いつか途切れた、音の続きを 作:いつかの音色
お待たせしました。
北宇治高校の演奏は、課題曲自由曲共に今できる最高の演奏だった。
課題曲マーチ『プロヴァンスの風』。自由曲『ラプソディー・イン・ブルー』。どちらも最高だった。他の高校の演奏を聞いても、最大限客観的に考えて北宇治は負けてない。
音楽は勝負のためのものではない、なんてここまで来て言うつもりはない。音を楽しむのが音楽とは言っても、楽しみ方は人それぞれ。みんなに音を聞いてほしい。思い浮かべる誰かよりも上手くなりたい。コンクールで勝ちたい。賞を取りたい。何だって良いのだ。
今まで、コンクールの結果なんて何でも良いと思っていた。金賞でも銀賞でも銅賞でも、みんなで共に音を奏でる事が楽しくて、私はそれが好きで、それさえ出来れば良いと、そう思っていた。
今だって、みんなで奏でる事が好きなのは変わらない。ただ、勝ちたいと私も思うようになった。
ホールの観客席で、その時を待つ。
中学時代のコンクールでも、オクテットとして出たアンコンでも、結果なんて気にしていなかった。今の自分がどれだけの実力なのかを確かめようと出たピアノのコンクールでは、薄々自分が一番上手いのではないかと思っていたし、狙うまでもなく優勝だった。
初めてだった。
勝てるか分からない。狙った通りの結果が出るか分からない。そんな状況は、初めてだった。
大丈夫。北宇治は負けてない。
そう分かっている。私の耳が急におかしくなったのでなければ、北宇治は十分関西大会へ進む事が出来るはずだ。
謝罪回りの時と同じとは言わないけれど、似たような感覚。
結果発表の時間。
垂れ幕のように、舞台に結果が書かれた紙が下ろされる。
上から各学校の名前を順に、目線を動かしていく。そして、あった。北宇治高等学校。その横に書かれていたのは金という文字。
金賞。金賞だ。周りの席から、みんなの喜ぶ声が聞こえてくる。これまでの万年銅賞という北宇治の成績を考えれば、それだけでも快挙と言えるかもしれない。ただ、それだけではまだ足りない。
「えー、この中より関西大会に出場する学校は」
関西大会。関西大会に行く。
まだ終われない。絶対、行く。
お願い。お願い。お願い……!
こんなにも心の中で祈った事はない。でも、もうここまで来たら、祈るしか出来ない。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
「──北宇治高等学校」
その瞬間、今までにないぐらい、長く安堵の息が漏れた。
横から日和子ちゃんが抱き着いてくるけれど、それに抱き返す余裕もなかった。全身の力が抜けて、ただただ今この瞬間を感じる事しか出来なかった。
▼△▼△▼△
会場を出ても、みんなの熱は冷めていなかった。みんなだけでなく、私の熱も。
私の場合は嬉しいというよりも、安心したという気持ちが強いような気がする。まだ晴香さんやヒロネさん、香織さんたちが引退しなくて済むという事に。
「倉崎さん」
なんとなくふわふわとした気持ちでいると、滝先生から声をかけられた。
「滝先生」
「お疲れさまでした。いえ、まずはおめでとうございます、でしょうか」
「ありがとうございます。滝先生も、お疲れさまでした」
「こういう事は初めてなので、何を言えば良いのか分かりませんが、関西大会出場を決められたのは倉崎さんの力も大きかったと思います。関西大会まで時間は長くありませんが、引き続きよろしくお願いします」
「はい。でも、私だけじゃありません。みんなが一つになって頑張って……滝先生も力を貸してくれたからです。これからもよろしくお願いします」
「ええ、もちろんです」
北宇治高校は関西大会出場を決めた。
それは、私だけの力ではなく、滝先生だけの力でもない。みんな一人ひとりの力が合わさって、同じ方向を向いて頑張る事が出来たからこその結果だった。
思えば、色んな事があった。
最初、特に滝先生には良い印象を持てなくて、内心では反発していた。勝手にコンクールメンバーをオーディションで決める事にされたり、色々とその方針にも思うところはあった。
斎藤先輩の退部騒動や、田中先輩との確執。オーディションが終わってからは、トランペットのソロ問題。滝先生と真正面からぶつかった事もあった。そして、久美子ちゃんや高坂さんとの話し合い。
本当に濃い数ヶ月だった。
「賞状誰か持ってー! あ、ひさめちゃん! ひさめちゃん賞状持って!」
集合写真を取るために、みんなが集まる。
みんなに促されて、私は最前列、トロフィーを持った晴香さんの隣で賞状を持って、カメラへと目線を向けた。
上手く笑えていたかどうかだけが心配だった。
▼△▼△▼△
コンクールがある日はコンクールだけでは終わらない。
会場から学校へ楽器を戻す必要があるため、コンクールが終わればまた朝のように楽器をトラックに積み込む作業が待っている。そうした諸々を終わらせて、バスで学校に戻る。
学校に戻った後は、また楽器を降ろして元の場所に戻して。そうやって、やっと一段落だ。こうなる頃には、私の心の内もいつも通りに戻っていた。
「皆さん、行き渡りましたか?」
コンクールの後片付けが終わり、コンクールメンバーのみんなが集合した音楽室で、滝先生はこれからの練習スケジュールが書かれたプリントを配った。
合宿や関西大会など、ほんの一部にしか予定が書かれていないスケジュール。目立つ空白の部分はもちろん練習の日だ。何事もないかのように、欄外には午前:パート練習、午後:合奏練習の文字が書かれていた。
「8月の17、18、19日の三日間は近くの施設を借りて合宿を行います。ご家族の方にきちんと話しておいてください」
合宿。一日中練習するという意味では普段と変わらなくても、環境が変わる事で新鮮な気持ちで練習に臨む事が出来る。朝起きてから夜寝るまでみんなと一緒で、夜には花火をしたりするのだろうか。今から楽しみだ。
「その前の15と16が休みっていうのは?」
「そのままの意味です。練習したいのは山々なのですが、その期間は学校を閉めるらしいんです」
質問が挙がり、滝先生が答える。その言葉に、外で練習しよう、なんて声が聞こえてくる。
改めて、みんなの意識も最初と比べて随分と変わった。特にニ、三年生のほとんどは休みの日にまでわざわざ学校の外で練習しようなんて思わなかったはずだ。
「話は戻りますが、このスケジュールを見れば分かる通り残された時間は限られています。言うまでもないでしょうが、一日一日を無駄にせず、このチャンスをものにしましょう」
関西大会までは一ヶ月もない。関西大会から全国大会までは間が開くけれど、関西大会に関しては私たちに残された時間はそう多くない。
「さて、ではここでチームもなかの皆さんに代わります」
滝先生がそう言うと同時に、チームもなかのみんなが楽器を持って音楽室に入ってきた。
「みなさん、関西大会出場おめでとうございます」
「私たちチームもなかは関西大会に向けてこれまでと同様、みんなを支えてこの部を盛り上げていきたいと思っています」
「おめでとうの気持ちを込めて演奏するので聞いてください」
加部先輩、夏紀さん、森田先輩という二年生が主導して、チームもなかのみんなが楽器を構えた。
そして、演奏されたのは『学園天国』。サプライズでの演奏だけれど、私は練習を見る事もあったから、実は知っていた。
チームもなかには初心者組もいる。音を出すのがやっとだった時から見ていた。ある意味、音楽が成っていく様子を最初から追っていたようなもの。
ありきたりな感想だけれど。とても、感動した。
▼△▼△▼△
「それではこれから合奏練習に入りますが、その前に一人、紹介したい人がいます」
翌日、午前のパート練習と昼休憩が終わって、これから合奏練習というタイミングで滝先生はそう告げた。
「失礼しまーす」
同時に、音楽室の扉が開いて男の人が入ってきた。半袖半ズボンというラフな格好に、無精髭を生やした男性だった。
「彼はこの学校のOBで、パーカッションのプロです。夏休みの間、指導してもらう事になりました」
「橋本真博といいます。どうぞよろしく」
パーカッションのプロという滝先生の言葉に、パーカッションのメンバーが沸く。
関西大会を突破して全国大会に進むために、心強い助っ人だ。特にパーカスは他のパートと違って一人ひとりの楽器が違うため、まとめてアドバイスというのが難しいというのもあって、専門家が教えてくれるのはありがたい。
「あだ名は“はしもっちゃん”。こう見えて滝クンとは大学の同期です。滝クンの事で知りたい事があったらどんどん聞きに来てね!」
「余計な事は言わなくて良いですよ」
大学の同期。確かに、音大なら将来プロとなる同期もいっぱいいたのかもしれない。
滝先生とは仲が良さそうな空気を感じるけれど、滝先生とは違ってかなりフレンドリーな感じ。部全体の雰囲気も良くしてくれそうで、安心。
「滝クン、モテるでしょ? 女子にキャーキャー言われてるんじゃない?」
そんな橋本先生の言葉には、吹奏楽部以外の女子には、と一部から訂正が入った。
「そっかそっか! 吹部女子には人気ないか! ゴメンな! 滝クンの口が悪いのは昔からで痛っ!?」
その瞬間、滝先生が橋本先生の足を踏み付けた。
「余計な事は言わなくて良いと言いましたよ」
かなり仲が良さそうだ。ただの同期ではなく、親友というような関係性だったのかもしれない。
「それじゃ、さっそくだけど練習してるところ見せてもらおうかな。今から合奏練習なんだよね?」
「いつも通りで良いですか?」
「もちろん!」
時間を無駄にしたくないのか、少しの自己紹介を終わらせて橋本先生は練習を促した。
合奏練習はいつもなら課題曲から練習、つまりは私が主導する形。せっかく滝先生の知り合いがコーチとして来てくれたのに、私がでしゃばっても良いのかと滝先生に聞くと、滝先生の前に橋本先生が返してくれた。
橋本先生が私の意図を理解しているのかは分からないけれど、私は立ち上がった。同時に滝先生は横にズレて、指揮台を空ける。
「それでは、まずは課題曲の『プロヴァンスの風』から。少し前までは府大会のために全体的な完成度を優先しましたが、関西大会を勝つにあたっては細かい部分も修整していく必要があるので、皆さん頑張ってついてきてください」
いつも通りのクラリネットだけでなく、今日は家から持ってきたトランペットとフルートも横に置く。
トランペットは金管アドバイス用に。フルートは木管ではあるものの、エアリードである点などクラリネットと違う点をカバーするために。
「では、冒頭からいきます」
プロの人に見せても恥ずかしくない指揮はしているつもりだけれど、果たしてどんな反応をされるか。あるいは、どんなアドバイスをくれるのか。
そんな風に期待をしながら、私は指揮棒を振った。
▼△▼△▼△
私がアドバイスしながら指揮棒を振っている間、滝先生はともかくとして、橋本先生も一言も発しなかった。
「滝先生、そろそろ交代しましょう」
「分かりました」
正確に時間配分をしている訳ではないため、ある程度区切りが良いところで自由曲の練習のために滝先生と交代する。
「滝クン……」
そして、ようやく橋本先生が口を開いた。
講評だろうか。コンクールの審査員もプロだけれど、面と向かって評価を貰える訳ではないため、プロという経験豊富な人の目線でのアドバイスは貴重だ。
「これ、ボクらいる意味ある!?」
あ、違った。
「指導する暇なかったよね!? 一回通して聞いただけで全パートの詳細把握してるし、全パートそれぞれの指導内容も的確だし、他に指摘出来るところがない訳じゃないけど多分それ以上はパンクするっていうギリギリ攻めてるよね? 結局その内容もボクが口を出すまでもなく後のタイミングで言われてるし。倉崎さん、奏者としてだけじゃなくて指導者としてもとんでもないね。というか、パーカスやってた?」
「中学の頃に少し」
少しと言っても、中三の半年ぐらい、南中の子たちにアドバイスする過程で触らせてもらったぐらいだけれど。
まぁ、合奏練習の間に出来るアドバイスも限られる。パート練習ではお世話になるだろうし、滝先生の指導に対しては余白を埋めてくれるかもしれない。
「橋本先生、今からはちゃんと指導をしてもらいますよ」
「……ああ、オッケーオッケー。来たからには役目を果たさないとね」
それから、自由曲である『ラプソディー・イン・ブルー』の練習が始まった。
さっきまでは私が全てやってしまっていたから出番がなかったけれど、今度は橋本先生も指導に参加した。パーカッションのプロだけあって、特にパーカッションへの指導が的確だった。滝先生は曲としての方向性に基づいて、そして橋本先生はそこに具体的なテクニックを添えて。
特に橋本先生は盛り上げよう、楽しませようというのが伝わってくる指導の仕方でテクニック面以外でも有意義な練習だった。
そんな練習が終わって、片付けも終えて。
私は橋本先生を捕まえた。
「橋本先生、少しお時間いいですか?」
「なになに、質問? いいよ、ウェルカーム!」
練習も終わった事だし、個人的な事ではあるけれど、せっかくプロの人がいるのだから聞いてみようと思った。
「ピアノのコンサートを開きたい時って、どうすれば良いか分かりますか?」
「ピアノのコンサート!? ついに開く気になったんだ!?」
「ついに……?」
この前優子先輩と話した事、ピアノのコンサート。やってみたい気持ちはありつつも、やり方が分からないまま今になっていた。楽器が違うとはいえ、プロだからそういう事にも詳しいかと思って聞いてみれば、予想とは違った反応が返ってきた。
「いやー、ほら、倉崎さんが日本人初で優勝したコンクールがあったでしょ? 実は偶然ボクもその国にいたから受賞者コンサートを聞きに行ったんだけどさ、虜にされちゃって。また聞きたいなーって思ったのにコンサートとか全然開いてないの! そりゃ、やるやらないはその人の自由だからアレだけど、やっぱり聞きたいと思うのが魅了された側の意見なワケで!」
「は、はぁ……」
「ぜひやろう! 倉崎さんのコンサート! ボクに出来る事なら何でもやるよ! ツテでも何でも好きに使ってほしい!」
「あ、ありがとうございます……」
かなりの勢いでびっくりした。
まぁでも、心強い。優子先輩にも手伝ってもらおう。
「いつぐらいにやりたいとかは考えてる?」
「そうですね……とりあえず全国大会の後から3月ぐらいの間に出来ればと考えています」
「なるほど。普通に考えたら近すぎて難しいけど、倉崎さんの初ソロコンサートなら何とかなる。いや、何とかするよ!」
そうして話はトントン拍子に進んでいった。
▼△▼△▼△
「おはよう、倉崎さん」
「おはようございます、夏紀さん!」
夏休みは朝から夕方まで練習があるけれど、学校に来る時間はバラバラだ。スケジュールとしてスタートの時間は決まっているけれど、各々バラバラではあるものの大体はそれより早く来ているから、吹奏楽部の人数に比べて行き道で会う人数はそれほど多くなかったりする。
そんな中で私が毎朝登校中に顔を合わせているのが夏紀さんだ。
「今日も暑いね」
「暑いですねー。早く冬になってほしいです」
「倉崎さんは冬派?」
「だってほら、夏はどんなに脱いでも暑いですけど、冬は重ね着したら良いだけですし」
「秋じゃないんだね?」
「春も秋も花粉が飛んでるじゃないですか」
「花粉症なの?」
「いえ、花粉症ではないんですけど、花粉症とかのアレルギーって、アレルギー物質を取り込む許容量を超えたら発症するらしいですよ。なので、もう季節は冬だけで良いんじゃないかと思ってます」
「あはは……」
そもそも夏紀さんとは同じ南中出身という事もあって学校から見た時の自宅の方向が同じというのもある。ただ、それとは別にシンプルに何時ぐらいに家を出るのかと聞かれたから答えたというだけの話だったりもする。
「ところで、夏紀さんにお願いがありまして……」
「お願い? うん、何でも言って」
「実はピアノのコンサートを開こうと思ってて、橋本先生に相談したら色々と手伝ってくれる事になったんですけど、私一人だと大変だから何人か手伝ってくれる子を探しておけと言われまして」
「──やる何でもやる何しよう何すればいい?」
「……と、とりあえず、倉崎コンサート委員会みたいな感じでメンバー集めを……」
夏紀さんなら手伝ってくれるという確信はあったけれど、まぁ、これでメンバーは一人集まった。
「おはよ」
と、そこに優子先輩が合流した。
「おはー」
「おはようございます、優子先輩!」
「何の話してるの? また発作?」
発作とは夏紀さんの事だろうか。触れづらいのでスルーしておく。
「実はこの前言ってたピアノのコンサートを本格的にやろうと思いまして。協力してくれる倉崎コンサート委員会を募集中という話です」
「本当にやる気になったの。いつ?」
「とりあえずは今年度中、出来れば3月ぐらいが良いかなー、と」
「ふーん? まぁ、良いんじゃない?」
「ちなみに夏紀さんが委員長で優子先輩が副委員長です」
「なんにも聞いてないんですけ・れ・ど?」
「あぅ」
優子先輩の人差し指が私の額にぐりぐりと押し付けられる。
「……まぁ、いいわ。それで、何するの?」
「本格的な話は橋本先生が会場とかを押さえてくれてからなので、まずはプログラムの選曲からですかね?」
「そういうのは夏紀の専門じゃない?」
何はともあれ、優子先輩も手伝ってくれそうなのでメンバー二人目ゲット。
橋本先生からは何人集めろとまでは言われていないけれど、この二人が手伝ってくれるなら百人力だ。本当は晴香さんにも声をかけたいけれど、受験生だから迷惑はかけられないのだ。
○主人公
コンクールで初めて本気で結果を願った。
そのうちピアノのリサイタルを開く。
・倉崎コンサート委員会
委員長:中川夏紀
副委員長:吉川優子
外部顧問:橋本真博
その他メンバー:未定
○橋本真博
通称はしもっちゃん。
実は海外で主人公のピアノを聞いた事があり、主人公のファン。北宇治吹奏楽部を指導する傍ら、主人公の初コンサートに向けて奔走する。