魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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第24話『醜悪な生存本能』

 僕は地面を蹴った。

 否、蹴ったなどという生ぬるい表現では足りない。僕の脚が地面に触れた瞬間、土塊は砂のように粉砕され、大気はその質量に耐えきれず爆ぜた。

 

 鼓膜を突き破るような爆鳴。

 音速という壁を僕の身体が強引に食い破った瞬間、背後で巨大な衝撃波が円環状に広がった。

 巨木はマッチ棒のようにへし折られ、岩石は礫となって四散し、森の静寂は一瞬にして廃墟のそれへと書き換えられる。

 

 その時、世界が止まった。

 

 加速しすぎた僕の意識の中では、宙に舞う土砂も、折れ曲がる木の幹も、まるで琥珀の中に閉じ込められた標本のように静止している。

 流れる風さえも粘り気のある流体のように感じられ、僕はその中を、神にでもなったかのような全能感と共に滑走していた。

 

 (あはは、あはははは! やった! これなら誰も僕に触れられない! この速さなら、死だって僕に追いつけないんだ!!)

 

 かつて僕の腹を裂いた通り魔の刃も、レムの鉄球も、ペテルギウスの狂気も、今の僕の前では止まっているも同然だ。

 僕は今、この瞬間、世界の理から完全に逸脱している。

 死への恐怖という呪縛から解き放たれ、ただひたすらに「生存」という頂点へ向かって駆け抜ける快楽。

 だが、その絶頂の最中、僕の背後から「異物」が迫ってきた。

 

 「――逃がさないと言ったはずだ、アンタレス」

 

 止まった世界の中で、それだけが明確な意志を持って動いていた。

 燃えるような赤髪。空よりも青い、揺るぎない正義を宿した瞳――『剣聖』ラインハルト。

 彼は、音速を超えて膨張する僕の衝撃波を、ただの「向かい風」程度にしか思っていないかのように、真っ直ぐに僕を追ってくる。どうせ何かの加護だろう。

 彼が踏み込むたびに、大気が、精霊たちが、世界そのものが彼を後押しし、僕との距離を縮めようとする。

 

 「化け物が……! なんで、なんで追いついてこれるんだよ!!」

 

 僕は歯を食いしばり、有り余る莫大なエネルギーを脚へぶち込んでいく。

 ラインハルトは最強だ。チートだ。戦って勝つことは誰にだってできやしない。逃げることだって不可能に近い。故人でもないのに「ラインハルトからは逃げられない」という故事成語が出来ているくらいだ。

 けれど、百人分の命を薪にした僕の速度は、王国の守護者たる彼をしても、容易には捉えきれない領域に達していた。

 彼が手を伸ばす。その指先が、僕の翻る衣服の裾に触れるかという距離まで迫る。

 だが、その刹那、僕の身体はさらに加速し、彼の指先を引き離した。僕の背後で、ラインハルトの表情に微かな、本当に微かな焦燥が浮かんだ気がした。

 

 「もう諦めろ! お前にも出来ないことがあるんだよ!」

 

 (とは言ったものの、状況は芳しくない…!)

 

 僕は奥歯を噛み締めながら、肺が焼けるような熱を吐き出した。

 百人分の命を薪にした身体強化は、僕の視界を極限まで加速させている。周囲の巨木が次々と背後へ飛び去り、爆風が森を削り取っていく。

 だが、そんな僕の背中に、赤髪の死神はぴたりと貼り付いて離れない。

 

 (まずい、このままじゃジリ貧だ……!)

 

 僕の頭脳は、全速力で逃走しながらも冷徹な計算を弾き出していた。

 今の「百名消費」による爆発的な強化は、持ってもあと数十分程度。命のエネルギーを燃焼させている以上、その輝きには必ず終わりが来る。

 対して、目の前のラインハルトはどうだ。世界そのものに愛され、無限とも思えるスタミナと加護を持つ彼には、そんな時間制限など存在しない。

 このまま追いかけっこを続ければ、先にガス欠を起こすのは僕だ。強化が切れた瞬間、僕はただの無力な幼女に戻り、彼の手によって「保護」という名の拘束を受けることになるだろう。

 

 (どうする!? 一時的にでもいい、あいつを撃退するか、完全に視界から消える方法を考えなきゃ……!)

 

 焦燥が思考を焼き、視界がわずかにぶれる。その一瞬の隙を、正義の怪物は見逃さなかった。

 

 「考えごとかい?」

 

 ラインハルトの声が、僕のすぐ耳元で響いた。

 いつの間にか、彼の指先が僕の背中に届く距離まで肉薄している。彼は流れるような動作で踏み込み、僕の脇腹を狙って鋭い蹴りを放った。

 

 「ひ、っ!!」

 

 僕は悲鳴を上げながら、反射的に両腕を交差させてガードの姿勢を取った。

 

 瞬間、空気が破裂する。

 

 衝突の瞬間、爆弾が破裂したかのような衝撃が僕を襲った。遅れて雷鳴が鳴り響く。

 百人分の強化を受けていてもなお、ラインハルトの身体能力は理不尽なまでの暴威となって僕の腕を叩く。骨に響くような振動、視界が白く弾けるほどの衝撃。

 

 「が、はっ……!?」

 

 幸い、強化された肉体のおかげで直接的な負傷は免れた。だが、あまりに強大すぎる運動エネルギーを殺しきることはできない。僕は大砲の弾のように後方へと吹き飛ばされた。

 景色が激しく回転する。上下の感覚が消失し、僕は地面を何度もバウンドしながら、森の奥深くへと転がっていく。体勢は完全に崩れ、生存のための拠り所であった全速力の逃走が、無残にも中断させられた。

 生い茂る藪をなぎ倒しながら、僕はどうにか体勢を立て直した。

 

 「……ッ、はぁ、はぁ……!」

 

 肺が焼ける。心臓の鼓動が、強化された耳の奥で鐘のように鳴り響く。百人分の命を薪にしても、ラインハルトという『怪物』を振り切るには至らない。

 

 (クソッ、このまま逃げたって時間の無駄だ……!)

 

 背後に迫る圧倒的な正義の気配。追撃を仕掛けるつもりなのだろう。

 凝縮された時間の中で、僕は思考を巡らせた。

 

 (あいつを倒すか? ……無理だ、あいつに勝てるわけがない)

 

 仮に、奇跡的にあいつを殺せたとしても、『不死鳥の加護』がそれを許さない。

 あいつは一度死んでも、その瞬間に、何事もなかったかのように復活する。勝負にすらならない。あいつは攻略不可能なバグそのものなんだ。

 逃げ切ることも、倒すこともできない。ならば、僕が生き残るための道はただ一つ。

 

 (あいつが僕を追いかけられない『状況』を、無理やりにでも作ってやる……!)

 

 僕は疾走するベクトルを強引に捻じ曲げた。

 僕は森を出るために走っていたが、今度はその逆。向かうのは森の内側だ。そこには、魔女教徒たちと戦っているであろうクルシュたちがいるはずだ。

 

 「こっちだ……!」

 

 衝撃波を撒き散らしながら、僕は密林を突き抜ける。視界の先、木々の切れ間に騎士たちの銀色の甲冑と、緑の髪をなびかせた公爵の姿が捉えられた。

 背後をラインハルトが追う。だが、幸い直線移動なら僕に分がある。

 あいつは『騎士の中の騎士』だ。敬愛する同胞たちの元へ僕が突っ込んでいけば、あいつは僕を追うことよりも、彼らを『護る』ことを最優先せざるを得なくなる。

 僕の進行方向が変わった意図を察したのだろう。背後から迫るラインハルトの気配が、これまでとは比較にならないほど重く、冷徹なものへと変質した。

 

 「……君は、どこまでも他者の命を盾にするというのか」

 

 振り返らなくても分かる。あいつの青い瞳は、今や怒りと悲哀、そして容赦のない冷徹さに据わっているはずだ。

 

 視界が開けた。

 鬱蒼とした森を強引に突き抜け、僕の目に飛び込んできたのは、整然と並ぶ銀色の甲冑――カルステン陣営の騎士たちと、その中心で凛として剣を構える緑髪の麗人、クルシュだった。

 

 (いた……! あそこなら、あそこに入り込めば、あの『怪物』だって周りを気にして大きく動けないはずだ……!)

 

 背後から迫るラインハルトの、魂を凍らせるような圧力を振り切るため、僕はさらに加速する。

 魔女教徒と交戦していた騎士たちが、突如として衝撃波と共に現れた僕に驚愕の声を上げる。

 

 「な、なんだ!? 子供か!?」

 「いや、あの髪――『傲慢』だ! 『傲慢』が現れたぞ!」

 

 (まずはこいつらを負傷させる。魔女教徒と交戦している今、負傷者が出れば必然的に劣勢になり、ラインハルトも手助けせざるを得なくなるはずだ)

 

 僕は騎士たちの集団へと一直線に突っ込む。

 今の僕にとって、眼前の騎士たちなど羽虫も同然。加減を間違い、誤って殺めてしまえば、むしろ逆効果になってしまう。ほんの少し、小突くだけでとどめなければ。

 だが、僕の手が最前列の騎士に届こうとした、その刹那。

 

 鼓膜を劈くような、空気を切り裂く高音が響いた。

 

 「――そこまでだ、魔女教徒」

 

 クルシュの声と共に、真空の刃が僕の鼻先を掠めていく。

 『百人一太刀』――視認範囲すべてを切り裂くという彼女の風の斬撃が、僕の進行方向を強引に断ち切った。

 

 「ひ、っ!!」

 

 僕は反射的に上半身を大きく仰け反らせた。

 だが、クルシュは止まらない。彼女は即座に剣を振り抜き、逃げ場を奪うような追撃の風を放ってきた。

 そこで僕は気付く。風の刃が、あまりにも遅いことに。

 

 「……邪魔」

 

 僕は中断させられた怒りを乗せて、右手を振るった。

 それだけで、本来、形なきはずの風の刃が、鉄と鉄がぶつかり合うような金属音を立てて弾け飛ぶ。僕は、自分の身体がクルシュの魔法斬撃すら素手で弾き返すほどの硬度を得ていることを再認識した。

 手のひらに伝わる僅かな衝撃。それを確認する暇もなく次の瞬間には――。

 

 「――アンタレス」

 

 声と同時に、視界が「赤」に染まった。

 

 ラインハルトだ。

 彼はいつの間にか、僕と騎士たちの間に割って入っていた。彼が踏み込んだだけで、僕が必死に撒き散らしていた衝撃波も、クルシュが放った風の残滓も、すべてが清廉な静寂へと塗り替えられる。

 

 「これ以上、僕の目の前で命を弄ぶことは許さない。……君の逃走劇は、ここで終わりだ」

 

 ラインハルトの青い瞳が、僕の魂の最奥を射抜く。

 

 「…っ!」

 

 僕は生存本能に従い、全力を超えた脚力で後方へと跳んだ。

 わずか一瞬、彼が肉薄した瞬間に感じたのは、絶望的なまでの「死」の距離感。百人分の命を代償にしても、この男との間にある絶望的な壁を埋めることはできない。

 僕は騎士たちの集団から距離を取り、荒い呼吸を整えながら、ラインハルトとクルシュ、そして背後に控える軍勢を睨みつけた。

 

 その時、目の前に立つ赤髪の死神が纏う空気が変わった。

 

 彼の腰に帯びた、神聖な輝きを放つ伝説の武具。世界そのものが抜刀の是非を決めるとされる聖剣「龍剣レイド」。

 ラインハルトがその柄にゆっくりと手をかけた。

 

 「ま、まさか…」

 

 カチリ、と静寂の中で硬質な音が響く。

 

 次の瞬間、龍剣レイドがその鞘から滑り出た。抜刀。ただそれだけの動作が、僕の生存本能に、絶望的な死の宣告を突きつける。

 僕はガタガタと震える膝を必死に抑え、頬を伝う冷や汗を拭うことも忘れて、目の前の理不尽な光景を目に焼き付けた。

 

 「……あはは。龍剣レイドも、よっぽど見る目がないんだね。僕が、その剣を抜くに相応しい『斬るべき強者』だとでも思ってるってこと?」

 

 僕は、引き攣った笑みを浮かべ、喉の奥から絞り出すように愚痴を吐き捨てた。

 

 「僕はただ、美味しいものを食べて、暖かい布団で眠りたいだけの、どこにでもいる臆病な子供なんだよ。そんな僕を相手に、世界最強の切札を持ち出すなんて……。レイドも、その持ち主も、どうかしてるよ」

 

 僕の、負け惜しみにも似た軽口に対し、ラインハルトは揺るぎない正義を宿した青い瞳で僕を真っ直ぐに見据えた。

 

 「龍剣が鞘を払ったということは、今の君は、この世界にとってそれほどの『災厄』であると認められたということだ。……アンタレス。君が背負っている百の命の重みが、この剣に火を灯させたんだよ」

 

 ラインハルトが剣を構える。ただそれだけで、僕の「百名消費」による全能感が霧散し、裸で冬の海に放り出されたような寒気が全身を襲った。

 勝てない。こんな化け物、勝負にすらならない。でも、大人しく斬られてあげるほど、僕は物分かりのいい奴じゃないんだ。

 

 「……そっちがそのつもりなら、付き合ってあげるよ」

 

 僕は一歩後ろへ下がり、虚空に向かって鋭く短く命じた。

 

 「――剣」

 

 その言葉に応じるように、背後の茂みから、影に潜んでいた魔女教徒一人が弾き出されるように姿を現した。彼は狂気に満ちた力で、自らの身の丈ほどもある巨大な鉄塊をこちらへと放り投げる。

 ヒュンッ、と重苦しい風切り音を立てて飛来する、無骨で巨大な『処刑人の大剣』。

 僕はそれを、強化された片手で易々とキャッチした。ずしりと伝わる、人を殺すためだけに作られた鉄の重み。

 だが、普通の鉄ではラインハルトの龍剣の前では紙細工も同然だ。一撃で粉砕され、僕の首まで持っていかれるのが目に見えている。

 

 僕は即座に、肉体に有り余るエネルギーを大剣へ注ぎ込んだ。

 大剣の身に、ドス黒い、怨念にも似た禍々しいエネルギーが纏わりつく。命を燃料にしたその光は、大剣を包み込み、本来ならあり得ないほどの硬度を与えた。

 

 「これで折れない程度にはなったかな。……さあ、始めようか、ラインハルト。僕の『平穏』を邪魔するっていうなら、世界最強の騎士様だって容赦はしない!」

 

 僕は、黒く燃える処刑剣を正眼に構え、最強の敵を見据える。

 両手にかかる剣と命の重みを受け止めながら、僕は肺に溜まった熱い空気を吐き出した。

 目の前には、伝説の龍剣レイドを抜刀した「世界の愛し子」が立っている。絶望的な戦力差に視界が眩みそうになるけれど、ここで震えて止まるわけにはいかない。

 僕は引き攣った笑みを無理やり形作り、この世界の礼儀に則って声を張り上げた。

 

 「魔女教大罪司教『傲慢』担当、アンタレス・アンドロクトヌス」

 

 僕の自嘲混じりの名乗りに対し、赤髪の騎士は一切の揺らぎを見せず、聖剣を正眼に構えた。その青い瞳には、僕という「災厄」を断ち切るという、絶対的な守護者の意志が宿っている。

 

 「ルグニカ王国近衛騎士、ラインハルト・ヴァン・アストレア」

 

 ラインハルトの名乗りが森の静寂に溶け込んだ瞬間、世界から一切の音が消失したかのような錯覚に陥った。

 空を流れる雲も、微かに揺れていた木の葉も、その場に立ち尽くす騎士たちや魔女教徒の呼吸さえも、今この瞬間に訪れる「破滅」を察知して凍りついている。

 

 対峙する二人の間には、もはや言葉の入る隙間などない。

 

 一瞬が、永遠のように引き延ばされる。

 頬を伝う冷や汗が、顎から土の上に落ちた。

 それが地面に触れた瞬間の、かすかな音さえ聞こえるほどの静寂。

 

 僕は奥歯を噛み締め、燃え盛るような生存本能で全身の回路を焼き切らんばかりに加速させた。

 静寂が極限まで張り詰め、耐えきれなくなった世界が悲鳴を上げる直前。

 

 突如として、戦いの火蓋が切られた。

 

 ラインハルトが一歩、神速の踏み込みを見せる。だが、その刹那、僕が狙ったのは目の前の「最強」ではなかった。

 僕は強化された脚力に全エネルギーを注ぎ込み、ラインハルトの横をすり抜けるようにして、周囲を囲んでいたカルステン陣営の騎士たちへと肉薄した。

 加速しすぎた視界の中で、騎士たちの驚愕に染まった顔がスローモーションのように流れていく。

 

 「なっ――!?」

 

 僕は地面を這うような低い姿勢から、エネルギーを纏わせて硬度を極限まで高めた処刑剣を、横一閃に薙ぎ払った。

 鈍い衝撃が手に伝わる。大の大人でも持ち上げられない鉄の塊が、強化された僕の膂力によって、ただの紙細工を破るかのように騎士たちの脚を断ち切っていった。

 金属の甲冑がひしゃげ、肉と骨が容易く断たれる不快な音が連続して響く。

 

 「ぎゃあああッ!?」

 「足が、俺の足がぁぁッ!!」

 

 一瞬。たった一瞬の交差で、十人以上の騎士たちがその場に崩れ落ち、鮮血が森の緑を赤黒く染め上げた。

 阿鼻叫喚の地獄絵図。ラインハルトの表情が、初めて苦渋と焦燥に歪むのが見えた。あいつは「騎士の中の騎士」だ。目の前で無残に傷ついた同胞を、決して見捨てることはできない。

 今、この瞬間、最強の騎士の意識は僕の追跡よりも、瀕死の部下たちの救護へと強制的に割かれた。

 僕は返り血を浴びたまま、勝ち誇った笑みを浮かべ、森の闇に向かって鋭く命じた。

 

 「魔女教徒たち、今が好機だ。――やれ!」

 

 その叫びを合図に、周囲の茂みから、影から、木々の上から、狂気に満ちた黒装束の集団が一斉に飛び出した。立ち尽くしていた者も電源が入ったように動き出す。

 負傷した騎士たちを守ろうとするラインハルトやクルシュたちに向かって、自爆覚悟の魔女教徒たちが濁流となって襲いかかった。

 混乱する戦場。僕はその喧騒を背に、再び深い森の奥へと走り出した。

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