魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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第18話『再認識』

 「――ぁ」

 

 喉の奥から、乾いた掠れ声が漏れた。

 視界に飛び込んできたのは、見慣れた、どこまでも広がる青い空。鼻腔をくすぐる、土と緑の匂い。耳に届くのは、のどかな鳥のさえずりと、遠くで薪を割るような規則正しい音。

 アーラム村だ。ロズワール邸のすぐ麓にある、あの平穏な村の、広場の真ん中。

 『死に戻り』した。その事実だけが、冷徹な事実として俺の脳の片隅に表示される。

 

 だけど、俺の身体は、指先一つとして動かなかった。

 いつもなら、死の恐怖を乗り越え、最善の未来を掴むために、即座に思考をフル回転させるはずの脳細胞が、今はただ、真っ白な灰のようになって沈黙している。

 

 視界が、ぐらりと歪む。

 つい数瞬前まで、指十分に触れていたはずのあの感触――俺という存在そのものを、根こそぎ奪い去っていった、あの冷たくて、底の見えない『死』の奔流。

 そして、耳に残る、鈴を転がすような、けれど吐き気がするほど完成された『傲慢』の宣告。

 

 『僕は魔女教大罪司教『傲慢』担当、アンタレス・アンドロクトヌス』

 

 「……は、ぁ、……っ」

 

 肺が空気を拒絶するように、喉がヒリつく。

 あの子が笑っていた。あの子が泣いていた。あの子が、俺の袖を掴んで震えていた。

 あのすべてが、計算だった? あの涙の粒ひとつひとつまで、俺を『懐柔』するための、おぞましい演出だったのか?

 

 「……嘘だ。んな、……そんなわけねぇだろ……」

 

 俺は虚空を見つめたまま、独り言を漏らす。

 目の前では、村の子供たちが笑いながら走り回っている。この中に、あの『傲慢』が混じるというのか。あんなに小さくて、放っておいたら死んでしまいそうな、守らなきゃいけないはずの子供が。

 

 「――おい、おい! スバル!」

 

 突然、肩を強く揺さぶられた。

 焦点の合わない俺の瞳に、心配そうに顔を覗き込む村人の男が映り込む。

 

 「ど、どうしちまったんだよ。急に真っ青な顔して固まっちまって。……おい、聞こえてるか?」

 「…………あ」

 「ああ、やっと返事をした。……それより、さっき、村の外れで迷子を見つけてな。見たことない子なんだが、ひどく怯えてんだ。あんたなら、ほら、子供の扱いにも慣れてるだろ? ちょっと見てやってくれないか」

 

 迷子。

 その言葉に反応するように、俺はゆっくりと、幽霊のような足取りで向かって行った。

 そうだ。分からないことなら聞けばいい。あの言葉の真相を。あの子の正体を。

 

 村にある休憩所の椅子に、その子は座っていた。

 ボロボロの衣服、泥に汚れた細い手足、物理的にも、そして何よりも、世界を恐れるように小さく丸められた背中。

 つい先刻、カルステン公爵邸の応接室で、世界を、ラインハルトを、指示を出す側として俺を完璧なまでに嘲笑ってみせた、あの冷酷な大罪司教の面影はどこにもない。

 そこにいるのは、ただただ、か弱く、今にも消えてしまいそうな一人の子供だった。

 

 「……ぁ」

 

 俺の足音が響くと、その子がびくりと肩を跳ね上げ、涙に濡れた顔を上げた。

 澄んだ瞳が、恐怖と、それからかすかな救いを求めるように俺を捉える。

 いつも通りだ。俺が「守らなければならない」と心から誓い、そのために命さえ投げ出してもいいと思えた、無垢なアンの姿がそこにあった。

 脳裏を、彼女の本音がよぎる。

 

 『やっとスバルっていう騎士を見つけて、懐柔して』

 

 あの冷え切った、全てを見下すような声。

 あの言葉は、本当にこの子の口から発せられたものだったのか。あの血の糸は、ラインハルトの言葉は、本当に正しかったのか。

 

 「アン……ちゃん……」

 

 かすれた声で名前を呼ぶ。

 俺は一歩、また一歩と、泥を掴むような足取りで子供へと近づいた。

 前のループの記憶が、俺の心をガチガチと締め付ける。裏切られたという事実を受け止めろと、脳が警鐘を鳴らしている。だが、目の前で震える小さな身体を見ていると、どうしてもその拒絶が鈍る。

 こいつは、本当に化け物なのか? あんな風に俺を騙し、弄び、命を喰らう大罪司教なのか?

 

 「……お前、は……」

 

 俺は子供の前に膝をついた。許しを請うように、両膝を。

 目線を合わせる。いつもなら、安心させるように優しく微笑みかけるはずの距離。しかし今の俺の顔は、引きつり、血の気が引き、見る影もなく恐怖に歪んでいた。

 

 「お前は、なんだ……?」

 

 すがるような、問い詰めるような声。俺の両手が、震えながら子供の細い肩へと伸びる。

 

 「なぁ、『次』って……どういう意味だ………?」

 

 俺の絞り出すような言葉が、冷たい風に乗って二人の間に落ちた。

 掴んだアンタレスの細い肩。触れた感触は、どこまでも脆く、ただの子供のそれだった。だが、俺の発した言葉の質量は、その場の空気を一瞬で凍りつかせるに十分だった。

 

 「……え」

 

 アンタレスの喉が、引きつったように鳴る。

 涙に濡れていたはずのその澄んだ瞳から、一瞬にして『子供の怯え』が綺麗に剥ぎ取られた。代わりに浮かび上がったのは、見開かれた驚愕と、底知れない戦慄。

 彼女の顔が、さあっと青く染まっていく。

 

 「―――ッ」

 

 アンタレスの判断は早かった。

 彼女は素早く椅子から飛び立ち、村の正反対、森の奥へと走り去っていく。

 

 「待って、くれ……っ!」

 

 我に返った俺の喉から、みっともない悲鳴が飛び出した。

 弾かれたように立ち上がり、もつれる足を必死に前に動かす。

 

 なんで逃げるんだ。どうして何も言ってくれない。

 今の反応は何だ。あの怯えを剥ぎ取った顔は、見開かれた驚愕の瞳は、まるで――俺が何を知っているのか、完全に理解しているような、そんな。

 

 「アンちゃん! 待って、くれよ……っ! 話を、話を聞かせてくれ!」

 

 叫びながら、村の広場を突っ切り、木々の生い茂る不気味な森の入り口へと飛び込む。

 視界の先、木漏れ日の隙間を、あの小さな影がひらひらと縫うように駆けていく。信じられないほど素早い。子供の足のそれじゃない。だけど、そんな冷徹な事実を脳が処理するのを、俺の心が拒絶していた。

 

 嘘だと言ってほしかった。

 あの応接室での言葉はたちの悪い嘘だったんだと。自分はやっぱり、何も知らない可哀想な子供なんだと、そう言って笑いかけてほしかった。

 懇願するように、祈るように、俺は手を伸ばす。

 

 「アンちゃん……っ! 俺だ、スバルだ!! お前を、守るって言った……っ!!」

 

 バキ、と突き出た木の根に足を取られた。

 視界が強烈に回転し、受け身も取れずに地面へと激しく叩きつけられる。

 顔面を泥と枯れ葉が覆い、胸を強打して肺から酸素が強制的に吐き出された。

 

 「カハッ……!」

 

 惨めな呼吸が漏れる。痛みに視界がチカチカと明滅する。

 だが、痛みに構っている余裕なんて一秒だってない。

 俺は這いつくばったまま、顔を上げて前を見た。

 

 「あっ……ぁ……」

 

 いない。どこにも、いない。

 ただ、不気味に静まり返った緑の木々が、嘲笑うように俺を見下ろしているだけだ。

 

 「アンちゃん!! どこだ、どこにいるんだよぉッ!!」

 

 泥まみれのまま立ち上がり、なりふり構わず周囲の藪をかき分ける。手のひらが茨で裂け、血が滲んでも気づきもしない。

 一心不乱に、狂ったように、ただあの小さな存在を探して、深い森の奥へと足を突き動かす。

 

 「――スバルくん! そこまでです!」

 

 背後から、鋭い声と共に、強い力で身体を組み伏せられた。

 背中に回された柔らかな、けれど絶対に抗えない硬度を持った腕。強引に地面へと引き戻され、俺は泥の上に組み敷かれる。

 

 「放せ! 放してくれレム! あの子が、アンちゃんがそこに――!」

 「ダメです! これ以上先は、ウルガルム……魔獣の生息域です。今のスバルくんが入れば、確実に命を落とします!」

 「魔獣なんてどうでもいい! あの子が行っちまったんだよ! 一人で、あんな危ないところに!」

 「落ち着いてください、スバルくん!!」

 

 俺を押さえつけるレムの声には、明確な焦燥と、それ以上の深い困惑が混ざっていた。

 そりゃそうだ。レムからすれば、さっきまで普通に過ごしてた俺が、突然見たこともない子供に奇妙な問いかけをぶつけた挙句、発狂したように森へ乱入したのだから。

 レムが俺の肩を掴み、無理やりその青い瞳と視線を合わせる。そこにあるのは、純粋に俺を心配する、いつも通りの優しいレムの目だ。

 前のループで、今や正論とは言えないものに圧殺され、絶望に染まって小さく頷いていたあのメイドの姿は、今のレムにはない。

 

 「あの子供が何者かは分かりません。ですが、スバルくんの今の状態は異常です。……その傷を癒すためにも、一度屋敷へ戻りましょう」

 

 「異常」、か。

 ああ、そうだな。異常だよ。レムの言う通りだ。

 

 俺を組み伏せるレムの腕の温もりを感じながら、俺の心は、じわじわと冷酷な現実の毒に侵食されていく。

 ――あの子は、俺の問いを聞いた瞬間、青ざめて逃げ出した。

 もし本当に何も知らない無垢な子供なら、「次って何?」と聞くだけだ。あんな「青ざめた顔」で逃げ出すはずがない。

 アンちゃんは――否、アンタレスは、知っていたのだ。

 俺の『死に戻り』のことを。

 そして何より――彼女が『死に戻り』という世界の理不尽を、確かにその手で引き起こしたという事実が、俺の心に突き刺さる。

 

 「……あ、あはは……」

 

 泥まみれの地面に顔を伏せたまま、俺の口から、乾いた笑いが漏れた。

 レムが俺の身体を心配そうに抱き起こし、ハンカチで額の泥を拭ってくれている。その甲斐甲斐しい手の温もりが、今の俺には酷く遠い世界の出来事のように思えた。

 

 認めたくなかった。

 魂の根元を咥え込んでいる『捕食の牙』。ラインハルトの言ったあの言葉が。

 『やっとスバルっていう騎士を見つけて、懐柔して』と吐き捨てた、あの冷ややかな嘲笑が。

 すべて、あの剥き出しの、おぞましい『真実』だったのだと、脳がようやく、最悪の形で理解を完了させていく。

 

 ――魔女教大罪司教『傲慢』担当、アンタレス・アンドロクトヌス。

 

 彼女は俺を騙していた。

 徹底的に、完璧に、ナツキ・スバルという「お人好しの阿呆」を都合の良い盾にするために、あの小さな身体のすべてを使って踊ってみせていたのだ。

 王都で俺が狂ったように暴走したのも、エミリアを傷つけるような真似をしたのも、すべては彼女がそうするよう仕組んだもの。

 レムの直感は、最初から一ミリだって間違っていなかった。

 

 「スバルくん……? しっかりしてください。レムがついています。何があったのか、お屋敷でゆっくりお話ししましょう」

 

 レムの気遣わしげな声に、俺はゆっくりと首を縦に振った。

 俺は、深く、深く息を吐き出しながら、前回のループの最後、アンタレスが追い詰められた瞬間の姿を頭の中で反芻していた。

 

 完璧だったはずの防壁が崩れ、ラインハルトに正体を暴かれたあの時。

 彼女は、ボロボロと大粒の涙を零しながら、喉をひび割れさせて激昂していた。

 

 『勝手なことばかり言うな』

 『そうしなきゃ僕が殺されるから! 僕は死にたくないんだ!』

 『平穏な人生を送りたかっただけなのに……!』

 

 あの時、彼女がぶちまけた剥き出しの感情。

 ……あれは、演技なんかじゃない。

 どれほど他者を欺き、他者の命を虫ケラのように喰らい尽くす悪辣な怪物であっても――あの瞬間に彼女が叫んだ「生への凄まじい執着」だけは、紛れもない本物だった。

 誰にも脅かされず、綺麗で安全な場所で、美味しいものを食べて眠りたいという、あまりにも矮小で、けれど切実な願い。それだけは、彼女の魂の底から出た真実だったのだ。

 悪辣な手段を用いて、誰かの命を贄にしてまで、あいつはただ「生きたい」のだ。

 死の恐怖から逃れるために、世界のすべてを呪いながら、必死に抗っているのだ。

 

 「……だったら、なぁ」

 

 泥を握りしめる俺の指先に、じわりと、熱い力が戻ってくる。

 思い出すのは、王都へ向かう前、ロズワール邸の一室でアンタレスと交わした会話だ。

 彼女が、人々の命を掌握する未知の大罪司教が、仮に怯えるだけの子供だったらどうするのかと聞いてきた時、俺は確かにこう言った。

 ――もし、そのクズが……本当はお前みたいに、ただ生きたくて、怖くて、誰かに助けてほしかっただけの子供なんだとしたら。……俺は、そいつをぶん殴って、泣き喚くそいつを引きずり回してでも、まずは『やめろ』って言ってやる――って。

 

 「……ああ、そうだ。言ったさ。言ってやったよな、俺は」

 

 あいつは大罪司教だ。世界を脅かす、邪悪そのものの化け物だ。

 だけどその本質は、自分の死が怖くて、他人の命を貪り食うことでしか生きられない、ただの『怯える子供』だ。

 だったら、やることは一つだけだ。

 

 「スバルくん……?」

 

 俺の雰囲気がガラリと変わったのを察して、レムが小さく息を呑む。

 俺は泥まみれの顔を上げ、アンタレスが消え去った不気味な森の奥を、真っ直ぐに睨みつけた。その三白眼には、先ほどまでの絶望も、狂気も、困惑も、綺麗さっぱり消え失せていた。

 

 ただの子供のフリをして俺を騙したこと、それは許さねぇ。

 俺の心を、レムの心を、みんなの心を泥足で踏みにじったこと、それも絶対に許さねぇ。

 だけど、お前がその薄汚い手を使ってでも「生きたい」と願うなら、その矮小な願いだけは、俺が、このナツキ・スバルがへし折って、別の形で叶えてやる。

 他人の命を喰らわなきゃ生きられないっていうなら、その歪んだシステムごと、俺が叩き潰してやる。

 お前を、ただ平穏に生きるだけの、ただの子供にしてやる。

 

 「待ってろよ、アンタレス。……お前がどれだけ悪辣で、どれだけ強大でも関係ねぇ」

 

 俺はゆっくりと立ち上がり、茨で裂けた手のひらの血を、自分の上着で手荒に拭った。

 

 「宣言通り、殴ってでも、お前を止めてやる」

 

 静まり返った深い森の奥から吹き抜ける風が、俺の熱を帯びた決意を、ただ冷徹に、そしてどこまでも遠くへと運んでいった。

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