魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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第32話『傲慢な提案』

 地竜の背に揺られながら、俺は背後の竜車の中で小さく震えるアンタレスの気配を感じていた。ラインハルトが殿を引き受け、俺たちはようやく森を抜けてリーファウス街道の平原へと躍り出た。

 

 「ひっ」

 

 不意に、アンタレスが喉の奥で短い悲鳴を上げた。

 振り返って見てみると、彼女の小さな手が、震えながら懐から何かを取り出した。それは冷たい金属の質感を放つ手鏡だった。

 

 「ど、どうした、アンちゃん……?」

 

 俺が声をかけると、彼女は鏡面をこちらに向けた。濁った鏡の中に映し出されていたのは、別人ではあるが、一度見たら夢にまで出てくるようなあの狂人の貌だった。彼は自らの指を噛み砕き、血の混じった涎を垂らしながら、鏡越しにこちらを凝視していた。

 

 『――さぁ、対話鏡をナツキ・スバルに譲るのデス!』

 「ペテルギウス……!」

 

 俺の喉が不快な音を立てて鳴る。アンタレスは恐怖に顔を白く染めたまま、弾かれたように俺に鏡を押し付けた。

 

 「……何の用だ、おかっぱ野郎」

 

 俺が鏡を掴み、射抜くような視線を向けると、ペテルギウスは裂けた口元をさらに吊り上げた。

 

 『用件? 用件デスか! それは決まっていマス! 試練の続き、愛の証明デス!!』

 

 鏡の中のペテルギウスが、首をボキリと真横に折った。そして、彼は自分の背後にある景色を見せつけるように、鏡の角度を変えた。

 

 「――っ!?」

 

 そこに映し出された光景に、俺の心臓は凍りついた。

 燃え上がる焚き火、そして見覚えのある広場。そこには、アーラム村の住民たちが折り重なるようにして縄で縛られ、逃げ場を奪われた状態で床に座らされていた。皆、絶望と恐怖に顔を歪め、言葉にならない悲鳴を上げようとしていた。

 

 「お前……! そこで何をするつもりだ!!」

 『何、とは心外デスね。ワタシはただ、アンタレスの「資源」を、ワタシたちの「試練」のために勤勉に有効活用しようとしているだけデス!』

 「ふざけるな! 何をする気だ!! 答えやがれ!!」

 

 俺の怒号が響く中、ペテルギウスは血走った眼球をギラつかせ、悦悦とした表情で腕を伸ばした。

 

 『そんなに知りたいのなら、今、見せてあげましょう』

 

 鏡の中の空間が、不自然に歪んだ。

 俺の目にははっきりと見えていた。ペテルギウスの背後から伸びた、ドロリとした不浄な色の『見えざる手』が、震えていた住民の一人の腕を無慈悲に掴むのが。

 

 「やめろッ!!」

 

 俺の制止も虚しく、不可視の魔手は万力のような力で、その腕を強引に逆方向へとねじ切るように回転させた。

 メキメキ、バキリ、と――。

 静まり返った平原に、鏡を通じて、骨の砕ける悍ましい音が無慈悲に響き渡った。

 対話鏡から響いた、あの乾いた破壊音――骨が砕ける音が、俺の脳髄を直接殴りつけたかのように火花を散らした。

 鏡の向こう側、ペテルギウスの背後で、折り重なるように縛り上げられた村人たちの間から、引き裂かれたような絶望の悲鳴が上がった。それは、俺が知っている声だった。

 

 「――っ、てめぇッ!!」

 

 怒りで視界が真っ赤に染まる。俺は手にした対話鏡を握りつぶさんばかりに力を込め、狂ったおかっぱ野郎に向かって怒号を叩きつけた。

 

 「そこで待ってろよ糞野郎ッ!! ぶっ殺してやるからなッ!!」

 

 鏡の中のペテルギウスは、自らの血で汚れた指を舐め取りながら、悦悦とした表情で嗤っている。

 俺は地竜の首を強引に引き絞り、進路を反転させようとした。リーファウス街道の平原を全速力で駆け抜け、あの不気味な森の向こうにあるアーラム村へと。

 

 「待て、ナツキ・スバル!」

 

 その時、鋭い声が俺を制した。

 地竜を並走させ、凛とした佇まいでこちらを射抜くのはクルシュだ。彼女の琥珀色の瞳は、戦場の熱に浮かされることなく、冷徹なまでの冷静さを保っていた。

 

 「卿のその取り乱し方、ただ事ではない。その鏡の向こうで、一体何が起きている?」

 「……アーラム村だ! ペテルギウスの野郎が、あそこで村の連中をなぶり殺しにしようとしてるんだよッ!!」

 

 俺は対話鏡を彼女に見せつけるように突き出した。鏡の中では、見えない手に首を絞められ、顔を紫に変えてもがく住民の姿が映し出されている。

 クルシュは鏡の中の惨状を一瞥し、苦渋に満ちた表情で眉間を険しくしたが、それでも手綱を引くことはなかった。

 

 「……ナツキ・スバル。卿の焦りは理解できる。だが、落ち着いて周囲を見るのだ。これは相手の明確な狙いだ」

 「落ち着いてられるかよ! 今、この瞬間に、あいつらは殺されるかもしれないんだぞ!?」

 「いいか、相手は戦力の分断を企んでいる」

 

 クルシュの声は、吹雪のように冷たく俺の頭を冷やしにかかる。

 

 「白鯨の出現予測時刻はもうすぐだ。ここで我々が、村を救うために戦力を裂けば、白鯨と大罪司教、その2つの大敵によって各個撃破される危険が高まる。魔女教の狙いは、我々の戦力を削ぎ、混乱させることにあるのだ」

 

 合理的な、あまりに正しすぎる戦術的判断。彼女は王を志す者として、個の命よりも大局の勝利を、そして軍全体の生存を天秤にかけている。

 だが、俺にはそんな「正解」を飲み込む余裕なんて、一ミリだって残っちゃいない。

 

 「……戦力の分断だの、敵の罠だの、そんなこと言われたって………ッ!!」

 

 俺は地竜の上で身を乗り出し、クルシュを、そして彼女の背後に続く軍勢を睨みつけた。俺の脳裏には、かつてのループで死体となって転がっていた村人たちが浮かんでいた。

 

 「罠だからって……分かってりゃ、あいつらを見殺しにしていい理由になるのかよッ!? あそこで悲鳴を上げてる連中は、俺たちが守るって決めた奴らだろ! それを、利害だの分断だのって理屈で、最初から切り捨てるつもりかよ!!」

 

 俺の絶叫は、風の唸る平原に虚しく響き渡った。

 対話鏡から響くペテルギウスの狂気と、クルシュが突きつけた冷徹な正論。その板挟みになり、俺が怒りと焦燥で視界を真っ赤に染めていた、その時だった。

 

 「おい、兄ちゃん。そんな情けねぇツラすんじゃねーよ」

 

 凛とした、けれどどこか不遜な声が、平原を吹き抜ける風を割って響いた。

 フェルトだった。彼女は赤い瞳を俺に向けた。

 

 「兄ちゃんの役割は決まってんだろ。そこの『一番ヤバい爆弾』の子守だよ」

 

 フェルトは顎で、俺の背後にいるアンタレスを指差した。

 

 「そいつを連れて『怠惰』の野郎と対峙する気か? そいつを守り切れんのか? あのおかっぱの思い通りに、村の連中の命を燃料にして暴れ回るのがオチだろ。今の兄ちゃんにしか、そいつの首輪は握れねぇんだよ」

 「……っ、だけど! あそこには皆が……!」

 

 俺が食い下がろうとすると、フェルトは不敵な笑みを浮かべてそれを遮った。

 

 「分かってるよ。だから、アーラム村にはアタシたちも行く」 

 「フェルト様、お待ちください」

 

 それまで静かに控えていたラインハルトが、神妙な面持ちで声を上げた。その青い瞳には、王国の守護者としての深い懸念が宿っている。

 

 「村には『怠惰』のペテルギウスがいます。奴は何度倒しても他人に憑依して復活する怪物です。フェルト様にもしもがあれば…」 

 「ハッ、そんなの今更だろ。化け物退治はラインハルト、お前の専売特許じゃねーか」 

 

 フェルトはラインハルトの警告を一蹴すると、そのまま地竜を並走させたまま、クルシュへと赤い瞳を向けた。

 

 「おい、公爵様! アタシらの動向、文句ねーよな?」

 

 クルシュは苦渋の滲む表情で数瞬目を閉じ、周囲の風の感触を確かめるように沈黙した。だが、やがてカッと琥珀色の瞳を見開くと、彼女の周囲に決断の突風が吹き抜ける。

 

 「……よかろう。卿の申し出を認めよう。卿らは直ちに救護班と共にアーラム村へ向かい、住民と――その少女の守護に全力を尽くせ」

 「おうよ!」

 「……っ、すまねぇ、フェルト、クルシュ! 恩にきる!」

 

 俺は地竜の手綱を握り直し、深々と頭を下げた。利害を優先すべき立場にありながら、俺の切実な訴えを信じ、最強の切り札であるラインハルトたちの離脱を許してくれた彼女に、心の底から熱いものが込み上げる。

 

 「礼には及ばない。必ず、全員生きて再会しよう。――総員、転進準備! 彼らの離脱を援護せよ!」

 

 クルシュの凛烈な号令が平原に響き渡り、俺たちは一斉に地竜を走らせた。

 アンタレスという最悪の爆弾を乗せた地竜の群れが、不浄な霧を切り裂いてアーラム村へと疾走を開始する。

 蹄の音が響く中、俺は確かめるように背後のアンタレスの気配を感じていた。彼女の心臓には、今もアーラム村の住民二百名以上の命が『血の糸』で繋がっている。

 

 (アンタレスが白鯨の攻撃に巻き込まれないためにも、もともと距離は取るつもりだった。だけど……)

 

 俺の胸の中に、不意に一つの疑念が頭をもたげた。俺は並走するラインハルトに向かって声を張り上げる。

 

「なぁ、ラインハルト! 今更だけどよ、本当に良かったのか!? あのデカブツ……白鯨を相手に、最大戦力のお前が抜けてクルシュたちだけに任せちまって!」

 

 三大魔獣の一角。数百年の間、人類を拒んできた絶望の象徴だ。それに対し、ラインハルト抜きで挑ませることに、俺は自分のわがままの重さを改めて感じていた。

 ラインハルトは風に赤髪をなびかせながら、穏やかな、けれど確信に満ちた声で答えた。

 

 「心配はいらないよ、スバル。クルシュ様は優れた指揮官であり、ヴィルヘルム様の剣技も剣聖のそれと遜色がない。それに何より、君がもたらした正確な情報がある。出現場所も、分裂の特性も、霧の正体も――スバルの言葉でタネが割れている白鯨相手に、あの二人が遅れを取ることはあり得ないさ」

 

 ラインハルトの太鼓判に、俺の焦燥が少しだけ凪いでいく。

 

 「そうよ、スバル。クルシュはとっても強いもの。私たちを信じて、そしてラインハルトを貸してくれた彼女を信じましょう」

 

 エミリアが、紫紺の瞳に強い決意を宿して俺を見た。

 

 「アーラム村の人たちを、そしてアンタレスを救うために。クルシュを信じて行こう、スバル!」

 「……ああ、そうだな。信じて突っ走るしかねぇ! 行くぞ、パトラッシュ!」

 

 俺は力強く頷き、地竜の腹を蹴った。

 俺の咆哮を乗せて、一行は、夕闇に染まり始めた運命の地へと猛進していった。

 

 リーファウス街道の風を切り裂きながら、パトラッシュが全速力で駆ける。

 

 「スバル! 村が見えてきたわ!」

 

 エミリアの叫び声に応じるように顔を上げると、木々の向こうにアーラム村の入り口が迫っていた。ペテルギウスの『見えざる手』が村人たちを蹂躙している光景が脳裏をよぎり、俺は地竜の腹を強く蹴った。

 だが、その時だった。

 

 「先に行って制圧してくるよ」

 

 並走していた白い騎士服の背中が、さらりとそう告げた。

 次の瞬間、隣を走っていたはずのラインハルトが地竜の背から、まるで弾丸のように空へ向かって飛び上がった。

 

 「――は?」

 

 俺の理解が追いつくよりも早く、村の広場の方角から、魔女教徒と思わしき黒装束の人影が、次々と放り出されるように空高く打ち上がるのが見えた。それも一人や二人じゃない。十、二十といった影が、意志を奪われた人形のように高く、無様に舞っていた。

 

 「な、なんなの今の……!?」

 

 エミリアが驚愕の声を上げ、レムもまた目を見開いている。

 俺たちが村の広場へ突入したのは、それからわずか数秒後のことだった。

 俺の目に飛び込んできたのは、俺が想像していた地獄の光景――血の海でも、狂い笑うおかっぱ頭でもなかった。

 

 「……はっや、地竜いらねぇだろお前」

 

 俺の口から、呆然とした声が漏れた。

 広場の中央には、すでにラインハルトが立っていた。その足元には、先ほど空へ打ち上げられたであろう魔女教徒たちが、誰一人として動くことなく折り重なっている。

 そしてラインハルトは、返り血一つ浴びていない白い騎士服を翻しながら、縄で縛られていた村人たちの元へ駆け寄り、神速の手つきでその拘束を解いていた。

 

 「待たせてすまない。もう安心だ」

 

 いつもの、非の打ち所のない誠実な微笑み。

 俺はパトラッシュを急停止させ、鞍から転がり落ちるようにして村人たちの元へ駆け寄った。

 

 「ラインハルト、お前には脅かされてばかりだよ……。仕事速すぎだろ、まだ数秒も経ってねぇぞ」

 「彼らを救い出すのが最優先だったからね。ここにいたのは二十人ほどの魔女教徒だけで、ミーティアに映っていた怠惰はいなかった。まだ近くに潜んでいるかもしれない。警戒は怠らないように」

 

 ラインハルトは平然と答えながら、最後に残ったペトラの縄を断ち切った。

 俺は周囲で震えている村人たち全員に聞こえるように声を張り上げた。

 

 「みんな、もう大丈夫だ! 俺たちが来た! 絶対に、誰一人として死なせやしねぇからな!」

 

 ラインハルトの手によって、広場に集められていた村人たちは解放された。泣き崩れるペトラを抱きしめながら、俺は「これで、今度こそ彼らを助けられたんだ」と自分に言い聞かせていた。

 だが、俺の胸の奥で、正体の分からない違和感が澱のように溜まっていた。

 

 「……スバル、どうしたの? 怖い顔して」

 

 俺の様子を察したエミリアが、心配そうに覗き込んでくる。

 俺は答えず、広場を見渡した。解放されて家族と抱き合う村人たち。ラインハルトに掃討された魔女教徒たちの死体。

 そうだ。数が、足りない。

 

 「……村長、マキジは? それに、奥の家のおばあちゃんやその子供たちはどこにいるんだ!?」

 

 俺の問いに、周囲の空気が凍りついた。村長が、震える指で村の北側に広がる深い森を指さした。

 

 「……あ、あの、狂人が……ラインハルト様が空から降ってくる前に、数人だけ連れて森の奥へ消えたんじゃ……。『魔女の寵愛を試すなら、魔獣の牙こそが相応しい』……なんて、狂ったことを喚き散らしながら……!」

 

 その言葉が脳に届いた瞬間、俺の視界が真っ赤に染まった。

 

 「……っ、あの野郎!!」

 

 ペテルギウスは、村人を削り、俺たちの絶望を煽ろうとしているのだ。森の奥には、ウルガルムを始めとする凶悪な魔獣が潜んでいる。

 

 「待ってろ、今すぐ助けに――」

 「――待つんだ、スバル」

 

 背後から、鉄のように硬く、けれど慈しむような重みを持った手が俺の肩を掴んだ。ラインハルトだ。

 

 「放せ、ラインハルト! 今ならまだ間に合う! あいつらが食われる前に、俺が行かなきゃならないんだ!!」

 「君が行っても、魔獣の群れと大罪司教が潜む闇の中で命を落とすだけだ。それは、君が一番よく分かっているはずだろう?」

 

 ラインハルトの青い瞳が、俺の焦燥を射抜く。その視線は、俺が『死に戻り』で経験してきた数々の無残な死をすべて見透かしているかのようだった。

 

 「君には、君にしかできない役目がある」

 

 ラインハルトは、俺の背後でガタガタと震えている村人たちに、そして、アンタレスへと視線を向けた。

 

 「恐怖に震える村人たちに、君の言葉で安心を与えてあげてほしい。そして……彼女が、自分の命を守るために誰かを『消費』することのないよう、その隣にいてあげるんだ。それは、僕にはできない、君だけの役割だ」

 

 ラインハルトの言葉は、正論だった。アンタレスは俺に希望を見出している。俺が彼女のそばを離れ、彼女が何らかの要因で極限の恐怖を感じれば、また誰かの命が『盾』として削られる。

 俺は拳を強く握りしめ、歯を食いしばった。

 

 「……ラインハルト、お前……」

 「信じて待っていてくれ。一刻も早く、彼らを連れ戻すと約束するよ」

 

 ラインハルトはそう言い残すと、俺の返事を待たず、一歩踏み出した。

 

 次の瞬間、音も、風も、視覚すらも置き去りにされた。

 白い騎士の姿が爆ぜるように消え、森の木々が衝撃波で大きくしなり、後を追うように雷鳴が轟いた。俺の目の前には、ただ抉れた地面の土煙と、遠くで魔獣たちが上げる悲鳴のような地鳴りだけが残された。

 俺はラインハルトを信頼し、周囲の村人たちに声をかけ続けた。エミリアやレム、救護班の騎士たちも、怪我人の手当や怯える子供たちの相手に奔走している。

 

 「大丈夫だ。ラインハルトが行ったんだ、もう怖いことは何もねぇよ」

 

 自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎながらも、俺の意識は常に一人の少女に向けられていた。俺たちの背後、広場の隅で一人立ち尽くしているアンタレスだ。

 ふと視線を向けると、彼女の様子が明らかにおかしかった。

 彼女は、泥のついた小さな手で懐から取り出した『対話鏡』を、食い入るように見つめていた。その顔は土気色を通り越し、まるで全ての血が引いてしまったかのように青白い。

 

 「……アンちゃん?」

 

 嫌な予感が胸を突き上げる。俺は村人の肩をそっと離し、駆け寄るようにアンタレスの側へと歩み寄った。

 近づくにつれ、鏡の向こうから漏れ出す悍ましい声が俺の鼓膜を汚した。それは、一度聴いたら脳にこびりついて離れない、あの狂人に似ても似つかない声だった。

 

 『――アンタレス。アナタを受け入れる隙間が、彼らにあると本気で思っているのデスか?』

 

 対話鏡の向こうで、ペテルギウスが奇怪な角度に首を折り曲げ、血走った眼球で彼女を追い詰めていた。

 

 『アナタは忘れているようデスが、アナタは魔女教大罪司教。他者の命を喰らわねば生きられぬ、救いようのない自己愛の怪物なのデス』

 「……っ」

 

 アンタレスの指先が、鏡を握る力が強まる。彼女の瞳は絶望に染まり、今にもその場に崩れ落ちそうだった。

 ペテルギウスの声は、容赦なく彼女の生存戦略を粉砕しにかかる。

 

 『ナツキ・スバルの甘い毒に当てられ、一時的な安寧に微睡もうとするなど……ああ、なんとなんとなんと怠惰なことか! アナタの居場所は外の世界には存在しない。アナタが望む平穏など、魔女の寵愛という名の楽園、魔女教の中にしか存在しないのデス…!』

 「……それでも、僕は」

 

 アンタレスが掠れた声で漏らす。彼女の意識の奥にある『権能』のリストが、恐怖に反応して不吉に明滅しているのを感じた気がした。

 

 「ふざけるなッ!!」

 

 俺はアンタレスの横から強引に手を伸ばし、彼女が握っていた対話鏡を奪い取った。

 鏡の中では、一瞬だけ驚愕に目を見開いたペテルギウスの顔が映ったが、俺はそれを一瞥する余裕すら与えなかった。

 

 「誰が怪物だ、クソ野郎! こいつがどこへ行こうと、どこで平穏を得ようと、それはこいつが決めることだ! お前みたいな狂った奴に指図される筋合いはねぇんだよ!!」

 

 俺の怒号に対し、鏡の中のペテルギウスが何かを喚き散らそうとしたが、俺はそのまま腕を大きく振りかぶった。

 

 「二度とこいつに話しかけるんじゃねぇ!!」

 

 渾身の力で投げ飛ばされた対話鏡は、放物線を描いて村の外れの茂みの中へと消えていった。

 俺は、肩で荒い息を吐きながら、アンタレスに向き直った。

 彼女は、鏡を奪われた姿勢のまま固まっていたが、やがて糸が切れた人形のように、その場に膝から崩れ落ちた。

 

 俺は膝から崩れ落ちたアンタレスの前で、ゆっくりと腰を落とした。泥に汚れ、震えが止まらないその小さな肩。ペテルギウスに「化け物」と呼ばれ、「居場所などない」と突きつけられた絶望が、彼女を真っ白な空白へと叩き落としていた。

 アンタレスは、焦点の合わない瞳で俺を、いや、俺という存在の奥にある何かを呆然と見つめていた。その瞳には、自分の生存戦略がすべて瓦解したことへの恐怖と、それでもなお消えない『死への忌避感』が、どろりとした澱のように溜まっている。

 

 「……ス、バル……?」

 

 掠れた、今にも消えそうな声。俺は、自分の中に渦巻く怒りと、それ以上に強い『守護』の執念を瞳に込めて、彼女を真っ直ぐに見据えた。

 

 「居場所なら、ある。……エミリアたんの隣でも、屋敷でも、どこでもいい。お前がいられる場所なら、いくらだってあるんだよ」

 

 俺の断言に、アンタレスがびくりと肩を震わせた。俺は彼女の細い手首を、痛くないように、けれど絶対に離さないという意志を込めて強く握りしめた。

 

 「もし、この世界のどこにもお前の居場所がねぇって言うなら……俺がこれから作ってやる。 誰にもお前を化け物なんて言わせねぇし、誰かを殺さなくても笑って生きていける場所を、俺が死ぬ気で、形にしてやるよ」

 

 それは、かつて彼女に『お前を殴ってでも止めてやる』と誓った俺の、もう一つの答えだった。

 アンタレスの瞳が大きく見開かれた。俺のまっすぐな眼差しが、彼女の冷え切った心を真っ向から射抜いたように思えた。

 

 「……っ……ぁ……」

 

 彼女の潤んだ瞳から、一粒、また一粒と、熱い涙が零れ落ちた。それは大罪司教としての演技でも、生存のための擬態でもない。ただの十歳の子供として、誰かに自分を全肯定されたことへの、救いようのない安堵の雫だった。

 

 「……ありが、とう……」

 

 アンタレスは視線を逸らそうとしたが、俺の手の温もりがそれを許さなかった。彼女は震える袖で乱暴に涙を拭うと、鼻をすすり、消え入るような声で呟いた。

 

 「……なら、僕も協力するよ」

 

 アンタレスの表情から幼さが消え、代わりに『傲慢』としての冷徹な観察眼が戻ってきた。彼女は俺の手を離すと、不気味な静寂を保つ森の奥、ペテルギウスが消えた方角を睨みつけた。

 

 「……ペテルギウスの性格を、僕はよく知ってる。あいつにとっての『勤勉』は、最も効率的に、最も残酷に、愛という名の絶望を叩き込むことなんだ」

 

 彼女は目を細め、戦慄に唇を噛んだ。

 

 「あいつが村人を数人連れて森の奥へ逃げたのは、ラインハルトを長い間足止めするため。最強の騎士を引き剥がして、手薄になった方を狙い撃ちにする……。多分、あいつは、白鯨と共にクルシュを挟み撃ちにする気なんだと思う」

 「なっ! クソッ、今すぐ助けに――」

 

 俺はそう叫び、パトラッシュに跨ろうとした。だが、その瞬間、視界の端に映った光景に、俺の身体は金縛りにあったように硬直した。

 

 ペテルギウスの『見えざる手』によって腕をねじ折られた男や、恐怖のあまり過呼吸を起こして倒れ込んでいる老婆、そして泣きじゃくる子供たちの姿。

 

 他の皆が必死に救護にあたっているが、魔女教の『指先』がいつまた霧の中から現れるか分からない状況だ。

 

 (……クソッ、どうすればいい!?)

 

 俺の心臓は、焦燥感で破裂しそうだった。

 クルシュたちを救うには、一刻の猶予もない。だが、今ここで俺たちが離れれば、傷つき動けないこの人たちは誰が守るんだ? 誰が安心させるんだ?

 連れて行くことなど論外だ。白鯨という伝説の魔獣の前に、怪我人を引き連れて突っ込むのは自殺行為でしかない。かと言って、ラインハルトが帰ってくるまで、自分はここでただ待っていることなど、俺の魂が拒絶している。

 

 「スバル……その…」

 

 不意に、背後から服の裾を引かれた。

 振り返ると、アンタレスが潤んだ瞳で俺を見上げていた。そして、彼女はまるで秘密を打ち明ける子供のように、恐る恐るといった様子で口を開いた。

 

 「あの……実は、僕……ラインハルトにペテルギウスから助けてもらった時に、さ…」

 

 彼女は言い淀み、一度だけ生唾を飲み込んだ。その黒髪の間から覗く瞳には、大罪司教としての冷徹な計算と、それ以上に深い『保身』への執念が混ざり合っていた。

 

 「……あの人の、命を『掌握』しちゃったんだ」

 「――はぁっ!? な、何で!?」

 

 俺は耳を疑った。

 

 「あの時は、殺されるのが怖くて、反射的にやっちゃったんだけど……。今の僕なら、あの人の命を『消費』できる。……世界最強の騎士様の命を燃料にすれば、僕、たぶん一人で白鯨も、ペテルギウスも、全部叩き潰してこれるよ」

 

 アンタレスの声は、震えている。だがその内容は、あまりにも理不尽で、あまりにも『傲慢』だった。

 俺の脳裏に、白鯨とペテルギウスを瞬殺した、あの暴虐が蘇る。

 彼女は俺の顔色を伺うように上目遣いで、けれど自分の提案が最も効率的であると信じて疑わない様子で続けた。

 

 「ほら、ラインハルトには『不死鳥の加護』があるでしょ? 何回死んでも、すぐに蘇れるし……。それに、掌握した後に彼、何も言わなかったし…。だったら、僕のために一回だけ命を使っても、良いかなって……。減るもんじゃないし、それでみんなが助かるなら、一番良い解決法だと思うんだ」

 

 彼女の言葉を聞いた瞬間、俺の背筋にドロリとした嫌な汗が流れた。

 ラインハルトを使い捨ての電池か何かのように語る、そのあまりに欠落した倫理観。他者の命を『資源』としか見なさない、剥き出しの生存本能。

 

 「スバルはここで、村の人たちを守っててよ。僕が……僕が行って、全部終わらせてくるから。そうすれば、スバルも、僕も……誰も死ななくて済むでしょ?」

 

 そう言って、アンタレスは力なく、けれど確かな『傲慢』の光を宿した瞳で、白鯨の鳴き声が響く森の奥を睨み据えた。

 目の前にいるのは、俺が「守る」と誓った可哀想な少女か。それとも、やはり救いようのない怪物なのか。

 俺はその答えを出せないまま、ただ彼女の冷たい指先が俺の袖を握る感覚だけを、痛いほどに感じていた。

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七崩賢『強欲の魔女』エキドナ(偽物)(作者:魔女の茶会のお茶汲み係)(原作:葬送のフリーレン)

 フリーレン世界にエキドナ憑依系TS転生者をぶち込んで、ただただエキドナロールプレイさせるだけの愉快なお話。▼「ボクはただ、君の全てを知りたいだけさ」▼ なおスペックは、種族が魔族になった以外まんまエキドナと同程度の力を扱えるが、頭が少しばかり残念になってます。▼「お前はその好奇心を満たすためにどれだけの人間を殺したんだ」▼ ちなこの転生者は人殺したことはあ…


総合評価:4965/評価:8.37/連載:2話/更新日時:2026年04月05日(日) 22:18 小説情報


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