かぐや様は告らせたい 〜ありもしない噂(うそ)〜 作:おたっきー
「……という感じで、学園の噂を本人を交えて生徒会裁判した結果、とんでもないカオスが生まれる結果となりました」
僕は早坂さんを、人気の無い階段の踊り場に呼び止め、学園中で爆発中の噂について、先の生徒会室でのやりとりを含めて話した。
「それは災難でしたね。しかしなぜその場で、金曜日の真相を話さなかったのですか?」
早坂さんの冷ややかなジト目に、僕は再び胃の痛みを覚えた。
「言えるわけないでしょう!? 藤原書記が『会長との背徳のBLトライアングル』だの何だのと発狂してるんですよ!? しかも、会長まで『隠したい過去』とか『絶対に名前は言えない』とか的外れな男気を出し始めて……! 今名乗り出たら、事態が余計にこじれます!」
「相変わらず、無駄にプライドが高いですね。でも、貴方のその、極端に目立つことを嫌うトラウマのせいで、会長が一人で泥を被っている状態なのでは?」
早坂さんは呆れたようにため息をついた。 ズバッと、本質を突いたかのような言葉に何も言い返せなかった。
「と、とにかく! 僕から言い出せない以上、早坂さんから四宮副会長に上手く伝えて誤解を解いてくれませんか? 僕、金曜の夜に事前にラインも送っておいたんですから!」
僕としては、完璧な根回しだったはずだ。これを読んでいれば、四宮副会長だけは誤解せずに済む。 しかし、その言葉を聞いた瞬間、早坂さんの表情がスッと無になり、こめかみを押さえた。
「……無駄です。今朝、私から『白銀会長に女性のお持ち帰り疑惑が出ています』と報告しましたが、かぐや様は完全にスルーしました」
「えっ? スルー?」
早坂さんは、四宮副会長の声色をマネを交えながら今朝の様子を語る。
「『バカね、はやさか。かいちょーがそんなことするわけないでしょ? えへへ…かいちょ…かいちょ…』と」
あのかぐやちゃんを見事に完コピしている…。僕は心の中で拍手を送る。
「……金曜日か、はたまた日曜日か。会長との『余韻』で脳内がお花畑になっていて、現実の危機を一切直視しないんです」
深い、深いため息をついてから、信じられない事実を告げた。
「それに、貴方の送った事前報告のラインも読んでいません。かぐや様は金曜日、余韻の影響かパニックになり……自室の壁にスマホを全力で投げつけて粉砕しましたから」
「…………」
僕は天を仰いだ。僕が周到に張っておいた事前報告という安全網は、浮かれたかぐや姫の奇行によって物理的に破壊されていたのだ。
「……今はまだ、自分に都合の良い夢を見ていられますが。明日、学園中で肥大化した噂を耳にし続ければ……かぐや様の精神は確実に摩耗します。夢から覚めた時、反動でどれほど恐ろしい『氷』となって周囲を凍てつかせるか……」
早坂さんの言葉に、僕は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……上澤さん。せめて参謀として、この最悪の事態の防波堤になりなさい。……でなければ、実家のジャガイモ畑が更地になりますよ」
反論の余地などなかった。僕は無言で頷き、踊り場を後にした。
***
醜い噂が渦巻く秀知院学園ではあるが、「奉心祭」への準備という嵐は待ってはくれない。
放課後、臨時総務として生徒会の雑務に追われていた僕は、両手に備品の詰まった段ボールを抱えながら廊下を歩いていた。
なるべく目立たないように、壁際を息を潜めて進む。それが、この異常なエリート校で平穏なモブとして生き残るための、僕の基本戦術だ。
「――上澤先輩! ストーーップ!」
しかし、そのささやかな平穏は、背後から響いた凛とした声によって呆気なく打ち砕かれた。
振り返ると、風紀委員の腕章を付けた伊井野ミコが、小柄な体を精一杯大きく見せながら立ちはだかっていた。
その後ろには、いつも彼女と行動を共にしている円眼鏡の少女ー”秀知院学園難題女子の一人”大仏こばちが、静かに佇んでいる。
「なんだよ、伊井野監査。僕、今は生徒会の仕事中で……」
「仕事中であっても、身だしなみの乱れは見過ごせません!」
「生徒会の仲じゃん」
臨時ではあるが、仲間意識と親しみを込めて言ったつもりだった。
だが、そもそもこのクソ真面目な監査ちゃんに、そんな甘えは通用しない。
「それはそれ、これはこれですっ! 上澤先輩、前髪が長すぎます。目にかかるほどの長さは不純です!」
「いや、これはただの寝癖というか……」
「…っ! そ、それに!」
伊井野は僕の顔をジッと睨みつけると、なぜか理不尽な怒りを滲ませて声を荒らげた。
「そ、その、無駄に長いまつ毛も不純です! すぐに短く切り揃えてください!」
「いや、理不尽すぎるだろ。まつ毛の長さなんて生まれつきだし、どうやって切り揃えるんだよ!」
この顔立ちのせいで、目立たないようにしているのに余計な厄介事を引き寄せてしまう。
相変わらずの極端な正義感に「善処するよ」と適当に相槌を打つ。
伊井野監査は「絶対ですからね!」と念を押すと、足早に職員室の方へと去っていった。
「……はぁ。嵐みたいな子だな」
僕が小さく溜息をつき、再び段ボールを抱え直そうとした、その時だった。
「……上澤先輩」
伊井野監査の後を追うはずだった大仏さんが、僕の横を通り過ぎる瞬間に、ふと足を止めた。
「な、なに? えっと、大仏さんだっけ?」
「……先輩。ダサい眼鏡と重い前髪で必死に隠してますけど」
大仏さんは、周囲に誰もいないことを確認するように一度視線を巡らせてから、信じられないほど的確に、僕の『核心』を突いた。
「骨格の黄金比が、完全に『あの子』と同じですね」
分厚い丸眼鏡の奥にある、一切の感情を読み取らせない、底知れぬほど静かな瞳。その視線が、僕の黒縁眼鏡の奥を真っ直ぐに射抜いていた。
「……深夜ドラマ『小町のangel〜メイド服の殉教者』で話題の、あの売り出し中の若手女優」
ドクンッ、と。 僕の心臓が、肋骨を内側から突き破るほどの勢いで跳ね上がった。
「な、何を言って……」
僕が必死に取り繕おうとする前に、大仏さんは「ミコちゃんが待っているので」とだけ言い残し、何事もなかったかのように静かに歩き去っていった。
廊下に取り残された僕は、段ボールを持つ手を小刻みに震わせていた。
……なんで、ただの高校生が、すれ違っただけでそこまで見抜くんだ……!?
この学園には、怪物が多すぎる。 冷や汗がどっと噴き出し、視界が急激に狭まっていく。
これ以上この恐怖に向き合えば、鍵をかけていたトラウマの箱が完全に開いてしまう。
極度の不安と恐怖を感じた僕の脳は、生存本能として強制的に『スイッチ』が切り替わる。
……やばい。この段ボールの中の備品、アルファベット順に並べ直したい。早く生徒会室に戻って、未処理の領収書を全部完璧に仕分けして、この不安を消し去りたい……!
僕は逃げるように生徒会室へ駆け込み、自分のデスクに座るなり、ディスプレイに映るスプレッドシートの数字へと文字通り『逃避』した。
タタタタタタタッ!! ターン!!
不安をかき消すための異常な速度のタイピング音が、静かな室内に響き渡る。 ギョッとした顔で石上会計が僕を見ていたが、今は何も気にならない。
家に帰り、やっと平穏を取り戻した。しかし、現実は僕を逃がしてはくれなかった。
翌朝。僕のスマホに、一件のラインが届く。 差出人は早坂さんだ。
『かぐや姫が目覚められた。至急来れり』
その怪文書のようなメッセージを、僕にははっきり理解できた。
束の間の現実逃避を打ち砕き、僕を再び『恋愛頭脳戦』という名の理不尽なアンジャッシュ地獄へと強制連行する案内状。
僕はタブレットを水なしで飲み込むと、絶望と共に学校へと急いだ。