魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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長くなっちゃった


第16話『爆弾掛け持ち』

 翌朝、ロズワール邸の執務室。

 豪奢な絨毯を踏みしめながら、スバルはアンの手を引いてピエロの前に立っていた。

 アンはいつも通り、ダボついた借り物の服の袖をぎゅっと握りしめ、怯えた様子でロズワールを見つめている。

 その小さな身体からは、昨日ベアトリスが指摘したような、おぞましい呪いの気配など微塵も感じられない。ただただ、庇護を求める無垢な幼女そのものだった。

 

 「おやおやぁ、朝早くから揃ってどうしたのかぁーな? スバルくん、それに可愛らしいお客様」

 

 机に肘をつき、オドケた調子で左右非対称の瞳を細めるロズワール。

 スバルは一歩前に出ると、アンを背中に隠すようにして、真っ直ぐにその奇異な瞳を射抜いた。

 

 「ロズワール、折り入って頼みがある。……数日後の王都行き、このアンちゃんも一緒に連れて行かせてくれ」

 

 その要求に、ロズワールは意外そうに片眉を上げた。

 

 「へぇ? 彼女を連れて王都へねぇ……。理由を聞かせてもらってもいいかな? 屋敷でおとなしくお留守番をしていた方が、その小さな女の子にとっては安全だと思うのだけぇーれど」

 「逆だ。ここに置いておく方が危険なんだよ」

 

 スバルの声が、低く、切迫した響きを帯びる。

 

 「……俺の予感じゃ、近いうちにこの場所は『魔女教』の襲撃に遭う。それも、一人や二人じゃない、複数の『大罪司教』が、この領地を狙って動き出してる」

 

 『大罪司教』という単語が飛び出した瞬間、執務室の空気が一変した。

 ロズワールの瞳の奥から道化の光が消え、底冷えするような鋭い観察の色が浮かび上がる。

 スバルの背後に隠れたアンタレスは、その空気の変化を敏感に察知し、スバルの服を掴む手に力を込めた。

 

 「……大罪司教が、複数、ねぇ。それはまた、ずいぶんと具体的な『予感』だこと。スバルくん、君は一体どこでそんな情報を……?」

 「どこだっていいだろ! 今は俺を信じるかどうかの話をしてるんだ!」

 

 スバルは机を叩かんばかりに身を乗り出した。

 

 「あいつらは、アンちゃんを『エサ』にするために、もう俺たちのすぐ近くまで手を伸ばしてやがる。屋敷の戦力だけじゃ足りねぇんだ。ラムも、レムも、エミリアも……みんな、あいつらの理不尽な攻撃の前じゃ命がいくつあっても足りねぇ! だから、俺は王都へ行く。王都へ行って、ラインハルトや他の騎士たちを味方につけて、あいつらを迎撃する準備を整える!」

 

 ハァ、ハァ、と荒い息を吐くスバルを、ロズワールはしばらく無言で見つめていた。

 やがて、ロズワールの唇が、三日月のように歪んだ。それは、狂気的な娯楽を見出した男の笑みだった。

 

 「……いーぃよ。連れて行くがいいさ。その方が、何だかとても『面白そう』だからねぇ」

 「……! 許可、してくれるのか?」

 「あぁ、とも。君のその必死な顔を見るに、ただの妄想とも思えない。それに、王都の『剣聖』の側に置くという判断自体は、防衛策としては至極真っ当だ。エミリア様の用事の邪魔にならない限り、彼女の同行を認めよう」

 

 あっさりと出た許可に、スバルは安堵の息を漏らした。

 だが、本題はここからだった。スバルはさらに表情を引き締め、言葉を重ねる。

 

 「感謝するぜ、ロズワール。……実は、もう一つ頼みがあるんだ」

 「おや、まだ何かあるのかーぁい?」

 「俺たちが王都に行った時、騎士団や他の王選候補者たちに、協力を取り次ぐのを手伝ってくれないか。俺一人の言葉じゃ、誰も信じちゃくれない。だけど、辺境伯であるお前の口から『魔女教の危機』を伝えてもらえれば、あいつらも動かざるを得ないはずだ。王選の枠組みを超えて、今だけは協力し合うように、お前から頭を下げてほしいんだ!」

 

 スバルの必死の懇願。一人でも多くの戦力を集め、アンを、そして村の皆を守るための『パーフェクトコミュニケーション』の一環。

 しかし、その言葉を聞いた瞬間、ロズワールはクスクスと、今度は明確に嘲笑するような声を漏らした。

 

 「……スバルくん。君は、本当に『政治』というものが分かっていないねぇ」

 「なんだと……?」

 「断るよ。他の候補者への取り次ぎも、協力の要請も、私は一切行わない」

 

 きっぱりとした拒絶に、スバルの顔が怒りで赤く染まる。

 

 「はぁ!? なんでだよ! 魔女教の脅威は、ルグニカ王国全体の危機だろ!? あいつらがこの領地を滅ぼしたら、次はどこに向かうか分からないんだぞ!」

 「だからさ、スバルくん。他の王選候補者たちにとって、その提案は『利益と不利益が全く釣り合っていない』のだよ」

 

 ロズワールは背もたれに深く身体を預け、冷酷な現実を突きつけるように指を一本立てた。

 

 「いいかい? 今回の件で、最も不利益を被るのは誰だね? 襲撃の舞台となるロズワール辺境伯領であり、そこで暮らす領民であり、そして何より、その地を治める陣営――エミリア様だ」

 「それがどうした! だから助けを……」

 「他の候補者から見ればね、スバルくん。『魔女教の襲撃によって、エミリア陣営が勝手に壊滅してくれる』というのは、王選を勝ち抜く上で、これ以上ない『利益』なのだよ」

 「――っ!」

 

 スバルの喉が、不快な音を立てて詰まった。

 

 「わざわざ自分の大切な騎士や私兵を貸し出して、何の得にもならない他陣営の領地を守るために、命の保証もない大罪司教と戦わせる。そんな危険を背負う馬鹿がどこにいるのかーぁい? むしろ、彼らは心の中でこう願うだろうさ。『魔女教よ、綺麗さっぱりエミリア陣営を消し去ってくれ』とね」

 

 ロズワールの言葉は、冷徹な天秤そのものだった。

 命の重さではない。利益の有無。それが王都という政治の戦場における絶対のルール。

 

 「クルシュ・カルステンも、アナスタシア・ホーシンも、プリシラ・バーリエルも……皆、一国を背負おうとする傑物だ。そんな甘い感傷で動くはずがない。君が王都で『魔女教が来るから助けてくれ』と叫べば叫ぶほど、彼女らは君を『無能な哀願者』と見なし、エミリア様の評価を貶める結果になるだろう。……それでも、君は彼女らに頭を下げるのかい?」

 

 スバルは拳を固く握りしめ、全身を小刻みに震わせた。

 分かっていたはずだ。あの王都の連中が、一筋縄ではいかないことくらい。しかし、ここまで明確に「見殺しにされる」という現実を突きつけられると、胃の底からドロドロとした怒りがせり上がってくる。

 

 「ふざけるな……。ふざけるなよ……!」

 

 スバルは低く声を絞り出した。

 その三白眼には、絶望ではなく、世界そのものを睨みつけるような昏い闘志が宿っていた。

 

 「誰も助けてくれないなら、俺が、俺の力で、あいつらを納得させるだけの『カード』を揃えてみせる。メリットがねぇなら、作ってやる。……ロズワール、お前の助けなんて要らねぇ。俺はアンちゃんを連れて王都へ行く。そして、一人残らず巻き込んで、全員で魔女教をブチのめす!」

 

 スバルはそれだけ言い捨てると、ロズワールの返事も待たずに、アンの手を引いて激しく執務室を後にした。

 

 パタン、と扉が閉まり、静寂が戻った執務室。

 ロズワールは、自分の手元にある「叡智の書」を愛おしそうになぞりながら、誰に言うでもなく呟いた。

 

 「あぁ、素晴らしいよ、スバルくん。君が足掻けば足掻くほど、運命の歯車は心地よい音を立てて狂い始める。……王都で君がどんな『地獄』を踊るのか、楽しみにさせてもらうよ――」

 

 

 数日後、僕たちを乗せた竜車は、壮麗な城壁に囲まれたルグニカ王国の首都へと滑り込んだ。

 活気に満ちた大通りの喧騒、色鮮やかな露店、行き交う多種多様な亜人たち。しかし、そんな異世界の絶景も、僕の目には巨大な処刑台の背景にしか映らなかった。

 ロズワールが手配していた王都の宿は、外観こそ格式高いものの、一歩中に足を踏み入れれば、薄暗い回廊がどこか監獄のような圧迫感を醸し出す場所だった。

 

 「――それじゃあ、スバル、レム。私はこれから賢人会との打ち合わせに行ってくるから。王選の正式な発表があるまでは、二人はアンちゃんを連れて、ここで待っててね」

 

 竜車を降りたところで、エミリアは僕たちの顔を順番に見つめ、最後に僕の前にしゃがみ込んだ。

 

 「アンちゃん、知らない場所で不安だと思うけど、スバルとレムがついてるからね。絶対に一人で遠くに行っちゃダメよ?」

 「はい…分かりました。エミリアさん」

 「もうっ、そんなかしこまらなくてもいいのに…」

 

 エミリアは不満げに微笑むと、白い外套の裾を翻し、騎士たちに護衛されて王城の方へと歩いていく。

 残されたのは、僕とスバル、そしてレムの三人。

 エミリアの姿が見えなくなった瞬間、張り詰めた沈黙が僕たちを包み込んだ。

 

 「……さてと」

 

 スバルがパチンと両手を叩き、凶悪な三白眼をぎらつかせた。

 

 「のんびり宿で待ってる暇はねぇ。ロズワールのクソピエロが言った通り、今の俺の言葉じゃ誰も動かねぇ。だったら、あいつらが喉から手が出るほど欲しがる『エサ』をぶら下げてやるまでだ」

 「スバルくん、具体的にはどのような行動をするおつもりですか?」

 

 レムが淡々と尋ねる。その視線はスバルに向けられているが、意識の端は常に僕の動向を監視していた。

 

 「アンちゃんを連れて、まずは情報収集、それから交渉だ。他の候補者が何を欲しがってるか、この王都でどんな問題が起きてるか、力ずくでも探り出す。幸い、俺には……」

 

 スバルは言葉を濁した。――『死に戻り』という、命をチップにした情報収集の手段がある、と言いたいのだろう。

 

 「……情報収集、ですか」

 

 レムが小さく、冷ややかな声音でその言葉を繰り返した。

 

 「スバルくんの仰る意味が、レムには少し分かりかねます。エミリア様は大人しく宿で待つようにと。それに、そのような危険な真似、アン様を連れて行くわけには……」

 「いや、アンちゃんを一人にするわけにはいかねぇんだ」

 

 スバルは遮るように、断固とした口調で言った。その手は僕の肩を強く、だが壊れ物を庇うように包み込んでいる。

 

 「屋敷に置いておくのが危険だったのと同じだ。この王都のどこに魔女教の潜伏者がいるか分からない。俺の目の届く場所に……俺のこの手の届く距離にいてもらわねぇと、ダメなんだ」

 

 それは本音なのだろう。スバルの瞳にあるのは、僕への過剰なまでの保護欲と、それを失うことへの狂気的な恐怖だ。

 だが、その言葉がレムの逆鱗に触れたのを、僕は見逃さなかった。

 レムの瞳の奥で、青い火花のような敵意が爆ぜる。スバルが自分たちではなく、この「出所不明の不気味な子供」を世界の中心に据えていることへの、深い嫉妬と不信。

 

 「……そこまで仰るのなら、レムも同行します」

 

 レムは一歩前に出ると、完璧な一礼をした。

 

 「スバルくんを一人で危険な目に遭わせるわけにはいきません。それに……アン様の『お世話』も、近くで続けさせていただきたいですから」

 

 レムの鋭い目つきが突き刺さる。彼女のあまりにも露骨な警戒に、僕は苦笑した。

 行動の指針が決まるや否や、スバルは落ち着きなく部屋の机に向かい、羽ペンを握りしめた。

 

 「よし……エミリアへの置手紙は、これで完璧だな」

 

 スバルが書き置きを机の目立つ場所に置く。

 そこには『ちょっと王都の観光に行ってくる! アンちゃんに美味いもんでも食わせてやりたいからさ。夕方には戻るから心配すんな!』と、努めて明るい筆致で書かれていた。

 エミリアを政治の泥沼や、魔女教の恐怖から遠ざけておきたいという、彼なりの不器用な配慮。だが、その隣でレムが冷徹な一瞥を落とす。

 

 「スバルくん。エミリア様を欺くような真似は、レムの本意ではありません」

 「嘘じゃねぇよ、実際、アンちゃんの観光も兼ねてんだ。……それに、エミリアに余計な心配をかけさせたくねぇ。これは俺の戦いだ」

 

 スバルはそう言って、自分の胸を強く叩いた。

 その三白眼は、これから向かう政治の戦場――あるいは『死に戻り』を前提とした地獄の交渉――を見据えて、ぎらぎらと昏く濁っている。

 

 僕はベッドの端に腰掛け、二人のやり取りを、特にスバルの様子を見つめていた。

 見てる限り、彼の精神状態は良いとは思えないのだ。

 自分しか知らない、自分にしか出来ない、自分だけが立ち向かえる。そんな自分勝手な善意が、彼の劣等感と高いプライドによって築かれ、それをもとに行動してしまっている。はっきりいって、焦りすぎだ。

 きっと彼は、まだレムに発破をかけてもらっていないのだろう。

 今回の交渉は、十中八九失敗する。

 そして彼は死に戻り、無かったことになる。何もかもが無意味になる。

 

 それでも、一つ良いことを挙げるとするならば。

 この男が、僕を守るために、最愛の少女にさえ嘘を吐き始めたことだろう。その傲慢な優しさが、僕の心に熱となって滲んでいく。

 彼の心は、僕が想像しているよりも、僕に夢中のようだ。

 

 「荷物の整理は終わりました。いつでも出られます、スバルくん」

 

 レムはそう言い、僕の前に立った。

 彼女の手が、僕の華奢な腕をそっと掴む。その力加減は、一見すれば子供を労る大人の優しさそのものだったが、僕の肉体には、いつでもその骨を粉砕できるだけの冷酷な「圧」として伝わってきた。

 

 「さあ、アン様。スバルくんの足を引っ張らないよう、レムの隣をしっかりと歩いてくださいね」

 「……う、うん」

 

 僕は彼女の誘導に従って立ち上がった。

 スバルの盲目的な善意。レムの殺意を孕んだ監視。その二つの巨大な感情に挟まれ、僕の小さな身体は今にも圧殺されそうだった。

 

 「よし、行くか! 待ってろよ、魔女教共。ナツキ・スバルとアンちゃんを怒らせたらどうなるか、たっぷりと教えてやる!」

 

 スバルが勢いよく部屋の扉を開け放ち、振り返って僕に不敵な笑みを向ける。その背中に続いて、レムが僕を促す。

 こうして僕たちは薄暗い宿の部屋を後にした。

 

 

  ルグニカ王国の首都、その一角にある活気に満ちた大通り。

 色鮮やかな果実の香り、獣人たちの往来、行き交う豪華な馬車の数々。異世界の活気をそのまま形にしたような喧騒の中で、僕はスバルの服の袖を掴んだまま、小さな歩幅でその後を追っていた。

 

 「――そうだ、王選候補者たちの動向だ。特にクルシュとかアナスタシアとかが最近どんな問題を抱えてるか、些細なことでもいい。何か知らねぇか!?」

 

 スバルは路地裏の裏情報屋らしき男の胸ぐらを掴みかねない勢いで、獰猛な三白眼をぎらつかせていた。

 男は怯えるどころか、心底面倒くさそうにスバルの手を払いのけ、地面に唾を吐いた。

 

 「ハッ、そいつは随分と高価な情報だ。お前さん、それを買うだけの金を持ってるのか? それとも、それに見合う極上のネタでも握ってるのかよ」

 「金は……後でロズワールが払う! ネタだって、近いうちにこの国を揺るがす大事件が起きる。その情報を教えてやるから、先に――」

 「お引き取りな、ボウズ。ツケで売る情報もなけりゃ、出所も分からねぇ大事件なんてハッタリに付き合ってる暇はねぇんだよ」

 

 冷たくあしらわれ、スバルは屈辱に歯噛みしながら引き下がるしかなかった。

 これで、五件目だ。

 

 (アナスタシアからノウハウを学んでないな、これ)

 

 僕はダボついた袖で口元を隠し、冷めた視線をスバルの背中に向けた。

 スバルは、必死に情報を求めている。自分が『死に戻り』で得た魔女教の襲撃という未来をひっくり返すために、他陣営を巻き込むための「カード」を欲しがっている。

 だけど、彼の交渉は最初から完全に破綻していた。

 情報を欲しがるなら、それと同等の価値を持つ「対価」を支払わなければならない。金か、人脈か、あるいは相手の喉から手が出るほど欲しい別の情報か。

 それなのに、今のスバルは「情報をよこせ、未来の危機を教えてやるから」と一方的に要求するばかり。相手から見れば、どこの馬の骨とも知れない少年が、根拠のない終末論を振りかざして高価な情報をタダで掠め取ろうとしているようにしか見えないのだ。

 

 等価交換という世界のルールを無視して、自分の「守りたい」という善意だけで世界を動かそうとする。その傲慢な態度が、王都の冷徹な現実にはじき返され続けている。

 

 「……スバルくん。これ以上の無駄足は、エミリア様の不利益になります。一度宿に戻り、作戦を練り直すべきです」

 

 僕たちの後ろを歩くレムが、抑揚のない冷ややかな声で告げた。

 彼女の視線はスバルの背中に向けられているが、その意識の数割は、相変わらず僕の動向を正確に監視している。

 

 「無駄足? 無駄足なんかじゃねぇよ、ここの奴らが国が滅んじまっても気にしねぇクソ共の集まりだって事が分かっただけで十分だ! ああ、クソ、クソクソ!! 時間がねぇ……! ここでモタモタしてたら、あのクソ魔女教の連中が……アンちゃんを狙う奴らが、すぐそこまで……!」

 

 スバルは自分の髪を激しくかきむしった。

 その顔は、焦りと寝不足で酷くやつれ、三白眼の奥のドロリとした執念が、今や狂気一歩手前の濁りとなって彼を蝕んでいる。

 見ていて分かる。スバルのこの精神状態は、完全に限界を迎えている。

 彼はまだ、自分の無力さを認めていない。自分一人で全てを背負い、世界をねじ伏せられると信じ込もうとしている。

 画面越しで眺めていたこの光景を、いざ実際に見てみると、やはり見ていられないほど痛ましい。

 

 「……スバルくん、お腹すいた」

 

 僕はわざと、子供らしい頼りない声を出して、彼の服の裾を引いた。

 これ以上、情報屋相手に醜態を晒し続ければ、レムの不信感が爆発して僕に飛び火しかねない。それに、少しスバルの庇護欲を刺激して、その歪な温もりに浸りたかった。

 

 「あ……。ごめん、アンちゃん。そうだよな、歩かせっぱなしで悪かった……」

 

 スバルはハッと我に返ると、無理やり顔の筋肉を緩めて、僕の前にしゃがみ込んだ。

 その手で僕の頭を優しく撫でる。その手の震えを、彼は隠しきれていなかった。

 

 「よし、ちょっと休憩にしよう。美味いもんでも買ってやるからな。レム、近くに美味いリンガの店とかねぇか?」

 「……大通りを曲がった先に、果物露店があります。エミリア様が仰っていたお店です」

 「おう、そこに行こう。アンちゃん、リンガ好きか?」

 「うん……。スバルくんと一緒に食べるなら、なんでも美味しいよ」

 

 僕がそう言って微笑むと、スバルの瞳にじわりと光が浮かんだ。

 

 「……そうか。そうだよな。俺が、お前を絶対に守ってやるからな……」

 

 スバルは僕を抱き上げるようにして立ち上がり、歩き出した。

 その背中を見つめるレムの瞳には、言葉にできないほどのおぞましい不信が凝固していた。

 スバルが自分たちを顧みず、僕という正体不明の子供のために、最愛のエミリアに嘘を吐き、王都で狂ったように暴走している。レムにとって、僕はスバルを狂わせる「最悪の呪い」そのものに見えているのだろう。

 

 賑やかな露店で、スバルは数枚の硬貨を払い、真っ赤に熟したリンガをいくつか受け取った。

 「ほら、アンちゃん。美味いぞ」と手渡された果実を、僕は小さな歯で齧る。口の中に広がる甘酸っぱい果汁。

 美味しい。けれど、このリンガの甘みすら、この後に訪れるであろう凄惨な結末の前触れにしか思えなかった。

 

 (今回のループは、百パーセント失敗するだろうなぁ)

 

 僕はリンガを噛み締めながら、冷徹に未来を予言した。

 スバルは他陣営を巻き込むカードを何一つ得られないまま、焦燥の極みに達し、いずれ破滅的な選択をする。そして死に戻り、この時間は無かったことになる。

 等価交換を忘れた哀願者に、誰も手を差し伸べはしない。

 ただ、一つだけ確かなことがある。

 スバルが焦れば焦るほど、失敗すればするほど、彼は僕という「被害者」への執着を強めていく。

 エミリアを欺き、レムに疑われ、世界から孤立していくスバルが、最後にすがる場所はどこか。

 

 (僕を守るという、執念だけだ)

 

 世界で一番温かくて、世界で一番逃げ場のない檻。

 その檻の心地よさに、僕の胸の奥がドロリと甘く痺れた、その時だった。

 

 ふっと、大通りの喧騒が消えた。

 

 いや、消えたのではない。通りを行き交う何百人という人々の雑音が、一瞬にして色褪せ、背景へと退いたのだ。

 背筋を駆け上がる、生物としての根源的な恐怖。

 僕の魂の最奥が、見たこともない巨大な天敵の接近を察知して、狂ったように警鐘を鳴らし始める。ガタガタと、奥歯が勝手に鳴り響いた。

 

 「やぁ、スバル。こんなところで奇遇だね」

 

 雑踏を割って現れたのは、場にそぐわないほど美しい、燃えるような赤髪の青年だった。

 どこまでも澄んだ、空を切り取ったような青い瞳。

 ただそこに立っているだけで、世界の理そのものが彼を祝福し、守護しているかのような圧倒的な存在感。

 『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアが、街道に聳え立っていた。

 

 「……な、んで、ここに……」

 

 心臓が、跳ね上がるなんて生ぬるい衝撃で凍りついた。

 僕は恐怖のあまり、手に持っていたリンガを地面に落としてしまう。ゴロゴロと転がる赤い果実。呼吸の仕方を忘れた僕の身体は、完全に硬直していた。

 

 まさか、もう賢人会との打ち合わせが終わったのか。スバルがいないからか、かなりスムーズに事が進んだようだ。

 いや、それより、もし、奴の世界そのものに愛された直感が、僕の正体を見抜いたら?

 僕がペテルギウスと繋がり、自分の命のために何十もの人間を『残機』として掌握している存在だと知られたら、次の瞬間、僕はその理由すら認知できない速度で、一振りの塵へと変えられる。

 

 「ひっ……う、あ……」

 

 声にならない悲鳴を漏らし、僕は全力でスバルの背中へと潜り込んだ。ダボついた服の袖をちぎれんばかりに握りしめ、彼の背中に額を押し付ける。

 怖い。怖い怖い怖い。殺される、殺される! ここにいてはいけない。今すぐ、この男から離れなければ死んでしまう…。

 いや、スバルが守ると言ったんだ。この男とラインハルトは友人関係。

 そうだ、まだ大丈夫………のはず。

 

 「お、お前は……ラインハルト!?」

 

 スバルは驚愕した。だが、その声には、濁った狂喜を孕んでいた。

 それも当然だろう。

 ロズワールに突きつけられた政治の壁。情報屋たちにあしらわれ続けた無力感。その全てをひっくり返せる、ルグニカ王国最強の「規格外のカード」が、向こうから歩いてきたのだから。

 

 「ラインハルト……! ラインハルトじゃねぇか!」

 

 スバルの声が、弾けたように大通りに響く。

 僕の小さな両肩に、スバルの大きな手がかけられた。彼は僕を優しく、けれど絶対に逃がさない力強さで自分の背中へと庇い、親し気な笑みを浮かべた赤髪の剣聖へと一歩踏み出した。

 

 「久しぶりだね、スバル、レム」

 「お久しぶりです。ラインハルト様」

 

 レムが一礼する。

 

 「それにしても、スバル。王都に来ているとは聞いていなかったから、驚いたよ」

 

 ラインハルトは、どこまでも親しみやすく、非の打ち所のない微笑みを湛えていた。

 だが、その青い双眸が、スバルの背後に隠れた僕の存在を捉えた瞬間。

 ――ピキリ、と、世界の空気が凍りついた気がした。

 

 「ひ、ぅ……」

 

 僕はスバルの上着を、指の骨が白くなるほど強く握りしめた。

 怖い。恐ろしい。

 ラインハルトは、世界そのものの祝福を受けている。彼がその気になれば、スバルに巻き付いている僕の『傲慢』の権能による「呪いの糸」も、その先にある魔女教たちと騎士団の命のネットワークも、全て視覚情報として見透かされてしまうかもしれない。

 もしバレたら、僕はここで、スバルの目の前で、一瞬にして消滅させられる。

 

 「……おや」

 

 ラインハルトが、ほんの少しだけ、不可解そうに片眉を動かした。

 その一歩が、僕の方へと向けられる。

 

 「スバル、その子は……?」

 「あ、ああ! 紹介させてくれ、ラインハルト。この子はアンちゃん。俺の……俺の、大切な家族みたいなもんだ」

 

 スバルは僕の怯えを、ラインハルトという見知らぬ巨躯の騎士への恐怖だと解釈したのだろう。

 彼はラインハルトの視線を遮るように大股で前に出ると、その三白眼をかつてないほどギラギラと輝かせた。

 

 「ラインハルト! ちょうど良かった、お前に、お前にしか頼めない、めちゃくちゃ重大な話があるんだ!」

 「僕に、かい? スバルの頼みなら、僕に出来ることなら何でも力になりたいけれど……随分と、切迫した様子だね」

 「切迫どころじゃねぇ! ……魔女教だ。魔女教の、大罪司教が動き出してる」

 

 スバルの口から飛び出したその単語に、ラインハルトの表情から温和な笑みが消えた。

 一瞬にして、彼は「親切な友人」から「王国の守護者」たる騎士の貌へと変貌する。

 

 「……詳しく聞かせてくれるかい、スバル。大罪司教が動き出しているというのは、どこの領地だ?」

 「メイザース辺境伯領……アーラム村とロズワール邸だ! それも、一人じゃねぇ。俺の予想じゃ、最低でも三人……『怠惰』に『強欲』、それに、命を掌握して頭を爆散させる未知のクソ野郎が、このアンちゃんを『エサ』にして、俺たち全員を皆殺しにしようと企んでる!」

 

 スバルは堰を切ったようにまくし立てた。

 王都の情報屋には「根拠のない終末論」と吐き捨てられた言葉。

 だが、ラインハルトは違った。彼はスバルの瞳にある、狂気的なまでの「真実の色彩」を正確に感じ取っていた。

 

 「……スバル、君は冗談でそんな嘘を吐く男じゃない。複数が同時に動いているとなれば、それは一地方の危機ではなく、ルグニカ王国全土の危機だ」

 

 ラインハルトは深く顎を引いた。その真摯な態度に、スバルの顔に狂喜に近い安堵が広がる。

 やっぱりラインハルトは違う。あのクソピエロや冷淡な情報屋どもとは違う。俺の言葉を信じてくれる、最強のヒーローだ、と。

 

 「だったら、ラインハルト! お前の力を貸してくれ! お前が来てくれれば、あの理不尽な化け物どもだって――」

 「――待ってください、スバルくん」

 

 そこへ、これまで沈黙を保っていたレムが、割り込むように冷たい声を放った。

 彼女はラインハルトに対して完璧な一礼をしながらも、その視線はスバルの背後にいる僕へと、文字通り射殺さんばかりに固定されていた。

 

 「ラインハルト様、スバルくんは現在、極度の混乱状態にあります。この『アン』と名乗る子供が屋敷にやってきて以来、スバルくんの言動は明らかに異常です。突如として現れたこの子供に執着し、近いうちに来るという襲撃にお慕いしているエミリア様を欺くほどに怯えています。……レムには、この子供こそがスバルくんに『おぞましい呪い』をかけ、魔女教の狂気へ誘っている元凶のように思えてならないのです」

 

 レムの言葉は、氷の刃となって場に突き刺さった。

 その言葉に、スバルは飛び掛かるような勢いでレムへ叫んだ。

 

 「レム! お前、まだアンちゃんを疑ってんのか!? この子は被害者だ、魔女教に故郷を奪われた可哀想な子供なんだぞ!」

 「スバルくんがそう思い込まされていること自体が、呪いの証明です! ラインハルト様、どうかその目で、この子供の正体を暴いてください!」

 

 僕はスバルの上着に顔を埋め、ガタガタと震えながら泣き声を上げた。

 演出ではない。本物の、心臓が爆発しそうなほどの死への恐怖だ。

 レムの進言によって、ラインハルトの青い瞳が、再び僕へと向けられる。世界最強の男が、僕を裁くために、その神聖な眼差しを向けてくる。

 

 「……レムの懸念も、もっともだ。大罪司教が絡んでいるとなれば、あらゆる精神汚染や認識阻害の権能を疑うべきだからね。……少し、その子を見せてもらえるかい、スバル」

 「ひっ、やめて……来ないで……ッ!」

 

 ラインハルトが静かに手を伸ばす。

 その手が僕に触れた瞬間、僕の正体は――『傲慢』の大罪司教アンタレスの存在は、世界に露見する。

 脳裏を過る、規格外の力で有無を言わさず粉々にされる、凄惨な死のイメージ。

 だが、その最悪の結末を、僕の前に聳え立つ「檻」が、力ずくで叩き潰した。

 

 「――触るなッ!!」

 

 スバルが、怒号と共にラインハルトの手を激しく叩き落としたのだ。

 

 「スバル……?」

 「スバルくん!?」

 

 ラインハルトが目を見張り、レムが驚愕の声を上げる。

 スバルは、実力差など完全に無視した獰猛な三白眼で、王国最強の『剣聖』をキッと睨みつけていた。その呼吸は荒く、両肩は怒りで小刻みに震えている。

 

 「誰も、アンちゃんを疑うな……! この子は白だ! 俺が、俺の命に代えても、この子の白さを信じるって決めたんだ! 大罪司教のクソ野郎どもが、この子を盾にして笑ってやがるんだよ! それを、なんで味方であるはずのお前らまで、この子を化け物扱いして追い詰めるんだよッ!」

 

 スバルの怒りと悲痛が混ざり合った叫びが、通りに響き渡る。

 

 「……スバル」

 

 叩き落とされた己の手を見つめ、ラインハルトは静かにその青い瞳を細めた。

 彼の表情にあるのは怒りではない。ただ純粋な、親友の歪みに対する深い困惑と悲哀だった。

 

 スバルの怒号は、色鮮やかな果実の並ぶ大通りの喧騒を完全に切り裂いてしまっていた。

 行き交う獣人や商人たちが足を止め、何事かとこちらを注視し始めている。

 「なんだ、揉め事か?」「騎士様が子供を虐めてるのか?」…そんな不穏な囁きが、さざ波のように周囲へ広がっていく。

 

 「スバルくん、それ以上は……!」

 

 レムが武器に手をかけんばかりの鋭さで一歩踏み出そうとしたが、それをラインハルトが静かに手制した。

 

 「待つんだ、レム。……スバル、君の必死さはよく分かった。君がそこまで命懸けで守ろうとするなら、僕も頭ごなしにその子を疑うような真似はしない。……ただ、少し騒ぎが大きくなりすぎた。ここで話を続けるのは、あまりにも危険だ」

 

 ラインハルトは周囲の群衆に一瞥をくれ、それから僕たちに向かって、困ったような、けれどどこまでも誠実な苦笑を浮かべた。

 

 「ちょうどいい、僕はこれから向かう用事があったんだ。クルシュ・カルステン公爵の屋敷へね。スバル、君の言う大罪司教の件、僕の口からもカルステン公爵に諮らせてほしい。あそこなら、誰に聞かれることもなく、君の話をじっくり聞くことができる」

 「クルシュ、の……屋敷……」

 

 スバルはまだ荒い息を吐きながらも、その言葉に、少し忌々し気に瞬きをした。

 クルシュはスバルにとって苦い思い出がある人物だ。恐らく前のループにて、メイザース領へ助けにいこうとしたスバルに対して、その行為はエミリアとの契約の破棄に当たるとして否定的な態度を取ったのだ。

 彼女についての情報がろくに集まっていない中で訪ねても同じような結果になるだけだが、今はラインハルトがいる。彼の口から、何か言ってくれれば、クルシュも動くかもしれない。

 そんな希望が、スバルを突き動かした。

 

 「……分かった。頼む、ラインハルト」

 「うん、行こう。……アン、だったね。驚かせてすまない。もう怖いことはないから、安心してくれていい」

 

 ラインハルトは僕に向けて、まるで無垢な子供をあやすような、柔らかい微笑みを向けた。

 僕はスバルの服を掴んだまま、ただコクコクと人形のように首を縦に振ることしかできなかった。

 

 クルシュの屋敷へ赴く道中、僕はスバルに引きずられながら祈った。

 

 (頼むスバル…。僕にとってのパーフェクトコミュニケーションを、そこで叩きだしてくれ。そして僕に、最高の平穏を送らせて…)

 

 僕たちの歩みに合わせるようにして、背後からはどこまでも冷徹で、何一つ揺らぐことのないレムの靴音が、まるで処刑台へのカウントダウンのように規則正しく響き続けていた。

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