いつか途切れた、音の続きを 作:いつかの音色
「何ですか、これ」
それは合奏を途中でとめ、そして開口一番に放たれた言葉だった。
指揮台に立つのは滝先生。演奏していたのは『海兵隊』。どちらかといえば簡単な方な、初心者でも取り組みやすい曲だ。けれど、比較的簡単とはいっても良い曲だ。私は好きである。
演奏の出来でいえば、完璧とは程遠い。南中とは全然違う。ただ、南中吹奏楽部とはスタンスが違うのだからそれも当然といえば当然だ。
「部長、私は言いましたよね。合奏が出来るレベルになったら呼んでくださいと。その結果がこれですか」
「すみません……」
滝先生の言う合奏が出来るレベルがどの程度かは分からない。ただ、お眼鏡には叶わなかったのだろう。不機嫌さを隠すつもりはないようだ。
しかし、晴香さんに当たるのはやめてほしい。
「皆さん、合奏って何だと思います? 倉崎さん、どう思いますか?」
と、急にこちらに飛んできた。
突拍子もない事だけれど、晴香さんにネチネチ言われるより全然良い。
「みんなで音を合わせて演奏する事です」
「そうですね。しかし、各パートに欠陥が多くてこれでは合奏になりません。貴女はどう思いますか?」
意地悪な質問内容だ。仮にここでその通りだと同意すれば部員たちを敵に回すし、否を唱えるにも、確かにバラバラだったというのは事実なのでやりにくい。
「『海兵隊』では初心者向けというイメージが先行して、自分の練習が疎かになってしまったのかもしれません。自分の練習は後回しにして後輩に指導している先輩方を何度か見かけました」
滝先生の言葉をふんわりと肯定しつつも、部のみんなをフォローする。なかなか良い答えなのではないだろうか。
実際、嘘ではない。クラリネットパートではまず私が一年生組に手ほどきをしてそこにヒロネさんを巻き込む事で、先輩たちも一年生組への指導に関わってもらった。一応練習時間となっている時間でも、他のパートにお邪魔した事もあった。北宇治吹奏楽部は色々と緩いので、そういう事もしやすかった。ちなみに、サックスパートとトランペットパートに関しては晴香さんと香織さんが良い感じにやってくれているはずなので、その他のパートにお邪魔した。
フルートパートでは、希美先輩がいる事はもちろんとしてパートリーダーの姫神先輩に気に入られる事が出来たので入り込む事はそう難しい事ではなかった。姫神先輩は楽しくやる派の人だけれど、楽器はある程度吹けた方が楽しいという考えを持っている人だったので、少し一年生に教えるぐらいは協力してくれた。姫神先輩がやれば、他の先輩たちも手伝ってくれた。もちろん希美先輩も率先して。
ホルンパートはパートメンバー間の仲が良く、一年生がやる気を出せばそれに付き合ってくれた。一年生は楽器を選んでまだ時間も経っていないため、モチベーションは高い。特にホルンでは金管楽器で一番難しいと言われている、吹けたらカッコいいというような内容で同級生で初心者組の瞳さんのモチベーションを上げて、それに先輩たちも付き合ってもらう形にした。
トロンボーンパートでもパートリーダーの野口先輩に気に入られているので入り込む事に苦労せず、とは言いつつここは野口先輩のモチベーションがそれほど高くなかったので、ほとんど雑談で比較的やる気のある同級生である塚本くんにアドバイスをするに留めた。
低音パートは、私が他のパートに行った事を裏切りと捉えているのか田中先輩に追い払われてしまったので特に何も出来ず、ダブルリードパートは一年生がいないのでお邪魔せず。パーカッションはチラリと覗いたところ普通に一年生への指導をしていたので邪魔しなかった。
という事で、自分の練習はともかく、先輩たちが一年生へ教えていたというのは事実だ。私が手引きした面はあるにしても。
仮に本気でコンクールで良い賞を狙わないにしても、私は楽器は吹けてなんぼだと思っているので、せっかく吹奏楽部に入ったのだから、同級生のみんなには演奏を楽しんでほしいのだ。ただ、そうして主に一年生に対して意識を向けるようには仕向けたけれど、自分の練習をするようには仕向けなかったので、一年生は吹いていない人も多いこの合奏にはあまり良い影響を与えたとは言えなかった。
「なるほど、そうでしたか。確かに後輩への指導は大切です。しかし、それで自身の練習が疎かになっていては本末転倒です。皆さんは全国を目指すと、そう決めたのです。最低限のレベルはパート練習でクリアしていてもらわなければ困ります。この演奏では指導以前の問題です。私の時間を無駄にしないで頂きたい」
いちいちそんな事を言わないと会話出来ないのかと思ってしまう。目標を叶えるために力を貸すとか言っておきながら、私の時間を無駄にするな、とか。
そもそも指導以前とは言っても、合奏を良くしようとするなら滝先生が指導するしかない。頑張れば私が前に立って色々と出来ない事もないけれど、私が出しゃばり過ぎるのはさすがに部活の形として健全ではないような気がする。
そして、そんな滝先生の言葉に反抗するように、野次が飛んだ。
「そんな事言われても具体的に言ってくれないと分かりません」
「そうですよ、ただ駄目だ駄目だって言っても」
確かに、どこをどうすれば良いという練習としての目指すべきゴールが見えているのといないのでは効率に大きな差が生まれるだろう。後ろから飛んだ先輩の言に心の中で同意する。
「そうですか。分かりました。ではトロンボーンの皆さんはこのメトロノームに合わせて最初から吹いてください。いいですか?」
それに対する滝先生の反応は、最初に野次を飛ばした先輩が所属するトロンボーンパートだけで吹かせる事だった。吹奏楽の練習として、みんなで集まっている中で1つのパートだけ吹かせられる、という光景は珍しくない。それが嫌だと感じる人もまた珍しくはないけれど。
そして滝先生は、トロンボーンパートの演奏を数節だけ聞いてそれを打ち切った。
「はい、そこまで。皆さん、この演奏を聞いてどう思いました? 良いと思った人」
小さく手を上げるようなジェスチャー。良いと思った人は手を上げろ、という事だろう。誰も手は上がらない。
「良くないと思った人」
今度は恐る恐るといった風に手が上がる。私は手を上げなかった。
良くないというのが事実でも、このやり方は好きじゃない。まるで公開処刑だ。合奏はみんなの心が一つになってこそだというのに。これではみんなで頑張っているどころか、仲間から見下され、侮られているのも同然だ。
こんな事をして音楽が嫌いになったらどうするつもりなのか。と、考えてしまう。
「私はトロンボーンだけでなく、他のパートも同じだと思いました。聞くに耐えないものだと。もう一度言いますが、これでは指導以前の問題です」
何か纏めた風に言っているけれど、結局何が悪いのか具体的に言っていない。出だしの音がズレているとか、わざわざ言わなくても分かる事が多いとはいえ、だ。
しかも聞くに耐えないなんて。それが教師の言う事か。
私は手を上げた。
「先生。それなら、どれぐらいのレベルになれば指導を受けるに値しますか?」
どれぐらいのレベルと言われても具体的に言う事は出来ないだろう。そもそも問い自体が抽象的だ。謂わば、これは滝先生への意趣返し。聞くに耐えないなどと、侮辱するような事を言った滝先生への。
「そうですね」
そう言って、滝先生は部員たちの方を見渡す。そして何を言い出すかと思えば、部員の名前を挙げていった。
「では、クラリネットから倉崎さん、フルートから傘木さん、ダブルリードから鎧塚さん、サックスから小笠原さん、トランペットから中世古さん、ホルンから沢田さん、低音から中川さん、パーカッションから井上さん。私の指揮に合わせて最初から吹いてください」
トロンボーン以外のパートから1人ずつの選出。しかし、それぞれ一番上手い人を選んでいるのかと言われると疑問が残る。どういう選出だろうか。私と希美先輩、みぞれ先輩、晴香さん、香織さんは実力で選んだと言われても納得出来る。ホルンの沢田先輩もパートリーダーなのだから妥当といえば妥当だろう。ただ、問題は夏紀さんと井上さんだ。申し訳ないけれど、ただ実力だけを見るなら夏紀さんではなく田中先輩を選ぶはずだ。田中先輩はパートリーダーでもある。それに井上さんも、多分ナックル先輩の方が上手さで言えば上だろう。
と、そこまで考えて思い至る。井上さんはシンバル要員として選ばれた可能性があるから一旦置いておくと、さらにホルンの沢田先輩を除けば『きたみなみ公園オクテット』のメンバーしかいない。滝先生はそれを意識しているのだろうか。だから、田中先輩ではなく夏紀さんを選んだとか。
文脈的に、今から行なうのは到達すべきレベルの話。だからこそ実力上位の人間をピックアップしたと考えれば、アンサンブルコンテストで関西大会金賞という結果を残した夏紀さんを選ぶのも自然の流れなのかもしれない。一般の団体として出たとはいえ、調べれば分かるだろう。
「いきますよ。……さん、はい」
滝先生の指揮に合わせて吹き始める。オクテットのメンバーはもはや以心伝心だ。指揮がなくとも完璧に音を合わせる事が出来る。『海兵隊』の難易度なら急造でも音を外す事はない。
結局、滝先生は先ほどまでのように途中で止める事はなく、私たちに最後まで演奏させた。
「さて、皆さん。分かりましたか? 途中ホルンはズレていましたが、概ねこれが音を合わせるという事です。今回は別のパート同士の楽器を合わせましたが、パート練習ではこれが同じ楽器同士で出来るようになっていてほしい訳です。最低限同じパート同士で音がズレずに揃えられるようになってください」
先ほどの何の指摘にもなっていない、ただの貶しよりはマシなアドバイスだった。
「では部長。今日の合奏はここまでにしておきましょう。来週の水曜日にまた時間を取ります」
そう言って、滝先生は指揮台を降りる。
滝先生は最初のミーティングで、合奏が出来るクオリティになったら呼んでくださいと言っていた。そうして呼んでの今日だった訳である。来週に時間を取るというのは、来週にまた合奏が出来るクオリティになっているか確認するという事だろう。
ただ、部員たちからはこのままではサンライズフェスティバルに間に合わないという声がチラホラ聞こえてくる。サンライズフェスティバル、通称サンフェスはマーチングのイベントで、北宇治吹奏楽部は毎年出るのが恒例となっているらしい。
「あの、サンライズフェスティバルの曲は……」
「貴方たちはそういう事を気にするレベルにはありません。来週まともなレベルになっていなかったら私は参加しなくても良いと考えています」
香織さんからの疑問にはそうしてぞんざいに答えて、滝先生は音楽室を後にした。
当然、その後は吹き出る不平不満。そしてその矛先は晴香さんの方へ向き、滝先生に抗議した方が良いという流れになる。部員の中で一番立場が上なのが部長である晴香さんなので、こういう時は部員の代表とならなければならないのが苦しいところだ。今日滝先生を呼びに行ったのもその1つだった。
「晴香さん、一旦パート練習にしませんか? パートごとの音がズレてなければ良いみたいなので、とりあえず音を合わせる練習みたいな感じで」
「そうだね。うん、じゃあみんな、パート練習に移ってください。滝先生が言っていたように、音を合わせる事に意識するのも忘れずに。滝先生に話を持っていく件については、パートリーダー会議でちゃんと決めたいと思います」
一旦、そういう事になった。
もし晴香さんが滝先生に何か言いに行く事になったら後ろをついて行こう。あの人と晴香さんを2人きりにするのは憚られる。
▼△▼△▼△
翌日、音楽室にて。
「休みになったんですか?」
「うん。パーリー会議が終わるまではって。滝先生の方針に対してどうするか決めるまでは練習しないって言い出しちゃって」
「あちゃー」
晴香さんから聞かされた部活動お休みの言葉を聞いて、思わず声が出た。予想は出来た事だ。あの滝先生の振る舞いは反感を買う。というか、その前から普通に買っていた。
私も好きじゃない。
「ほんとに、ごめんね」
「いやいや、悪いのは晴香さんじゃないですよ」
とはいえ困った。どうしたものか。
「あ、倉崎さん。来てたんだ」
そこへ香織さんも現れた。
「はい! 最速で飛ばして来ました!」
「廊下を走ると怒られるから、ほどほどにね?」
放課後になってから、部員が集まって部活始めのミーティングをするまでの間は晴香さんや他のパートの先輩たちと話せる時間だ。なので、私は最速で音楽室に来るようにしている。同じクラスであるため高坂さんと一緒に来る事もあるけれど、今日はお手洗いに行ってから来るということなので私だけ先に来た。
「それにしても休みですか……もし滝先生が意固地になって何を言っても意見を変えなかったら面倒な事になりそうですね」
「うん……私も練習した方が良いとは思うんだけど……」
あまり良くない流れだ。顧問を共通の敵とする事で結束が深まる、というような利益を見るにも今の状況は不利益が大きすぎる。そりゃ、顧問の陰口ぐらいは言うだろうけれど、イベントへの参加を見送らざるを得ないほどに対立するのはさすがにやり過ぎだ。
「自主練は大丈夫な感じですか?」
「もちろん自主練は大丈夫なんだけど……」
「なら一年生だけでも練習したいですね。せっかく新しく部活を始めるのに、いきなりボイコットは気の毒です」
「倉崎さんも一年生だよね……?」
この状況は、一年生と二、三年生では置かれている状況が異なる。二、三年生にとってはいつもの部活を少し休んでいるだけかもしれないけれど、一年生にとっては新しく始まる高校生活の少なくない部分を占める部活動の出鼻を挫かれる形になる。何事にも結構大切な第一印象が、既に大変な事になってしまっている。
「こんにちは……あれ?」
と、さらにそこへ現れたのは一年生3人組。一番最初に吹奏楽部見学に行った時にもいた、黄前さん、川島さん、加藤さん。それぞれユーフォニアム、コントラバス、チューバを担当している。全員低音パートの所属で、私は田中先輩に裏切り者扱いされているので他のパートに比べて関わりが薄い。
「良いところに、3人とも!」
早速何やら異常を察知した3人を音楽室に引きずり込み、そして椅子に座らせた。
「一年生のグループ作りたいから、みんなの連絡先教えて?」
「えっと……どういう状況……?」
「イイね! 作ろう作ろう!」
「そうですね、緑の連絡先はですね」
上から黄前さん、加藤さん、川島さんの反応。黄前さんは私の勢いに押されて困惑気味、加藤さんと川島さんはすぐにスマホを取り出した。
「実はね、先輩たちが滝先生に怒ってボイコットしちゃってさー。一年生だけで集まって練習したいと思って」
「えっ……そうなんですか?」
私の言葉に思わずといった感じで黄前さんが晴香さんの方を見る。
「そうなの。本当にごめんなさい」
部長である晴香さんから肯定が返ってきたので、黄前さんは再び私の方に意識を戻した。
「え、でも来週までにレベル上げとかないとヤバいって話じゃなかった?」
「ほんと、ほんと。困っちゃうよね〜」
「あ、これ緑の連絡先です」
「ありがと〜!」
加藤さんに返しつつ、川島さんと連絡先を交換する。
「自主練はして良いらしいから、この際だし一年生だけで集まって何か練習しちゃわない? せっかく時間ができた訳だし、ね?」
「倉崎さんはどうして一年生を?」
「だってほら、一年生にとっては巻き込まれ事故みたいなものじゃん? それにこういう機会だからこそ、一年生同士の結束を深めておくっていうのもアリじゃん?」
川島さんに返しつつ、入口の方に目をやってみる。そろそろ高坂さんが来てもいい頃なのに、全然来る気配がない。どこかで練習がなくなったという話を聞いたのだろうか。
「先輩も参加するって言うなら全然歓迎するけどね?」
と語っていると、そこへ新たな人影が。
「香織せんぱーい!」
「こんにちはー」
香織さん大好きでお馴染みの優子先輩だ。そしてその後ろには夏紀さん。
優子先輩はひとしきり香織さんに絡んだ後、こっちに意識を向けた。
「なになに、アンタたち。密談?」
「え〜? 気になりますぅ〜?」
「やめい」
「あたっ」
頭にチョップを落とされるいつものやり取りを経て、優子先輩と夏紀さんにも椅子を用意する。夏紀さんは同じ低音パートだから3人にとっても話しやすいだろうけれど、優子先輩は後輩から怖がられる事がある。
「実はですね、一年みんな集めてコソ練しようかと思いまして」
「おー、コソ練。懐かしいね」
「そんな大人数のどこがコソ練なのかしらね」
「もぉ、優子先輩〜こういうのはパッションですよぉ、パッション」
「パッション……?」
頭にクエスチョンマークを浮かべた優子先輩を納得させつつ、話を進める。
「まぁ、そういう訳で一年のグループを作ってるんですよ。あ、3人も吹部の一年はどんどんグループに追加していってね」
「ふーん? なんかそのうち一年生だけガチ勢になってそうね」
「優子先輩も参加します? 夏紀さんも」
「せっかく一年で集まろうっていうのに二年がいたら変な感じになるでしょ」
と、そんな風に話していると、どこからかトランペットの音が聞こえてきた。ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』。少し聞いただけでも上手いと分かる。
「麗奈だ……」
そう呟いたのは黄前さんだった。香織さんも優子先輩もここにいるため、考えられるとすれば確かに高坂さんぐらいだろう。
聞き入るようにみんな無言になり、そして聞き終わって優子先輩の開口一番。
「アンタも何か吹いて一発かましてやりなさいよ」
「いや、なんでそうなるんですか」
思わず素で返してしまった。
「コホン。というか今クラしか持ってきてないですし。優子先輩がかましてやればいいじゃないですか」
「うっ……せ、先輩命令!」
「えぇ〜、そんな事言うなら優子先輩のトランペット貸してくださいよ〜」
何故か優子先輩も引けなくなったのか、自分のトランペットを私に手渡した。いや、本当にどうしてこうなった?
「何か言われたら優子先輩が吹いた事にしてくださいよ?」
仕方ないので、一曲吹く事にした。
「窓開けておきます? 一発かませって言うなら結構な音量出しますけど」
「ほどほどにね?」
「任せておいてください、香織さん」
そうして、私は優子先輩のトランペットを構えた。何かあったら優子先輩に罪を擦り付けるのだから、やるからには本気で吹こう。
その曲は、最初の一音二音を聞けば誰でも分かる有名曲。
「必殺仕事人だ!」
見ての通り加藤さんには大好評。優子先輩も後方で腕組みをしている。晴香さんや香織さんは苦笑いしているけれど、問題はないだろう。トランペットをこんな爆音で吹く事はそうないから、気持ち良かった。
途中、黄前さんがあちゃーという表情を手で覆っていたのは気になったけれど。何かあったのだろうか。