かぐや様は告らせたい 〜ありもしない噂(うそ)〜   作:おたっきー

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かぐや様は愛されたい(4)

夜の静寂に包まれた総合病院の特別病室。

 

点滴に繋がれ、泥のように眠る白銀御行の傍らに、いつの間にか一人の来訪者が静かに佇んでいた。

 

少し長めの前髪の奥から覗く、濡れたような虚ろな瞳。

 

圧倒的に中性的で、作り物のように整ったその横顔。

 

まるでスクリーンから抜け出してきたかのような薄幸のヒロインは、白銀の眠るベッドを真っ直ぐに見つめ、そっとそのシーツの端に細い指先を這わせた。

 

「……本当に、バカな人」

 

愛する人が傷つくのを黙って見ていられず、人目を忍んでお忍びでお見舞いにやってきた……そんな、ドラマチックな純愛のワンシーン。

 

――バンッ!!

 

その静寂を破り、病室の扉が勢いで開け放たれた。

 

「御行!!」

 

重低音のダンディな声と共に室内に踏み込んできたのは中年男性――白銀の父だった。

 

その後ろからは、中学生くらいのかわいらしい少女・圭が、心配そうな顔でひょっこりと顔を出している。

 

「学校で倒れたと聞いて飛んできたが……む?」

 

「お兄のバカ……って、あっ!」

 

二人は、病室に佇むその姿を見るなり、息を呑んで硬直した。

 

やがて、圭の瞳に、乙女チックな星がキラキラと輝き始めた。

 

「もしかして、先週お会いしたゆうさん!? やっぱりすっごくクールビューティー……! お兄のお見舞いに来てくれたんですね!」

 

「おお……君が、メイドのゆうちゃんか」

 

白銀父が、深く感銘を受けたようなイケボで唸る。

 

「なるほど。この圧倒的なオーラと美貌……。世間の目を忍んで、こうして夜中にひっそりと御行のそばに寄り添いに来てくれたのだな。……美しい愛だ」

 

ゆうと呼ばれたその人物は、二人の乱入にビクゥッ! と、肩を震わせる。

 

そして、ひどく慌てた様子で言葉を紡ごうとする。

 

「ち、違います!! お見舞いに来た彼女とかじゃなくて……!! うわー」

 

『ゆう』が必死に否定しようとした、まさにその瞬間。

 

「言わなくても分かっている。君には名乗れない複雑な事情があるのだろう」

 

白銀父が言葉を遮った。

 

「いや、だから……」

「もしかして、お兄の秘密の恋人さんですか!? それとも……!」

 

圭が身を乗り出して、キラキラした瞳で被せてくる。

 

「違います! ……っ!」

 

『ゆう』が必死に叫ぼうとしたその言葉尻を捉え、白銀父はまるでサスペンス映画の探偵のように渋い顔で頷いた。

 

「このエリートだらけの秀知院学園で、君のような美しすぎる少女が平穏に生きることは難しい。だから君は普段から男装で身を隠して御行のそばにいるのだな?」

 

「えっ!? いや、違っ!」

 

今日一番の素っ頓狂な声が漏れた。

 

圭が、ハッと息を呑む音を立てる。

 

「だからゆうさん、土曜の朝にお兄の服を着てたんだね! 普段から正体を隠すのに慣れてるから……! なんて健気なの……っ! 今も学ランなのは、そういうことなんですよね!?」

 

「だーかーらー! 逆だって言ってるでしょ……!!」と必死に弁明しようと一歩前に出た、その時だった。

 

ガシッ、と。白銀父の大きく温かい手が、『ゆう』の肩を力強く掴んだ。

 

「……もういい。これ以上、君が無理をして隠し事を(うそをつき)続ける必要はない」

 

「お、お父さん……?」

 

白銀父は、ベッドで眠る息子に優しい視線を向けた後、まるで映画のワンシーンのように渋い表情で彼女を見つめ返した。

 

「……君がどんな事情を抱えていても、こうして御行のそばで付き添いしてくれたこと……心から感謝するよ。ありがとう、ゆうちゃん」

 

「――――ッ!!」

 

彼女は金魚のように口をパクパクさせていた。

 

この思い込みの激しい鈍感家族のフィルターを通すと、彼女がどれだけ真実を叫ぼうとも、「訳ありのヒロインが必死に嘘をついている」としか受け取られないのだ。

 

やがて『ゆう』は、何かを悟ったように静かに目を伏せた。

 

極度のパニックと逃げ場のない絶望。

 

その限界点を超えた瞬間、『彼女』の内に眠っていた何かが――かつて「十歳で、酸いも甘いも舐めた天才子役の影」と呼ばれた頃に培った、狂気じみた『適応能力(スイッチ)』が、強制的に再起動する。

 

「……ふふっ」

 

静まり返った病室に、微かな、けれどひどく艶のある吐息が漏れた。

 

彼女がゆっくりと顔を上げた時、その瞳からは先ほどまでの焦燥感は完全に消え去り、代わりに、濡れたような憂いと、どこか影のあるミステリアスな光が宿っていた。

 

「……お父様。それに、圭ちゃん、でしたか」

 

紡がれた声は、少しだけ高く、透明感を持っていた。それは紛れもなく、今をときめく天才若手女優『KANA』を彷彿とさせる、完璧なヒロインの発声だった。

 

「あっ……!」

 

圭が、あまりの美しさとオーラに息を呑み、両手で口を覆う。

 

「……私の、この隠し事(うそ)を見抜いてしまうなんて。さすがは御行くんのご家族ですね」

 

彼女は自嘲するように目を伏せ、白銀が眠るベッドのシーツの端を、白く細い指先でそっと握りしめる。

 

「……私は、このエリートばかりの秀知院学園で、生きる場所を持たない『持たざる者』でした。……そんな私に、御行くんは手を差し伸べてくれたんです。『君の過去とプライドは、俺が絶対に守り抜いてやる』って」

 

その言葉は、金曜の夜に白銀が放った本物の台詞をベースにしていた。だからこそ、その響きには一切の嘘がないような、魂を揺さぶる真実味(リアリティ)がこもっていた。

 

「ゆうちゃん……!」

 

白銀父の声が、感動で微かに震えている。

 

「だから私は、彼に迷惑をかけないために……自ら身分を偽り、ただの友人として、彼の隣に立つことを選んだんです。……それなのに、彼は優しすぎるから。私が雨に濡れたあの夜、無理をして私を匿い……こんな、過労で倒れるまで……っ」

 

彼女の大きな瞳から、ツツーッと、一筋の美しい涙が頬を伝い落ちた。

 

完璧なタイミング。

 

完璧な角度。

 

完璧な照明。

 

それは、見る者すべての心を鷲掴みにする、迫真のワンシーンであった。

 

「なんて……なんて健気なの、ゆうさん……っ!」

 

圭が、ついに堪えきれずにポロポロと泣き出した。

 

「お兄のために、自分の正体すら捨てて隣にいるなんて……! 私、そんなこと全然知らなくて……お兄のこと、最低の浮気男だなんて疑って……!」

 

「いいえ、圭ちゃん。……私が、至らないばかりに」

 

『彼女』は優しく微笑み、圭の頭をそっと撫でた。その母性すら感じさせる包容力に、圭は完全に陥落した。

 

「……だが、ゆうちゃん。四宮くんはどうなるのだ?」

 

白銀父が、ふと渋い顔で核心を突いた。

 

「御行は、四宮グループの令嬢という巨大な権力と付き合っていると聞いている。……君は、日陰の身で満足なのか?」

 

その鋭い問いに対し、彼女は一切の動揺を見せず、ただ儚く首を横に振った。

 

「……私は、ただの影です。御行くんが、表の世界で四宮副会長という輝かしい方と歩むのなら……私は、彼が疲れた時にだけ還ってくる、夜の雨宿りの場所であれば、それでいいんです」

 

「「――――ッ!!」」

 

白銀父と圭の顔が、同時に雷に打たれたように硬直した。

 

「なんという……なんという哀しく、美しい自己犠牲の愛だ……!」

 

白銀父は、目頭を熱く押さえながら天を仰いだ。

 

「御行……お前は、これほどまでに深く愛されているのだな。……ゆうちゃん、もう何も言わなくていい。君のその清らかな想い、我々白銀家が、全力で守ると誓おう!!」

 

「……お義姉ちゃん。私、どうしたらいいのか分かんないよ……っ」

 

圭は、ベッドの脇に佇む『ゆうさん』の細い手を握りしめ、涙をこぼした。

 

圭の心は今、激しい暴風雨の中にあった。

 

中等部でも憧れの的である四宮かぐやは、兄に相応しい完璧な女性だ。

 

けれど、目の前で儚げに微笑む『ゆうさん』は、兄のために自分の存在すら消して寄り添おうとしている。

 

「四宮先輩を裏切るなんて最低だけど……でも、ゆうさんのこの想いを、誰が否定できるっていうの!? お兄が絶倫クズ男なのが全部悪いけど、この二人のどっちかを泣かせるなんて、私には選べないよ……!」

 

圭の倫理観は、あまりにも完成された二人の「お義姉様候補」を前に、完全にオーバーヒートを起こしていた。

 

そんな圭の葛藤を見透かしたように、ゆうは、慈愛に満ちた、けれどどこか寂しげな微笑みを浮かべた。その瞳は、窓の外の月明かりを吸い込み、現実離れした輝きを放っている。

 

「……いいのよ、圭ちゃん。自分を責めないで」

 

彼女は、震える圭の指を優しく包み込み、鈴を転がすような透き通った声で紡いだ。

 

「四宮さんは、本当に素晴らしい方。凛としていて、真っ直ぐで……月明かりのような光を持っている方です。あの方こそが、御行くんの隣に立つべき『本物のヒロイン』。私のような、雨宿りの場所しか提供できない(ニセモノ)が、あの方の場所を奪っていいはずがないわ…」

 

「ゆ、ゆうさん……。でも、ゆうさんだって、お兄のことを……!」

 

「ええ。……だからこそ、私は身を引くの」

 

彼女は、眠る白銀の額を、壊れ物に触れるような手つきでそっと撫でた。

 

「会長には、四宮先輩と一緒に、学園の頂点で輝いていてほしい。……私のことは、奉心祭が終わる頃には、ただの『ありもしない(うそ)噂』として忘れてくれていいの」

 

そして余韻を残すような、若干の沈黙。

 

やがて彼女は潤ませた瞳を向け、息を呑んで待つ圭に語りかける。

 

「……ねぇ、圭ちゃん。約束してくれる? 私のことは内緒にして、あのお二人を……最高のハッピーエンドへ導いてあげて?」

 

「……っ……う、うわぁぁぁん!! ゆうお義姉ちゃん、なんて……なんて健気なのぉぉ!!」

 

圭は、もはや言葉にならない号泣を上げ、ゆうの胸に飛び込んだ。

 

「……それじゃあ、おやすみなさい。御行くんを、よろしくお願いしますね、お父様、圭ちゃん」

 

彼女は、感動で震える白銀父へと丁寧かつ優雅に一礼する。

 

夜風に長い前髪をなびかせるように、静かに、けれど聖母のような気高さを持って病室を後にした。

 

パタン、と扉が閉まる。

 

後に残されたのは、泣き崩れる圭と、目頭を熱く押さえて「……御行。お前、なんて罪深い男なんだ」と天を仰ぐ白銀父だけだった。

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