魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ 作:あのさぁBOT
アーラム村を赤く染めていた夕闇は、次第に深い藍色へと溶け落ちようとしていた。
俺の隣では、汚れを落としきれていない小さな身体を丸めて、アンタレスが俺の袖を掴んでいる。
俺は、意を決して彼女の瞳を覗き込んだ。
「……アンタレス。一つ聞かせてくれ」
彼女が何事かと上目遣いに俺を見る。
「その、村の奴らと繋がってる……『命の掌握』。……それ、お前の意志で解除することはできないのか?」
俺の問いに、アンタレスは一瞬、呼吸を止めたようだった。彼女はゆっくりと、何かに祈るように目を閉じる。
数秒の沈黙。彼女の内側で、掌握している二百人以上の命の鼓動――その紅い灯火を一つずつ確認しているのが、俺にも伝わってくるようだった。
やがて、彼女は顔を少し青白くさせ、苦しげに顔を横に振った。
「……ごめん、できない。……やり方が分からないんだ。一度噛み付いた牙を、どうやって抜けばいいのか……僕には……」
震える声。彼女にとって、この権能は生きるための唯一の手段であり、同時に逃れられない呪いそのものなのだろう。
「……だよなぁ。悪い、無理なこと聞いた」
俺は「はぁーっ」と大きな溜息を吐き出し、彼女の小さな頭を乱暴に、けれど精一杯の優しさを込めて撫で回した。
「安心しろ。お前ができないなら、俺が別の方法を見つけてやる。誰の命も消さずに、その糸を解く方法が、この世界のどこかに絶対あるはずだ。……俺が、必ず見つけてやるからな」
俺の断言に、アンタレスは驚いたように目を見開き、潤んだ瞳で俺を見つめた。俺の勝手な善意に戸惑いながらも、彼女はその言葉に縋るように、俺の袖を握る力を強めた。
だが、現実は甘くない。
俺は撫でる手を止め、視線を村人たちへと向けた。彼らの心臓には、今もアンタレスから伸びる、どす黒い血のような『糸』が繋がっている。ラインハルトにしか見えない、死のネットワークだ。
これが解けない限り、アンタレスはいつまでも『災厄』として追われ続け、村人たちは彼女の身代わりとして死の淵に立たされたままだ。
(どうすればいい……。何か、何か方法はないのか……)
脳細胞を沸騰させる勢いで考えを巡らせる。だが、凡人の俺に思いつく策など、とっくに底をついている。
その時、俺の視界に、白い騎士服の裾が映り込んだ。
壁際に立ち、静かにこちらの様子を伺っていたラインハルト。かつて王都の応接室で、アンタレスから伸びる血の糸を、その『加護』の目で見抜いた男。
(……待てよ。見えてるんなら、もしかして……)
俺は一縷の望みを抱き、ダメもとで最強の騎士に声をかけた。
「ラインハルト! ちょっと、聞きたいことがあるんだ!」
ラインハルトが静かに歩み寄ってくる。
「なんだい、スバル」
「お前……その目で見えてる、アンタレスから伸びてる『血の糸』。……それをお前の剣で、強引に『斬る』ことはできないか?」
俺の突拍子もない提案に、ラインハルトは僅かに目を見開いた。隣で聞いていたオットーが「へ、血の糸…?」と間抜けな声を出すが、俺はそれを無視して、ラインハルトの答えを待った。
ラインハルトはアンタレスと、彼女から伸びる無数の不可視の糸をじっと見つめ、思案に耽る。
やがて彼は自らの掌を握り締め、力強く告げた。
「……試してみよう。出来るかどうかは分からないけど、やってみる価値はある」
「本当か!? やってくれるのか!」
「ああ。友の願いだ。それに、囚われた彼らの魂を解き放ちたい気持ちは、僕も同じだからね」
ラインハルトはそう言うと、ゆっくりとアンタレスの方へ歩みを進めた。
「…っ!」
アンタレスが反射的に身を竦め、俺の後ろへ隠れようとする。
世界最強の『剣聖』による接近。彼女の生存本能が、かつて自分を『災厄』と断じた死神への恐怖を呼び覚ましているのだろう。
だが、彼女の瞳は、恐怖に染まりきってはいなかった。
アンタレスは震える手で俺の背中を掴みながらも、ラインハルトの青い瞳を、どこか縋るような、信頼を寄せるような眼差しで見つめていた。
ラインハルトは彼女の目の前で膝をつき、目線を合わせた。
「怖がらせてすまない。……それでは、失礼するよ」
彼は優しく告げると、目を閉じて意識を研ぎ澄ませた。
静寂が広場を支配する。ラインハルトの周囲の大気が、彼に従う無数の微精霊たちの輝きで、淡く白光し始める。
長い、永遠にも思える停滞。ラインハルトはアンタレスの胸元へと、ゆっくりと右手を伸ばした。
やがて、彼はカッとその青い双眸を見開いた。
「――僅かだが、見える。命の根元を咥え込んでいる、不浄なマナの結び目が」
ラインハルトの手が、空中で鋭い形を成す。
「切ってみよう」
その力強い言葉と共に、王国最強の指先が、アンタレスを縛る見えない運命に向かって一閃した。
その次の瞬間だった。
「っ……痛い!」
アンタレスが小さく悲鳴を上げ、反射的に胸元を押さえて顔をしかめた。
「斬ったよ。……大丈夫かい? 気分が悪かったり、身体に異変はないかな?」
ラインハルトが心配そうに彼女の顔を覗き込む。
その誠実すぎる眼差しを向けられたアンタレスは、何度か深呼吸を繰り返し、痛みを堪えるように眉根を寄せた。
「……大丈夫、だよ。ただ……なんて言うか。髪の毛を一本、根元から無理やり引き抜かれた感じかな。……変な痛みだよ」
「地味に結構痛いやつだなそれ…!」
アンタレスの例えに、俺は自分の頭皮に走る微かな寒気を感じながら、苦笑い混じりに応えた。派手な衝撃こそなかったが、神経を直接逆撫でされるような、嫌な種類の痛みなのだろう。
アンタレスはしばらく目を閉じて、自分自身の内側にある権能の『リスト』を確認するように意識を沈めていたが、やがてゆっくりと目を見開いた。
「……スバル。報告。掌握していた命の火が、一つ減ってる。……『消費』されて消えたんじゃなくて、僕から完全に切り離されてるのが分かるよ」
「本当か!? よしっ……! ラインハルト、お前マジで最高だよ! もう、何ならできねぇんだ!?」
「過分な言葉、痛み入るよ」
俺はアンタレスの報告に、思わずガッツポーズを作って喜んだ。
彼女自身の意志では解除不能だったあの呪わしい糸が、ラインハルトの手によって、確かに一本断ち切られたのだ。これは、二百人以上の村人たちを救い出すための、確かな第一歩だった。
だが、俺の喜びは長くは続かなかった。
アンタレスの「髪を一本抜くような痛み」という言葉を思い出し、俺はすぐに申し訳なさそうな顔で彼女を見た。
「……なぁ、アンタレス。これから、掌握されてるアーラム村の全員分……あと二百人以上の糸を斬らなきゃならないんだ。だけど、そのたびにお前、今の痛みを味わうんだよな?」
俺はチラリと背後にいる、まだ不安げにこちらを見守る村人たちの集団に目を向けた。
二百回以上、連続して髪を抜かれ続ける痛み。想像しただけで顔が引き攣りそうになる。
「……一度にやるのはお前の負担がデカすぎる。……もし痛いのなら、何日か日を跨ぎながら、ちょっとずつやっていくか?」
俺なりに、彼女の臆病で痛みに弱い性格を考慮して提案したつもりだった。
だが、その言葉を聞いたアンタレスは、それまでに見せたどんな恐怖や戦慄よりも、心底嫌そうな顔をしてみせた。
「……スバル。それはそれで拷問じゃない?」
アンタレスは顔をこれ以上ないほど歪め、呆れたような、それでいて拒絶感に満ちた声を絞り出した。
「毎日、毎日、一本ずつ髪を抜かれ続けるのを待つなんて……そんなの、精神的にも絶対におかしくなるよ。やるなら……もう一気に、全部終わらせてよ。その方がまだマシ」
「あー……だよな。悪かった」
不本意な状況に立たされながらも、効率と保身を優先しようとする彼女らしい言葉に、俺は再び頭を掻きむしるしかなかった。
すると、アンタレスの頼みを聞いてラインハルトは、突き立てた大剣の横で、これまでにないほど困ったように眉を下げ、申し訳なさそうな顔でアンタレスを見つめた。
「……すまない、スバル。そしてアンタレス。残念ながら、僕の腕では、一本一本慎重に狙いを定めて斬るので手一杯のようだ」
その言葉が夜の静寂に落ちた瞬間、俺とアンタレスは、まるで時が止まったかのように絶句した。
「……待て。一本一本って、ラインハルト。お前ならこう、聖剣とかでバサッといけないのか?」
俺の問いに、ラインハルトは重苦しく首を横に振った。
「広範囲にマナを振るえば、糸だけでなく、繋がっている彼らの命の根元そのものを傷つけてしまう恐れがある。……確実に、彼らをアンタレスから『切り離す』ためには、この精密な作業を繰り返すしかないんだ」
それはつまり、アンタレスが先ほど漏らした「髪の毛を一本、根元から無理やり引き抜かれたような嫌な痛み」を、あと二百回以上、律儀に、正確に、一回ずつ味わい続けるという宣告だった。
「…………」
「…………」
俺とアンタレスの間に、形容しがたい沈黙が流れる。
この臆病な幼女にとって、死ぬことの次に嫌なのは「痛いこと」だ。
「ひ、……う、うぅ……」
アンタレスの喉の奥から魂が削れるような低い唸り声が漏れ出す。
彼女はガタガタと膝を震わせ、みるみるうちに目元を真っ赤に染めていった。
そして――。
「ワァ……!!」
アンタレスは顔をぐしゃぐしゃにして、あまりにも情けなく、あまりにも全力の泣き声を上げてその場に蹲った。
二百回以上の連続抜毛刑。その絶望的な未来に、大罪司教としての威厳は微塵も残っていなかった。
俺は、これから始まる「地獄の除霊」という名の拷問に立ち向かう(強制的に立たされる)十歳の少女の背中を見つめ、自分にできるせめてもの弔いとして、静かに胸の前で十字を切った。
「……頑張れよ、アンタレス。お前の平穏は、この痛みの先にある……はずだ」
俺の祈りは、彼女の「ヤ…! イヤ…ッ!」という悲痛な絶叫にかき消されていった。
―
アーラム村の広場を包んでいた凄惨な空気は、ラインハルトによる「精密作業」の完了と共に、ひどく静まり返ったものへと変わっていた。
目の前では、黒髪を乱したアンタレスが、精根尽き果てた様子で地面にへたり込んでいる。
掌握していた二百名以上の命の糸を、一本一本、髪の毛を根元から引き抜くような痛みと共に断ち切られたのだ。無理もないだろう。
俺は膝をつき、震える彼女の肩にそっと手を置いた。
「……お疲れさん。地獄の連続抜毛刑、よく耐え抜いたな。これで、村の連中とお前の不吉な繋がりは全部切れた。もう、誰も身代わりにする必要はないんだ」
俺なりの労いの言葉だったが、アンタレスは赤く腫らした目で俺を恨めしそうに見上げ、ひび割れた声でぼやき始めた。
「……うぅ、酷いよ……痛いし、寒いし、怖いし……。なんで、なんで僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだよぉ……。僕はただ、平和に、安全に生きたかっただけなのに……」
自己中心的な言い分に、俺は少しだけ呆れながらも、冷徹な正論を突き返した。
「……それは、お前が保身のために村の奴ら全員を『掌握』したからだろ。自業自得って言えばそれまでだ。お前が勝手に他人の命に首輪をはめたツケが、今の痛みなんだよ」
「だって! あれは、ペテルギウスが『勤勉に備えをしろ』って……断ったら『怠惰』だって言って殺そうとしてきたから、怖くてやっただけで……っ。僕だって、こんな面倒で恨まれるようなこと、したくてやったわけじゃないんだよ!」
必死に涙を拭いながら叫ぶ彼女の言葉には、理不尽な運命に対する怒りが籠もっていた。
思い返せば、この子は最初から魔女教という泥沼に無理やり引きずり込まれた被害者でもあったのだ。その恐怖を、俺は誰よりも知っているはずだった。
「……。……そうだったな。悪い、お前がアイツらにどれだけ追い詰められてたか、俺が一番分かってなきゃいけなかった。……言い過ぎた、すまん」
「……分かればいいんだよ」
俺が素直に謝ると、アンタレスは拍子抜けしたように瞬きをし、傲慢さを微かに滲ませて鼻をすすった。
その時、ふと視線を上げると、少し離れた場所に立つラインハルトが目に入った。
彼はどこか遠くを見つめるような、心ここにあらずといった様子で立ち尽くしていた。いつもなら完璧な騎士として振る舞う彼にしては、珍しい空隙だった。
「ラインハルト? どうした、魂でも抜けたようなツラして」
俺の声に、ラインハルトはハッとしたように意識をこちらへ戻し、困ったような、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「……ああ、すまない、スバル。少し集中していたんだ。『遠信の加護』で、クルシュ様と話をしていたんだよ」
「クルシュと?」
ラインハルトは重苦しく頷き、地面に座り込むアンタレスへと、悲哀の混じった視線を向けた。
「王都にいる十人の近衛騎士たちについての話でね。彼らの魂の根元には、未だアンタレスの『牙』が突き立てられたままだ。……彼らを安全に解放し、かつ彼女の持つ『魔女因子』の影響を最小限に留める方法を、クルシュ様と検討していたんだ」
「あれ? 全部斬ったんじゃなかったのか?」
「僕としても全て断ち切りたかったんだけど、彼女の『血の糸』は術者と被術者がある程度近くにいないと認識が難しいようだ。すまない、僕の力不足だ」
「いや、全然そんなことはねぇよ。それで……どうすることになったんだ?」
ラインハルトは一度言葉を切り、静かだが逃れようのない決意を込めて告げた。
「十人の同胞を救い出すため、そして彼女が再び『傲慢』の道へ踏み外さないよう監視するために……一時期、アンタレスを僕の元で預かることになった。僕の『加護』の目があれば、彼女が新たに誰かを掌握しようとしても、その瞬間に気づくことができるからね」
「……え?」
アンタレスが、今度こそこの世の終わりでも見たかのような顔で固まった。
最強の騎士による、逃げ場のない「保護」という名の監視。彼女の望む平穏からは程遠い、けれど死を回避するための唯一の道が、クルシュとラインハルトの間で決定された瞬間だった。
「……おい、ちょっと待ってくれ、ラインハルト」
俺は思わず、ラインハルトの言葉を遮るように声を上げた。
彼女は、ついさっきまで、あんな地獄のような苦しみに耐えながら、村の皆との不吉な繋がりを断ち切ったばかりなんだぞ。そんな思いを彼にぶつける。
「少し、話が違わないか? 王都のカルステン邸で話した時は、あいつに罪を償う機会を与えてくれるって……クルシュも納得してくれたはずだろ」
俺は、地面にへたり込んだまま絶望の表情を浮かべているアンタレスの前に立ち、彼女を庇うようにラインハルトを見据えた。
償う機会を与えると言ったのに、最強の騎士による『監視』。それは彼女にとって、俺が思っている以上に重い鎖になるはずだ。
だが、ラインハルトの青い瞳は、どこまでも澄み渡り、揺るぎない正義と誠実さを湛えていた。
「……ああ、スバル。君の望み通り、彼女に機会を与えるつもりだ。その考えは変わっていないよ」
ラインハルトの視線が、俺の背後で震えているアンタレスへと向けられる。
そして、彼は静かに、けれど逃れようのない絶対的な事実を口にした。
「確かに、彼女は今回、王国を長年苦しめてきた魔獣と大罪司教の討伐に、決定的な貢献をした。それは紛れもない事実だ」
一度言葉を切り、彼は騎士としての冷徹な判断を付け加えた。
「だが、それでも彼女は『傲慢』の大罪司教であり、他者の命を意図的に奪い、己の糧とする権能を持っている。……今の彼女は、放置しておけば世界そのものを脅かしかねない、確かな脅威なんだ」
「それは……」
「気安く扱うべきではないんだよ、スバル。……だから、僕が彼女を預かる。僕の側で彼女を監視し、その『牙』が再び罪のない人々へ向けられないかを見届ける。もし、そこに問題がないと確信できれば、少しずつ彼女を自由にしていくつもりだ。そしたら、後はスバルに託すよ」
ラインハルトの説明は、あまりにも筋が通っていた。
彼女が『白』だと信じると誓った俺にとっても、彼女の力が尋常でないことを引き起こしかねないことは分かっている。
すると、アンタレスが、ひび割れた声でボソリと呟いた。
「……ラインハルト、それ、僕に言っちゃって大丈夫なの?」
彼女は俺の脇からラインハルトを覗き込んだ。その眼には、ラインハルトを、クルシュの決定を見定めるような光が宿っていた。
「僕が監視されるって分かってて、『良い子』にしてれば自由を与えてもらえるなんて知ってたら、意味がなくない? 僕、そういう猫被るの、得意なんだからさ」
自嘲気味に笑う彼女の言葉は、これまでの彼女の生存戦略そのものだった。相手が望む自分を演じて、懐に入り込み、利用する。
だが、ラインハルトはそんな彼女の『本音』を突き放すどころか、これ以上ないほど穏やかな微笑みを返した。
「……構わないよ、アンタレス。僕は、君のことを信用しているからね」
「え?」
アンタレスが、今度こそ理解不能なものを見る目で固まった。
「君が猫を被るのが得意なのかは知らない。……けれど、あの時。メイザース領の深い森で、ペテルギウスを追い詰めた時の君のあの叫び」
ラインハルトは、彼女が自らぶちまけた過去の怒りと、平穏への切実な願いを思い起こすように目を細めた。
「……あの時の君の絶叫は、決して偽りや演技なんかじゃなかった。少なくとも、僕の目にはそう映ったんだ」
ラインハルトはアンタレスに向かって、一歩、歩み寄った。
「君が平和を望んでいるのも、自由を求めているのも、それだけは本物だと信じている。……だからこそ、君が本当に平穏を掴めるその日まで、僕は君を一人にはさせない」
「…………」
アンタレスは、言葉を失ってラインハルトを見上げていた。
最強の騎士が自分の中に見出した、僅かばかりの『真実』。
それは、彼女がどれだけ『傲慢』に振る舞おうとも、決して否定しきれない彼女自身の魂の芯だった。
俺は、ラインハルトの言葉を聞きながら、少しだけ肩の力を抜いた。
あいつなら、アンタレスの面倒な性格も、あの歪みきった生存本能も、すべて包み込んで導いてくれるかもしれない。そう思えたのだ。
「……まぁ、ラインハルトがそこまで言うなら、俺は信じるしかねぇな。……アンタレス、良かったな。最強のボディガードがついたぞ」
「……良い、のかな? もしも何かの拍子で襲い掛かられたら打つ手がないから怖いんだけど…」
「そんなことはしないと約束するよ」
アンタレスは情けなくぼやきながらも、ラインハルトの差し出した手を、今度は震える指先で、けれど確かに握り返した。
「……なぁ、ラインハルト。王都にはいつ発つんだ?」
俺は、何処か一息ついた様子のラインハルトに尋ねた。
アーラム村の広場を包んでいた凄惨な空気は、アンタレスと村人たちの『糸』が断ち切られたことで、ようやく凪いでいた。
「今日はもう遅い。今夜はこのアーラム村で一泊して、明日の朝に出発するつもりだよ。 まずはリーファウス街道で待機しているクルシュ様たちと合流し、そこで白鯨の亡骸を運びながら王都へ向かうことになるだろうね」
ラインハルトはそう言って、村を見渡しながらも、平和への第一歩を確信したような声で答えた。
俺は短く頷き、視線を足元の少女へと移した。
黒髪を乱し、精根尽き果てて地面に座り込んでいるアンタレス。
最強の騎士による監視がつくとはいえ、彼女が最も恐れていた「即座の処刑」という最悪の結末だけは、どうにか回避できたのだ。
俺は、少しでも場の空気を和らげようと、わざとおちゃらけた口調で彼女に話しかけた。
「……お疲れだな、アンタレス。今日は散々だったな? なぁ、どうだ? 今夜は俺と一緒に寝るかい?」
「……は?」
アンタレスが、ゴミを見るような、あるいは理解不能な生物を見るような、極限まで呆れ果てた表情で俺を見上げた。
その冷めた瞳は、ついさっきまで泣き喚いていた大罪司教の威厳を、別の意味で取り戻している。
「ちょっとそれは……流石に引く…」
「引くは言いすぎだろ!! 元気なさそうだったから元気づけようとした俺の親切心をもっと大切にして!!」
彼女の辛辣な言葉に俺はショックを受ける。俺が守りたいと誓った幼気な幼女は一体どこに行ってしまったのか…。
だが、俺はそんな彼女をすべて受け入れた上で、静かに笑みを返した。
「……まぁ、その、なんだ、無理だけはするなよ。不安ならいくらでも弱音を吐いたって良いんだ。過去がどうだろうと、権能がどうだろうと、今目の前で必死に生きてるお前は、俺が助けると決めた一人の女の子だ」
俺の断言に、アンタレスは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐにふいっと視線を逸らした。
「……勝手なことばっかり。……まぁ、いいけど」
短く、投げ出すような返事。だが、その声には先ほどまでの戦慄や絶望は混じっておらず、ほんの少しだけ、ある意味彼女らしくない温和さが宿っていた。
藍色から深い闇へと変わりゆくアーラム村の夜。
俺たちの長くて、けれど確かな変化を刻んだ一日は、静かな風と共に幕を閉じた。