かぐや様は告らせたい 〜ありもしない噂(うそ)〜   作:おたっきー

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白銀御行は働きたい(1)

奉心祭を翌日に控えた金曜日の朝。

 

僕は、先週の金曜日の真実を生徒会のみんなへ早く伝えたい気持ちに駆られていた。

 

事態はより深刻化しているからだ。

 

秀知院学園生徒会室の扉を開けた者がまず感じるのは、祝祭前夜の昂揚感ではなく、肌を刺すような物理的な「寒さ」。その圧が、僕の気持ちをも凍らせていた。

 

白銀会長が入院による突然のアクシデントに、四宮副会長が実質のトップとして動いていく事となった。

 

現在彼女は、最愛の人が倒れたという絶望と、膨れ上がった「ありもしない噂」への憤怒がをすべて仕事へのエネルギーへと変換し、人間離れした速度で書類の山を切り崩し、半ば白銀会長をも彷彿とさせるワーキングホリックへと化していた。

 

それは、一年前に畏怖と羨望、憧れを備えた「四宮の令嬢」「氷の女帝」そのものの姿であった。

 

そんな彼女の、乱れ一つないストレートの黒髪と、感情を一切排したルビーの瞳に、僕はどことなく寂しさを感じているようにも思えた。

 

「……石上くん。第4セクションの備品リスト、数式の修正を。……伊井野さん。キャンプファイヤーの点火順の最終承認、まだ終わっていませんの? 無能を晒すことがあなた達の職務ではありませんわよね」

 

冷徹な声が、鞭のように室内に響く。 隣で作業する石上会計と伊井野監査は、酸素の薄い高山を登るような顔で、ただひたすらに画面と書類に向き合っていた。

 

かつてこの部屋を温めていた、白銀会長と四宮副会長の不器用な「恋愛頭脳戦」という名の戯れはもはや存在しない。

 

そこにあるのは、効率と完璧さだけを求める機械的な執行機関だった。

 

逆に考えると、そうまでしないと回らない生徒会を統治していた白銀会長の有能さが際立つ。それを誰よりも理解しているのが、四宮副会長なんだ。

 

だが、その絶対零度の暴風域の中で、僕の指先は、すでに自身の限界を超えて加速していた。

 

ーー無理だ。とても真相を話せる状況じゃない。

 

ヘタを打てば今の四宮副会長ならば即座に僕の首も、実家の農園も、母のキャリアも無にしかねない。

 

四宮副会長から放たれる「共犯者への冷徹な監視」という重圧と罪悪感から、僕の手はついに止まってしまう。

 

口の中には、ストレスによって分泌される強烈で苦い「重曹のような苦い味」が常に滞留していた。

 

「……上澤さん。? 貴方の仕事は、そこで口を開けて空気を吸うことではありませんわよね」

 

氷の矢のような言葉が僕を射抜く。それは、白銀会長の『本命の愛人』を隠すための身代わり(スケープゴート)であることを疑い、不誠実さを責めているようにも感じた。

 

「失礼しました、四宮副会長…。ただ、少し働きすぎでは? 少々休憩を入れても…」

 

僕の精一杯の気遣いは、氷の壁に触れた瞬間に粉々に砕け散った。 四宮副会長はペンを走らせる手を止めず、冷徹な声音で切り捨てる。

 

「……休憩? 白銀さんが自制心の欠如で自滅し、職務を放棄しているこの状況で、私に『休め』と仰るのですか?」

 

ルビーの瞳が、侮蔑を込めて僕を貫いた。

 

「それとも、貴方はまた『あの人』の指示で、私を体よく遠ざけようとしていらっしゃるのかしら。……あの金曜日のように。それとも土日の、名前も明かせない『本命』の方と睦み合う時間を作るために?」

 

「……っ。そんな、……」

 

「……上澤さん。貴方が『総務』として機能できないのであれば……再考せざるを得ませんわね。……黙って手を動かしなさい。5分後に、実行委員への修正指示書を」

 

あえて語らずともわかる。僕が先ほど想像した最悪の話だ。僕は黙って頷く他なかった。

 

「……わ、わかりました」

 

張り詰めた空気が生徒会室を支配する。

 

ここにあのピンクのカオスメーカーが居てくれれば…という淡い期待を抱くも、昨日の弁当の一件もあってか、今日はまだ姿を見せていない。

 

流石の彼女も、今の四宮副会長の氷の刃に抗えないのだろうか。

 

そう思った矢先、僕のスマホが通知を受けバイブレーションする。

 

そっと内容を確認すると、まだ生徒会室に来ていない、藤原書記からの連絡であった。

 

『緊急事態です! ついに真実に辿り着きましたよっ! 適当な理由を作って「空き教室」へ脱出してください! ラブ探偵チカの推理ショーを開きます!』

 

天明かと思いきや、新たな地獄の予感がした。しかし、今はこの地獄に飛び込むほかなかった。それは、僕の氷結した感情や罪悪感を打ち砕く、夜明けの瞬間を想像した。

 

同じメッセージを受けたのだろう、石上会計が一瞬、ディスプレイの端からこちらを見た。伊井野監査も同様に。僕は深く眼鏡を押し込み、無言で頷く。

 

「……四宮副会長。第4セクションの予算、データが破損しているようです。予備サーバーのある空き教室の端末で修復してきます」

 

「……私も、風紀の巡回ルートの再確認に。……失礼します」

 

「……裏掲示板のスクリプト、外部回線じゃないと規制がかかるんで、僕も抜けます」

 

三者三様の「嘘」を、絶対零度の主君に投げつけ、僕たちは逃げるように生徒会室を後にした。

 

廊下に出た瞬間、肺が痛くなるほどの「冷気」を吐き出す。

 

 

***

 

旧校舎の隅、暗幕が引かれた空き教室。

 

唯一の光源である卓上ライトが、ホワイトボードの前に立つ「彼女」を怪しく照らし出していた。

 

藤原書記は、どこから持ってきたのか赤い蝶ネクタイを首元にあてがっている。彼女はいつもの探偵帽を深く被り直し、一段低い機械的なトーンで言い放った。

 

「お疲れ様ですっ、皆さん」

 

にっこりと出迎える藤原書記。今だけはこのピンクのカオスメイカーが聖母にも見えた。

 

「藤原書記…連絡ありがとう。みんな息が詰まっていた。助かったよ」

 

僕は素直に彼女に感謝した。石上会計がそこに続く。

 

「っすね。今日の藤原先輩、空気読めてて逆に空気読めてないっすよ」

 

「あははー。石上くん、頭叩きますよー」

 

今日初めての、和やかな空気中でみんなで笑う。

 

伊井野監査が、切り出す。

 

「四宮先輩、会長いなくてピリついてますね…今日は一段と不機嫌というかクールというか…。さっきも、会長の話を出そうものなら『無いものねだりはお辞めなさい』って…」

 

石上会計が伊井野監査の言葉に頷く。

 

「そうだな。連日の会長の噂話と、四宮先輩への飛び火。機嫌悪くならないほうがおかしい。そんな中で迎える奉心祭。流石の四宮先輩もプレッシャーなんだろう」

 

やはり彼らには、今の四宮副会長はただ不機嫌であるという認識のようだ。僕は昨日の出来事を思い出し俯く。

 

2人の言葉に、ふふんと鼻息を立て、藤原書記は口を開く。

 

「……さて、皆さん、会長とかぐやさんの心配をしていますね? では、今からその鍵を握る今話題の『金曜日のメイド』『KANA似のゆう』の正体について、このラブ探偵チカが解決して差し上げますっ!」

 

「奇遇っすね、藤原先輩。『ゆうの正体』、僕も大方の見当がついていたところでした」

 

「藤原先輩も石上も? 私もです」

 

僕は3人の言葉を、息を呑んで聞き入れる。やはり生徒会役員…つまらない噂に振り回されず、真相にたどり着いたに違いない。

 

だけど、彼らに語れる前に、自ら語る事が、せめてもの罪滅ぼしだ。僕は意を決して口をひらく。

 

「その前に、みんなに話しておきたい事があるんだ」

 

不可抗力があったとはいえ、僕がここまで黙っていたことは事実。

 

噂は激化し、結果的に白銀会長に我慢を強いり入院させ、四宮副会長にも氷の仮面を被らせてしまい、挙句生徒会の仲間にも要らぬ心配をかけた…。

 

僕の思考は罪悪感でいっぱいだった。早く楽になりたい。そう思って発した言葉は思いもよらぬものだった。

 

「噂が噂を呼び、挙句会長を入院させ、四宮副会長を不機嫌にしたのは、僕なんだ」

 

告白したその瞬間、違和感に気づく。

 

ーーまずい! この言い方は! 誤解を招く!

 

僕としては、金曜日の身勝手な振る舞いがこの惨状を招いたという意味で吐いた言葉だった。だが、その言葉を放った瞬間、後悔したのは言うまでも無い。この学園に通う天才達には、最悪の解釈を呼び込むトリガーとなる。

 

だが、時すでに遅し、訂正の語句を続ける前に、藤原書記は、探偵帽の端をクイッと持ち上げ、邪悪なまでの笑みを浮かべていた。

 

「……やってくれましたね、上澤さん。私の推理ショーが台無しじゃないですか…」

 

じろりと目を吊り上げ睨む藤原書記。彼女のこんな表情は初めてだ。

 

だが、今の僕に何かを言える立場にない。喜んで全てを受け入れてから、全てを語ろう。

 

「私の『ラブ探偵アンテナ』に狂いはありませんでした! つまり上澤くん、貴方は会長を『夜の奉仕』でボロボロにし、その情事を四宮さんに目撃された……ということですね!?」,

 

「は?」

 

返ってきた言葉は、僕の斜め上いくものだった。

 

僕の頭にカオスの超特急が突き抜け、終着駅を見失った暴走列車が駆け巡り、一瞬で真っ白になった。

 

「ちょ、藤原書記!? 言い方が不純すぎる!」と僕が叫ぶ間もなく、目の前のカオスの権化はホワイトボードに板書していく。…無駄に達筆な筆記体英語を用いて。

 

「『会長を入院させた』……それはつまり、会長が過労で倒れるまで、貴方が『禁断の主従関係』として彼を酷使したという動かぬ証拠! 月曜日の朝、会長がツヤツヤの肌で現れたのは、貴方という『美少年』を侍らせ、心の渇きを癒やしていたからなのですっ! まさか連日それが続いていたなんてっ!」

 

キャーっと藤原書記は一人悶える。隣で伊井野監査も目を見開き、恥ずかしそうに口元をノートで隠している。

 

「…っ!! ち、ちがーー」

 

否定も虚しく、今度は石上会計が目頭を抑え、天井を見上げる。そして、晴らして目を僕に向けて語り始める。

 

「……上澤先輩、そこまで……そこまで徹底して『泥を被る』つもりなんすね。……(おとこ)っすよ、先輩!!」

 

「石上会計、何を納得しているの!? 違う違う、そうじゃない!」

 

「分かってますって! 先輩が『自分が犯人だ』と自供することで、会長が本当に隠したがっている『真の悲劇のヒロイン(本命)』を、世間の目から隠蔽しようとしてるんですよね!? 会長を入院させた責任を感じているのも、先輩が『本命』を守るための盾になりきれなかったという、総務という参謀としてのプライドゆえ……! 泣けるっす……!」

 

決死の自白(じばく)を聞いた伊井野監査は、瞳を潤ませ、顔を紅潮させ、震える声で語りかける。

 

「……不潔、いえ……もはや崇高ですっ!」,

 

もはやカオスの渦は僕を飲み込み、その場を支配し尽くしていた。

 

「今はっきりしました! 上澤先輩は、会長が今学園で噂されている『日替わりで女を連れ込んでいる』という破廉恥な疑惑……その全ての汚名を、自分一人で背負うつもりなのですね!? 会長が倒れるまで公務に励めたのは、自分が裏で不適切なサポートをしたからだ……そう嘘をついてまで、会長の清廉潔白なイメージを守ろうとするなんて……!」

 

伊井野監査は口元をノートで隠し、時折目を泳がせながら、持論を述べた。

 

 

「……月曜日に会長が言っていて、『俺が守りたいのは、あの夜に分かち合った、純粋な誓いだけなんだ!』。つまり、同じ『混院(外部入学)』として、会長がこの学園の頂点で輝き続けるために、自ら『金曜日のメイド』という究極のデコイ(身代わり)になり、社会的死を選ぼうとするその覚悟……。これこそが、外部入学組の、涙なしには語れない忠誠心なのですね!? コンインノキズナですね!」

 

「あ、うーん?」僕の思考は停止した。

 

「伊井野、それは違う。悲劇のヒロインを隠すための、『婚姻の絆』だ」

 

「何よ石上、文句あるの? 違うわよ! 外部入学の代表である会長を守るための『混院の絆』よ!」

 

再び、ふふんと不敵な笑みの藤原書記が、二人の議論に割ってはいる。

 

「……チッチッチッ。甘い、甘いですわ二人とも! 石上くんはロマンチストが過ぎますし、ミコちゃんは正義感で目が曇っています!」

 

藤原書記は卓上ライトをガバッと自分に向け、怪しく微笑えむ。

 

「私の『ラブ探偵アンテナ』が捉えた、その言葉の真の意味。……それはーー」

 

藤原書記はホワイトボードに書き殴る。今度は日本語だった。

 

「ーー『魂淫靡の絆』ですっ!!」

 

僕は気を失いかけた。唖然とする石上会計と伊井野監査を無視して、藤原はホワイトボードに『孤独の王』と書かれた白銀会長の名前を力強く丸で囲む。

 

「いいですか? 結婚の『婚姻』でも外部入学の『混院』でもありません! 会長が結んだのは、自らを『孤独の王』として君臨させるため、侍らせている美少年たち――つまり石上くんや上澤くんの魂に、消えない背徳の(イン)を刻み込むための契約……! それこそが『コンイン(魂印)の絆』なのですっ!」

 

「石上、あんたまでっ…!?」そう言って伊井野監査はついに顔をノートで隠してしゃがみ込んでしまった。

 

「いや、ちげぇよ!? 藤原先輩、なんで僕までそこに入るんすか!! てか、結局『魂印』に変わってるし!!」

 

板書で書き殴り続ける藤原書記の手を制し、石上会計は叫ぶ。

 

『コンインノキズナ』が、二人を勘違いの渦に突き落とし入れ、白銀会長を入院させ、四宮副会長に氷の仮面を被せたのは他でもない事実かもしれないが…。

 

「真意には限りなく近いが、真相には果てしなく遠い…」

 

僕は心の中で血の涙を流した。

 

いつしか、金曜日のメイドの正体から、『コンインノキズナ』の定義をを決める、三者三様の討論大会に発展していった。

 

僕は深呼吸をし、呼吸と心を落ち着かせる。

 

ーーこのまま白銀会長に泥を被せ、四宮副会長を愛人に奪われ堕ちた正妻という道化にもしてはいけない。

 

僕は白銀会長のお見舞いに行き、白銀家と対面した際の状況を思い返し、スイッチを入れた。

 

「ふふっ」

 

ひどく艶のある吐息が漏れた。 僕はゆっくりと顔を上げ、濡れたような憂いと、どこか影のあるミステリアスな光を宿らせる意識を向ける。

 

「……みんな、間違っているよ?」

 

声は、少しだけ高く、鈴を転がすような透明感を持たせ、冷徹な響きを加えてみせる。

 

カチャリ、と眼鏡を机に置いた。 そして、重い前髪をバサリとかき上げた。

 

その瞬間、異変に気づいた三人が目を向ける。

 

「……本当の『コンインノキズナ』の真相を教えてあげるよ」

 

息を呑むように見つめる三人の視線を真っ向から受け止め、すべてを曝け出した。

 

ーー噂の『ゆう』っていうのは、僕なんだよ。

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