魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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第31話『策謀』

 ガタゴトと、規則正しい振動が身体を揺らしていた。鼻を突くのは地竜の体臭と、街道の砂埃の匂い。

 

 「――っ、は、ぁ……!!」

 

 俺は激しい動悸と共に、跳ねるように意識を覚醒させた。喉の奥には、自ら喉元を裂いた時のあの悍ましい熱と鉄の味がこびり付いている気がして、俺は思わず自分の首を両手で確かめた。傷一つない滑らかな皮膚がそこにある。

 隣には、心底心配そうな顔をしたレムがいる。向かいには、どこか訝しげなエミリア。王都での交渉を終え、メイザース領へと急行している竜車の中――また、ここに戻ってきたのだ。

 俺は膝の震えを抑えるために深く呼吸を繰り返した。前回のループの終わり、俺の目に焼き付いたのは、村の皆も、あの臆病な大罪司教アンタレスの存在さえもが消え去り、ただの空虚な草原へと成り果てたアーラム村の惨状だった。

 

 (あいつだ。白鯨があいつを飲み込んで、その消滅の力がネットワークを通じて繋がった全員を消したんだ……!)

 

 おそらく、白鯨は存在を記憶からも記録からも消し去れる力を持っている。そしてアンタレスは、掌握した他者の命を自分の『盾』にする権能を持っている。

 前回の悲劇は、彼女が白鯨の消滅の力を受け、その『負の事象の転嫁』によって、繋がっている村人や騎士たち全員が、この世からいなかったことにされたことによって起こったのだろう。

 

 (はは、またアンタレスを守る理由が増えちまったな…)

 

 俺は冷や汗を拭い、天幕での作戦会議へと向かう覚悟を決めた。

 

 

メイザース領の森を目前にした天幕の中。俺は地図を囲むクルシュ、ラインハルト、フェルト、ヴィルヘルムたちを前に、かつてないほど重苦しい口を開いた。

 

 「みんな、聞いてくれ。今回の作戦、アンタレスについては……方針を根本から変えなきゃならない。あいつをただ捕まえるんじゃない。俺たちは、アンタレスをとことん『守護』しなきゃならないんだ」

 

 とことん『守護』しなければならない。その言葉の真意を確かめるように、皆が俺の次の言葉を待つ。

 俺は一歩も引かずに、自分だけが見たあの最悪の終焉を突きつけた。

 

 「理由があるんだ。今日現れる白鯨の『消滅の力』……それを食らった者の存在は世界から消える。もしアンタレスがその消滅の力を食らってしまったら、あいつの権能が発動する。あいつが死を肩代わりさせるために繋いでいる、アーラム村の皆や十人の騎士……そいつら全員の存在や生きた証が、あいつの身代わりとして根こそぎ消去されるんだ」

 

 俺は拳を地図に叩きつけた。

 

 「そうなれば、そいつらを救い出すことすらできなくなる! 忘却された空白の中で、そいつらは最初からいなかったことにされるんだ! だから、アンタレスには白鯨の指一本触れさせちゃならない。あいつが消えれば、俺たちが守ろうとしている全てが、文字通り無に帰すんだよ!!」

 

 俺の叫びに対し、ラインハルトは悲哀を湛えた瞳で俺を見つめた。彼はかつて、アンタレスから俺へと伸びる「血の糸」をその目で見抜いている。その糸が、今や世界を消し去る導火線へと成り果てていることを、彼は悟ったようだった。

 沈黙が天幕を支配する。ヴィルヘルムは剣の柄を強く握りしめ、かつて妻を奪った霧の魔獣が、今度は救うべき人々の存在そのものを盾にしているという卑劣な現実に、静かな怒りを燃やしていた。

 やがて、クルシュが深く、長く溜息を吐き出した。

 

 「……騎士の誇りを汚し、魂を拘束した者を、最優先で守らなければならないとはな。運命とは、時としてこれほどまでに残酷な皮肉を我々に強いるものか」

 

 彼女は琥珀色の瞳に、断固たる、けれど苦渋の決断を宿して俺を睨み据えた。

 

 「よかろう、ナツキ・スバル。卿の言い分を認めよう。……我が陣営の騎士たちに伝達せよ。対象『傲慢』は、いかなる理由があろうとも防衛せよ。あの一人の命を、救うべき数百の命の『鍵』として守り抜くのだ」

 「……すまねぇ、クルシュ」

 

 俺は深く頭を下げた。心臓の鼓動は早まるばかりだ。最強の布陣が、最悪の『爆弾』を守るために動き出す。

 誰も消させない。誰も『消費』させない。

 俺の執念を乗せて、運命の火蓋が再び切って落とされた。

 

 

 「――見つけた」

 

 メイザース領の森、その鬱蒼とした緑のカーテンを潜り抜けた先。俺の目は、大木の影に身を縮める、小さな、けれどこの戦場の鍵を握る少女の姿を捉えていた。

 宇宙を思わせる少し青みがかった黒髪に、一筋の赤いメッシュ。『傲慢』の大罪司教アンタレスが、そこにいた。

 

 「…っ!」

 

 アンタレスと目が合う。アンタレスは俺に見つかったことに驚き、目を見開いていた。

 俺はいつもと変わらない様子に奇妙な安心感を覚えながら、武器を持っていないことを示すように両手を上げ、一歩ずつ慎重に距離を詰めた。

 

 「アンタレス、落ち着いて聞いてくれ。……俺は、君を捕まえに来たんじゃない。君を守りに来たんだ」

 「ま、守りに…?」

 「ああ、そうだ。俺は君のことを知ってる。臆病で、死ぬのが怖くて、平穏に暮らしたいだけだってことをな。だからこそ、提案させてくれ。ペテルギウスの側にいても、君に平穏なんて来ない。あいつは君を使い潰すことしか考えてないんだ。だけど、俺の側なら……俺たちの側なら、君に指一本触れさせない。君が欲しがっている、絶対に安全な場所を提供できるんだ」

 

 俺の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。

 アンタレスの瞳が、激しく揺れ動く。死の深淵に怯える子供としての剥き出しの期待が、彼女の顔に浮かんできた。

 

 「本当に……? 殺さない? 牢屋にも入れない……?」

 「ああ。約束する。俺がお前の味方だ」

 

 彼女はしばらく俺を凝視していたが、やがて、今にも壊れそうな足取りで、影からその小さな身体を現した。俺へとゆっくり、縋るように歩み寄ってくる。

 

 (――来る。あのおかっぱが、自分の『駒』を手放すはずがねぇ……!)

 

 その瞬間、俺の網膜が捉えた。アンタレスの背後、闇の中から音もなく伸びる、ドロリとした不浄な色の『見えざる手』の群れを。

 彼女の胴体を、あるいは頭部を、無慈悲に握り潰して連れ去ろうとする死神の指先。

 

 「今だッ、ラインハルト!!」

 

 俺の叫び。それに応じるのは、世界の理を置き去りにした加速。

 

 「――っ!?」

 

 アンタレスが驚愕に目を見開くよりも早く、視界が『白』に染まった。

 音速を置き去りにした踏み込み。ラインハルトが瞬時にアンタレスの懐へと潜り込み、彼女の小さな身体を左腕で優しく、けれど強固に『回収』したのだ。

 直後、ラインハルトの右手が、空中に残された『見えざる手』を鷲掴みにする。

 

 「そこだね」

 

 ブオン、と。

 ラインハルトがただ手を一閃させただけで、アンタレスを攫おうとしていた数十本の不可視の腕が、まるで紙細工のように無惨に粉砕され、霧散した。

 

 「ひ、あ、あぁ……ッ!」

 

 ラインハルトの腕の中で、アンタレスはあまりの衝撃と、自分に触れている『最強』という名の死神への恐怖で、呼吸を忘れたように固まっていた。

 ラインハルトは彼女を俺のすぐ隣に降ろすと、周囲の警戒を解かずに静かに告げた。

 

 「危ないところだったね、アンタレス。もう心配はいらないよ」

 

 俺は、ガタガタと震え、今にも過呼吸になりそうなアンタレスの前に膝をついた。

 

 「――悪い。急に驚かせたな。だけど、こうしなきゃあいつに攫われてた。強引な真似をして、本当にすまねぇ」

 

 俺は彼女の目を見て、不器用ながらも精一杯の誠実さを込めて謝った。

 最悪の『爆弾』は、今、再び俺たちの手の内に戻った。ここからが、誰も消費させないための本当の勝負だ。

 ラインハルトの腕から俺の隣へと降ろされたアンタレスは、依然として小刻みに震え、俺の上着の裾を強く握りしめていた。その瞳には、ペテルギウスへの恐怖と、正体を知りながら「味方だ」と言い切る俺への、逃れようのない不信と期待が混ざり合っている。

 俺は彼女の肩を軽く叩き、クルシュへと声を上げた。

 

 「クルシュ! アンタレスを確保した! ラインハルトがペテルギウスの『見えざる手』を退けて、今は俺の隣にいる!」

 

 向こうで、クルシュが短く息を呑む音がした。

 

 「……よくやった、ナツキ・スバル。ラインハルト、対象の容態は?」

 「怪我はないよ。ただ、ひどく怯えている。……それと、彼女から伸びる『血の糸』は、今も周囲の命を捉えたままだ。作戦通り、不用意な刺激は避けるべきだろうね」

 

 ラインハルトの冷静な報告に、俺は森の木々の隙間から見える空を仰いだ。

 白鯨の出現まで、もう時間は残されていない。森という閉鎖空間で、姿の見えない『怠惰』の権能と、空を覆い尽くす白鯨の『消滅の力』を同時に相手にするのは自殺行為だ。

 クルシュは声を張り、騎士たちに命令する。

 

 「――総員、撤退! 森を出てリーファウス街道の平原へ転進せよ! 『傲慢』を護送しつつ、陣形を再編する!」

 

 凛烈な号令が森に響き渡り、カルステン陣営の騎士たちが一斉に動き出した。アンタレスは俺に引きずられるようにして地竜へと乗せられ、俺もその背に飛び乗った。

 

 「ひっ……あ、あいつが追ってきてる……!」

 

 アンタレスが悲鳴を上げる。森の奥、闇の中から「勤勉」を説く狂人の咆哮が、地響きのように近づいてくるのが分かった。ペテルギウスは、自分の「囮」であり「備蓄」でもあるアンタレスを、容易く手放すつもりはないらしい。

 

 「スバル、ここは僕が食い止める。君たちは先に行くんだ」

 

 ラインハルトが拳を握り直し、迫りくる狂気の波に向かって一人立ちはだかった。

 

 「頼むぞ、ラインハルト! 殿は任せた! 別に倒しても構わないからな!」

 「最善は尽くすよ…!」

 

 地竜が力強く地を蹴り、俺たちは森の出口へと疾走を開始した。

 背後では、ペテルギウスの放つ数百本の『見えざる手』が木々をなぎ倒し、空間を歪ませながら殺到しているのが、俺の目にだけは見えていた。

 

 「返すのデス! ワタシの勤勉を無下にする不届き者をォォオオッ!!」

 

 狂い叫ぶペテルギウス。だが、その暴威を、白く輝く騎士の影が真っ向から弾き飛ばす。

 やがて視界が開け、俺たちは深い森を抜けて広大な平原へと躍り出た。ここでは地竜の機動力こそが最大の武器になる。

 

 「よし、平原だ! 地竜に乗った騎士団の突撃なら、森の外まで追ってきた魔女教徒どもを各個撃破できる!」

 

 俺は隣で震えるアンタレスの手を強く握った。彼女の心臓に繋がった数百の命を救うため、そしてこの理不尽な戦いに終止符を打つために、俺は平原の先に待つ運命を睨み据えた。

 背後の森の境界線では、ラインハルトが迫りくる狂信者たちを次々と手刀で沈め、時折放たれるペテルギウスの猛攻を、神速の反撃で粉砕していた。

 

 

 メイザース領の深い森、その湿った土を這うようにして、一人の男が立ち上がった。かつて緑髪のおかっぱをしていた痩せぎすの肉体は、すでにラインハルトの神速の連撃によってズタズタに引き裂かれ、物言わぬ肉塊へと成り果てている。

 しかし、その傍らで木陰に潜んでいた別の魔女教徒――新たな「指先」の瞳に、禍々しい燐光が宿った。

 

 「ああ、ああ、ああ……! なんという、なんという不条理! なんという理不尽! そして、なんという至高の輝きデスか、ラインハルト・ヴァン・アストレア!!」

 

 ペテルギウスは、乗り移ったばかりの新たな肉体で、自らの顔を爪が食い込むほどに掻きむしった。彼の視界の先、森を強引に切り裂いて進む白き騎士の背中は、もはや「敵」という概念を超越した、魔女の寵愛を試すための巨大な壁そのものだった。

 彼は首を不自然な角度に折り曲げ、周囲の状況を冷静に、かつ狂気的に分析した。

 

 「正面突破は、もはや『怠惰』の極みデスね。あの『剣聖』、そして公爵家の私兵……ナツキ・スバルに半魔の娘。今のワタシたちが真正面から挑んだところで、その手が届く前に塵にされてしまうのは明白…」

 

 ペテルギウスは血走った眼球をギョロリと動かし、森を抜けていく竜車の轍を見やった。

 スバルたちは森を出て、視界の開けたリーファウス街道の平原へと戦場を移そうとしている。予定では、もうすぐそこに雲海を泳ぐ魔獣――白鯨が回遊してくるはずだ。

 

 「なるほど、なるほどなるほど。平原にて白鯨を迎え撃ち、仕留めた後、ワタシたちを各個撃破しようというのデスね。実に実に実にィィイ勤勉デス!! ああッ、脳が震えるぅぅううううううううううう!!」

 

 しかし、ペテルギウスの口端は、歓喜とは裏腹に冷酷な形に歪んだ。

 敵の戦力は強固だ。だが、彼らには決して無視できない『弱点』が存在する。

 それは、アンタレスと、彼女が掌握するアーラム村の住民たちだ。

 彼らはもともとアーラム村の住民を救い出すためにここへ来た。そして、具体的な理由は分からないが、彼らはアンタレスの権能を知っており、住民たちを守るために彼女を保護した。彼女の権能と性格を把握していると仮定すると、彼らは彼女を積極的に守ろうとするはずだ。

 

 「かつての同胞、アンタレスよ。アナタがナツキ・スバルの甘い毒に当てられ、一時的な安寧に微睡もうとしているのは計算済みデス。デスが、ワタシたちの『試練』には、さらなる混乱と絶望が必要なのデス……!」

 

 ペテルギウスは音もなく踵を返した。

 彼が向かうのは平原ではない。かつてアンタレスがその牙を突き立て、全ての命を自らの「資源」へと変えた場所――アーラム村だった。

 いつ白鯨が現れるか分からない状況でアーラム村を直接脅かせば、アンタレスとアーラム村、その両方を守護することを強いられる。

 しかし、アンタレスをアーラム村へ連れて行けば、二百を超える『足手まとい』を背負って白鯨と戦わざるを得なくなる。そうなれば犠牲は必至。スバルたちはそれを避けたいはずだ。

 故に、戦力は確実に分断される。そして、戦力の低い方――ラインハルトがいない方を叩くのだ。

 

 やがて、アーラム村を一望できる高台の影に辿り着いたペテルギウスは、懐から冷たい金属の感触を取り出した。それは遠隔での通話を可能にするミーティア――『対話鏡』だった。

 濁った鏡面を血に汚れた指先でなぞると、不気味なマナの揺らぎと共に、戸惑った様子の一人の少女の姿が浮かび上がった。スバルの隣で地竜に揺られ、死の予感にガタガタと震えているであろう、臆病なる『傲慢』の貌が。

 

 「――お久しぶりデスね、アンタレス。アナタの勤勉なる『囮』としての役目、今この瞬間から、さらなる高みへと勤勉に昇華させてあげましょう!! まずは、ナツキ・スバルにその『対話鏡』を与えるのデス!」

 

 狂人の耳障りな呼びかけが、鏡を通じて、少女の鼓膜へと容赦なく叩き込まれた。

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