いつか途切れた、音の続きを 作:いつかの音色
タイトルの通り、夏紀先輩視点の話です。
前編後編合わせてオクテットでのアンサンブルコンテストまでの話となります。
──倉崎ひさめは特別だ
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自分が特別だなんて思った事はない。探せばいくらでもいる凡人。それが、中川夏紀の自己評価である。何か目標がある訳でもなく、ただ無為に過ごす日々。しかし、ならば何かに打ち込んでいる人間が輝いて見えるかといえば、そういう訳でもなかった。むしろ、熱血や根性といった言葉を標榜している人間に対しては、時代遅れだと嘲ってすらいた。
『第○回全日本中学生・高校生管打楽器ソロコンテスト 中学生部門 第一位・文部科学大臣賞 倉崎ひさめ』
数ヶ月に一度ぐらいのペースで開かれる全校集会。校長の眠くなるような話から始まるその集会で行われるものの中に、部活動関連の表彰がある。すごい事なのだろうな、とは分かる。ただ、毎回わざわざこんな時間を取ってする事か、と夏紀は心の中でボヤいていた。
その日も、早く終わらないかな、と思いながらぼーっと眺めていたのだ。緊張しているのか、あるいは誇らしげにしているのか、そんな顔など数分もすれば忘れるだろうと。
初めて見た時の印象は、うわあの子ヤバ、というものだった。だってそうだろう。前髪には一房の白いメッシュ、インナーカラーでもめちゃくちゃ白色が入っていたのだ。南中は比較的髪色に対して寛容だ。とはいっても、茶髪や金髪ならまだしも、白色というなかなか攻めた髪色だった。派手な髪をしている者は大抵どちらかといえば不良側にいる人間だ。部活に打ち込むタイプの不良なのかな、なんてその時の夏紀は思っていた。そういえば垂れ幕がしてあったな、とも考えながら。
夏紀の心の中に、そんな推定不良少女の印象が大きく刻まれたのはある日の昼休みだった。
同じクラスだった傘木希美が部長を務める吹奏楽部は強豪らしく、昼休みにも自主練習をしているというのが夏紀の耳にも入ってきていた。
たまたまその日の昼休み、夏紀は音楽室の近くを通り掛かった。魔が差したとでも言うべきか、どんな音が聞こえてくるのだろうかと気になった夏紀は、そのまま通り過ぎる事はなく、進行方向を少し変更した。ラッパの音でも聞こえてくるかと予想していた夏紀の耳に入ってきたのは、管楽器の音色ではなくピアノの旋律だった。
吹奏楽部の昼練習が気になったのに、吹奏楽の楽器ではなく誰かがピアノを弾いている。目的と違うはずなのに、夏紀の足は止まる事はなかった。ピアノに関して全く素人の夏紀にも明らかに上手いと分かる音色に、夏紀は吸い込まれていった。正確に弾くだけではなく、感情が可視化ならぬ可聴化されたような演奏に、一体誰が弾いているのか気になったのだ。
音楽室の目の前まで来てしまった夏紀は、扉が少しだけ開いている事に気が付いた。そのせいでピアノの音が外にまで漏れてきていたのだろう。その少しだけ開いている隙間から音楽室の中を覗いてみた。そこでピアノを弾いていたのは、いつか見た推定不良少女だった。
数秒か、あるいは数十秒か。その姿に見入っていると、全身を使って音を表現するその少女の流し目と目が合った。
「ッ!?」
ゾクリと、感じた事のない何かが夏紀の全身を通り過ぎていった。
瞬時に身を引いて、音楽室側から自分の事が見えないように隠れ、そして逃げるようにしてその場から離れた。顔を見られた。でも、目元を出していただけだから、向こうからは誰かは分からないはず。そんな事を考えながら。
昼休みが終わり、授業が始まってからも、夏紀は集中出来ず上の空だった。あの時に見えた神秘的な横顔が頭から離れなかった。
音楽室でピアノを弾いていたのは、どうやら何かの行事でピアノを弾く人を決めるためのオーディションだったのだと夏紀が知ったのは、それから少しして廊下ですれ違った誰かがそんな話をしていたのを聞いたからだった。
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それまではサボれるものならサボりたいと思っていた全校集会も、夏紀にとっては1つの楽しみになっていた。毎回ある表彰式で、例の少女は何かしらの賞を取っていたからだ。それはクラリネットのものであったり、ピアノのものであったりと様々であったが、とにかく表彰で見ない時はなかった。
「倉崎さんのこと、気になる?」
「……別に、そんなんじゃないけど」
「いやー、すごいよね。クラリネットもすごかったけど、とにかくピアノがすごい」
全然接点はなかったが、友だちの友だちぐらいの感覚で、話しかけられたら話すような関係性の傘木希美からの問いに誤魔化して返す。既に引退したとはいえ、吹奏楽部部長であった希美なら、あの倉崎ひさめという少女と親しくてもおかしくないし、言えば顔を繋いでくれるかもしれない。しかし、そうはしなかった。
好きか嫌いかで言えば間違いなく好きではあるだろうし、例えば見に行けるコンクールに出場するというならば、見に行こうと思う程度には入れ込んでいる。だが、面と向かって会いたいかと言われると素直には頷けなかった。畏れ多いとまでは言わないまでも、ある種の信仰のようなものが夏紀には生まれていた。
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以前は学校なんて面倒くさいと、そんな事しか思わなかった夏紀だが、最後の一年間は少しは学校生活を楽しむ事が出来た。それは、希美という存在に感化されて少しずつ行事に意識を向けられたという事もあったが、たまに倉崎ひさめという少女を見かける事が出来るというのも大きかった。
もちろんストーカーのように追いかけ回したりはしていない。学年違いとはいえ、同じ学校で過ごしている中であくまで偶然見かけるのを見逃さないようにしていただけだ。
「最後にピアノ弾いてくれたの最高だったね。夏紀は声かけに行かなくていいの?」
「最後に聞けただけで十分。そっちこそ話さなくていいの?」
「ちょっと避けられちゃってる感じあるから、難しいかな。私としては、話したいと思ってるんだけど」
後から振り返ってみれば短い三年間を終えて、卒業式があった。卒業式では吹奏楽部とは別に、ひさめ個人によるピアノの演奏もあり、プロに劣らないと夏紀が思っている音色に見送られながら、式は終了した。
式が終われば、これから別々の道へ進んでいく友人たちとの中学生として最後の語らいの時間だ。あるいはお世話になった教師と話している者もいる。軽く話す程度の仲である者ばかりで、夏紀には話し込むほどの友人はいなかった。比較的親しかったといえる希美とも、何分も話し込むような事はなかった。
話す相手がいなければ、その分周りの風景が目に入ってくる。夏紀と話すよりも前に、希美が吹奏楽部の同級生や後輩たちに囲まれて、寄せ書きを貰ったり花束を貰ったりして泣いていたのも見ていた。
どうしてあんなに泣けるのかと疑問に思いつつも、何となく理解していた。自分の事だけ考えて何を成すでもなく三年間を過ごした夏紀と違って、彼女たちは振り返ってあんなに泣けるほどの充実した生活を送ってきたのだ。
寂しさを覚えるとともに、羨ましいと思ってしまった心を自嘲する。今あるのは、夏紀自身が選択した過程のその先に繋がっているものであり、何もしなかった道の先にキラキラとしたものなんてない。むしろ、そういうものを忌避してすらいたのだ。ようやく、今までの自分を客観視出来た気がした。
最後に校門をくぐる瞬間、脳裏に浮かんだのは希美や充実した学校生活を送っていた同級生たち。そして何より、平均よりも低い方である夏紀よりもさらに小さい身体でありながら、他を圧倒するような力強さを秘めた倉崎ひさめという少女の神秘的な横顔。
彼女と同じような、なんておこがましい事は言わない。ただ、恥ずかしくないような。そして、希美のような後悔のない学校生活を。
そんな人生を送ってみたいと思った。夏紀だって、なってみたいと思ったのだ。何かを成せるような、そんな人間に。
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北宇治高校に進学し、同じく北宇治高校に進学していた希美に誘われる形で夏紀は吹奏楽部に入部する事となった。変わりたいという思いがありつつも、自分だけでは一歩を踏み出せなかった夏紀にとっては希美からの誘いは渡りに船であった。
そして入部した夏紀を待っていたのは、少し前と変わらない堕落した日々だった。当初はサックスを希望していたのによく分からないユーフォニアムという楽器の担当になってしまった。そんな不満など些細なものだと感じるぐらいに。
ほんの少しだけ楽器の触り方や音の出し方を教えられ、その後は放置。あるいはどこから持ち込んだのか、三年生が机に広げたお菓子を摘まんだり。部活動に励む時間は、夏紀が想像していたものとは違っていた。
真面目に練習しよう。そう考えた者がいなかった訳ではない。現に、希美を始めとした元南中吹奏楽部メンバーは不真面目な三年生に直談判を行なった。しかし、結果は変わらなかった。変わらないどころか、三年生が希美たちを徹底的に無視するという形で悪い方向へ進んでいた。
今のままか、それとも希美たちが言うように変わるか。どちらが良いかと聞かれたなら、後者を選ぶ。それが、変わりたいと願った夏紀の望む方向のはずだから。
だが、夏紀は動けなかった。
そうして、希美たちが無視されるのを傍から眺め、希美や一部を残して元南中メンバーが集団退部していったのをただ見送ってしまった。集団直談判したメンバーの中では唯一部に残った希美への風当たりが強くなっていき、三年生からの嫌がらせは無視だけに留まらなくなっていった。
「ホントに、腐ってる。こんな事しか出来ないなんて。アンタらも、私も」
「はあ?」
三年生が希美の私物を漁っている場面に出くわした夏紀に出来るのは、精々が嫌味を言う程度のものだった。
結果として希美を取り巻く状況は何も変わる事はなく、ただ低音パートに迷惑をかけるだけだった。
「実は北宇治としてじゃなくて、一般の部門でアンサンブルコンテストに出ようと思っててさ。1人分の枠が空いてるから夏紀もどうかと思って」
三年生が引退し、平穏が訪れた吹奏楽部。そんなある日に、希美が持ちかけてきた。自分の実力では足を引っ張ってしまうと、そんな断り文句が脳裏に浮かんだが、夏紀は希美の誘いを断れなかった。大変だった時に助けられなかったという負い目から、拒絶するような選択が出来なかったのだ。
「先輩もいるんだよね? 部長と香織先輩だっけ」
「あとは鳥塚先輩」
「鳥塚先輩?」
「晴香先輩も香織先輩も結構仲良いらしいよ。それに、クラだしね」
学校から出て歩く道すがら。アンサンブルコンテストの練習する場所へと案内のために、夏紀は希美と鎧塚みぞれの3人で歩いていた。
「優子は香織先輩と来るんだっけ?」
「ううん。優子は先に行って待ってるよ」
「1人で?」
「実はサプライズのために言ってなかったんだけどね。ひさめちゃんなんだ。8人目のメンバー。8人目っていうか、順番で言ったら1人目なんだけど」
一瞬、夏紀はそれが誰を指しているのか分からなかった。
「ほら、南中でいたでしょ? 倉崎ひさめちゃん」
「え、いや、なんで……?」
忘れるはずもない。今でもたまにその名前を検索して、新たな功績を確認しては自分の事ではないのに勝手に誇らしく思ったりしているのだ。というか、少し前まで北宇治高校の校門近くで何度も見かけた。誰かと待ち合わせでもしているのだろうかと思いながら、眼福を享受していた訳であるが。
「前に偶然再会して、それでなんやかんやあって一緒にアンコンに出ようって話になって」
「なんやかんや……」
いつの間にか夏紀の足は止まっていた。
なんやかんやの部分が気になるとか、いつの間にか下の名前で呼んでいるとか、聞きたい事はたくさんあった。だが、それよりも今は。自分が会っても良いのか。あまつさえ、共にコンテストに出るなど許されるのか。一瞬の内に、あり得ないぐらい思考が巡った。
「どうしたの?」
「やっぱり私……」
「行かないの?」
「えっと……」
「悲しいなー。一緒に来てくれるって言ったのになー」
「うっ」
そう言われると、断れない。棒読みなところは気になるが、負い目がある夏紀は、言ってしまえばただの私情で断るなど出来なかった。
「お待たせー。紹介するね。中川夏紀、担当はユーフォニアムで、実は南中出身」
特徴的な髪に女子の中でも小柄な方である夏紀よりもなお小さいその少女の姿を、夏紀が見間違える事などあり得ない。ただ、それはそれとして自分はどうするべきか。希美が紹介してくれる横で、夏紀はどう接するのが良いか決めあぐねていた。
「はじめまして〜、倉崎ひさめと申しますぅ〜」
そして希美からの紹介を受けた反応に、夏紀の頭は真っ白になった。
「あ、えっと、どうも……倉崎さんってそういう感じなんだ……」
何というか、あの神秘的な横顔とは似ても似つかない……とまでは言わないものの。一体どう反応すれば良かったのか。
言ってから、やってしまったかと思ったが、夏紀が何かアクションを起こす前に、既に公園で待機していた吉川優子の手刀が振るわれた。
「やめい」
「あたっ」
遠慮なく叩かれた頭を押さえ、大袈裟な身振りで少女は振り返る。
「優子先輩ひど〜い! 私の扱いがひどいです〜!」
「やめい、やめい」
「いたっ、いたっ」
さらに振るわれる手刀。その衝撃で小刻みに揺れる身体。
一体自分は何を見せられているのか。そんな事を考えている間に、不可侵だと思っていた領域へ足を踏み込むのに、抵抗がなくなっていた事に気が付いた。正面で直視する事すら躊躇ってしまうような神秘性が、薄まったように感じられた。
こんな至近距離で同じ空気を吸うなんておこがましいと、少し前の夏紀なら考えていただろう。癪ではあるが、優子のおかげもあって、夏紀はひさめという少女と記念すべきファーストコンタクトをこなす事が出来た。
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勢いで希美に誘われて来てしまったものの、話すだけならともかく、一緒に演奏するとなれば、さすがに場違いだという思いが溢れていった。ただでさえ、他の吹奏楽部のメンバーに比べて実力が足りていないのだ。そんな状態で一緒にコンテストに出て、そして下手な結果を残してしまったら。
今まで夏紀はその輝かしい経歴を外野から眺めていた。それを、自身の手で汚してしまう。到底許される事ではなかった。しかし、何も言わずに逃げる事は出来ない。アンサンブルコンテストに出るための集まり、その主催である少女と2人きりになったタイミングで、夏紀は辞退する事を切り出した。
その結果、わざわざ20万円も使って新しいユーフォニアムを買うなんて事までして、夏紀は引き留められた。そこまでされて、辞めるなんて出来るはずもない。せめて足を引っ張らないようにと、アンサンブルコンテストに出る団体『きたみなみ公園オクテット』のメンバーが集まる前に、貴重な時間をもらって2人だけで練習する事になった。
「最近やる気じゃん。何かあったの?」
「はい、個人的に教えてもらってて」
部活動の個人練習中には、わざわざ夏紀のためにと作ってくれたスケールを使って基礎練習を行なった。同じ低音パートのパートリーダーである田中あすかにも、その変化について言及された。
「それスケール? 私が知ってるのと違うけど、どこの出版のやつ?」
「オリジナルらしいです」
「へぇ……良い先生じゃん」
5時頃までは部活動で練習して、5時頃になったら部活動を早退し、2人きりの個人レッスン。確実に上手くなっているという感覚があった。
そんなある日の事だ。その日は雨が降っていた。オクテットのメンバーがいつも集まって練習しているのは公園。直射日光を遮る事の出来る程度の屋根はあるものの、雨の中集まれるような場所ではなかった。
『今日は雨が降ってるので残念ながらお休みですね……(´;ω;`)』
オクテットの連絡グループに、そんなメッセージが入っていた。個人レッスンも休みになるなら、今日はもう少し残って行こうかと、そう思った夏紀へ個人のメッセージが来ていた。
『よかったら、夏紀さんだけ私の家でコソ練しませんか? オクテットみんなだとちょっと狭いんですけど、夏紀さんだけなら余裕あるので』
ドクンと、心臓の鼓動が強くなった気がした。
許されるのだろうか。さすがにおこがましいのではないか。そんな事を考える夏紀へ、さらに追加のメッセージが届いた。
『お母さんが紅茶淹れて待ってるって言ってるので決定で! もちろん淹れて待ってるっていうのは比喩で、ちゃんと夏紀さんが来てから淹れるので安心してくださいね? 今から淹れてたら冷めちゃいます』
「嘘でしょ……」
夏紀が家にお邪魔するのは決定事項らしい。
『あ、5時ぐらいになったら校門のところで待ってますね! 傘持ってますか? 傘ないなら持っていきますよ! ユーフォが濡れたら大変なので、防水カバーも持っていきますね!』
「嘘でしょ……!?」
わざわざそんな事はさせられない。慌てて迎えはいらないという旨の連絡を入れた。
○中川夏紀
主人公に脳を焼かれてしまっている。もはや崇めているレベル。
また、その影響で吹奏楽部への熱意や楽器への意識も原作とは変わっている。