かぐや様は告らせたい 〜ありもしない噂(うそ)〜 作:おたっきー
シミュレーションを経て、病室のベッドで俯く白銀会長に別れを告げ、僕は病室を後にした。
そのままエレベーターに乗り込み、最上階へ。
四宮家がVIP待遇で利用しているこの病院では、関係者以外立ち入り禁止の屋上(ヘリポート)すら、彼女の近侍にとってはフリーパスの『特等席』だった。
重い鉄扉を押し開けると、夜風に金髪を揺らす早坂愛の姿があった。
先ほどまで生徒会室を繋ぐ「中継基地」として暗躍していた彼女は、スマホとタブレットをしまい、手すりに寄りかかって夜景を見下ろしていた。
「お疲れ様です、早坂さん」
僕は自販機で買った二つの缶コーヒーのうち、一つを彼女に差し出した。
「……遅いですよ、上澤さん。それにその姿と声真似は……いつまでやるつもりですか?」
早坂さんは怪訝な表情で冷えた缶コーヒーを受け取り、プルタブを小さく開けた。
「あの後さらにシミュレーションに付き合う事に…。遅くなってごめん」
「あっ」
「おかげで、声が四宮副会長のままでチューニングされたまま…戻せなくなったんだよね…」
「まったく、どこまでストイックなんでしょうね、会長は」
察したように早坂さんは、僕に同情の目を向ける。
僕は髪を解き、声の本来の声へと調整する、沈黙の後、話を切り出す。
「バカですね、二人とも」と、冷え切ったコーヒーを一口啜り、続ける。
「お互いがお互いのことしか見ていないくせに。どうしようもないプライドと優しさのせいで、致命的にすれ違って、勝手に傷つき合っている」
もちろん、四宮副会長と白銀会長の話だ。
目を瞑り、フッと笑いかけ、早坂さんは「……ええ。全く」と短く頷いた。
僕たちは夜風の中で、また静かにため息を重ねた。
互いの
「……学園の噂、完全に手に負えないレベルになってるよ」
僕は、手すりを強く握りしめながら、スマホの裏掲示板(SNS)を開いた。
「金曜のメイドから始まり、土日の日替わり連れ込み疑惑……ここまではまだ『ただのゲスい噂』だった。でも、今日会長が倒れたことで、噂は最悪の形に進化している」
画面には、無責任な文字が踊っている。
『会長、週末遊びすぎで腹上死しかけたらしいぜ』
『いや、四宮様と愛人の「ゆう」の修羅場になって、刺されかけたって聞いたわ』
『四宮様の氷みたいな顔見た!? 完全に裏切られた正妻の顔だった!』
『その後も「KANA似のメイド」の目撃例は複数あるけど、「金曜日のゆう」とは別人らしいゾ』
まさに噂が噂を読んだ、カオスティックワールドが構築されていた。
僕はため息をつきながら、スマホの画面を投げやりに閉じた。
「……四宮副会長は、会長が別の誰かとの『婚姻の絆』を選んだと勘違いしたまま、会長を追い詰めた自分を罰するように仕事に没頭してる。周囲の連中は、それを『愛人に負けた悲劇の令嬢』として消費してる」
「当の本人は、もはや下賎な噂には興味もなく、奉心祭を無事に終えることに邁進しておりますが…」
僕は今日、ここに来る前の学園での出来事を思い出す。
「そこも問題。今日だって文化祭実行委員との最終打ち合わせで一悶着あってね…」
その場面を思い返し、背筋が凍り、胃痛すら蘇る。
「……かぐや様から聞きました。来場者の動線確保における群衆事故のリスクまで、実行委員を論理の氷柱で串刺しにしたそうですね……。現場の士気は絶対零度だった事でしょう」
「そしてヘルプに行っていた石上会計と伊井野監査からの情報。『「金曜日のメイド・ゆう」が、実は生徒会内部の誰か』つまり『会長の愛人が生徒会内にいる』なんて、悪趣味な
悪趣味な
「……『ゆう』に関しては、私がドラマごっこで行った印象操作も結局不発となりましたね」
そう言って早坂さんは、夜景へと視線を移した。
「その件はありがとう。でも大丈夫。もう腹は括っている。これ以上悪趣味な噂を拡げ、生徒会のみんなを不幸にするわけにはいかない」
僕は短く答え、黒縁眼鏡のブリッジを押し上げた。
「おや?」
「僕が『ゆう』として素顔を晒し、『役者』としてすべての噂を被る。そしてチャラにしてみせる。生徒会のみんなとも約束したしね。……そのためには、早坂さん。貴方の協力が必要だ」
「ホゥ?」
早坂さんの目が、面白そうなものを見るように細められた。
「この状況を完全に粉砕するには、ただ僕が名乗り出るだけじゃダメだ。あの肥大化した噂を信じている連中と、二人が『お互いしか見ていない』ことを、公衆の面前で突きつける。究極の
僕の提案に、早坂さんは少しだけ口角を上げた。
「……なるほど。あそこなら、噂の中心にいるかぐや様を直接見ようと、野次馬が殺到しますからね。噂を上書きするには最高のロケーションです。でも、どうやってあの二人を同時にあの教室へ?」
「そこで早坂さんの出番。四宮副会長のシフトを調整して、その時間に確実に彼女が『メイド』として店に出るように仕組んでもらいたい」
早坂さんはフッと笑って答える。
「簡単なミッションですね。氷の姫は今、悲しみを忘れるための
そして早坂さんは、缶コーヒーをぐいっと飲み干した。
「野次馬たちに囲まれ、かぐや様と会長が対峙したその瞬間。……貴方が、乱入するのですね」
「うん。僕の過去も素顔も生贄にて、あのクソみたいな噂を全部ひっくり返してやるさ」
僕は、口の中にじわりと広がる馴染みある苦味を、コーヒーで無理やり流し込んだ。
「……実家のジャガイモ畑、これで燃やされずに済むかな?」
「さあ? 上澤さんの『演技』の完成度次第じゃないですか?」
早坂さんが、意地悪く微笑む。その瞳は、初めて優しさを感じられるものだった。
「……頼みましたよ、上澤参謀」
「こちらこそ、早坂さん」
こうして、僕と早坂さんの『参謀頭脳戦』のブリーフィングは幕を閉じた。
肥大化した最悪の噂を終わらせ、二人の天才を救うため、運命の奉心祭へと最強の裏方として出陣するのだ。
***
「ところで、どうしても聞いておきたいことがあるんだけど…」
僕は、屋上の手すりを強く握りしめた。
「金曜日の『メイド服のゆう』が僕だとして……土日に目撃された別の女性たちって、結局誰? 会長は『誤解だ』としか言わないし、噂は今や『日替わり四股野郎』『もはや八岐大蛇』なんてことになってる。このままだと作戦の前提が崩れる」
早坂さんは、缶コーヒーのプルタブを静かに開けた。
「……上澤さん。貴方は、あの男が本当の意味で『女を連れ込んだ』とでも思っているんですか?」
「え? いや、だって早坂さんだって言ってたじゃない。『火のない所に煙は立たない』って。目撃情報が――」
「いいですか。今から私が、あの週末に起きた『奇跡のピタゴラスイッチ』の真実を教えてあげます」
早坂さんの瞳が、暗い夜空の下で鋭く光った。
「……土曜の夜に、玄関先で会長が女の手を掴んで『もう帰さない』って迫ってたっていう目撃情報。……あれは、塾帰りか買い出し帰りの、実の妹ーー白銀圭さんでしょう。あの妹ちゃんは今、絶賛反抗期です。玄関先での揉め事なんて、十中八九『今日はお
前が夕飯の当番だろうが! 逃げるな!』という程度の小競り合いです。それを野次馬が勝手にドラマチックに脳内変換しただけです」
「……はぁ。妹かよ」
僕は安堵のあまり、膝から崩れ落ちそうになった。
「……じゃあ、日曜日の夜に白銀家を訪れたっていう金髪美女は?」
「……日曜日に会長宅を訪れたのは、『スミシー・A・ハーサカ』という金髪の少女です。以前、会長に告白して……まぁ、こっぴどくフラれた子ですよ」
「スミシー……? 誰ですかそれ。というか、フった相手ならなおさら、名前を出して『ただの知人だ』って言えばいいじゃない」
一瞬、早坂さんが眉間を寄せる。
「上澤さん。貴方はあの男の『異常なまでのお人好し』を甘く見すぎです」
「い、異常って…。まぁ、確かに」
実際に僕は彼の男気と、その異常なまでのお人好しに
早坂さんは、冷え切った缶コーヒーを握りしめながら、淡々と語る。
「会長の視点に立ってみてください。もし『日曜に来たのはスミシーだ』と正直に話せば、嫉妬に狂ったかぐや様の矛先は、その無垢な少女へと向かいます。『どういうお気遣いなのでしょうか?』と目くじらを立てるのは目に見えてます。会長は、自分を守るために、自分を慕ってくれた女の子を四宮家の脅威に晒すなんて真似、死んでもできないんですよ。……だから、彼は自分一人がクズだと思われれば済む道を選んだ。それが、あの男の守りたかった『ジェントルマンの矜持』です」
早坂さんはジェスチャーを交え、コミカルに表情も変え、四宮かぐや、白銀御行を一人芝居で演じる。
この人、KANAの時といい、演技の才能ありすぎる…。
「……っ」
最中、胸の奥が重曹の味とは違う、熱い何かで締め付けられた。
あの人があの時、四宮副会長の氷の視線に晒されながらも頑なに口を閉ざしていたのは、僕のしょうもない過去や、無関係な少女の平穏を守るためだったのか。
「……本当に、バカな人だ、会長は」
僕は涙を拭うために眼鏡を外し、力強く宣言した。
「やろう、早坂さん。……あの人がそこまでして守ろうとした僕の『過去』を、あの人を…いやあの二人を救うための『武器』として差し出すよ」
「……ええ。そうでなくては、参謀を名乗る資格はありません。……作戦ネーム『ありもしない噂』を決行します」
僕たちは冷え切った缶コーヒーで乾杯するように、静かに缶をぶつけ合った。
二人の天才を救うため、 奉心祭という戦場へ飛び込む覚悟を決めた。
僕は溢れそうな涙を、目の前の相棒に見せないように、眼鏡を外してそっと拭った。
***
・・・話は数分前に遡る。
そう、日曜日の金髪少女について、早坂が語った時である。
彼女の口から語られた内容を、上澤は、白銀の「己を犠牲にしてでも少女の平穏を守る」という、泥臭くも尊い騎士道精神に深く感密(かんみつ)を受けていた。まさに美談としていた内容である。しかし!
ーー嘘である!!
この女、今さも「全ては主君(かぐや)と会長のため」という顔をしているが、その実態は、己の個人的な腹いせから生じた『特大の失態』を隠蔽するための、極悪非道なマッチポンプに他ならない!!
上澤は知る由もない!! 目の前で涼しい顔をしている金髪ギャル、早坂愛が語った、噂の金髪少女「スミシー」! 何を隠そう彼女達は同一人物なのである!
ことの発端となるのは、金曜日と土曜日!二日間にわたり、白銀との倉庫での余韻、関係の進展に浮かれた四宮は、語るに落ちる惚気(ノロケ)とマウントをこれでもかと早坂に叩きつけていた。
ーーまずはその状況をご覧いただこう!
『ああ、早坂! 会長のあの力強い腕、熱い吐息……っ! 思い出しただけでも……!』
『……はいはい。良かったですわね』
『――そうだわ! 今なら私、お目々パッチリでクマのない会長も受け入れられる気がしますの! 早坂!
『……は? いやいや、無茶言わないでくださいよ。どうやって……』
『…』
『…かぐや様?』
『はやしゃか、はやしゃか! かいちょ、カッコよくちて!』
『ふ、二日間も徹夜で惚気地獄に付き合わせた挙句、あ、IQ3になった……!?じょ、冗談じゃないし!!』
この後である! 鬱憤が限界突破し精神がマリアナ海溝よりも深い
そう! 「あえてスミシー・A・ハーサカに変装して、白銀家に突撃という名目の夜這いをかける」という極端な強硬手段を決行したのである!
結果的に、白銀の『四股』疑惑のうちの一人となった挙句、睡眠不足というデバフが解除された彼が、無駄にツヤツヤのイケメンとして登校し、「完全に『夜の営み』で満たされた絶倫男だ!」と余計に炎上していたのは、100%この早坂愛の工作のせいだったのである!!
この事実を隠蔽するために! 火曜日の朝、『尾ひれがついたデマの可能性が高い』『金曜日のメイドだけは極めて悪質 』と、かぐやと上澤へ堂々と虚偽の報告を行い、『金曜日の上澤』をスケープゴートとしたのだ!
ーーそして更に! 火曜日の放課後の真相もご覧いただきたい!
『早坂さぁーん! 秘密の特訓ってなんですかぁ?』
『書記ちゃーん! 待ってたし! うちらのクラスの出し物メイド喫茶じゃん?『メソッド演技』極めちゃいたくてぇー! マジ最高にエモい接客で、客全員ガチ恋させちゃいたいから付き合ってほしーし!』
『メソッド演技! 私の『ラブ探偵チカ』の十八番ですね! 乗りました!』
『発注していたウィッグも来たしー! てなわけで書記ちゃんには、今話題の二大天才若手俳優の一人『朱音』をやってほしいわけ。で、うちはそのライバルの『KANA』! この二人がバチバチにやり合ってるとか、超映えるっしょ?』
『楽しそうですぅ!』
『ね! あと、この格好で歩けば宣伝にもなるっしょ!? うちマジてんさーい!!』
『むむっ!
ーー嘘である!!!!
彼女が赤いウィッグを被りメソッド演技に耽っていた真相は!
自身がKANAを演じ、目撃情報を意図的に増やすことで、学園中の関心を「日曜の金髪少女」から「金曜のメイド=KANA似のゆう」、つまりは上澤へと強引に誘導する為であった!
その後! この場面をまんまと目撃してくれた上澤に対しては、「貴方を守るためですよ」と慈悲深い嘘を吐き、さらに『一万ボルトの脅し(スタンガン)』で口封じをするという、徹底した
そして! 自身が藤原を利用して行った印象操作の効果が十分に確認できた後! あえてKANAに似た人物は2パターン存在する事を裏掲示板へ投下!
これにより! 『金曜日のメイドはKANA似のゆう』と『ドラマごっこをする秀知院生徒(早坂)』という、別人へと切り離す事に成功!
さらにこの工作時に!
最終的には、『ゆうは生徒会の誰かで、白銀会長の愛人』という、悪趣味な噂が爆誕!
己の失態を、真実を知る上澤を生贄にすることで、美談へと書き換えるばかりか、真相に限りなく近く果てしなく遠い噂を作り上げる!
これぞ、四宮家に仕えし最強の裏方が辿り着いた、最も効率的で、かつ最高に悪趣味なエンターテインメント(隠蔽工作)なのである!!
――早坂愛、その微笑みの裏側!!
そこには、参謀・上澤有智の尊厳をジャガイモ畑ごと更地にしてでも、自分の平穏を守り抜こうとする鉄の意志が宿っていた!!
時は満ちた!
奉心祭当日に向けて、各々の「決意」を乗せ、決戦は2年A組・メイド喫茶を大舞台として静かに火蓋が切られようとしていた!!!!