魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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第29話『助けにならない』

 不快な、ねばつくような感触が僕の全身を苛んでいた。

 空中へ吊り上げられた僕を拘束しているのは、悍ましい気配を纏った『見えざる手』の群れだ。

 喉を締め上げられ、肋骨が軋むような音を立てるたびに、せり上がってくる嘔吐感を必死に飲み込む。

 

 「さぁ、受け取るのデス、アンタレス!!」

 

 目の前には、ペテルギウスの権能によって差し出された、無骨で巨大な鉄の塊――『処刑人の大剣』が浮いていた。

 

 (これで、ペテルギウスを叩き斬れば全部解決する……けど)

 

 僕は必死に手を伸ばし、僕を助けようと叫び続けているスバルを見た。

 彼は今、僕の正体も、僕が他人の命を盾にしていることも全て知った上で、それでも「味方になる」と、僕の『白さ』を信じると言ってくれたのだ。

 僕がこの大剣を手に取り、誰かの命を『消費』した瞬間、その温かい救いの手は、僕を断罪するための刃へと変わってしまう可能性がある。

 スバルが助けようとしてくれているのは、おそらく、これまでのループで僕が必死に仕込んだ成果だ。今ここで大剣を握れば、その『信頼』が全部吹き飛んじまう…!

 

 だが、状況は絶望的だ。

 スバルはペテルギウスの猛攻を防ぐので精一杯で、僕の元へ辿り着く余裕はない。

 一方で、僕を掴む『見えざる手』の力は、刻一刻と強まっていた。

 このまま何もせず、スバルの救出を待っていれば、僕はスバルに助けられる前に、ペテルギウスの狂気によって物理的に握りつぶされて死んでしまう。

 

 (死ぬのは嫌だ、痛いのはもう嫌だ……でも、どうしよう、このままじゃ…!)

 

 前世で腹を刺されたあの日の記憶が、氷のような冷たさと共に脳裏を過る。

 大剣を見る。これを握れば、アーラム村の誰か、あるいは影に潜む信徒の命が一つ、僕のために消滅する。

 信徒を消費すれば、スバルの反感を買わずにこの場を切り抜けられるだろう。

 

 しかし、どうやって信徒を消費したことを証明すればいい?

 言葉だけで説明しても、アーラム村ではない他の村の者を消費したと思われるだろう。僕のストックがどうなっているかは、僕にしか分からない。いくら弁明しても向こうは嘘の可能性を否定することはできないのだ。

 殺人の容疑者となった僕は、本当に平穏な生活を送れるのだろうか。

 いや、そもそも、ここで消費しようがしまいが、大罪司教である以上僕は殺人の容疑者だ。スバルは保護するつもりでも、彼の周りはそうはいかない。魔女教に恨みを抱く人は多い。厳重な監視、拘束、あるいは、拷問…何をされてもおかしくはない。

 ペテルギウスの言う通り、僕が魔女教に入った時点で、『外の世界』で平穏に暮らす道はとっくに断たれていたのかもしれない。

 

 (もう、それなら…)

 

 スバルの差し出した「救いの手」に縋りたい気持ちと、今この瞬間の苦痛から逃れたいという生存本能が、僕の胸の中でドロドロと混ざり合う。スバルの信じる『白さ』を裏切ることになっても、僕が生き残るためにはこれしかない。

 僕は、薄れゆく意識の中で、自分を繋ぎ止めるための呪いを口にしようとした。

 

 「――『一名、消」

 

 その時だった。

 

 「――っ!?」

 

 不意に、僕の身体を縛り上げていた悍ましい拘束感が、霧が晴れるように消失した。

 宙に吊るされていたはずの僕は、抗う術もなく重力に引かれ、地面へと叩きつけられる。

 

 「ごほっ、げほっ……え……?」

 

 肺に冷たい空気が流れ込み、僕は激しく咳き込みながら、泥のついた顔を上げた。

 視界が回る。なぜか、僕を握りつぶそうとしていたペテルギウスの『見えざる手』が、一本残らず消失している。それどころか、あのおかっぱの狂人自身が、あり得ないものを見たかのような形相で、僕の後方、一点を凝視して固まっていた。

 

 「……間に合った、というべきかな?」

 

 背後から響いたのは、この世の何よりも清廉で、そして僕にとっては死神の宣告よりも恐ろしい、澄み渡った声だった。

 心臓が氷に直接触れたかのように凍りつく。

 恐る恐る振り返ると、そこには、白い騎士服に身を包んだ『剣聖』ラインハルトが、静かに、けれど圧倒的な「正義」の質量を伴って立っていた。

 

 「ラ、ライン、ハルト……なんで……」

 

 困惑する僕をよそに、ラインハルトは僕を一瞥もせず、ただ真っ直ぐにペテルギウスへとその青い瞳を向けた。彼がそこに立っているだけで、森の不浄な空気が急速に浄化されていくのが分かる。

 

 「なっ、ななななな何故デスか!? ワタシの寵愛の賜物が、こうも容易くあっけなく散らされていいはずがががががあ!!」

 

 ペテルギウスが発狂したように叫ぶ。

 僕も彼と似たような気持ちだ。ラインハルトの動きが一切見えなかった。まるでシーンが切り替わったかのように、次の瞬間には状況が一変していた。

 ラインハルトはペテルギウスを睨む。その蒼白の瞳には、静かな、それでいて燃え盛るような『正義』が宿っていた。

 

 「……君がペテルギウスだね。生憎だけど、君の狂気はここまでだ」

 

 ラインハルトが静かに告げると同時に、彼の姿が僕の網膜から掻き消えた。

 

 「――ッ!?」

 

 ペテルギウスが反応しようと、無数の『見えざる手』を前方に展開しようとしたが、それよりも遥かに速い。神速、その言葉すら生ぬるい、世界の理を置き去りにした加速。

 

 爆鳴。

 

 ペテルギウスの身体が、まるで巨大な大砲の直撃を受けたかのように、くの字に折れ曲がって吹き飛んだ。いや、吹き飛ぶというより、その衝撃に耐えきれず、肉体そのものが空中で霧散し、粉砕されていく。

 背後の巨木を何本もなぎ倒し、最後には土煙の向こう側で、おかっぱの狂人だったものはピクリとも動かなくなった。断末魔はない。ただの物理的な、けれど『最強』にしか許されない圧倒的な暴力による絶命。

 

 「…………」

 

 静寂が、再び森を支配した。

 泥のついた地面に横たわったまま、僕はただ、目の前で起きた「理不尽なまでの終焉」を呆然と見つめていた。

 ペテルギウスが、一瞬で肉塊の屑となって消え失せた。僕が死の恐怖に震えながら、誰の命を『消費』してこの場を切り抜けるか、そればかりを考えていた時間は、この赤髪の死神――ラインハルトの一振りによって、あまりにもあっけなく踏みにじられたのだ。

 

 「……あ、あー。……サンキュー、ラインハルト。助かった」

 

 スバルが、どこか引き気味の声でラインハルトにお礼を言った。その声には、助かった安堵よりも、目の前で繰り広げられた圧倒的な『最強』の暴威に対する、戸惑いと僅かな戦慄が混じっている。

 スバルにとっても、これまでの死闘は何だったのかと言いたくなるような、あまりに拍子抜けな結果だったのだろう。

 ラインハルトはスバルに向けて、いつもの誠実だがどこか冷徹な響きを帯びた声を投げかけた。

 

 「礼には及ばないよ、スバル。だが、油断してはいけない。君が言ったように、ペテルギウスの正体は邪精霊だ。肉体を壊しても、近くに適合する人間がいればそっちに乗り移って復活してしまう」

 

 ラインハルトの青い双眸が、警戒を解かずに周囲の森を射抜く。

 

 「おそらく予備の肉体である適合者が近くに潜んでいるはずだ。彼の狂気が完全に消え去るまで、気を引き締めていてほしい」

 「ああ、油断なんかしねぇよ。あの瞬殺を見た後じゃ、イマイチ身が入らねぇけど…」

 

 ラインハルトとスバルが何かを話しているが、僕はそれどころではなかった。

 怖い。恐ろしい。ラインハルトがそこに立っているだけで、僕の生存本能が、魂の底から悲鳴を上げている。もし彼が僕を討つべき敵であると認識すれば、次の瞬間に真っ二つにされてもおかしくはない。

 逃げなきゃいけないのに、指先一つ動かない。恐怖で腰が抜けて、地面に張り付いたように身体が重いのだ。

 

 「……もう大丈夫よ、アンタレス」

 

 不意に、頭上から鈴を転がすような、透き通った声が降ってきた。

 見上げると、そこには銀髪のハーフエルフ――エミリアが立っていた。彼女の紫紺の瞳には、僕を『傲慢』の司教として断罪するような鋭さはなく、ただただ、恐怖に震える子供を気遣う、純粋で温かな善意だけが宿っていた。

 彼女は、泥で汚れた僕の前に屈み込むと、白く細い手をそっと差し伸べてくれた。

 

 「怖かったわよね。でも、もう心配いらないわ。私たちが、あなたを守るから」

 

 その言葉、その眼差し、その掌の温もり。

 それは、僕にとって、あまりにも眩しく、そして毒のように僕の自尊心を焼き焦がす「善意」だった。僕を『白』だと信じ、守ると言ったスバルの隣で、この少女もまた、僕を救おうとしている。

 

 「…っ」

 

 僕は、自分の喉の奥からせり上がってくる、言いようのない敗北感と、奇妙な熱さを感じていた。この感情が一体何なのか、僕には分からない。

 ただ、「お前は魔女教の中でしか生きられない」というペテルギウスの言葉が離れない。僕はそれを否定したいのに、心の何処かで漠然とした納得を抱いている自分がいる。

 エミリアの手を取れば、きっと僕は波乱に巻き込まれる。そんな予感がした。

 けれど。

 

 「……ぁ、……ぅん」

 

 僕は、震える手で、彼女の掌を握り返した。

 エミリアの純粋な善意にあてられ、頭がくらくらする。それでも、この温かな檻の中にいれば、まだ僕は生き延びることができるのだという、生存本能が僕の指先に力を込めさせた。

 

 エミリアの白く、柔らかな掌に引かれながら、僕はふらつく足取りで土の塊を蹴った。

 エミリアの手から伝わってくる温もりは、僕の冷え切った自尊心を毒のように焼き焦がす。彼女は僕を『救うべき子供』だと信じて疑わず、その紫紺の瞳には純粋な善意だけを宿して僕を導いている。

 やがて僕たちは、軍勢の中心――凛とした佇まいで陣頭指揮を執るクルシュのもとへ辿り着いた。

 

 「――状況を報告する。ラインハルトを卿たちの支援に向かわせた後、魔女教徒たちの攻撃が止まった。統率を失ったにしては綺麗すぎる。周囲の警戒を怠るな」

 

 クルシュは琥珀色の瞳を険しくし、周囲の風を確かめるように告げた。彼女の視線が、エミリアに手を引かれた僕へと向けられる。

 

 「被害は甚大だ。我が陣営の騎士たちにも、無視できない負傷者が出ている。……エミリア、ナツキ・スバル。その者を連れて戻ったということは、当然、『掌握』された者たちの命を解放させたのだろうな?」

 

 クルシュの問いは、合理的で冷徹だった。彼女にとって、僕が大罪司教『傲慢』である事実はすでに暴かれている。それでも僕を生かしているのは、僕がアーラム村の住民や騎士団の命を『人質』として掌握しているからに他ならない。

 エミリアは僕の手をぎゅっと握りしめ、クルシュに向かって力強く言った。

 

 「いえ。説得は、これからよ。アンタレスは……この子は、本当はとっても臆病で、ただ怖がっているだけなの。だから、ちゃんと話し合えば分かってくれるわ」

 

 そう言って、エミリアは僕の目線に合わせて腰を落とした。彼女の紫紺の瞳が、僕の魂の最奥を覗き込むように真っ直ぐに向けられる。

 

 「ねぇ、アンタレス。約束してくれる? もう、誰も傷つけないって。……お願い。あなたが今までその手の中に閉じ込めてしまった人たちの命を、自由にしてあげて。もう、誰もあなたの代わりに傷つく必要はないのよ」

 

 エミリアの言葉は、慈悲に満ちた聖女の祈りのようだった。

 僕は彼女の掌の温かさを感じながら、一度だけ目を閉じ、自分の意識の奥底にある『権能』のリストにアクセスした。

 僕の脳裏には、眩いばかりの紅い灯火が整然と並んでいる。アーラム村の住民二百名、そして王都の騎士たち。僕の権能によって、心臓を介して完全に僕の所有物となった命のストックだ。

 エミリアの言う通りだ。これらを『解放』してしまえば、僕はもうラインハルトから『災厄』として命を狙われることもない。ただの、守られるべき哀れな子供として、平穏な日々を送れるかもしれない。

 

 (解放……すればいいんだ。ちょっと惜しいけど。でも、そうすれば、僕は……)

 

 僕は数瞬、思考を巡らせ、そして――言葉を失った。

 

 命の灯火を消す方法が、『消費』以外に見当たらなかったからだ。

 

 対象から離れてるからだとか、マーキングするのと同じ手順を踏む必要があるだとか、そういう次元の話じゃない。

 僕の権能は、他者の命を、僕が生き延びるための『資源』として消費することを前提としている。『一名消費』と宣言すれば、その命を熱量に変え、僕の傷を癒やし、肉体を強化することができる。あるいは、僕の死を無に帰すための生贄にすることもできる。

 だが、『所有権を放棄する』『呪いを解除する』――そんな慈悲に満ちた能力は、この権能には、最初から備わっていなかったのだ。

 掌握した以上、その命の使い道は『消費』して消し去るか、僕の所有物として永遠に保持し続けるかの二択しかない。一度魂の根元を咥え込んだ牙は、対象が絶命して僕の糧にならない限り、決して外れることはないのだ。

 エミリアの期待に満ちた眼差しを受けながら、僕は絶望的な沈黙に沈んだ。

 

 (……で、できない。解放なんて、最初から想定されてないんだ…)

 

 エミリアの期待に満ちた、どこまでも澄んだ紫紺の瞳が僕を射抜く。スバルもまた、泥にまみれた顔で、僕の「白さ」を信じると言わんばかりの強い眼差しを向けていた。

 僕は、視界の端で明滅する二百人以上の紅い灯火――僕がその魂の根元を咥え込んだアーラム村の人々や騎士たちの命を、必死に、震える指先でなぞろうとした。

 

 (ど、どうする……どうすればいい!?)

 

 喉の奥が、不快な熱さで焼け付くようだった。

 エミリアの願いに応えて、この呪わしい命の繋がりを今すぐ断ち切って見せたい。そうすれば、僕は本当の意味で、彼らの隣に並べる「ただの子供」になれるはずなのに。

 

 「……アンタレス?」

 

 沈黙し続ける僕を不安に思ったのか、エミリアが僕の手を握る力を強めた。

 

 僕は言い淀む。

 もしここで言わなければ、非協力的だと、僕に敵意があると見なされるだろう。

 だが、もし本当のことを話してしまえば――この権能が、対象を殺してエネルギーに変えるか、死を肩代わりさせるために永久に保持し続けることしかできない代物だと知られれば、彼らは今度こそ僕を「救いようのない怪物」だと断じるだろう。

 言っても、言わなくても、待っているのは「敵」とみなされる未来。

 逃げ場のない檻の中に、僕は再び閉じ込められていた。

 

 「ねぇ、スバル……エミリア……」

 

 僕は、二人の顔を交互に見上げた。視界が涙で歪み、鼻の奥がツンと痛む。演技でも、打算でもない、僕の魂の底からの、みっともないまでの縋り。

 

 「本当に、何があっても……僕が、どんなに醜いことをしちゃったとしても、ずっと僕の味方でいてくれる……? 僕を見捨てないって、約束してくれる……?」

 

 声が震え、言葉が途切れ途切れになる。僕は、彼らが作り出した「無垢な子供」という幻想に、最後の一縷の望みを託した。

 スバルは、一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの、あの馬鹿正直で力強い笑みを浮かべた。

 

 「ああ、当たり前だろ。お前の『白さ』を信じるって決めたんだ。何があっても、俺がお前の『盾』になってやる」

 

 エミリアもまた、僕の頬を包み込むようにして、優しく、けれど揺るぎない決意を込めて頷いた。

 

 「ええ。約束するわ。何があっても、私たちはあなたの味方よ。だから……安心して」

 

 二人の温かな言葉。それが、僕の凍てついた心を溶かすどころか、逆に、救いようのない絶望となって胸に突き刺さった。

 彼らの信じる「白さ」なんて、最初から存在しない。僕の手は、すでに救うことのできない二百人以上の命で、真っ黒に染まっているのだ。

 でも、今の僕は、黒く染まった手を見ても味方でいてくれる、都合のいい善意を信じるしかなかった。

 

 「……あ」

 

 唇が、力なく動く。

 僕は、エミリアの手を握り返すこともできず、ただ項垂れて、絞り出すような掠れた声で、真実の欠片をこぼした。

 

 「で、できない……」

 

 彼らの期待を裏切る拒絶。その一言が、静まり返ったメイザース領の森に、呪いのように重く落ちていった。

 口の中が乾いて舌がくっつく。僕は彼らに問い詰められる前にたどたどしく言葉を繋いだ。

 

 「解除……できない。僕の権能、は……掌握したら、あとは使うだけ…」

 

 その言葉の後、耳が痛くなるほどの、ひりついた沈黙が森を支配していた。

 僕の告げた「掌握した命の解除はできない」という絶望的な告白に対し、スバルは絶句し、エミリアは悲しげに瞳を揺らしている。隣に立つラインハルトからは、僕を「災厄」と見なす冷徹な圧力が静かに放たれ、その場にいる全員が僕という存在の処遇を決めかねていた。

 永遠にも、あるいは一瞬の停滞にも思える息苦しい時間の後、クルシュが重い口を開いた。彼女は琥珀色の瞳を僕に固定し、大罪司教という前例のない囚人に対する厳格な言葉を紡ごうとする。

 

 「……アンタレス。卿の能力が不可逆である以上、もはや『保護』などという生ぬるい対応は――」

 

 その瞬間、言葉は物理的な異変によって遮られた。

 

 「……え?」

 

 足元から、急速に視界が白く濁り始める。さっきまで木漏れ日が差し込んでいたはずのメイザース領の森に、不自然なほど濃く、そして肌を刺すような冷たい霧が立ち込め始めたのだ。

 

 「この霧……まさかッ!」

 

 前世の知識が、僕の脳内で最大級の警報を鳴らす。エミリアやレムも、生物としての本能的な危機感に顔を強張らせ、全員が同時に目を見開き、急速に暗転していく空を見上げた。

 

 そこには、森を丸ごと飲み込むほど巨大な、絶望の影が浮かんでいた。

 

 全長五十メートルを超える、雲海を泳ぐ巨獣──三大魔獣の一角、『白鯨』が、霧の深淵からその姿を現したのだ。その圧倒的な威圧感に、スバルや騎士たちの息が止まる。

 だが、悲劇は空からだけではなかった。

 

 「なっ、何だ!? 身体がッ!?」

 

 僕たちの周囲を固めていた数人の騎士たちが、突如として重力を無視したように宙へと浮かび上がった。彼らの首や胴体は、目に見えない巨大な力で鷲掴みにされたかのように、みるみるうちに苦悶に歪んでいく。

 ──グシャリ、と。

 肉と骨が、理不尽なまでの圧力によって握りつぶされる悍ましい音が響いた。絶叫を上げる暇もなく、熟れた果実のように無残に潰された騎士たちが、物言わぬ肉塊となって地面に叩きつけられる。

 

 「空を見上げ、地を疎かにするなど、アナタたち…怠惰デスねぇ?」

 

 直後、森の奥から、鼓膜を抉るような狂気に染まった笑い声が響き渡った。

 ラインハルトによって一度は粉砕されたペテルギウスが、予備の肉体である『指先』へと乗り移り、再び『試練』を開始せんと行動を再開したのだ。

 狂人の咆哮と白鯨の鳴き声、その不協和音が、森の奥まで響いていった。

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