魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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第13話『執着のタネ』

 己を置いて行ったレムを追い、夕焼けが空を焦がすまで走り続けたスバルを迎えたのは、アーラム村の慟哭であった。

 静寂を切り裂くような、あまりにも場違いなほどに透き通った子供の泣き声。

 スバルが村の広場へ駆け込むと、そこには力なく座り込む村人たちと泣きじゃくる子供たちが、何かを覆い囲うように集まっていた。

 

 「……おい、どうしたんだよ。何があったんだよ!」

 

 スバルの叫ぶような問いに答えたのは、自警団の男だった。

 彼は震える声で告げた。

 

 「……あ、ああ、スバルか。……わからねぇ。本当に、何が起きたのかわからねぇんだ……ッ!」

 

 男は血の気の引いた顔で、自身の頭を抱えるようにして地面に視線を落とした。その視線の先には、大小さまざまな布にくるまれた『何か』が複数横たわっていた。

 

 「な、何の前触れも、音もなかった。そこにいた連中の頭が……まるで、巨大な鉄槌で叩かれたみたいに、いきなり弾け飛んだんだ……!」

 

 その言葉に、スバルの思考が凍りつく。

 

 「弾け飛んだ……? 何、言って……」

 

 スバルは這いずるようにして、布にくるまれた遺体の一つに近づいた。震える手でその端をめくる。

 そこにあったのは、この前までスバルに笑いかけていた村の若者の姿だった。だが、首から上は男の言葉通り、完全に粉砕され、赤黒い肉塊と骨の破片が混じり合う、正視に耐えない惨状となっていた。

 

 「――っ、う、あぁ……ッ!!」

 

 こみ上げる嘔吐感を抑え、スバルは絶叫した。

 魔女教の襲撃か? だが、男は言った。「何の前触れも音もなかった」と。

 姿なき死神が、理由も脈絡もなく、ただそこにいた者たちの命を「奪い去った」かのような、あまりにも不条理な死の光景。

 

 「そ、そうだ…。レムは、アンちゃんは…?」

 「レムなら……森へ入っていったよ。アンちゃんを連れてな」

 

 ある村人の言葉に、スバルの背筋を冷たい蛇が這い上がった。

 村人たちが原因不明の死を遂げ、同時に姿を消した、魔女教を憎むメイドと、魔女の残り香を纏った幼女。

 最悪のパズルのピースが、スバルの脳内でカチリと音を立てて嵌まっていく。

 

 「……嘘だろ。まさか、レム、お前……!」

 

 スバルは振り返り、夕闇に飲み込まれつつある裏山へと走り出した。

 喉が焼ける。心臓がうるさい。頭の中では、レムがアンを「魔女教徒」と断じ、そのモーニングスターを振り下ろす光景が、呪いのようにリピートされていた。

 かつてのレムが、スバルにやっていたように。

 

 (やめろレム! あの子は違うんだ! あんなに震えて、俺に縋ってたんだぞ! お前と同じ、魔女教に奪われただけの子供なんだよ!)

 

 茂みを掻き分け、木の根に足を取られながらも、スバルは狂ったように坂を駆け上がった。

 やがて、森の静寂を侵食するような、濃密な「死の臭い」が漂い始める。

 それは、村で見た無残な遺体と同じ、鉄錆と内臓が混じり合った、逃げ場のない悪臭だった。

 

 「……レム! アンちゃん!!」

 

 開けた場所に飛び出したスバルの叫びが、虚空に消える。

 そこでスバルが目にしたのは、自身の理解を、そして許容を遥かに超えた「地獄」の完成図だった。

 

 「あ……、あぁ…………」

 

 地面に転がっているのは、二つに分かたれた「青い塊」。

 かつて愛おしく自分を見つめていたはずの瞳は、泥にまみれ、何も映さず、ただ濁った夜の色を湛えている。

 時間が経っているのか、蠅がたかっていた。

 近くに、アンの姿は無い。

 

 スバルは、膝から崩れ落ちた。

 指先が震え、地面の湿った土を掴む。だが、その土はレムから流れ出した赤い泥で濡れていた。

 

 「レム……? 嘘だろ……。なあ、起きてくれよ……冗談だろ……?」

 

 返事はない。ただ、彼女が最期まで握りしめていたモーニングスターの鎖が、微風に揺れて冷たい金属音を鳴らすだけだ。

 あまりにも無慈悲な切断面。生存の余地を一切感じさせない、絶対的な暴力の痕跡。

 スバルの頭を占拠していたのは、レムがアンを殺すのではないかという懸念だった。だが現実は、その真逆――レムが、何者かに文字通り「屠られた」死体となって転がっている。

 

 「誰だ……誰が、こんな……ッ!! ああ、あああああああああああああああああッ!!!」

 

 スバルの咆哮は、夜の森に虚しく響き渡る。

 怒り、悲しみ、そして「信じていたはずの世界」が足元から崩落していく恐怖。スバルは血まみれの泥を這い、レムの冷たくなった上半身を抱き寄せる。

 スバルは、物言わぬ肉塊となったレムを抱きしめ、嗚咽した。

 彼女の体温はとうに失われ、夜の冷気に侵食されている。指の間からこぼれる血のぬかるみが、スバルの理性を一歩ずつ、確実に削り取っていった。

 

 「あ、アンちゃん……アンちゃんはどこだ……っ!」

 

 ふと、スバルは絶望の淵でその名を呼んだ。

 レムがこれほどまでの無残な最期を遂げたのだ。あんな小さな、戦う術も持たないはずの幼女が、この場から連れ去られたのか、あるいは――もっと恐ろしい結末を迎えたのか。

 

 「どこ行った…探さなきゃ…逃げなきゃ……エミリア……ラム、に……知らせ、なきゃ……」

 

 ガタガタと震える膝を叩き、スバルはレムを抱えながら、幽霊のような足取りで森を出た。

 村の慟哭を背に、闇に包まれた街道を、ただひたすらに屋敷へとひた走る。視界の端々で、レムの死顔が、そして村人たちの弾け飛んだ頭蓋が、明滅するように浮かんでは消えた。

 

 

 「エミリア! ラム! アン! 誰か、誰かいてくれ……ッ!!」

 

 屋敷の正門を潜り抜け、スバルは玄関ホールへと転がり込んだ。

 だが、返ってくるのは不気味なほどの静寂だけだった。

 いつもなら毒舌と共に現れるはずの桃色のメイドも、銀鈴の声を響かせる精霊術師もいない。あの抱き着き魔の幼女もいない。

 

 スバルは縋るような思いで、二階の自室がある方へと階段を駆け上がる。

 その道中、スバルの鼻を突いたのは、裏山で嗅いだものと同じ――耐え難いほどの「血の腐臭」だった。

 

 「…………嘘、だろ」

 

 ロズワールの執務室の前。

 そこには、純白の扉を赤黒く染めて、力なく座り込むラムの姿があった。

 

 「……ら、ラム……?」

 

 スバルの喉から、乾いた掠れ声が漏れた。

 毒舌も、軽蔑の色を浮かべた視線も、今はもうない。ラムの身体は、まるで巨大な手に捻じられ、握りつぶされたかのように関節が逆方向に折れ曲がり、その気高い表情は苦悶の色を遺したまま硬着していた。

 

 「……あ、ああッ!!」

 

 スバルは膝をつき、叫んだ。

 レムが死に、今度はラムまでもが。この屋敷で、一体何が起きたというのか。

 

 「…………エミ、リア」

 

 スバルは、震える手で血溜まりを避けながら、屋敷の奥へと進んだ。

 一歩進むごとに、心臓が凍りついていく。壁には血で描かれた紋章のような跡が、あるいは怪力で引き裂かれたような無数の傷が刻まれていた。

 

 「エミリア……っ、どこだ、エミリア……」

 

 スバルは狂ったように部屋を一つ一つ開けて回った。

 厨房、書庫、居間。どこにも彼女の姿はない。

 ただ、冷たい風が廊下を吹き抜け、誰もいない屋敷を笑うように軋ませていた。

 

 そして、その場所へ辿り着いた。

 禁書庫の近くの隠し扉。そこから繋がる、地下の隠し通路へと続く階段。

 そこから、今まで経験したことがないほどの「絶対的な死の冷気」が這い上がってきていた。

 

 「この、下……か……?」

 

 スバルは階段を下りた。

 石造りの壁は霜で白く覆われ、吐き出す息は一瞬で白く凍りつく。

 隠し通路へと続く階段を一段下りるごとに、気温は劇的に低下し、スバルの肺胞は凍てつく空気に焼かれるような痛みを覚えた。壁に張り付いた氷の層が、スバルが持つ微かな体温を吸い取り、思考を鈍らせていく。

 

 「…………ぁ」

 

 スバルの喉が、音にならない悲鳴を上げる。

 通路内にある地下室の中央。そこには、巨大な氷の結晶が、まるで美しい棺のようにそびえ立っていた。

 その半透明の氷の中に、静かに、永遠の眠りについたかのように閉じ込められているのは――。

 

 「……エミ、リア」

 

 彼女は、指先まで白く凍りついていた。全身が氷に覆われていて、その全貌が見えない。だが、顔だけは何とか見えた。

 それは恐怖に歪んだ顔ではなかった。ただ、深い悲しみと、何かを諦めたような虚無の色を瞳に宿したまま、彼女の時間は「氷」という絶対的な沈黙によって止められていた。

 その氷像の傍ら。

 宙に浮かぶ小さな毛玉――パックが、いつもとは似ても似似つかない、命の通わない冷徹な瞳でスバルを見下ろしていた。

 

 「……遅すぎたよ、スバル。もう、何もかもが終わってしまった」

 

 パックの声には、親愛も、慈しみも、遊び心も、微塵も残っていなかった。ただ、世界の終焉を告げる風の音のように、無機質に響く。

 

 「……ちがっ、俺、はこんなことをっ……俺は、守ろうとしたんだ…。みんな、守りたかったんだよ……っ!」

 「守る? 誰を。何から。……君は身勝手に行動して、エミリアに背を向けた。その結果がこれだ。……娘を失った僕に、もうこの世界を残しておく理由なんて、一つもないんだよ」

 

 パックの体が、膨張し始める。

 小さな愛玩動物の姿は霧散し、屋敷の天井を突き破らんばかりの巨大な、山ほどもある巨大な獣が地下室の闇の中から這い出した。

 

 「消えてしまえ。……悲しみも、裏切りも、その全てと一緒に」

 

 絶対的な零度が、スバルの視界を白く染め上げた。

 身体の感覚が消える。血液が管の中で凍りつき、心臓が動きを止める。

 スバルは、エミリアの氷像に手を伸ばそうとしたまま、意識を、命を、崩れ落ちてきた瓦礫に砕かれて散った。

 

 

 「――っ、が、はっ……!!」

 

 スバルは、激しい過呼吸と共に飛び起きた。

 喉の奥に、先ほどまで吸い込んでいたはずの氷の冷たさがへばりついている。視界が激しく明滅し、胃の内容物が逆流してくるのを必死に飲み込んだ。

 

 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ッ!!」

 

 膝をつき、手のひらで地面の感触を確かめる。

 冷たい石造りの地下室ではない。そこにあるのは、乾いた土と、午後の陽光に温められた砂利の感触だった。

 

 「ここ、は…?」

 「おーい、スバルー! っておい、どうした?」

 

 見覚えのある、若い男が駆け寄ってくる。

 

 「……あ、あ……」

 

 スバルの喉が、壊れた蛇口のように引き攣った音を出す。

 目の前にいるのは、あの凄惨な「死の光景」で、頭蓋を粉砕されて転がっていたはずの若者だ。生きている。呼吸をしている。そのあまりにも当たり前の事実に、スバルの涙腺が崩壊した。

 

 「生きて……る。お前、頭、ついてるな……?」

 「はぁ!? 何言ってんだよ、縁起でもねぇ。それより、森の奥から、親とはぐれちまったって言う女の子を見つけてよ。お前、子供の相手得意だろ? ちょっとこっちに来てくれねぇか」

 「親とはぐれた、女の子………? っ!! まさかッ!!」

 

 スバルは、震える足取りで自警団の男に引かれ、村の広場へと向かった。

 視界が滲んで、うまく前が見えない。

 頭蓋が砕けた村人たち、真っ二つになったレム、氷漬けのエミリア、そして全てを終わらせたパック。

 あの「終わったはずの世界」の残像が、網膜にこびりついて離れない。

 だが、広場の中央、木陰のベンチに座るその姿を認めた瞬間、スバルの思考から一切の雑念が吹き飛んだ。

 

 「――ぁ」

 

 そこにいたのは、泥だらけのボロ布を纏い、小さな肩をこれ以上ないほどに縮めて震えている、黒髪に一筋の赤のメッシュが入った幼女だった。

 あの地獄のような光景の中で、唯一、行方がわからなかった存在。自分が守りきれなかった、世界で一番小さな絶望の被害者。

 アンは、周囲を取り囲む村人たちの視線に怯えるように、膝を抱えて顔を伏せていた。

 

 「おい、嬢ちゃん。怖くないぞ。こいつはナツキ・スバル。ちょっとうるさいけど、悪い奴じゃないから……」

 

 自警団の言葉を待たず、スバルは駆けだしていた。

 なりふり構わず、なりふりなんて構っていられるはずもなく。

 

 「アン……っ!!」

 「……え……?」

 

 名前を呼ばれ、アンがゆっくりと顔を上げた。

 その瞳は、未来の惨劇を知る由もない、ただ純粋な恐怖と孤独に染まった、迷子の瞳。

 スバルは、彼女の華奢な体を、砕かんばかりの力で抱きしめた。

 

 「……ッ、……ぁ……く、くるしい…」

 

 あまりに突然の、そしてあまりに激しい抱擁に、アンの小さな体がビクンと硬直する。

 スバルの胸板から伝わる、狂おしいほどの心臓の鼓動。首筋に落ちる、熱くて、ひどく重たい涙の雫。

 アンは、息苦しさに顔を歪めながら、彼の涙にぬれた横顔を見つめていた。

 

 「アン、アン……っ!」

 

 スバルの嗚咽混じりの声が、アンの耳元で震える。

 アンは困惑していた。彼女の視点では、これはスバルとの「初対面」の瞬間だ。

 だというのに、目の前の男はまるで、地獄の底で一度失った宝物を掘り当てたかのような、狂気的なまでの安堵を全身から放っている。

 

 「……あ、の……だれ、なの……?」

 

 アンの声が、スバルの胸に突き刺さる。

 そうだ、まだこの世界のスバルと彼女には、何の積み重ねもない。だが、スバルにとっては違う。付き合いは特別長いわけではないが、家族を失い傷心した彼女を微笑ませた仲がある。

 スバルはアンを抱きしめたまま、ぐっと奥歯を噛み締めた。

 

 (レムが、アンちゃんを森へ連れて行って、あんな……)

 

 脳裏をよぎる、真っ二つになったレムの残像。

 レムはよく、アンを警戒していた。スバルがやめるよう説得してみても、言葉では了承してくれるがその心は納得をしていないことが彼でも読み取れていた。

 スバルは、レムが魔女の残り香に当てられ、アンを魔女教徒と断じて処刑しようとしたのだと予想する。そして、おそらくアンは逃げ去り、その騒動に誘われるように何者かが現れ、レムや村人、屋敷の皆を蹂躙したのだと。

 あの時、アンはどうなったのか。逃げ切れたのか、誘拐されたのか、それとも――。

 

 (俺が……俺が目を離したからだ。俺が、アンちゃんを一人にしたから……!)

 

 スバルは顔を上げ、涙を拭った。その三白眼には、これまでになかったような、暗く、重く、澱んだ決意の火が灯っていた。

 

 「……アンちゃん。俺の名前はナツキ・スバル。君を守る、君の、味方だ」

 

 スバルに抱きしめられながら、アンの瞳に僅かながら熱が宿った。

 彼の腕の中は、泥濘のように温かくて、どこまでも身勝手な善意に満ちている。アンタレスはゆっくりとスバルの背中に手をまわした。

 

 「……うん。おねがい、スバルくん。ぼくを……僕のこと、ずっと、守ってね」

 

 幼い少女の震える声が、スバルの誓いを呪いのように縛り付ける。

 陽光が降り注ぐアーラム村の広場。賑やかな喧騒の中で、スバルは腕の中にある確かな熱だけを信じていた。

 先ほどまで肌を焼いていた、あの地下室の絶対零度はもうない。指の間を流れていったレムの血のぬかるみも、今は夢の跡のように消え去っている。

 

 スバルはアンを抱きしめ続ける。

 周囲の村人たちは、突然現れて見知らぬ少女を抱きしめ、号泣し始めた少年に困惑の視線を向けていた。だが、今のスバルにとって、そんな世間体はどうでもよかった。

 あんな地獄を、二度と繰り返してなるものか。

 屋敷が壊滅する。そんな結末は、俺が絶対に書き換えてみせる。

 

 「……あの、スバルくん……くるしいよ」

 

 アンの消え入りそうな声に、スバルはハッとして腕の力を緩めた。

 目の前のアンは、泥だらけの服を纏い、怯えた小動物のように目を潤ませて自分を見上げている。その純粋な瞳。家族を失い、独りで森を彷徨い、ようやく人里に辿り着いたばかりの少女。

 この子が、あの凄惨な殺し合いの当事者になるなど、あってはならないのだ。

 

 「わりぃ、アンちゃん……。ちょーっと、感極まっちまって。俺な、これでも涙もろいタイプなんだ。……安心しろ、もうお前は一人じゃない。このナツキ・スバル様が、文字通り世界で一番安全な場所へ連れてってやる」

 

 スバルは努めて明るく笑い、彼女の頭を力強く撫でた。

 その瞬間、スバルの指先が微かに震えた。

 前のループの記憶が、網膜の裏側で警報を鳴らす。レムが指摘していた「魔女の残り香」。

 だが、それは彼女が大罪司教だからではない。彼女自身が魔女教に襲われ、その呪いを浴びせられた「被害」の証拠なのだ。

 スバルはそう強く自分に言い聞かせた。

 

 

 それから数刻後。スバルはアンを連れて、ロズワール邸の門を潜っていた。

 隣を歩くレムは、まだアンに対して「お客様」としての礼儀を保っている。だが、その視線の端々に宿る冷たい不信感を、スバルは見逃さなかった。

 

 「スバルくん。その方は……」

 「ああ。村で見つけた迷子だ。事情はロズワールに話す。アンちゃん、ここは怖いところじゃない。ちょっと派手なピエロと、口の悪いメイド、生意気なドリルロリに天使みてぇな女の子がいるだけだ」

 

 スバルは、アンの手を握る力を強めた。

 アンは終始、俯いたままスバルの後ろに隠れるようにして歩いている。その姿は、あまりにも弱々しく、守るべき対象そのものに見えた。

 

 やがて、ロズワールの執務室での面会が終わった。

 ロズワールはいつもの道化た態度でアンの滞在を許可したが、その眼の奥で何を計算しているかは不明だ。ただ、スバルにとっては許可さえ得られればそれでよかった。

 

 「アンちゃん、今日からお前の部屋はここだ。何かあったら、すぐ隣の俺の部屋を叩け。いいか、絶対に一人で悩むなよ」

 「……うん。ありがとう、スバルくん」

 

 アンは小さな声で答え、あてがわれた客室のベッドの端にちょこんと座った。

 大浴場でレムに身体を洗ってもらい、泥だらけの服から少しダボついた服に着替えた彼女は、彼女の整った容姿も相まって、野に咲く一輪の花のように可憐だった。

 スバルはその背中を見届け、部屋を出る。

 扉を閉めた瞬間、廊下には重苦しい沈黙が降りた。そこには、待ち構えていたレムが立っていた。

 

 「スバルくん。あの方を屋敷に入れるのは、賢明な判断とは思えません」

 「レム、言いたいことはわかる。……『臭い』がするんだろ?」

 

 直球の問いに、レムの眉がぴくりと動いた。

 

 「……分かっていたのですね。なら、なおさらです。あの子からは、隠しきれないほど濃密な魔女の……」

 「あの子は、被害者なんだよ」

 

 スバルはレムの言葉を遮った。

 その声には、今のレムには理解できないほどの重みと、ある種の「怯え」が混じっていた。

 

 「いいか、レム。魔女教に故郷を焼かれた奴が、魔女の臭いを纏っちまうのは……それは罪じゃない。それは、あの子が地獄を生き延びてきた『傷跡』なんだ。その傷を理由に、また誰かが刃を向けるなんて……そんなこと、俺は絶対に許せない」

 

 スバルの三白眼が、真っ向からレムを射抜く。

 レムは驚いたように目を見開いた。いつも軽口ばかり叩いているスバルが、これほどまでに必死に、一人の少女を庇い立てする姿を初めて見たからだ。

 

 「……スバルくんがそこまで仰るなら、レムはこれ以上何も言いません。ですが……」

 「信じてくれ、レム。……俺はお前を失いたくない。あの子も死なせたくない。……そのためなら、俺は何だってする」

 

 その言葉は、レムには「献身」として響き、スバルにとっては「祈り」だった。

 レムはわずかに視線を伏せ、「……承知いたしました」と小さく会釈をして去っていった。

 スバルはその背中を見送りながら、壁に寄りかかって深く息を吐いた。

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