魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ 作:あのさぁBOT
アーラム村を包んでいたあの不吉な静寂は、今や、家族の無事を確かめ合う人々の安堵の声と、時折混じる震えるような泣き声に上書きされていた。
俺は、広場に置かれた木箱に腰を下ろし、隣で不安そうに服の裾を掴むペトラの頭を、ゆっくりとなだめるように撫でていた。
「もう大丈夫だ。な? 最強の助っ人が行ったんだ。悪いようにはならねぇよ」
自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐが、心臓の鼓動は依然として速い。
ラインハルトとアンタレス。あの二人が向かったのは、狂気の大罪司教ペテルギウスが潜む森の深奥だ。アンタレスが暴走していないか、ラインハルトが彼女を『災厄』として断罪していないか。そして、何より――あいつが、俺との『約束』を守って無事に戻ってくるのか。
視界の端で、森の入り口の茂みが大きく揺れた。
「――っ!」
俺は弾かれたように立ち上がった。村人たちの視線が一斉にそちらへ向く。
立ち込める土煙の向こう側から、三つの人影がゆっくりとこちらへ歩み寄ってくるのが見えた。
燃えるような赤髪、非の打ち所のない白い騎士服。ラインハルトだ。その隣には、大きな『処刑人の大剣』を引きずるように担いで歩く小さな少女――アンタレスの姿があった。
そして、ラインハルトの陰に隠れるようにして、ガタガタと震えながら歩いている、何処か見覚えのある灰色の髪の男。
「……ラインハルト! アンタレス!」
俺は駆け寄った。心臓が口から飛び出しそうなほどの安堵が全身を駆け巡る。
二人の姿に目立った外傷はない。アンタレスは泥と返り血で汚れてはいるが、その瞳には、かつての冷徹な大罪司教の光ではなく、ただ全てをやり遂げた後のような、ひどく投げやりで疲弊した色が宿っていた。
「どうなった!? ペテルギウスはやれたのか!」
俺の問いに、アンタレスは足を止め、一度だけ深く、重い溜息をついた。彼女は担いでいた大剣をザクリと地面に突き刺すと、上目遣いに俺を見て、小さく頷いた。
「……終わったよ、スバル。ペテルギウスは……もうこの世界のどこにもいない。僕が、最後の一片まで全部……『処理』した」
鈴を転がすような、けれどどこか毒を孕んだ彼女の声。その言葉の重みに、俺の背筋に僅かな戦慄が走った。あいつがペテルギウスを『消費』したのだろう。邪精霊としての魂ごと、あの大罪司教を己の資源として喰らい尽くしたのだと、俺は直感的に理解した。
ラインハルトが、一歩前へ出て静かに告げる。
「僕はしっかりとその現場を見ていた。……これでもう、彼の狂気が誰かを脅かすことはない」
ラインハルトの声には、友の無事を喜ぶ安堵と、アンタレスの凄惨な力に対する、拭いきれない騎士としての懸念が混ざり合っていた。
「……そうか。終わったんだな。本当に、よかった……」
俺は膝から崩れ落ちそうになるのを堪え、視線を三人目の男へと向けた。
ひょろりとした体躯に、商人らしい仕立てのいい、けれど今はボロボロになった服。間違いない。今や昔のことに思えるループの中で、俺をメイザース領まで送ってくれた商人だ。
「……んで、そっちのいつぞやのオットーは、なんでそこにいるんだ?」
俺の言葉に、灰色の髪の青年――オットー・スーウェンは、目を白黒させて驚愕の表情を浮かべた。
「な、何故僕の名前を……!? いえ、それより! あ、あ、あの! 助けていただき、本当にありがとうございます!」
オットーは地面に膝をつかんばかりの勢いで、何度も、何度も頭を下げた。
「ペテルギウスがどういう理由かは定かではないが、このオットーという商人を捕らえていたんだ。拠点となっていた洞窟に囚われていたところを、保護したよ」
ラインハルトの報告に、俺は思わず苦笑いした。
「……はは、お前、捕まってたんだな。運がねぇっていうか、なんていうか……」
「な、なんて言い草ですか! 僕はただ、普通に商売をしようとしていただけなのに、いきなり魔女教に攫われたんですよ! 死ぬかと思いました、いえ、半分死んでましたよ!」
オットーの騒がしい調子に、俺の胸の中にあった冷たい塊が、ようやく溶けていくのを感じた。
俺は向き直り、アンタレスとラインハルトの二人に向かって、最高に不敵で、最高に感謝を込めた笑みを浮かべた。
「――ナイスだ、二人とも。最高だよ。……ありがとな、本当に」
俺の言葉に、ラインハルトは照れくさそうに頬を掻き、アンタレスは「……別に」と、不貞腐れたように顔を背けた。
けれど、彼女が握りしめている俺の袖の感触は、あの日よりずっと温かかった。
オットーは、混乱しながらも俺の顔をじっと見つめ、意を決したように居住まいを正した。
「……あの、ナツキ・スバル様、とお呼びすれば良いのでしょうか。ラインハルト様から伺いました。貴方が今回の騒動の鎮圧を各陣営に打診し、僕のような端くれの命まで救うよう、強く働きかけてくださったのだと」
オットーは深く、深く腰を折って礼をした。
「商人として、一人の人間として、この御恩は一生忘れません。……本当に、ありがとうございました」
夕焼けに照らされたアーラム村。誰も消費されず、誰も忘れ去られず。
俺が夢見た、けれど一度も辿り着けなかった『最高の結果』が、今、目の前で静かに、けれど確かに形を成していた。
俺は大きく背伸びをして、肺いっぱいに平穏な空気を吸い込んだ。
「……はぁ、本当に、なんとかなったんだな」
隣で泥にまみれた『処刑人の大剣』を杖代わりに立っているアンタレスを見やる。
彼女の瞳には疲弊の色が濃いが、それでも俺の隣にこうして立っている事実に、俺の胸は言いようのない安堵で満たされていた。
その時、アンタレスが何かに気づいたように、返り血で汚れたローブの懐をまさぐり始めた。
「……あ、そうだった。スバル、これあげるよ」
彼女が取り出したのは、手のひらに乗るほどの小さな、古びた箱だった。
「え、何これ、俺へのプレゼント?」
思わず冗談めかして問いかけると、アンタレスは感情の読めない瞳で俺をじっと見つめ、コクリと頷いた。
「……うん。今のスバルなら、きっとこれを受け取る資格があると思うから」
「マジかよ! あんなに不貞腐れてたのに、実は俺のこと考えてくれてたのか? いやー、モテる男は困っちゃうな―!」
期待に胸を膨らませ、俺はアンタレスの手元を覗き込んだ。
魔女教なんて物騒な場所にいたあいつがわざわざ隠し持っていたものだ、何かとてつもなく貴重な魔鉱石か、あるいは不思議なミーティアとかだろうか。
期待に満ちた俺と、横で興味津々に首を突っ込んできたオットーが見守る中、アンタレスがゆっくりと箱の蓋を開けた。
「うわあああああああッ!? な、なんですかこれぇぇ!!」
隣でオットーが、裏返った悲鳴を上げて派手にのけぞった。
俺もまた、その箱の中身を目にした瞬間、全身の毛穴が逆立つような凄まじい悪寒に襲われ、反射的に数歩後ずさった。
箱の中に鎮座していたのは、宝石ではなかった。それは、どす黒く、悍ましい気配を纏った、不定形の触手の塊のようなものだった。それは箱の中で生気を感じさせるようにうねり、まるで獲物を探すように細かく震えている。
「あ、あのー、アンタレスさん? ちょっとこのプレゼントは悪趣味すぎるというか、俺には似合わないというか…」
俺が顔を青くしていると、アンタレスは至極当然のことを言うかのような冷徹な平熱の声で答えた。
「……悪趣味なのは認めるけど、これはすごく大事なものなんだよ。これはさっきの戦いで、僕がペテルギウスの亡骸から引きずり出した、『怠惰』の魔女因子なんだから」
「……はぁ!? ま、魔女因子……!? ……ってなんだ?」
「簡単に言うと、権能を発現させるタネだよ。大罪司教はもちろん、嫉妬の魔女もこれを取り込んでて、そのおかげで力を振るえるんだ」
耳を疑う単語に、俺の思考が停止した。大罪司教たちがその不条理な権能を振るうための根源、嫉妬の魔女の力の源泉、この世界の理を歪める最悪の『呪い』そのものではないか。
「あいつの肉体は滅んだけど、この因子は次の適合者を探してる。変な奴に宿ったら嫌だから、僕が先に回収しておいたんだ」
アンタレスは、うねり続ける不浄な塊を愛おしそうに……いや、単なる『資源』を眺めるような目で見つめ、それを俺の方へと差し出した。
「これを、スバルが取り込んでよ。君なら、魔女因子への適性があるのは分かってるし。そうすれば、君はもっと強くなれるでしょ?」
「……え?」
「スバルが強くなれば、それだけ僕の『盾』としての価値が上がる。君が死ななければ、僕の居場所も守られる。……だから、これは僕と君が生き残るための、一番効率的な方法なんだよ」
アンタレスは、一点の曇りもない生存本能に基づいた瞳で、俺にその化け物の欠片を押し付けようとしてくる。
アンタレスから差し出された、小さな箱の中身。そこに鎮座し、獲物を探すようにうねり続けるどす黒い触手の塊を目にした瞬間、俺の胃の腑は鉛を飲まされたような不快感に満たされた。
「……っ、ゲテモノにもほどがあるだろ、これ」
俺の顔は、自分でも分かるほど引きつっていた。
俺が言葉を失っていると、横から白い騎士服の袖が視界に入った。ラインハルトが、その澄み切った青い瞳に深い懸念を宿し、俺とアンタレスの間に割って入るように一歩踏み出した。
「スバル、その因子を取り込むのはあまりに危険だ。アンタレスが言う通り、それは嫉妬の魔女や大罪司教が力の根源とする、この世界の理を歪める劇薬だよ。一度取り込めば、精神を内側から食い破りかねない代物だ」
「げぇ…!?」
ラインハルトの声には、友を案じる切実さと、王国の守護者としての冷徹な判断が混ざり合っていた。彼はアンタレスが持つ小箱を凝視したまま、言葉を続ける。
「それはルグニカ王国に預けるべきだ。賢人会の厳重な管理の下で封印し、二度と誰の手にも渡らないように処置すべきだよ。それが、この国の平穏を守るための最善の手だ」
騎士としての正論。あまりにも正しすぎる言葉。だが、その正論を鼻で笑うような声が、俺の隣から響いた。
「……ラインハルトは心配しすぎだよ。スバルなら、絶対に取り込んでも大丈夫。君にはその資格と、なによりも『適性』があるんだから」
アンタレスは、返り血で汚れた袖を気にする素振りも見せず、小箱の中の悍ましい塊を単なる在庫品を眺めるような目で見つめた。そして、俺の顔を覗き込むようにして、逃げ場のない問いを突きつけてきた。
「はっきり言って、今のスバルは弱すぎるよ。ゲートも潰れて、自分一人じゃまともに戦うことすらできないでしょ? そんなんじゃ、僕を、皆を守り抜くことなんてできやしない」
彼女の言葉は、俺がひた隠しにしてきた痛いところを正確に抉り取った。
「これを取り込めば、君はもっと強くなれる。大敵に対抗できる『手』が手に入るんだ。君の欠点である戦闘能力の低さを補える、唯一にして最高の方法だよ。ねぇ、スバル。君はまた、自分の無力さで誰かを失いたいの?」
「……っ」
俺は絶句した。脳裏に、これまでのループで刻み込まれた凄惨な記憶が、泥濁りの濁流となって溢れ出した。
不自然に折れ曲がったラムの四肢。真っ二つに分かたれたレムの骸。あの日、地下室で俺を抱擁した、絶望的なまでの零度の感触。そして、自分たちの「明日」ごと消去されてしまったアーラム村の空白。
それらすべての悲劇の根底にあったのは、俺の「無力さ」だった。俺に力があれば。ラインハルトのような、アンタレスのような、理不尽をねじ伏せる力さえあれば、あんな絶望を見ずに済んだのではないか。
俺は頭を抱え、目の前の不浄な塊を凝視した。力を手にすれば、アンタレスを守れる。エミリアやレムを悲しませずに済む。だが、そのために『魔女』の欠片を己の身に宿すという行為が、何を意味するのか。
しばらくの沈黙。激しい葛藤の末に、俺はふと、自分を取り巻く状況の異様さに気づいた。
目の前には、最強の命を燃料にした大罪司教の少女が、俺に『悪の力』を授けようと微笑んでいる。隣には、正義を体現する最強の騎士が、それを止めようと必死に説得している。そして俺は、その『呪い』を力として受け入れようと本気で迷っている。
「……いや待て、ちょっと待て。一回落ち着こうぜ」
俺は顔を上げ、アンタレスとラインハルトを交互に見た後、思わず自分の頬をペチリと叩いた。
「冷静に考えてみればよ……これ、完全に『闇落ち』する流れじゃねぇか! いたいけな幼女に唆されて、正義の味方の忠告を無視して禁忌の力を手に入れる……。最初は仲間のため、なんて綺麗事を言って力を使うんだ。だけど、それを使うたびに精神をゴリゴリ削られて汚染されていって、最後にはその力に溺れて、自分が守りたかったものさえ壊しちまう……そこまで見えたわ! どこの闇落ちテンプレだよ!!」
俺の全力のツッコミに、アンタレスは呆気にとられたような顔をしたが、やがて「ふっ」と、これまでに見せたどんな表情よりも、ずっと人間らしい微かな笑みを浮かべた。
「……あはは、確かに。言えてる。そんな未来、僕だって御免だ」
彼女はそう言うと、うねり続ける不浄な『怠惰』の魔女因子が収まった箱の蓋を、パチンと音を立てて閉じた。あの悍ましい気配が遮断され、少しだけ呼吸が楽になる。
アンタレスはその小さな箱を、壊れ物を扱うような手つきで再び俺の方へと差し出した。
「それでも、これはスバルが持つべきだ。……別に今すぐ取り込まなくていい。いつか、どうしても必要になる時が来ると思うから」
「……おいおい、そんな不吉な預言みたいなこと言うなよ。でもまぁ、『いつか必要になるだろう』で渡される重要アイテムは、大抵の場合、主人公がその存在を忘れかけた頃に最悪のタイミングで必要になる。……これもまた、物語のテンプレだな」
俺は苦笑いしながら、その小箱を受け取った。
「スバル、待ってくれ!」
背後から、切迫したラインハルトの声が響いた。白い騎士服を翻し、彼は驚愕と懸念が入り混じった瞳で俺たちに歩み寄ってくる。
「それをこちらに渡してくれないか。君の判断はいつだって正しいと信頼しているけど、それに関しては話が別だ。『怠惰』によって犠牲になる人を減らすために、国を、世界を挙げて管理すべきだ」
王国最強の『剣聖』としての正論。あまりに正しすぎるラインハルトの言葉に、俺は手の中の小箱の重みを感じた。確かに、俺のような無力な男が持っていていい代物じゃない。
だが、俺は手綱を握るように、その小箱を強く握りしめた。
「……お前の言ってることはよく分かる。でも、悪いな、ラインハルト。こればっかりは譲れねぇ」
俺は振り返り、最強の騎士に向かって不敵に、けれどはっきりと告げた。
「俺は、女の子からのプレゼントは断らない主義なんだよ。……それに」
俺は隣で、泥と返り血に汚れながらも、どこか期待に満ちた瞳で俺を見上げている少女を見た。
「俺は、アンタレスのことを信用してる。こいつが俺にこれを託したってことは、そこにはこいつなりの……いや、俺たちのための『明日』があるって信じてるんだ」
「……スバル」
ラインハルトは俺の言葉に息を呑み、そして俺の目にある、かつてないほど澄み渡った『真実』の光を読み取ったようだった。
彼はしばらく黙り込んだ後、静かに目を伏せ、それ以上手を伸ばすのをやめた。
「安心しろよ、ラインハルト。俺は闇落ちする気なんてさらさらないねぇよ!」
「……全く、スバルには敵わないな。君がそこまで言うのなら、僕は君の意志を尊重するよ。ただ、これだけは言わせてくれ。絶対にそれを使うなんてことはしないように」
ラインハルトは毒見を抜かれたように柔らかく笑った。
すると、村人たちの中からラインハルトを呼ぶ声がした。そちらを見てみると、話し好きの婆ちゃんに捕まったフェルトが、こいつを何とかしろとでも言わんばかりの表情でラインハルトと婆ちゃんを交互に指さしていた。
ラインハルトと困ったような笑みを浮かべ、「それじゃ」と言い、フェルトのもとへ駆けつける。
俺は一息つき、アンタレスの頭を、乱暴に、けれど慈しむように撫で回した。
「うわっ!?」
「ほら、約束だ。戦いは終わった。……これからお前の『居場所』、全力で作ってやるからな」
ペテルギウスの魔女因子を収めた小箱を懐に仕舞い、俺は改めて隣に立つアンタレスに向き直った。
だが、その瞬間、肌を刺すような、心臓を直接冷たい手で握りつぶされるような異常なまでの重圧に、思わず息が詰まった。
「……なぁ、アンタレス。一つ頼みがあるんだが」
俺は引き攣った顔を誤魔化すように、喉を鳴らして切り出した。
「その……さっきから放ってる威圧感がマジで半端ないんだよ。戦いはもう終わったんだし、そろそろその肉体の強化止めてくれない? 村の連中も、お前のそのプレッシャーに怯えて近づけねぇんだわ」
実際、ラインハルトという『世界最強の命』を燃料にした彼女の身体からは、いまだに大気を発火させるような熱量が漏れ出している。十歳の幼女の姿をしているはずなのに、目の前にいるのは巨大な竜か何かであるかのような錯覚に陥る。
俺の言葉に、アンタレスは少し困ったように眉を下げ、自らの掌を握ったり開いたりした。
「……そう言われても困るよ。これ、解除しても僕の身体の中を、ラインハルトの力が暴れまわって落ち着かないんだ」
アンタレスは、ラインハルトの命から得た「質」の良すぎる力をもて余しているようだった。
「無理やり抑え込むのも疲れるし、正直、気分が悪いんだよね。……ねぇ、これ、一気に放出して発散してもいいかな?」
「……おい、それ大丈夫か? ここら一帯、消し飛んだりしないだろうな?」
俺は思わず、夕焼けに染まる平穏なアーラム村の家々を見渡した。せっかく守り抜いた日常が、味方の「エネルギー発散」で灰に帰るなんて、ブラックジョークにもほどがある。
俺の懸念に対し、アンタレスは面倒くさそうに肩をすくめ、視線を真上に向けた。
「空に向かって撃つから大丈夫でしょ。……じゃあ、いくよ」
アンタレスは、俺の前から一歩離れると、天を突くようにその小さな右手を真っ直ぐ突き出した。
その瞬間、彼女の細い指先を起点に、空間が激しく歪み、バチバチと黒い稲妻のようなマナの火花が散った。
「――っ!」
凄まじい熱量。俺は反射的に腕で顔を覆い、後ずさる。
次の刹那、彼女の手のひらから、どす黒いのに眩しい、莫大なエネルギーの奔流が、垂直に天を貫いた。
かつて命だったものが、怨念とも祝福ともつかない純粋な破壊の光となって、雲を吹き飛ばし、大気の層さえも突き破らんばかりの勢いで立ち昇る。
轟音が遅れて響き、アーラム村全体が、真昼よりも明るい、けれど禍々しい紫黒の光に一瞬だけ包まれた。空に穿たれた光の柱は、夕闇を強引に引き裂き、そのまま成層圏の向こう側へと消えていく。
呆然と立ち尽くす俺の横で、アンタレスは何事もなかったかのように手を降ろした。彼女の身体から漏れ出していたあの理不尽な威圧感は、今は綺麗さっぱり霧散している。
俺は、焦げたような匂いが漂う空と、目の前の小さな少女を交互に見て、乾いた笑いと共にツッコミを入れずにはいられなかった。
「……なんか、お前だけ世界観違くねぇ?」
「これの元になったラインハルトに言ってよそれは」
「コメントしづらい事言わないでくれる!?」
なんて叫びながら、俺の脳内に一つの影が差す。
そうだ。あの熱量はアンタレスがラインハルトを殺すことによって得たもの。そして、その引き金を引いたのは他でもない、俺だ。『不死鳥の加護』によってラインハルトは生き返ったものの、俺のしたことは殺人教唆であることに変わりはない。
そのことをラインハルトが気にしていた様子は無いし、結果的に皆も救われた。
けれど、あの選択が正しいことだったとは、どうしても思えなかった。
「……アンタレス。今回みたいなことは、もうやめよう」
「今回みたいなこと、って?」
アンタレスの、まるでピンと来ていない顔を見つめながら、彼女に、そして俺自身に言い聞かせる。
「ラインハルトの、いや、誰かの命を消費することだ。お前はもう孤独じゃない。一人で立ち向かったりしなくていい。俺たちに任せてくれていいんだ」
「……わかった。スバルたちが守ってくれるのなら、僕は権能を使わないよ。これでいい?」
「ああ、それでいい。お前には、クソッたれな連中の指一本触れさせねぇよ」
俺の宣言に、アンタレスの表情が柔らかくなる。安堵した、とは言い切れないが、張り詰めていた彼女の心が、僅かながら綻んだのが分かった。
そんな会話をしていると、俺はふとした拍子に、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問をアンタレスに投げかけることにした。
「……なぁ、アンタレス。そういえば、お前さ。俺の『事情』……知ってるよな?」
俺が向けた問いかけに、隣にいたアンタレスの肩が、目に見えてビクッと跳ねた。
俺の言う『事情』とは、死ぬことで時間を巻き戻す、呪いとも祝福ともつかない能力『死に戻り』のことだ。
だが、それを明確に言葉にすれば、あの『魔女の手』による報復が待っている。だから、俺はあえて核心をぼかして尋ねた。
アンタレスは俺の視線を避けるように、地面に突き刺さった大剣の柄を弄りながら、ひどく困ったような、あるいは何かを恐れるような表情を見せた。彼女はしばらくの間、唇を戦慄かせて悩む素振りを見せていたが、やがて視線を泳がせながら、投げやりな声で答えた。
「……別に、深い意味なんてないよ。ただの……そう、勘だよ」
「嘘くさ!? いやいや、勘にしては出来すぎだろ。お前、前の……いや、何でもねぇ。とにかく、お前のその態度はどう考えてもそれだけじゃないだろ」
あからさまに嘘くさいその言葉に、俺は思わずツッコミを入れた。
俺は、王都でアンタレスが俺を殺した時のことを思い出す。俺の能力を『未来視』だと誤解せず、死をトリガーに発動する『死に戻り』であると断定するのは、勘にしては深く理解し過ぎている。
俺は彼女の前に回り込み、その細い肩に手を置いて、縋るような思いで言葉を重ねた。
「頼む、アンタレス。教えてくれ。本当のことを。俺のためだと思って……俺がどれだけ……どれだけあがき続けてきたか、お前は分かってるんだろ?」
俺の必死な懇願に、アンタレスの瞳が激しく揺れ動いた。彼女は俺の手を振り払うこともできず、ただ苦しげに顔を歪め、何度も首を横に振った。
「……言えない。……お願いだから、スバル。それ以上は聞かないで」
それは、彼女の心の底から溢れ出した拒絶だった。
「僕が君の『事情』を知ってる……。今はそれだけで、それだけで勘弁して……。これ以上踏み込まれたら、僕、本当にどうしていいか分からなくなるから……」
彼女は、まるで許しを乞う子供のように俺に懇願してきた。そのあまりにも痛々しく、何かに怯えきった様子に、俺はそれ以上言葉を続けることができなかった。
(こいつは、俺の想像以上に重い『何か』を背負って……いや、知ってしまっているのか)
彼女が何を恐れているのか、何故そこまで拒絶するのか。その理由は分からないが、今ここで彼女を追い詰めることは、俺が彼女に約束した『居場所』を作ることとは正反対の行為に思えた。
「……分かった。もう聞かねぇよ。……悪かったな、アンタレス」
俺はゆっくりと手を離し、深く溜息をついた。喉の奥に澱のように溜まった疑問は消えなかったが、今は彼女が隣にいて、共に明日を迎えようとしているという事実だけを信じることにした。
夕闇が深まるアーラム村で、俺はそれ以上の追求を諦め、ただ静かに彼女の隣で立ち尽くしていた。