いつか途切れた、音の続きを   作:いつかの音色

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きたみなみ公園オクテット(後編)

 

 

 伯父さんに頼んで連盟加盟もねじ込んでもらい、私たちは晴れてアンサンブルコンテストに出場出来る立場となった。あとは申し込み期間が来たら、そちらにも申し込みするだけだ。

 ただし、曲が決まったとしてもそれぞれのレベルに合わせないといけないので、はいどうぞとすぐに楽譜が作れる訳ではない。だから、楽譜ができるまでは基礎練習をしてみんなのレベルを見てみたり、音を合わせる練習をしてみたりして数日を過ごした。

 

「お待たせしました! 楽譜ができたので配ります! 拍手ー! パチパチ!」

 

 アンサンブル用で演奏時間約5分のものなので、比較的早く仕上げる事が出来た。

 

「一旦それぞれ確認してもらって、それが終わったら最初だけやってみましょう」

 

 楽譜を配り、少しの間読む時間にする。既に何度も二人で演奏した晴香さんは例外として、他のみんなは初めて演奏する事になる。初見でいきなり完璧に演奏しろというのは無茶である。ただ、曲自体は一度聞いているので、完全な初見ではなく、聞いた事もない曲の楽譜を読むよりは分かりやすいはずだ。

 

「師匠、これ1stと2ndの楽譜両方あるけど、1stは師匠のだよね?」

 

 と、楽譜読みの静寂を破ったのはヒロネさんだった。

 師匠というのは私の事だ。同じクラリネット担当という事もあって、ここ数日を通じてヒロネさんは私を師匠と呼ぶようになった。最初の『ラプソディー・イン・ブルー』で心を掴まれ、基礎練習でのアドバイスを受けて、これは師匠だと思ったらしい。

 

「せっかくなら思いまして。なんならヒロネさんが1st吹いてくれても構いませんよ?」

「師匠がやってくれないと私恥かいちゃうよー!」

 

 クラリネットと同じくトランペットにも今回は1stと2ndがあるけれど、こっちは香織さんが1stだと優子先輩が譲らず、香織さん自身もそれを受け入れたのですんなりパート分けが済んでいる。

 

 そして少しの時間が経過し、実際に合わせる前に、一旦こんな風に吹いてくれれば良いよという見本を見せる。

 今日はクラリネットだけでなく、いくつかの他の楽器も持ってきている。ここにいる人の楽器で私が持っているのはクラリネットとトランペット、そしてフルートだ。サックスに関しては晴香さんと同じバリトンではなくアルトを持っている。みぞれ先輩のオーボエと夏紀さんのユーフォニアムは持っていない。

 仕方ないので、オーボエはクラリネットで代用、ユーフォニアムはトランペットで代用した。

 

 それから、初日なので軽くだけ合わせてみてから私たちは解散した。

 解散したとはいえ、元南中組は帰る方向が同じなので途中までは同じ道を行く事になる。そして、一人ずつ同じ道を行く人数が減っていき、私と夏紀さんの二人だけになってから少し。夏紀さんが急に足を止めた。

 

「あのさ、倉崎さん。ちょっとだけ良い?」

「どうしました?」

 

 私のとぼけたような声とは対照的に、夏紀さんの声色は真剣そのもの。

 練習中の様子も考えるとおおよそ言いたい事は分かる。私たちのチームの中で夏紀さんは唯一の高校からの初心者。技術だけを比べると、一段下がると言わざるを得なくなってしまう。そんな事気にしない、楽しむのが第一。それが本心だけれど、そうは言っても気になってしまうのは仕方ないだろう。何事も周りと違うというのは不安だから。

 

「希美に誘われて、流されるまま来ちゃったけどさ。本当にいて良いのかなって。もちろん倉崎さんも希美も、みんな受け入れてくれてるのは分かってる。でも、一人だけ足引っ張って、迷惑は迷惑だと思うから」

「そんな事……」

 

 そんな事はないと、はっきりと自信を持って言える。

 確かに、上を目指すなら、足を引っ張ってしまうという考え方もある。しかし、今回私たちが出ようとしているのはアンサンブルコンテストの中でも高校の部ではなく職場・一般の部。私たちのような急造チームで出る組もあるかもしれないけれど、しっかりと練習を積んだ大人も出てくるのだ。はっきりと口には出さないまでも、みんな結果を出す事に固執している訳ではないはずだ。もちろん、良い結果を貰えるならそれに越した事はないかもしれないけれど。

 

「そんな事ありませんよ。誰も迷惑なんて。アンコンに出ようと言ったのは、せっかくだから何か思い出を作りたいと思ったからです。レベルなんてなんだって良いんです。楽しむ事が一番の目的なんですから」

 

 言ってしまえば思い出作り。べつにどこかテーマパークに遊びに行くとかでも構わなかった。ただ、音楽で集まったのだから音楽で何かしたいと思って浮かんだのがアンサンブルコンテストだっただけだ。結果なんて何だって良いのだ。一緒にやったという事実が大切なだけで。

 

「たぶん、本当なんだと思う。倉崎さんだけじゃなくてみんなも。優しいから。でも、私が嫌なんだ。じゃあなんで来たんだって話にはなるけど、私のせいで中途半端なところで足踏みしてほしくない」

「希美先輩ですか?」

「憧れてたんだ。周りに仲間がいっぱいいて、目標に向かって頑張ってるところにさ」

 

 けれど、私がそう思っているだけで、夏紀さんにとってはきっと苦しかったのだろう。周囲の人たちがどんなに許してくれたとしても、自分だけは自分を許せない。大袈裟かもしれないけれど、そんな思いを抱えている。

 

「希美だけじゃないよ。倉崎さんだってそう。というか、むしろ倉崎さんの方が大きいかも。本当ならすごい賞だって取れるかもしれないのに、なんて言うんだろ……経歴に泥を塗るみたいな」

 

 大きく溜め息をつきそうになるのをなんとかこらえる。これは重症である。

 確かに、私はこれまで色んな賞を取ってきたし、これからも取る機会はあるかもしれないけれど、ちょっとそのせいで夏紀さんの中の私が神格化されている。泥を塗られる事を気にするような経歴でもないし、そもそもアンサンブルコンテストの府大会で結果が振るわなくて銅賞だったとしてもそれは泥ではない。

 という事を説明したいけれど、今何を言っても夏紀さんの気持ちは変わらなそうな気がした。

 

「そんな事思ってないですし、考えすぎですよ。けど、夏紀さんの気持ちは分かりました。今なら団体名を変えるぐらい出来ると思いますし、夏紀さんが抜ける事は出来ます。でも、少しだけその判断を待ってくれませんか? 具体的には1週間か2週間ぐらい。その考え、変えてみせます」

 

 本当にコンテストに出るのが嫌だというなら止める事はしない。けれど、夏紀さんの場合は出る事自体には抵抗がないものの、別の要因で出にくいという気持ちが浮かんでいる。

 せっかくできた縁だ。そんな理由で辞めてほしくはなかった。

 

「それじゃあ、私はこっちなので。また明日会いましょう。すっぽかすとかなしですからね!」

 

 そう言って、私は夏紀さんと別れた。

 

 ▼△▼△▼△

 

 あれから1週間と少し。いつもの公園へ、私はスーツケースを持って訪れた。いつもはクラリネットとトランペット、サックス、フルートをそれぞれのケースに入れて持ってきているけれど、1つ楽器が増えたため、さすがに別々に運ぶのが難しくなったのだ。

 

「お待たせー」

 

 待っていると、希美先輩を先頭とした優子先輩、みぞれ先輩、夏紀さんという元南中学メンバー4人がやって来た。晴香さんは部長をやっている関係上、来るのが遅くなるので、最近は希美先輩たち北宇治高校一年生組は先に、晴香さんとヒロネさん、香織さんの北宇治高校二年生組は晴香先輩に合わせて後から来るというのが定番の形になっていた。

 

「なに、その荷物。旅行?」

「よくぞ聞いてくれました。実はですね」

 

 優子先輩が言及してくれたので、スーツケースを開けて中から1つずつ取り出す。ローラーを転がす時の振動で中の楽器が壊れたりしないようにタオルを敷き詰め、その上でそれぞれのケースを入れて運んできた楽器たちだ。クラリネットケース、フルートケース、トランペットケース、そしてサックスケースを取り出し、最後に一番大きいケースを取り出した。

 

「それって……」

 

 やはりというべきか、最初に反応を見せたのは夏紀さんだった。

 なぜならば。

 

「ユーフォニアム買っちゃいました!」

 

 一番大きい楽器。それはユーフォニアムだからだ。

 

「また新しい楽器買ったんだ……」

「…………」

「楽器ってそんなに気軽に買えるものだっけ……?」

 

 希美先輩は既に私が新しく楽器を買ったという場面に遭遇した事があるので少し呆れたような反応。みぞれ先輩は特に反応なし。優子先輩は少し意識が上の方へ飛んで行っていた。

 

「もしかしてなんだけど、それって……」

「はい! 夏紀さんと吹くために買いました!」

 

 ニッコリ笑顔を夏紀さんに向ける。

 夏紀さんに居づらい空気を感じにくくなってもらうために同じ楽器。そして、夏紀さんが上達するためにもやっぱり同じ楽器があった方が良いだろうと考えた。

 

「嘘でしょ……」

「といっても元々何か楽器を買うつもりではあったので何も気にする必要はないですよ。少し前に臨時収入もありましたし」

 

 少し卑怯かもしれないけれど、お人好しに見える夏紀さんの気質を利用する形でこのグループに縛ろうという思惑もない訳ではない。罪悪感はある。でも、夏紀さんが居づらい理由を取り払う事が出来たなら、問題はなくなる。

 

「ユーフォニアムってフルートとかよりも全然高かったんじゃない?」

「20万ぐらいで買えました。リーズナブルで良い買い物でした」

「20万をリーズナブルって、どんな富豪よ。それともそんな何十万もの臨時収入があった訳?」

 

 希美先輩の問いに答えて優子先輩からのツッコミを貰っていると、夏紀さんが頭を抱えた。

 

「この前ピアノのコンクールに出てくるって言ってちょっとの間留守にしてたじゃないですか」

「ああ、腕試ししてくるとか言って海外に行ってたやつね」

「あんまりお金の話をするとアレかなと思って言ってなかったんですけど、その賞金が結構な額ありまして。何か新しい楽器を買おうと思ってたんですよ」

 

 そう、元々何か楽器を買う予定だった。そして、少し前に実際に買った。ヴァイオリンを。そこに追加でユーフォニアムも買ったというだけだ。

 もちろんではあるけれど、20万円は決して安い金額ではない。ただ、ユーフォニアムを買うにしては安く済んだという話だ。

 

「呆れた……まさかアンタ賞金目当てで出たんじゃないでしょうね。いや、それならそれで、別の意味で呆れるけど」

「まさか! そんな訳ないじゃないですか。腕試しのためですよ! そんな風に思ってるなんて……優子先輩ひどぉ〜い」

「やめい」

 

 確かに、お金がほしいという気持ちが全くなかったというと嘘になる。楽器にはお金が掛かるので、お金はいくらあっても困らないのだ。けれど、誓って不純な動機でコンクールに出た訳ではない。

 音を楽しむと書いて音楽。言い古されたともいえるような言葉。けれど、私はこの言葉が好きだ。初めてピアノを触った時からずっと。合奏を好きな理由もきっと、全てこの言葉に繋がるから。

 本気で金賞を狙いにいったって良い。経験のために背伸びをしたって良い。思い出作りだって良いのだ。ただ、音楽というものに真摯に向き合い、そして楽しむという姿勢があれば。

 

「という事で夏紀さん!」

「は、はい」

「一緒にユーフォ吹きましょうね?」

「……うん」

 

 私の言葉に、観念したように夏紀さんは頷いた。

 

 そしていつも通りの練習が始まった。違うのは、私がユーフォニアムを吹いていた時間が他の楽器に比べて長かったという事。

 夏紀さんはまだユーフォニアムに触れてから1年も経っていない。技術面で他のみんなに劣ってしまうのは仕方のない事だ。もし夏紀さんがそれを気にしない性格であれば、今までの練習の形でそれなりに曲も形になるようにもっていく方針で進めていた。けれど、夏紀さんがそれを望まないならば、方針は転換だ。

 夏紀さんの技術レベルを、夏紀さん自身が納得出来るところまで持ち上げる。

 

 その後、晴香さんたち二年生組が合流してから8人で練習。それも終わると解散し、ここ数日と同じように帰路には私と夏紀さんだけになった。オクテットの中で私と最も家が近いのは夏紀さんで、一緒に帰ると最後までいるのも夏紀さんという事になる。わざわざ別のルートを通る意味もないため、最近はこうして最後に2人になっていた。

 

「さて、夏紀さん。この後時間大丈夫ですか? ちょっと寄り道して行きましょうよ」

「……そうだね」

 

 カラカラとスーツケースのローラーが転がる音が日の沈んだ住宅街に響く。既に私の家も近くなってきていたけれど、いつも夏紀さんと別れて曲がる場所で、別れずに直進した。

 その足のまま、近くのカフェに入った。

 

「私が誘ったんですし、奢りますよ」

「いいよ。中学生に奢らせるとか、字面最悪だし。むしろ私が奢るよ」

「いえいえ、今お金には少し余裕がありますので」

 

 そして1つずつ飲み物を注文して、空いている席に座った。お互いに一口飲み物を口に含んで一息。

 

「たぶん、夏紀さんのモヤモヤした気持ちは、夏紀さんが上手くなる事で解消出来ると思います」

「まぁ、そうだろうね」

「それで、実際問題の話をすると、今のままだと夏紀さん自身が納得出来るようになるのは難しいとも思います。私みたいな天才じゃない限り」

「あぁ、うん……」

「今のツッコミポイントなので、優子先輩みたいにツッコんでくれて良いんですよ?」

「いや、事実だし」

 

 軽口を交わしつつ、話を進める。

 問題点は、このままでは技術的な面で夏紀さんは置いていかれたままになってしまうという事。同じ時間を共有して同じような事をしているのだから、夏紀さんが上手くなってもその分他のみんなも上手くなっていく。それぞれに進捗の差異はあれど、その事実は変わらない。

 ならばどうすれば良いか。簡単な話だ。他のみんなとは別に練習の時間を用意すれば良い。

 

「なので、2人でコソ練しませんか?」

 

 コソ練とは言ったものの、べつにコソコソと隠れてする必要はない。言葉の響きで使っただけだ。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、わざわざ私のために時間を作ってもらうのは申し訳ないし、二人きりはさすがにちょっと駄目かもさすがに」

「そんな事ないですよ。普段解散した後も家で1人寂しく楽器触ってるだけですし、その時間が2人になるって考えたらむしろ嬉しいです」

「それはそれでどうなの……? 一応今年受験生だよね?」

「北宇治なら入試当日に倒れたりしない限り大丈夫です」

「勉強も出来る感じなんだ……」

「音楽ほどじゃないですけどね。まぁ、ほどほどに」

 

 勉強に関しては、音楽ほどの才能はない。ある方か、ない方かといえば、まだある方ではあると思うけれど、府内最難関の高校に受験して合格するほどではない。定期テストでいえば、玉石混交の公立中学校のレベルで大体上位5%から10%ぐらいの順位をキープしている。そこまで本気で勉強に取り組んでいる訳でもないから、もしかするともう少し上に行けるかもしれないけれど。

 

「とにかく、コソ練でもしないとみんなに永遠に追い付けないですよ」

「うぐっ…………仕方ない、か……じゃあさ、みんなで集まるまでの間って、倉崎さん時間ある? 5時ぐらいからとか」

「余裕であります」

「ならその時間……私に貰ってもいいかな」

「もちろんですよ」

 

 ストローから一口飲み物を吸い、また一息。

 

「5時なら全然間に合うと思うので、いつもの公園で待ってますね」

「間に合うって、何か用事? アレだったら、こっちは全然後回しで良いからね? 無理言ってるのはこっちだから」

「中学の後輩にちょっと教えてるだけですよ。合奏練習が始まるまでの間だけですから、今までも5時には終わってましたし」

 

 当代の南中吹奏楽部はなかなかに実力が高いようで、なんと全国大会への出場を決めた。そして私は、コンクールメンバーとして大会に出る事はないけれど、影でのサポートのようなものをしている。少し前まではクラリネットパートの後輩への個人レッスン。今では色々と聞きつけた他パートの後輩にも。

 実は退部届けを出していない私は、今でも南中吹奏楽部に所属している幽霊部員となっている。その縁もあって融通してもらう事で、様々な楽器を使わせてもらっている。そうする事で、私が持たない楽器のパートの子にも教えられるという訳だ。

 そういう事情もあって、ユーフォニアムも私のマイユーフォは買ったばかりだけれど、実は買う前から結構吹けたりする。とはいえ、大抵の楽器はすぐに良い感じに演奏出来るようになるので、誤差かもしれないけれど。

 後輩に教えるために少しずつ練習した事で、今では吹奏楽部で使う楽器は大体吹けるようになった。

 

「そうなんだ。それなら、明日からお願いしようかな」

「はい、待ってます!」

 

 そうして、最後まで飲み物を飲んでから、夏紀さんとも別れて帰宅した。

 

 ▼△▼△▼△

 

 翌日、17時過ぎのいつもの公園。

 

「ごめん、お待たせ」

「私も今来たところです」

「なんかデートみたい」

「今度本当に2人でどこかお出掛け行きましょうか?」

「ごめん私が言い出したけどさすがにそれはちょっと調子に乗りすぎてるかも私が」

 

 なんて軽口を交わしつつ、ユーフォニアムを準備する。今は私と夏紀さんだけ。夏紀さんは部活を早退してきた形だ。北宇治の吹奏楽部はかなり緩い部類なので、ある程度やって早退する程度はどうという事はないそうだ。

 

「せっかくマンツーマンでやる訳ですから、私は夏紀さんに上手くなってほしいと思っています。なので、基本からやりましょう。今さらって思うかもしれないですけど、運指の確認と、1音1音狙った音を出す練習から」

「うん、お願いします。私も鳥塚先輩みたいに師匠って呼んだ方が良いかな?」

「そう呼んでくれてもいいですよ。夏紀さんが呼びたい風に呼んでくれれば。この際ひさめって呼んでくれても良いんですけどね?」

「やっぱり今は倉崎さん、かな。中学の時から心の中でそう呼んでたから、こっちの方が自然に感じる」

「それじゃあ、いつかひさめって呼んでくれるのを楽しみにしてますね?」

 

 と言いながら、夏紀さんに紙の束を手渡す。

 

「スケール練習ってあると思うんですけど、『ラプソディー・イン・ブルー』の練習になるようなスケールを考えてきたので、これを使って練習しましょう」

 

 紙に印刷した楽譜には階段のように音符が並べられている。スケールとは、簡単に言えば1オクターブの中にある♯や♭を使う音も含めた12音の内7音を階段のように並べたものだ。身近なもので言えば、誰でも知っているドレミファソラシドもスケールの1つである。単純ではあるけれど、これを吹いて練習する事で運指の上達はもちろん、音のムラを減らし、息を安定させる事にも繋がる。

 

「スケール? ごめん、私初心者だからあんまり詳しくなくて。それってギターとかでやるやつと同じような感じ?」

「ギターとかでもありますね。その認識で間違ってませんよ」

 

 スケールは言ってしまえば基礎の基礎。ユーフォニアムにとってもそうだ。普通にやっていれば通る道。北宇治の吹奏楽部は楽器を上達するという点で見れば、あまり優良物件といえるものではない。それは話を聞いていれば分かる事だけれど、まさかスケールすら教えないのだろうかという疑問が浮かぶ。しかし、スケールという言葉を使わずに同じような事をしていた可能性はある。決めつけるのは早計か。

 

「最初はゆっくり1音ずつ、私も一緒に音を出すのでやってみましょう」

 

 どの楽器にも当てはまる事ではあるけれど、初心者のうちに大切なのはとにかく間違えた方向に進まない事だと私は思っている。私の中にあるイメージとして、身に付けていくスキルというのは、初心者の時に習得した最初の1つを起点としてその人その人によって樹形図のようにバラバラになっていく。例えばAという人は樹形図の上の方、Bという人は下の方へ進んでいくような形で。

 究極的に音楽というものにこれこそがという一つの正解はない。ただ、私の感覚から言わせてもらえば、ある程度の正解の方角というものはある。仮にそれが樹形図でいう上を進んで行った先にあるとすると、最初の選択で下の方へ進んでしまうと後から上に軌道修正するのは不可能ではないものの、かなり大変である。

 だからこそ、まだ初めて半年ほどしか経っていない夏紀さんがもし誤った方向へ進もうとしているなら、今の段階で修正する。進んでしまえば進んでしまうほど、後からの修正は困難となるのだから。

 

「いい感じです。毎日練習を始める時にこれを何周かするだけで全然変わってくると思います。慣れたら速くしてみたり、逆に遅くしてみたりしても効果的ですね」

「これを全部、何周も……? やっと1ページ終わったところなんだけど……」

「慣れたらすぐですよ」

 

 既に何度も一緒に練習しているため、夏紀さんの大体の実力は分かっていた。今の一連を通して、その上で完璧に把握出来た。

 最初の最初は先輩か誰かにちゃんと教えてもらったのだろう。ただ、恐らくそこからすぐに我流に走っている。夏紀さんが焦って逸ったのか、あるいは最初以外まともに教えてもらえなかったのか。とはいえどちらにせよ、全然すぐに修正が効く範囲だ。私も我流ではあるけれど、自然と進む方向が分かるため、失敗という失敗をした事はない。自画自賛にはなるけれど、やはり才能とは恐ろしい。

 

「じゃあ2ページ目に行ってみましょう」

「うへぇ……倉崎さんって案外スパルタ?」

「いえいえ。私ほど分かりやすくて優しい教え方の人はそういないと思いますよ?」

「優しいのとスパルタっていうのは両立するんだなぁ、って新しい学びを得たよね……」

 

 そうして2人で練習し、18時半が過ぎて少しして希美先輩たち一年生組が合流し、19時が過ぎた辺りで晴香さんたち二年生組が合流した。

 

「中川さん、今日調子良いね」

「先に来て倉崎さんに2人きりで教えてもらってたので」

「ひさめちゃんって教えるのも上手いから自分にも才能があるんじゃないかって気分になるよね。まぁ、部長としては早退して先に来てる事に思うところがない訳じゃないけどね?」

 

 少しみんなで練習して、一旦休憩。

 基本的に楽器は成長曲線が急に上向きに傾く事はないけれど、少しの時間で分かりやすく差が出る部分もある。晴香さんをはじめとして、他のみんなもそれを感じてくれているようだった。

 

「へー、それで先にいなくなってた訳ね。倉崎、コイツ誘うんなら私も誘いなさいよ」

「え〜? でも優子先輩、上手いじゃないですかぁ〜」

「やめい。というかなんでアンタ私にだけぶりっ子するのよ」

「だってツッコんでくれるじゃないですか〜。コミュニケーションですよ、コミュニケーション」

 

 私は結構気に入っているけれど、優子先輩以外にやると変な空気になるのだ。晴香さんは何事もなかったかのように受け流してくれるからまだ良いけれど、他のみんなは大体困ったような顔で苦笑いしながら言葉を詰まらせる。失礼な話である。

 

「ふふふ。優子ちゃん、やっぱり倉崎さんと仲良いね。羨ましいな」

「そんなんじゃないですよ香織先輩! ちょっと、香織先輩に勘違いされちゃうじゃない!」

「そんな、優子先輩と私が仲良しなのは勘違いじゃ……いひゃい、いひゃいでふ」

 

 優子先輩に両側から頬を引っ張られた。本気でやられた訳ではないため言うほど痛くはないけれど、一応伸びていないか手を当てて確認してみる。

 大丈夫そうなので、気を取り直してみんなの方へ向き直る。

 

「さて、もう一回通しでやってみましょうか」

 

 そうして、街灯だけが照らす公園に、私たちは音を響かせた。

 

 ▼△▼△▼△

 

 12月も半ばになった。アンサンブルコンテスト本番までおよそ1ヶ月だ。

 毎日の個人レッスンによってメキメキと実力を上げた夏紀さんに底上げされるように、私たち『きたみなみ公園オクテット』の実力はどこに出しても恥ずかしくないほどに仕上がってきた。元々はそこまで狙っていなかったけれど、せっかくだから金賞を狙いにいくのも良いかもしれない。

 

 今年全国大会にまで駒を進めた南中学吹奏楽部は惜しくも銀賞に終わった。後輩たちに個人的に教えている事もあって、当日は名古屋まで見に行った。近頃は同級生にも教えていたし。

 卒業したとはいえ、南中学の先輩である希美先輩や優子先輩、みぞれ先輩も一緒に行った。晴香さんは全然関係ない人が行っても迷惑だからとパス。ヒロネさんや香織さんも同様に。夏紀さんも南中学出身ではあるものの、吹奏楽部ではなかったからという事でパスした。

 結果が出た後、何も聞いていなかったのに一言を求められてしまったのは困った。ただ、関わり方は特殊だったとはいえ、南中学吹奏楽部のみんなは仲間と思ってくれていたみたいで、場の空気に流されて泣きそうになってしまった。格好悪いのでなんとか我慢したけれど。

 これで3年生は引退となった。しかし、せっかくだから中学校を卒業するまでは後輩に技術を授けようと思う。私の成績が志望校に余裕で合格するレベルである事も相まって、顧問の先生も賛成してくれた。さすがに大会に出るなどは許されないだろうけれど、後輩の相談に乗るという形でそうして関わるのは許された。

 

 さて。私たちオクテットの話だ。

 みんなの実力が上がった事で、私とみんなとの実力のギャップがより小さくなった。夏紀さんには、当初渡していた楽譜よりもレベルアップした楽譜を渡してある。

 そうして、何が出来るようになったかといえば。

 

「私も、もうちょっと本気で吹きたいと思います」

 

 1人だけ突出していると悪目立ちしてしまう。だから、これまでは抑えて吹いていた。けれど、今なら少しぐらい大丈夫だろう。まだ差はあるから、目立ちはする。ただ、それがチームのエースで通せるぐらいの許容範囲に収まるようになったのだ。

 

「えー! 師匠、今まで本気じゃなかったの!?」

「びっくりですよね。今までのままでもめちゃくちゃ上手いのに」

 

 ヒロネさんが大袈裟に驚き、それに希美先輩が同意した。

 

「実はアンコンの関係者に伯父の知り合いがいまして。期待されてるっぽいので実力見せておきたいんですよ。あ、審査員って訳ではないのでそこは期待しないでくださいね?」

 

 ヒロネさんや香織さん、夏紀さんの後から合流組には言っていなかったけれど、アンサンブルコンテストに出るためには団体として吹奏楽部連盟に加盟している必要があるのだけれど、いざアンサンブルコンテストに出ようと決めた時には既に加入期限を過ぎていた。そこを伯父さんのコネでねじ込んでもらったのだ。その時の伯父さんの知り合いというのが、アンサンブルコンテストの運営に関わっている人でもあったという事だ。

 私の演奏に期待していると、伯父さん経由で言われている。だから、本番までには何とかみんなの実力を底上げするつもりでいた。その点で言えば、夏紀さんの積極性は助かった。そのおかげで想定よりも1ヶ月近く早く到達出来た。

 

「師匠ー! このままだとヤバいよー! 公開処刑だよぉー!」

「ひさめちゃん、ここなんだけど」

「倉崎さん、このパートってこれで良いのかな」

「倉崎、こっちも」

 

 ヒロネさんに希美先輩、香織さんに優子先輩も、触発されたようにより積極的を見せてくれた。夏紀さんはみんなが来るまでの個人レッスン時間に直すところを直していたため、みんなと合わせる時にはそれほど詰まるようなところはないようにしていた。

 

 アンサンブルコンテストまで最後の1ヶ月間。私たちはより熱を上げて練習に打ち込んだ。

 

 時間が過ぎるのは早く、あっという間に1月を迎え、私たち『きたみなみ公園オクテット』は初めての舞台へ、足を運ぶ事となった。

 

 ▼△▼△▼△

 

「突然なんですが、私って緊張とかしないタイプなんです」

 

 舞台袖。私たちの出番がもうすぐにまで迫ったその時間の中、みんなが集中力を高めているところに私は言葉を掛けた。この中で一番年下とはいえ、ここにいるのは私の発案で集まったメンバーだ。気合い入れる時の音頭を取るなら私だろう。

 

「なんというか図太いんですよね。これまで色んな舞台に立ってきたんですが、心臓バクバクでヤバい、どうしようみたいになった事ないんです」

「そりゃあ、ね。アンタより図太い奴がいるならぜひとも見てみたいわね」

「ねー」

 

 優子先輩と希美先輩のおかげで張り詰めた空気が少し和らいだ。2人が思い浮かべているのは私が謝罪回りのために単身突撃した事だろう。同じような事態になれば何度でも同じ事をするけれど、あれは我ながらなかなかに思い切った行動だったと思う。ただ言わせてもらうと、舞台に立ったりするのに緊張はしないという話で、あの謝罪回りの時は緊張というか、怖かった。なので、私があの時もケロッとしていたと思われているとしたら、一言物申したいところではある。今は蒸し返したりしないけれど。

 

「なので、どうやったら緊張がほぐれるとかは分からないんですけど、皆さんの緊張をほぐすために昨日一晩中考えてきた一発ギャグを披露して笑わせたいと思います」

 

 気を取り直して。笑う事は緊張をほぐすのに有効らしい。昨日調べた。

 

「こほん、それでは。えー、わたくし実は中学校の吹奏楽部で色々と教えていたのですが、その時後輩とその友達のやり取りを見かけまして。私の方に気付いたようで、少しの間私も会話に混ぜてもらったのです。そこで面白いギャグを披露されました。簡単に言うと名前に絡めたギャグです。なので、わたくしも考えてみました。

 こほん。わたくし倉崎ひさめ、今朝外に出てみて気温の低さに驚きました。ひっ、(さめ)えーってね」

「えーっと……」

「お、おもしろーい……」

「あ、あはは……」

「一晩中考えてきてそれかい……」

「うん。さすがだね」

「なんでこれで笑うの?」

「私は結構おもしろいと思うけどなー」

 

 以上、晴香さん、ヒロネさん、香織さん、優子先輩、夏紀さん、みぞれ先輩、希美先輩のそれぞれの反応。

 

「あっれー……? あの時はドッカンドッカンの大爆笑だったんですけど……」

 

 一番グサッときたのはみぞれ先輩の言葉。みぞれ先輩はもう少しオブラートに包むという事を覚えた方が良いと思う。

 とはいえ、緊張はほぐれたようなので結果オーライだ。

 

「ま、まぁ、気を取り直しまして」

 

 緊張がほぐれたなら、後は気持ちを1つにして出し切るだけだ。

 

「皆さん、今日までついてきてくれてありがとうございました。約4ヶ月、少なくない時間を一緒に過ごしました。皆さんと過ごした時間は私にとってかけがえのないものです。一生忘れません。生意気な事もたくさん言いましたが、皆さんにもそう思ってもらえると嬉しいです」

 

 思えば、初めて晴香さんに会った日から私の運命は大きく変わった。私自身も大きく変わった。きっと、昔の私が今の私を見れば驚くだろう。自分の事しか考えず、ただぼーっと過ごしていた私が見れば。

 私にとって、晴香さんと会ったあの日が明確な転換点。運命の分岐点とでも呼ぶべき出会いだった。あの日があったから、元南中学の先輩たちに謝る事が出来た。あの日があったから、南中学吹奏楽部とのわだかまりを私なりに解消して、僅かながら全国大会に進む手伝いが出来た。そしてあの日があったから、こうして『きたみなみ公園オクテット』ができた。今さらだけれど、ネーミングがちょっと雑だったかもしれない。

 

「本当は一人ひとりに感謝の言葉を言いたいんですけど、一発ギャグで時間を使い過ぎたのでまたの機会にします」

 

 一つ前の組の演奏も佳境だ。残りは1分もない。

 迷惑にならないように小声で、7人の仲間を見渡す。

 

「ここまで来たら私が言う事は多くありません。後は実力を発揮するだけです。私たちはどこに出ても恥ずかしくないだけの実力を身につけました。天才である私が保証します。なので、刻みに行きましょう。私たちの新たな歴史を。見せつけに行きましょう。伝説の始まりを」

「大げさじゃない……?」

「いいえ、優子先輩。こういうのは大きく出ておくのが良いんですよ」

 

 聞こえてくる演奏が終わり、拍手が舞台袖にまで届いてくる。

 

「『きたみなみ公園オクテット』の皆さん、お願いします」

 

 スタッフの人に促された。

 もう一度、7人の顔を見渡し、そして頷く。

 

「さあ、行きましょう!」

『おー!』

 

 小声で叫ぶという、こういう場所でしかしない真似をしながら、舞台へ向かう。

 8人で足を揃えて立ったこの舞台はきっと、今まで立ってきたどんな舞台よりも輝いていた。

 

 ▼△▼△▼△

 

 結果として、私たち『きたみなみ公園オクテット』は京都府アンサンブルコンテストで見事に金賞を受賞し、それだけでなく京都府代表として関西大会に進む事となった。関西大会では、残念ながら全国大会には進めなかったものの、金賞を受賞する事が出来た。私立高校入試のすぐ後だったから、それがなかったらもう少しみんなとの練習に打ち込めて全国大会に進めたかもしれない。

 アンサンブルコンテストへの挑戦が終わってからも、私たちのチームは解散する事なく、今年度中は活動するという事になった。『ラプソディー・イン・ブルー』だけでなく、他の曲も演奏して、技術も磨いた。

 

 3月に公立高校入試があり、私は危なげなく北宇治高校に合格。晴れて来年度から晴香さんたちと同じ北宇治生となる。

 例年に比べて、南中学の同級生の吹奏楽部メンバーで北宇治高校に進んだ人はかなり少なかった。さらにその中で吹奏楽部に入ろうとしている人にもなれば、私が少し話した中では見つけられなかった。当然といえば当然とも言える。北宇治吹奏楽部は南中学の先輩たちを虐めて追い出したようなものだ。先輩と繋がりがある人ならその情報を得る事も難しくはないだろうし、話を振られて何人かとそういう情報を共有した事もある。今の時代、進学先なんて無数にある。わざわざそんな学校に進学するメリットなんて精々が家から近いぐらいで、デメリットの方が大きいと考えるのが普通だろう。

 来年度からは晴香さんの代が三年生の最上位学年となる。今までも一つ上の代が引退していたので実質最上位学年ではあったけれど、これからは名実ともに、だ。さらに、部長は晴香さんである。同じような事は起こらないと、そう思う。もしも何かあっても、私も全力で動くつもりだ。今度は部外者ではなくなる。堂々と介入出来る。

 

 そうしているうちに、あっという間に入学式の日がやってくる。

 これから始まる新しい生活がどうなるか、私は希望に胸を膨らませた。

 

 

 





 次回から原作に入っていきます。

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