魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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第34話『献身的な暴虐』

 リストの中で一等星が如く輝いていたラインハルトという『世界最強の命』。それを代償にして得た力の奔流は、これまでの誰を消費した時とは比較にならない程凄まじいものだった。

 僕の肉体を流れる力の濁流。それはもはやエネルギーという言葉では生ぬるい。僕の血管を、神経を、細胞の一つ一つを、世界そのものの祝福が焼き尽くさんばかりの勢いで駆け巡っている。視界は異常なほどに研ぎ澄まされ、数キロ先の木の葉が揺れる様さえ、止まって見えるほどに加速していた。

 

 (……あはは、何これ。やばすぎる…!)

 

 己の内に満ちる全能感に、かつてない高揚感が突き上げてくる。

 

 今の僕なら、何だってできる。そう確信できた。

 今この瞬間に地を蹴れば、あのラインハルトでさえ、指先一つ触れられない速度で世界の果てまで逃げられる。誰も僕を知らない、どこか遠い、絶対に安全な場所へ。

 一瞬、その誘惑が頭をよぎった。それが僕の、アンタレスとしての最も『正しい』生存戦略のはずだったから。

 

 だけど。

 

 僕は、僕を信じようと必死に顔を上げているスバルを一瞥した。

 この男は言った。僕が笑って、美味しいものを食べて、暖かい布団で眠れる居場所を作ってやると。

 もとより彼にそう言ってもらうためにここへ来た。ペテルギウスの狂気に追従し、恐怖を押し殺してメイザース領へ足を踏み入れた。

 だから、ここは計画通りと笑うべきなのだろう。彼の腕の中で何もせず、彼の死体で積み上げられた正解のルートをただ辿っていればいいのだろう。

 だが、彼のその馬鹿正直で、自分勝手な善意が、僕をどうしようもなく狂わせていた。

 逃げ出すよりも、彼の後ろをついて行くよりも。彼の隣を歩み、時には前へ出て道を切り開くことが、僕にとっては価値のある『資源』に思えたのだ。

 

 「……スバル」

 

 僕は、全能感に震える唇を開いた。

 

 「大丈夫、すぐ終わらせてくる。白鯨も、ペテルギウスも……一人残らず、僕が全部殺してきてあげる」

 

 目を見開くスバルに向かって、僕は微笑みを浮かべた。

 

 「だから……スバル。この戦いが終わったら、全力で僕の『居場所』を作って。約束だよ」

 

 言い終えるよりも早く、僕は地を蹴った。

 

 爆発。

 

 僕の脚が地面を離れた瞬間、大気がその質量に耐えきれず爆ぜ、背後で巨大な衝撃波が円環状に広がった。

 ドンッ、という雷鳴のような音が遅れて響く。

 僕は音よりも早く、空を駆ける。

 流れる雲を置き去りにし、世界を琥珀の中に閉じ込めたような加速の中で、僕は真っ直ぐに、絶望が渦巻く森の深奥へと突っ込んでいった。

 

 僕は空中に舞う土砂や千切れた木の葉を足場にするかのように、高度を稼いでいく。視界の先、不浄な白い闇の向こう側に、重なり合うように泳ぐ三体の巨影を捉えた。

 

 (……一番上。あいつが本体だな)

 

 僕は身体を駆け巡る莫大なエネルギーを、右脚へ一点に収束させた。

 

 「――ふッ!!」

 

 爆発的な踏み込み。僕の身体は音速の壁を容易く食い破り、大気を発火させるほどの勢いで、一番上を泳ぐ白鯨の頭部へと突っ込んだ。

 

 鼓膜を直接蹂躙するような衝撃音。

 

 強化された僕の膂力は、白鯨の分厚い皮も、マナを帯びた強靭な肉も、まるで紙細工のように無慈悲に貫通した。白鯨の体内を突き抜け、反対側へ飛び出した僕は、空中で強引に身を翻して戦場を振り返る。

 

 そこには、巨大な傷口を曝け出し、苦悶にのたうつ白鯨の背に乗る一人の老騎士――ヴィルヘルムの姿があった。

 一瞬、僕とヴィルヘルムの視線が、目に見えない糸のように絡み合った。

 大罪司教である僕と、復讐のために剣を振り続けてきたヴィルヘルム。本来なら相容れぬはずの二人の間に、今のこの瞬間だけは、「巨獣を屠る」という冷徹な殺意だけが共有されていた。

 

 「――御助力、感謝するッ!!」

 

 地響きのような咆哮と共に、ヴィルヘルムが動いた。

 彼は僕が穿った巨大な風穴を起点に、全身のバネを使い、愛剣を文字通り一閃させた。

 世界の理を断ち切るような鋭い剣鳴が響き、白鯨の巨躯は、背中から腹にかけて、深く、広く、救いようのない致命傷を刻まれた。

 

 「――――――――――――ッ!!!」

 

 白鯨の絶叫が、喉の奥で掻き消える。

 だが、僕はまだ止まらない。ここでトドメを刺し損ねて、スバルが『やり直し』を迫られる状況になったらたまったものじゃない。

 

 僕は慣性を無視して空気を蹴り、逃げ場を失った白鯨の側面へと肉薄した。

 そして、莫大な熱量を右拳に込め、僕は白鯨の山のような巨体を、全力で殴り飛ばした。

 衝撃波が走り、山のような巨獣の身体が、大きなクレーターを刻み込んで弾き飛ばされていく。白鯨の瞳から完全に光が消え、その命の鼓動が絶たれたのを、僕の眼がはっきりと捉えた。

 

 力を失った魔獣は、重力に逆らうことをやめ、そのまま地上へと落下していった。

 すると、それまで世界を閉ざしていた不自然な白い霧が、文字通り魔法が解けたかのように急速に薄れ始める。

 やがて、雲の隙間から、太陽の光が戦場を照らし出した。

 落ちていく白鯨の巨躯が、リーファウス街道の平原に凄まじい地響きと土煙を巻き上げる。

 

 僕は、熱すぎるほどの全能感を全身に漲らせながら、静まり返った戦場を睥睨した。

 

 (……いた。あそこだ)

 

 異常なほど研ぎ澄まされた僕の感覚が、森の縁、不自然に空間が揺らいでいる場所を正確に捉えた。目には見えないが、そこに不浄な気配を纏った無数の『見えざる手』が蠢いているのが、今の僕には手に取るように分かる。

 そこには、ペテルギウスが乗り移った「指先」が、たった今起きた理不尽なまでの蹂躙劇に呆然とした様子で立ち尽くしていた。彼は、自分たちの悲願であったはずの霧の魔獣が、僕の手によってゴミのように墜とされた事実に理解が追いつかないのか、奇怪な角度に首を折り曲げ、何事かとうわ言を漏らしながら空を見上げている。

 僕は、身体を駆け巡る力の濁流を右脚へ一点に集中させた。

 

 「――ふッ!」

 

 爆発的な踏み込み。僕は空中の空気を、まるで硬質な足場であるかのように蹴りつけ、音速を超えた弾丸となって地に向かって突っ込んだ。

 

 ドンッ、という雷鳴のような衝撃音が平原に木霊する。

 

 次の瞬間、僕はペテルギウスの目の前、抉れた地面の土煙を割って着地した。着地の衝撃だけでクレーターが広がり、周囲の木々が衝撃波で激しくしなる。

 

 「あ……あぁ、あぁあぁ……ッ!」

 

 至近距離に現れた僕の姿を見て、ペテルギウスの血走った眼球が、溢れんばかりに剥き出しになった。彼は自らの指を噛み砕き、血の混じった涎を垂らしながら、ひび割れた声で僕を問い詰めた。

 

 「アンタレス! アナタ、いい、い、一体何をしたのデスかッ!! あの至高の寵愛の賜物たる白鯨を! ワタシたちの愛の舞台を! あのように無残に散らしてのけるなど、ありえない! ああ、ああああああありえないありえないありえないィィィッ!!」

 

 ペテルギウスは、顔中の血管を浮き上がらせて絶叫し、僕の身体から放たれる、理不尽なまでの威圧感に戦慄していた。

 

 「なんというマナの奔流! なんという暴力的なまでの輝きデスか! アンタレス、アナタ、それほどの力を得るために、一体何人の命を薪にしたのデスか!? 百人デスか? 千人デスか? 一万人デスか!? アナタのその小さな器の中に、どれほどの命を詰め込めば、斯様な不条理が可能になるというのデスかぁ!!」

 

 彼は自らの顔を爪が食い込むほどに掻きむしりながら、僕に一歩、また一歩と詰め寄ってくる。

 

 「それほどまでに勤勉に、それほどまでに冷酷に、大量の『資源』を消費して『傲慢』の権能を完成させたアナタが……何故ッ! 何故何故何故何故なぜなぜなぜ、ナツキ・スバルに加担しているのかぁぁあああッ!!」

 

 ペテルギウスは、発狂したように自分の頭を叩き、僕の生存戦略を真っ向から否定するように叫び続けた。

 

 「お前に答える義務なんて、僕には一つもない」

 

 冷淡に言い放つ。僕の言葉は、自分でも驚くほど重く、逃れようのない響きを持って平原に落ちた。

 

 「――ッ!?」

 

 ペテルギウスが血走った目を見開いた瞬間、僕は爆発的な踏み込みで距離をゼロにした。視界が加速し、彼が驚愕の表情を完成させるよりも早く、僕はその胸元へと手を添える。

 

 「あ……あぁ……。ま、まさか……アナタ……ッ!?」

 

 狂った司教の声が、初めて明確な戦慄に震えた。僕の小さな掌が触れている場所――そこには、この「指先」の命を刻む心臓がある。僕がこれまでに何度も、信徒たちの心音を確かめ、その命の所有権を奪ってきた時の、あの仕草だ。

 僕は、震える彼に言い聞かせるように、静かな、けれど逃げ場のない声で囁いた。

 

 「知ってるだろ? 僕の権能は、心臓を介して魂を縛り上げるものだ。一度その鼓動を実感してしまえば、その命が誰のものであろうと、僕の『持ち物』に書き換えられる」

 

 ペテルギウスの身体がガタガタと音を立てて震え出す。彼の背後に蠢いていた『見えざる手』が、主人を守ろうとして力なく空を掻いた。

 

 「……だけど、ずっと疑問だったんだ。ペテルギウス、お前は他者に憑依して渡り歩く『余所者』だ。この肉体の心臓を掴む僕の牙が、その奥に潜んでいるお前自身の魂にまで届くのかどうか……」

 

 僕は掌に力を込め、彼の胸の奥で早鐘を打つ鼓動を、確かな「資源」として認識し始める。

 

 「試してみようか? お前がこの器を捨てて逃げ出すのが先か、僕の掌握がお前の魂ごと引きずり出すのが先かをさ」

 「―――ッッ!!」

 「『一名消費』」

 

 次の瞬間、掌に伝わっていた悍ましい不浄なマナの脈動が、霧が晴れるように消失した。

 

 「……あ」

 

 支えを失った「指先」の身体が、糸の切れた人形のように僕の前で崩れ落ちる。その瞳からは狂気の光が消え、ただの空っぽな死体へと戻っていた。

 

 (逃げたか……まぁ、他の「指先」の位置はなんとなく予想がつく。ペテルギウスには、僕の平穏のために死んでもらわなきゃいけないんだ)

 

 流石の狂人も、自分の魂そのものが「資源」として喰らわれる恐怖には耐えられなかったらしい。

 僕は、静まり返った平原で一人立ち尽くし、ペテルギウスが捨てていった抜け殻を見下ろしながら、身体を駆け巡る全能感の残滓を吐き出した。

 

 あの時、「指先」の命を書き換えた瞬間、僕の手のひらには、単なる人間の鼓動以上のものが伝わっていた。

 掌握の牙が「指先」の心臓を貫き、その魂の根元を咥え込んだ刹那、そのさらに奥底に、もう一つの、悍ましく歪な魂が隠れているのが見えた。

 それは、愛という名の狂気に塗りつぶされた、ペテルギウスという名の邪精霊の魂だった。

 

 (……あと、ちょっとだったのに)

 

 掌握の糸がそこまで伸び、あともう数ミリでその狂気の根源すら僕の『資源』として飲み込める、そんな確信があった。

 それを察知したのか、ペテルギウスは「指先」の肉体から逃れようとし、僕は滑り込むように『消費』しようとした。しかし結果として、ペテルギウスは僕の掌握が及ぶ前に、別の器へと逃げてしまった。

 

 (……ああ、もう! 僕のバカ! 何でペラペラと自分の手の内を解説しちゃったんだよ!)

 

 僕は内心で、自分の饒舌さを激しく呪った。

 あそこでカッコつけて解説なんてせず、天気の話でも食べ物の話でもして時間を稼いでいれば。そうすれば、奴が気づかないうちに魂ごとロックオンして、この世から完全に消し去ってやれたかもしれないのに。

 

 「……はぁ。はぁ……」

 

 肺の奥に溜まった、ラインハルトの命から生み出された熱すぎる空気を、僕は大きく吐き出した。

 今でも全身の細胞が、世界そのものの祝福を受けているかのように、焼き切れるような高揚感に震えている。ラインハルトという『一等星』を消費して得た力はあまりに強大で、一歩間違えれば、この全能感に飲み込まれてしまいそうだ。

 

 「……ふぅ、落ち着け。落ち着け、僕……」

 

 僕は何度も深呼吸を繰り返し、ハイになっている自分を無理やりロウへと引き戻した。

 今はまだ、戦いが終わったわけじゃない。白鯨は墜ち、目の前の「指先」の肉体は物言わぬ死体へと変わったが、ペテルギウスはまだ生きている。

 

 不意に、地を鳴らす力強い足音が近づいてきた。

 顔を上げると、そこには地竜に跨り、凛とした佇まいでこちらを射抜く麗人――クルシュの姿があった。

 彼女の琥珀色の瞳は、鋭い刃となって僕を射抜いている。

 無理もない。つい先ほどまで保護の対象だった僕が、ラインハルトを『消費』し、その理不尽なまでの暴力で三大魔獣をゴミのように片付けたのだ。彼女の隣に控えるフェリスやヴィルヘルムからも、隠しきれない警戒と戸惑いの気配が伝わってくる。

 

 「……そんなに怖い顔で見ないでよ」

 

 僕は泥のついた袖で顔を拭い、淡々とした声を絞り出した。

 今の僕には猫を被る余裕も、相手を懐柔する計算を巡らせる気力もない。ただ、さっさとこの戦いを終わらせて、スバルが約束してくれた『暖かい布団で眠れる居場所』に帰りたいだけだった。

 

 「言っておくけど、僕に君たちへの敵意は無い。僕の目的は君たちを殺すことじゃないし、この国をどうこうしようなんて大層な志も持っていない。……僕はただ、死にたくないだけなんだ」

 

 僕の言葉を聞いた瞬間、クルシュの周囲を漂う風が微かに揺れた。彼女の持つ『風見の加護』は、僕の言葉に虚偽が含まれていないことを、冷徹なまでの『真実』として彼女に告げたはずだ。

 クルシュは数瞬の沈黙の後、剣を鞘に納めることはしなかったが、その瞳の奥にある敵意を僅かに和らげた。

 

 「……分かっている、アンタレス。卿の言葉に『嘘の風』は吹いていない。それに……先ほどラインハルトから『遠信』を通じて事情は聞いている。卿との協力関係、そして彼自身がその命を卿に委ねたことも含めてな」

 

 どうやら、ラインハルトは復活してすぐにでも彼女に連絡を入れていたらしい。

 自分の命を『資源』として差し出すという狂気的な自己犠牲を、彼は「騎士の誇り」として彼女に納得させたのだろう。

 クルシュは一歩、地竜を歩ませて僕との距離を詰めた。

 

 「白鯨は墜ち、魔女教徒の伏兵も制圧された。だが、戦いはまだ終わってはいない。……アンタレス、卿は次にどう動くつもりだ?」

 「決まってる。……ペテルギウスを滅ぼす。あの狂人をこの世界から完全に消さない限り、僕に平穏な明日は来ない」

 

 僕は森の奥、未だ不浄な瘴気が渦巻いている方角を睨みつけた。

 

 「そのために、あいつが逃げ込む先……『指先』がいるであろう拠点を一つずつ潰しに行く」

 

 僕の行動方針に、クルシュが鋭く問い返してきた。

 

 「拠点を潰すだと? 卿は、奴の潜伏場所をすべて把握しているというのか?」

 「すべてではないけれど、問題ないよ」

 

 僕は意識の奥底にある感覚を研ぎ澄ませた。

 大罪司教である僕には分かる。あいつらが纏う、吐き気を催すようなあの特有の腐臭。

 

 「あいつらがいくら身を隠そうとしても、無駄だ。……魔女の瘴気を辿れば、どこに潜んでいようといくらでも探し出せる。あいつの『愛』が深ければ深いほど、その臭いは僕にとって最高の道標になる」

 

 僕はそう言い捨てると、再び重い足取りで歩き出した。

 スバルと交わした『居場所を作る』という約束を果たすため。そして、僕を「化け物」の道へ引きずり込んだ運命に、せめてもの落とし前をつけるために。

 

 

 メイザース領の深い森、そのさらに奥深くに穿たれた薄暗い洞窟。松明の炎が不規則に揺れ、湿った岩肌に奇怪な影を投げかけている。

 その中心で、緑髪のおかっぱ頭を奇怪な角度に折り曲げた男――新しく乗り移ったばかりの「指先」の肉体にあるペテルギウスは、自らの指を噛み砕きながら、狂気に満ちた自問自答を繰り返していた。

 

 「……ありえない、ありえないありえないありえないィ! なんたる不条理! なんたる不可解! なんたる『怠惰』なる現実デスかぁぁあああッ!!」

 

 ペテルギウスは剥き出しの眼球を血走らせ、自らの顔を爪が食い込むほどに掻きむしる。彼の脳裏に焼き付いて離れないのは、リーファウス街道の平原で繰り広げられた、あの理不尽なまでの蹂躙劇だ。

 アンタレス。かつて彼が「凄惨なまでの生への執着」を見出し、『傲慢』の座へと導いたはずの少女。

 彼女が振るった、あの暴力的なまでの輝き。白鯨をゴミのように墜とし、大罪司教たる自らの魂すら掌握せんとした、あの圧倒的な熱量。

 

 「あの大山を鳴動させる拳! あの音速を置き去りにした踏み込み! あれほどの事象を実現するためには、莫大な、それこそ千や万の『資源』を薪にくべなければ不可能なはずデス!!」

 

 ペテルギウスはガタガタと音を立てて震えながら、懐から取り出した報告用の対話鏡を凝視した。潜伏させていた他の「指先」たちからの報告は、彼の予測を真っ向から否定していた。

 アーラム村の住民、二百名以上。一人として欠けることなく、健在。

 

 「消費されていない……!? アンタレスが掌握し、備蓄していたはずの村人たちの命の灯火は、今なお一つとして消えていないというのデスか!?」

 

 アンタレスの権能『螢惑の対抗者』は、掌握した命を消費してエネルギーに変換するものだ。 彼女があの出鱈目な力を得るためには、彼が「舞台」として用意したアーラム村の全住民を使い潰しても足りないはずだった。

 

 「ならば何処に……何処に、ワタシに隠していた権能があるというのデスか!? そんなこと福音には記されては…!! ああ、ワタシの勤勉なる読み込みが、魔女の寵愛への理解が、足りなかったとでも言うのデスかぁぁあああッ!!」

 

 ペテルギウスは発狂したように自分の頭を壁に打ち付け、血の混じった涎を垂らしながら思考の海を彷徨う。

 もし、消費した「数」がゼロであるならば。あるいは、ゼロになったのであれば。残された可能性は、ただ一つ。

 

 「…………『質』デスか」

 

 ペテルギウスの動きが、不気味に止まった。

 血走った眼球が、一点を凝視して静止する。

 

 「数ではない。消費した命そのものの、重み。一個の命が持つマナの総量、あるいは魂の純度。……命の『質』によって、得られる強化の幅が劇的に異なるのだとしたら……!!」

 

 その仮説に至った瞬間、彼の脳裏に一人の男の姿が浮かび上がった。

 ルグニカ王国が誇る最強の騎士、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア。

 

 「『剣聖』……世界そのものに愛され、無限の加護を宿した、あの生ける伝説……!」

 

 ペテルギウスは、自らの指を噛み切らんばかりの力で口に運んだ。

 噂では、あの男には『不死鳥の加護』がある。一度命を落としても、その瞬間に蘇る不滅の祝福が。

 

 「あぁ……あああああ! 見えました! 見えましたよ、アンタレス!! アナタの狡猾で、貪欲で、真に勤勉なる『傲慢』の正体が!!」

 

 ペテルギウスは喉を鳴らし、奇怪なダンスを踊り始めた。

 

 「世界最強の命を燃料とし、『不死鳥』の再生を以て犠牲を無かったことにする!! 一つの『質』を以て、数万の『量』を凌駕する不条理を実現したのデスね!!」

 

 ラインハルトという、この世で最も価値のある命。それを使い捨ての薪としてくべることで得た、あの神の如き暴威。

 

 「素晴らしい……実に、実に、実ィィィに勤勉デス、アンタレス!! 脳が、脳が震えるぅぅうううううううううううッ!!!」

 

 洞窟の中に、狂人の高笑いが不吉に響き渡った。

 自らの駒だと思っていた少女が、最強の騎士を「資源」として手懐け、運命の盤面を塗り替えた。その傲慢なまでの生存戦略に、ペテルギウスはかつてないほどの戦慄にも似た興奮を覚えた。

 

 ペテルギウスの脳内に、再びあの光景が浮かび上がる。

 リーファウス街道の平原で繰り広げられた、アンタレスによる理不尽なまでの蹂躙劇が。

 

 「…今の状況は、いわばラインハルトが二人に増えたようなモノ。今のワタシたちには荷が重すぎる。撤収デスね」

 

 ペテルギウスは、ガタガタと音を立てて震える両腕を抱きしめた。

 現在の自分たちが持つ『指先』の数や、火石爆弾などの物資では、ラインハルトの命を薪にくべた今の彼女には、逆立ちしても太刀打ちできない。正面から戦えば、瞬く間に塵にされるのは明白だった。

 

 「ああ……なんということ、なんということデスか!」

 

 彼は周囲に控える、感情の消えた黒装束の魔女教徒たちに向かって、顔中の血管を浮き上がらせて絶叫した。

 

 「同胞たちよ! 今回の試練は、ワタシたちの信仰が、勤勉さが足りなかったがゆえに! 『怠惰』な失敗に終わってしまいましたッ!!」

 

 自らの顔を爪が食い込むほどに掻きむしり、血の混じった涎を垂らしながら、彼は嘆き悲しむ奇怪なダンスを踊り始める。

 

 「撤収デス! 撤収デス! 一刻も早く準備を進めるのデス! 今は、今はこれ以上の恥を晒すわけにはいきません! 再び舞台を整え、別の地にて魔女の寵愛を証明せねばッ!!」

 

 ペテルギウスの号令を受け、魔女教徒たちが機械的な動きで荷物をまとめ、影へと溶け込む準備を始めたその時だった。

 

 「……おや?」

 

 ペテルギウスが、不自然に首を九十度折り曲げ、耳を澄ませた。

 静まり返っていたはずの森が、ふと、騒がしいことに気付いたからだ。

 鳥たちが一斉に飛び立ち、木々が何者かの移動に伴う衝撃波で激しくしなっている。まるで何かが、凄まじい速度でこの拠点へと肉薄してきているかのように。

 

 「……まさか」

 

 ペテルギウスは剥き出しの眼球をギラつかせ、近くにいた一人の魔女教徒を指差した。

 

 「そこのアナタ! 何事か調べてくるのデス! 魔女へ愛を妨げる、外敵の正体を暴くのデス!!」

 

 命じられた魔女教徒が、今外へ行かんと一歩踏み出そうとした。

 次の瞬間――。

 

 「――見ぃつけた」

 

 世界のすべての『音』が、その肉体ごと圧殺された。

 

 前触れとなる崩落の振動も、接近を報せる風切り音すらも無い。

 音速を遥かに置き去りにした『質量』が、洞窟の岩盤を消し炭のように粉砕し、拠点の中心へと垂直に叩きつけられたのだ。

 

 音よりも早く、死が着地した。

 

 直撃した魔女教徒の肉体が、悲鳴を上げる暇さえ与えられずに一瞬で破裂し、岩石ごと周囲へと吹き飛ぶ。

 遅れて、世界が鼓膜を引き裂くような超高音の雷鳴を響かせ、抉れた地面から全方位へと狂暴な衝撃波を撒き散らした。

 

 遅れて届いた衝撃の突風に、ペテルギウスの衣服が激しく翻る。

 猛烈に立ち込める土煙を割って、ゆっくりと立ち上がったのは、大剣を担ぎ、返り血で汚れた小さな少女――アンタレス。

 ラインハルトの命を燃料にした全能感。その輝きを瞳に宿し、未だ大気をパチパチと発火させながら不敵に微笑む『傲慢』の主の姿に、ペテルギウスの血走った眼球は、ただただ逃れようのない絶対的な死の予感に染め上げられていた。

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