)〜 作:おたっきー
その雰囲気は、一年前の四宮副会長そのものだった。
四宮副会長はゆっくりと彼を見据えた。 その周囲には、文字通り触れたものを凍らせるような絶対零度の冷気が漂っていた。
「し、四宮……?」
「……白銀さん。喉が渇きました。お茶を淹れてちょうだい」
「えっ?」
「聞こえませんでしたか? お茶を淹れなさいと言ったのです」
白銀会長は戸惑いながらも立ち上がり、震えた慣れない手付きでお茶を淹れ、彼女の元へと運んだ。
「……どうぞ」
四宮副会長は、カップに口をつけるや否や、
「不味いわ。煮込んだナマコのような風味がする」
「す、すまん。自分で淹れた事がなくてな…」
白銀会長の返答に、四宮副会長をため息を漏らす。それは周りがいてつくような氷の伊吹と錯覚させる。
「うちの使用人の淹れてくれるものが、美味しいという事がわかっただけでも収穫ね…」
四宮副会長は、カップを持ったまま、冷たい視線を白銀会長へと向けた。
「ねぇ、白銀さー会長。会長は私たちの関係をどう思っているのかしら?」
「し、四宮……? なんだ、急に……」
「……会長。貴方、そんなに怯えた顔をして。『ゆう』という女性との『コンイン』の関係は答えられて、私との関係性は答えられないのですか?」
白銀会長は顔を赤らめながら、意を決したように言う。
「こ、恋人とか…? 」
四宮副会長は、フッと冷笑し「恋人は突飛でしょう」と言い放つ。
「キッスした位で彼氏面ですか。キッスしたら即恋人なんて、子どもじゃないんだから…」
白銀会長は頭を抱え落ち込む姿を見て、四宮副会長は冷笑しながら続ける。
「まぁ会長が先走るのも無理からぬお話。会長が私の事を好きなのは最初からわかっていますしね…」
白銀会長は、その発言にカッと目を見開き、反撃の狼煙を上げる。
「…四宮こそどうなんだよ。この俺とキスできて嬉しかったんだろ? 」
火照る顔を隠しながら、いつもの恋愛頭脳戦のペースに仕掛けたかに見えた。
四宮副会長は、紅茶のカップをソーサーに置き、冷ややかな、しかしどこか熱を帯びた瞳で白銀会長を見据えた。やや間を置いて、四宮副会長は答える。
「…たかだかキッスの一つや二つで騒がないでください。それよりもー」
まだまだ四宮副会長が優勢だ。彼女はそう言いながらゆっくりと立ち上がり、彼へと歩み寄って言葉を続ける。
「先ほどの話の続きですわ。……貴方が『ゆう』という女と、深い絆……『コンイン』を結んでいるという件について」
「四宮、だからアレは――!」
「言い訳は聞きたくありません」 ピシャリと、冷たい声が白銀会長の言葉を遮りながら、しかしゆっくりと優雅な足取りで彼の隣に座った。
「し、四宮……? な、なんだ急にその距離感は…。近すぎないか……?」
会長は顔を真っ赤にして、ソファーの背もたれに張り付いている。
「……会長。私、とても心が広いですのよ」
四宮副会長が、吐息がかかる距離で囁いた。
「貴方が火遊びをしたことくらい、水に流して差し上げます。……ですから」
彼女の瞳が、僅かに潤む。
「……今すぐ、その『婚姻』を破棄しなさい。そうすれば、元通り……私の隣にいることを、許してあげますわ」
四宮かぐや渾身のアタック。 それは「他の女との婚約を破棄して、私を選びなさい」という、氷の姫なりの最大の譲歩だった。
だが、この言葉が会長の耳に届いた瞬間、悲劇のアンジャッシュが再び起動する。
「……は? 『混院』を……破棄する?」
白銀会長の顔色が変わった。 彼にとって「
「……四宮。お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「ええ。貴方に『覚悟』を求めているのです」
「覚悟だと? 俺に、外部入学としての誇りを捨てろ……いや、この学園から出て行けと言っているのと同じだぞ、それは!」
「…………は?」
今度は四宮副会長が固まった。
「俺は、
「な、何を言っているんですか!? 私はただ、ゆう(あの方)との関係を切れと――!」
「切れるわけないだろう!! 俺が『混院』を捨てる時は、俺が死ぬ時だ!!」
会長の熱すぎる「学園への誇り」宣言が、室内に轟いた。
「そ、そこまで……そこまで、
四宮副会長の声が、ついに決定的に震え出した。袖口を掴んでいた手が、力なく離れる。
「私が…この私が許してあげると言っているのに……! 貴方は、私よりも……その『婚姻』を選ぶのですね!」
「当たり前だ! 俺は絶対に『混院』を曲げない!!」
白銀会長がドン! と机を叩いて立ち上がる。
だが、その熱量が、四宮副会長の心には絶対零度のトドメとなって突き刺さる。
「…………」
四宮副会長の唇から、震えが消えた。
「……そうですのね。よく、分かりましたわ。白銀さん」
四宮副会長はゆっくりと椅子から立ち上がった。 先ほどまで潤んでいた瞳は、今や一点の曇りもない氷の結晶のように冷たく、無機質な輝きを放っている。
「四宮……?」
白銀会長が、その豹変ぶりに息を呑む。 四宮副会長は、一歩、また一歩と、逃げ道を塞ぐように彼へと歩み寄った。
「貴方がそこまで、その『婚姻』を……あの『ゆう』という方との絆を大切になさるというのなら。……そして、私をもこのまま繋ぎ止めておきたいという、強欲な方だと言うのでしたら」
四宮副会長は、白銀のネクタイを、細く白い指先で無造作に掴み取った。グイッ、と力任せに引き寄せられ、顔が至近距離まで落とされる。
「し、四宮! 近い、近すぎるぞ……っ!」
「……だったら、証明してみなさいな」
吐息がかかる距離。
「貴方がその
「証拠……って、何を」
「……お分かりでしょう? 会長」
かぐやは、潤んだ、けれど残酷な笑みを浮かべて目を閉じる。
「――あの時のようにキッス、してみなさいよ」
四宮副会長の顔が、白銀会長の鼻先数センチまで迫る。 その冷ややかで、けれどどこか熱を帯びた瞳が、白銀会長の三白眼を真っ直ぐに射抜いた。
白銀会長は、思わずギュッと目を閉じ、僅かに顎を上げる仕草にて身構えたように見えた。
その瞬間、四宮副会長の瞳から、スッと感情の光が抜け落ちた。 彼女はひどく冷めた表情で白銀会長からスッと離れると、くるりと背を向けた。
「……お可愛いこと。意気地のない男と付き合いたいとは思いませんね。今日はここまでです。仕事に戻りなさい」
四宮副会長は、吐き捨てるようにそう言い放ち、自分のデスクへと戻って何事もなかったかのように書類整理を始めてしまった。 残された白銀会長は、突き出した唇のまま、壁際で完全に石化していた。
***
その後、石化が解けた白銀会長は、ゾンビのような顔で性根が尽きたように、ゆっくりと生徒会室を後にした。
それを見送った僕と早坂さんは、冷え切った廊下へと場所を移す。
「……もはや、白銀会長から真実を打ち明けてもらわないと、もうどうにもならないよ……」
僕は壁に背中を預け、ズルズルとその場に崩れ落ちた。口の中に広がる重曹の味が、今の状況と同じくらい苦い。
「残念ですが、こうなってしまってはもう手遅れですね。心を氷へ閉ざした今のかぐや様には、真実がどうであったかはもはや関係ありません。……愛する人が自分に何かを隠している、その事実自体が、あの方にとっては『裏切り』という名の不遜なのです」
早坂さんはふぅと深い、深いため息を漏らし、可哀想な子どもを見るような目で僕を一瞥する。
「……もっとも、決定的な引き金となったのは『コンインノキズナ(混院の絆)』のようですが」
ジトーっとした視線を受け、なんとも言えない仕打ちを受けているような気がした。
「いや、聞き間違ったのは完全にかぐや様の方ですよね!? 会長はただ、
「絶望している人間は、自分の望まない真実より、自分を傷つける幻覚を信じたがるものです。……今のあの方にとって、あの言葉は『婚姻の絆』以外の意味を持ち得ません」
早坂さんの宣告は、主君ばりの絶対零度の冷たさで僕の胸を射抜いた。 僕は、先ほどの「狂気」に近い至近距離のやり取りを思い出す。
「……でも、それにしたって! 四宮副会長が、あそこまで至近距離に迫ったんですよ? 普通なら、いや普通じゃなくても、会長から自分で行くべき場面だったじゃないですか。それなのにあの『キス待ち顔』……! 僕、見てるだけで胃に穴が開きそうでしたよ」
「……今のかぐや様は『自分から行く』のはプライドが絶対に許さない。かといって、会長は会長で『相手から来るのを待つ』という受け身の姿勢。……互いに相手からのアクションを待つばかりで、これでは永遠に平行線です」
早坂さんは、救いようのない欠陥品を語るかのように声を低めた。
「じゃあ、さっき副会長が吐き捨てた『意気地無し』って……」
「『私にここまでさせておいて、なぜ貴方から来ないの』という、かぐや様なりの最大の不満と絶望の表れですよ。……全く、世話の焼けるバカップルです」
早坂さんの呆れ果てた溜息を聞きながら、僕は絶望的な気分で廊下の天井を仰いだ。
「さて、ここまでは私のかぐや様としての代弁。会長の代弁者として、そこらへんどうなんですか?」
急に試してくるような言葉を…。ジッと見つめる青い瞳の催促を受け、僕は選びながら言葉を紡ぐ。
「……あれは『受け身』なんて生易しいもんじゃない。あの至近距離で、四宮副会長があんなに無防備に、それでいて必死に唇を寄せてきたんだよ!? 普通の男なら、理性もプライドも全部かなぐり捨てて、自分から行くべき場面だよ!」
言葉の途中途中で四宮副会長の顔が浮かぶ。一呼吸置いて、脳裏に白銀会長の顔と、先ほどの切ない姿も鮮明に浮かぶ。
「と、ここまでが普通の男が思うだろう代弁。今の会長の立場を鑑みるに、その資格がないと思っているんだろうね。金曜日の事を隠したいわけでもない。でも言えない。それを信じてもらえない自分に、そんな事はできない。自分が自分を許さない…」
「……なるほど、面白い解釈です。まったく、世話の焼けるバカップルですね」
早坂さんはそう吐き捨てると、冷え切った廊下の窓から、夕闇に沈みゆく学園を無機質な瞳で見つめた。
「……ですが上澤さん。今のかぐや様の中では、『コンイン』はもはや単なる浮気疑惑などではなく、四宮の誇りを根底から踏みにじる『宣戦布告』として処理されています。絶望から心を守るために
う』は『排除すべき侵略者』と同義なんですよ」
「し、侵略者!?」
僕が震える声で反論すると、早坂さんはスッと僕の方へ顔を寄せる。
「……ふぅ。せいぜい、奉心祭のステージまでにその『氷』を溶かす方法を死ぬ気で考えなさい。さもなければ、貴方の実家のジャガイモ畑……本当の意味で、冬を越す前に
その青い瞳には、あの絶対零度の輝きを思わせるくらいに鋭さが宿っていた。
「――――ッ!!」
目覚めた氷のかぐや姫と、極度に不器用な男のすれ違い。
僕の胃壁が奉心祭までもつかどうか、いよいよ本格的に怪しくなってきた。