魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ 作:あのさぁBOT
大兎を求め、しばらく進んでいると、不意に鼻を突くような不快な腐臭が漂ってきた。
僕の魂の最奥が、かつて感じたことのある『同類』の気配を察知して警鐘を鳴らす。
「――おやぁ? 数日ぶりだねぇ、まだその子供を連れてるんだぁ。ああ、分かるよ、分かるさ。折角手に入れた美食を、そう易々と食らい尽くしたくはないよねぇ」
雑木林の影から、ボロ布を纏った小柄な少年が姿を現した。
長く伸ばした焦げ茶色のざんばら髪に、全身を覆う無数の傷跡。そして、獲物を定めるような獰猛で不気味な飢餓感を瞳に宿したその姿。
間違いない。魔女教大罪司教『暴食』担当、ライ・バテンカイトスだ。
「ひっ……!」
僕は反射的にシリウスの背後へと飛び込み、彼女の衣服の裾を強く握りしめた。
あいつの権能で『名前』や『記憶』を喰われたら、僕という存在は最初からいなかったことにされる。それは死ぬことよりも、もっと得体の知れない恐怖だ。
「あら、あらあら。ライではありませんか。私たちの邪魔をするなんて、貴方は相変わらず食い意地が張っているのですね」
シリウスは僕を庇うように立ち塞がり、不快そうに左目を細めた。
ライは僕の方をじろりと眺めると、ペロリと舌を出して不気味に笑った。
「んん? もしかしてその子が、お前がしょっちゅう話してた、自慢の娘…………確か『アンタレス・ロマネコンティ』?」
「え……?」
僕はシリウスの背中の影で、思わず間の抜けた声を漏らした。
『暴食』の権能を警戒していた緊張感が、その奇妙な名前の響きによって一瞬だけ霧散する。
「ロマネ、コンティ……?」
僕の今の苗字はアンドロクトヌスだ。
『ロマネコンティ』というのは、ペテルギウスの家名であり、シリウスが勝手に名乗っているだけの名前のはずだ。
混乱する僕をよそに、シリウスは恍惚とした表情で頬を染め、身をよじった。
「ええ、ええ、そうですよ、ライ! 紹介します、この子は私と愛しいペテルギウスとの間に生まれた、愛の結晶! 私たちの世界を形作る、誇り高き『ロマネコンティ』の一員なのですから!」
勝手すぎる解釈。けれど、シリウスにとってはそれが絶対の『真実』なのだ。
ライは僕の困惑など気にも留めず、濁った瞳で僕を品定めするように凝視し続けている。
その視線は、単なる好奇心じゃない。まな板の上の食材を、どこから切り分けるべきか吟味する料理人のそれだ。
「っ……!」
背筋を氷の刃でなぞられたような戦慄が走る。
ライは僕の名前を勘違いしている。それは僥倖だ。偽の名前を彼が食っても、僕になんの影響も無い。しかし記憶を食われる可能性はある。人を形作るのは記憶だ、それを食われれば、僕は実質的な死を迎える。
僕の震えを敏感に察知したシリウスが、一歩、前へ踏み出した。彼女の細い肩から、大気を焼き焦がすようなドス黒い殺気が噴き出す。
「この子は、私と愛しいペテルギウスの宝物。もしもこの子を食べようなどと考えたなら……その時は、貴方の心を『憤怒』で焼き尽くし、跡形もなく消し去ります」
シリウスの左目が、包帯の隙間から不気味な燐光を放ち、ライを射抜いた。
だが、ライは向けられた殺意などどこ吹く風といった様子で、ケラケラと肩を揺らして笑った。
「いらないね、いらないな、いらないよ、いらないさ、いらないとも。僕たちは、そんな『くどい物』を食べようとするほど愚かじゃないからねぇ…」
ライは僕を指差し、心底から興味を失ったように鼻を鳴らした。
「いらない……?」
シリウスが意外そうに毒気を抜かれた声を漏らす。僕もまた、予想外の拒絶に、恐怖と困惑が入り混じった溜息を吐き出した。
「そうさァ。いいかい、『死の恐怖』ってのはね、人生っていう料理を彩る、最高の調味料なのさ。どんなに味気ない人生の記憶だって、その終わり際に強烈な『死の恐怖』がふりかかることによって、最高の美食に化けるんだ。溜め込んで、煮えたぎって、喉を通る時のあの満足感……ッ! それこそが僕たちの、俺たちの求める味わいなんだから!」
ライは不意に真顔になり、冷めた瞳で僕を見据えた。
「だけど、その子はダメだ。全然ダメ。四六時中、死ぬのが怖くてたまらないって調味料をぶっかけ続けてる。記憶を覗くまでもないさ、全身からその『味』が漏れ出してるんだから。最初から最後まで、死にたくない、怖い、痛い、助けて……そんな濃くて、くどくて、脂っこいだけの味付けがされた汚物だ。あの『悪食』のロイですら、口をつけるのに躊躇するだろうねぇ」
「……汚物」
僕はシリウスの背後で、ショックを受けるべきか、助かったことを喜ぶべきか分からず、ただ呆然と立ち尽くした。
「あら……。そうなのですか? ごめんね、ライ。この子の価値が分からないなんて、貴方の舌はよっぽど『怠惰』なのですね」
シリウスは僕を再び優しく抱き寄せると、あやすように頭を撫でた。
「でも、ありがとう。アンタレスを食べないと言ってくれて。さぁ、行きましょう。貴方のその『濃厚な愛』を、大兎たちに分けてあげるためにね」
僕はライの嘲笑を背に受けながら、シリウスに引かれて歩き出した。
『悪食』すら避けるほどの臆病さ。それが僕を救ったのだとしたら、これほど滑稽な生存戦略もないだろうなと、僕は心の中で小さく自嘲した。
僕はふと思いついたことを口にすることにした。
ライは僕を「汚物」と称し、完全に僕への興味を失っている。彼は食以外に興味のない男だ。食事の邪魔をしない限り、彼に襲われる心配は無いということだ。
ならば、良い答えが返ってくる望みは薄いが、同じ『暴食』のルーツを持つ彼に、大兎の所在を聞いてみてもいいだろう、そう思った。
「……あの、ライさん。一つ聞きたいのですが、大兎がどこにいるか、分かりますか?」
僕の問いに、ライは心底退屈そうに僕を振り返った。
「君に教えることなんて、食べ残しのカスくらいしかないけど……あ、でもそういえばさァ」
ライはざんばら髪を掻き回しながら、思い出したようにニヤリと笑った。
「白鯨を墜としたのって、君だったよねぇ。僕たちのペットをボロ雑巾みたいに叩き落とした光景が、嫌っていうほど鮮明に残っててさァ!」
ライは特に怒っている様子もなく、むしろ愉快そうに肩を揺らした。
「いいね、いいよ、いいさ、いいともさぁ! あいつらは僕たちより先に色んなものを喰っちゃうから、正直邪魔だったんだよねぇ。まぁ、殺してくれるとありがたいっちゃありがたいかなァ。……あっちらへんにいるんじゃない?」
ライは大して悩む様子もなく、適当な様子で北の方角を指差した。
「僕たちが『大兎の痕跡を発見した』なんて、真っ青な顔で報告書を書いてた覚えがある。どっちがやられても俺たちにとっては残飯処理にしかならないし、まァ、精々頑張りなよぉ」
「……北、ですか。分かりました」
僕はライの不吉な高笑いを背に受けながら、シリウスの手を強く握った。闇雲に探すよりはマシかと、半信半疑ではあるけれど、今はその情報を頼りにするしかない。
シリウスの狂った慈愛に引かれ、僕は北の空を見据えた。
―
僕たちは、ライの「北にいる」という言葉を頼りに、北端へと向かっていた。
深い森の重苦しい空気からようやく解放され、視界が開ける。そこには、どこまでも広がる青々とした草原が風に波打っていた。
「……はぁ、やっと森を抜けた」
僕は泥のついた服の裾を気にしながら、重い足取りで一歩を踏み出す。シリウスの横を歩きながら、僕は周囲を警戒するように視線を走らせた。
このあたりは、すでにメイザース領の外――ルグニカ王国の最北端に近い場所だ。少なくとも、僕がここを知らない。何が起きるか分からない恐怖が、僕の背筋を常に撫で回している。
不意に、少し先にある草むらがカサリと揺れた。
「っ……!」
僕は反射的に足を止め、身を竦ませる。心臓が嫌な音を立てて跳ね上がり、意識の隅にある『権能』のリストを確認した。約六百、少し前までは考えられなかった数だ。余程のことが無い限り、僕に真の死は訪れない。
揺れる草陰から、ひょこりと白い耳が飛び出した。
そこにいたのは、一匹の小さくて愛らしい兎だった。雪のように真っ白な毛並みに、赤い瞳。どこにでもいる野兎に見える。だが、その頭部を認めた瞬間、僕の魂が凍りついた。
その額から、不吉な、小さな角が一本突き出していたのだ。
「……あ」
その姿に恐怖を覚えた。前世で読んだ記憶が、三大魔獣の一角としての最悪の生態を僕の脳裏に叩きつける。
「……大兎だ」
僕の掠れた声に呼応するかのように、草原の至る所からカサカサという不気味な音が響き始めた。
一匹、また一匹。草むらから、岩の影から、そして地面の穴から。頭に角を持った愛らしい、けれど無限の食欲を宿した怪物が、数え切れないほどの群れとなって姿を現した。
一匹がいれば、そこには数万匹いる。そしてその数と小さな口で、肉体を一片も残さず削り取られるのだ。
「――――ッ!!」
僕は叫びそうになるのを必死に堪え、シリウスの服の裾をちぎれんばかりに握りしめた。
囲まれた。終わった。あんな小さな口で、僕の細い腕や足を、そして身体のすべてを一瞬で食い尽くされる。蘇生しても、蘇生した先からまた喰われるんだ。そんなの、絶対に嫌だ。痛いのも死ぬのも御免だ!
だが、数秒が経っても、そんなことは起きなかった。
「……」
そこには奇妙な光景が広がっていた。
大兎たちは僕たちの周囲を埋め尽くしている。数千、数万という圧倒的な物量。なのに、奴らは僕たちに飛びかかろうとはせず、ただその場に座り込み、あるいは静かに僕たちを見上げているだけだった。
あの無限の飢餓に突き動かされているはずの魔獣が、まるで飼い慣らされたペットのように大人しいのだ。
「ああ……ごめんね、アンタレス。怖がらせてしまいましたね」
頭上から、鈴を転がすような、けれどドロリとした慈愛に満ちた声が降ってきた。
見上げると、シリウスが恍惚とした表情で、包帯の隙間から覗く左目を細めて僕を見ていた。彼女は僕の頭を優しく撫でながら、大兎の群れに向かって聖母のような微笑みを向ける。
「この子たちも、私たちの愛に触れて、こんなにも穏やかになっているのです。ごめんね、お腹が空いていたのでしょう? でも今は、この『安らぎ』を分かち合いましょうね。ありがとう」
シリウスが手を広げると、彼女の『憤怒』の権能が、物理的な熱を伴って周囲へと解き放たれた。
彼女の感情――狂った母性と、魔獣さえも一つに溶け合わせようとする一方的な『愛』が、感覚の共有を通じて大兎たちの本能を上書きしているのだ。飢餓という唯一の感情を、「シリウスの愛」という名の甘い毒が完全に洗脳し、塗りつぶしてしまったのである。
「……すごい」
僕は、目の前で静止する絶望の群れを見つめ、息を呑んだ。
三大魔獣の一角すら、彼女の狂気の前ではその牙を失う。知能のない魔獣であっても、シリウスの放つ「安らぎ」の強制共有からは逃れられないのだ。
「安心してください、アンタレス。誰も、あなたを傷つけさせはしません。これらすべてが、あなたの命を繋ぎ止めるための、永遠の『愛の礎』になるのですから」
シリウスの歪んだ、けれど確信に満ちた言葉が、僕の鼓膜を震わせた。
僕は何度も必死に頷いた。シリウスの権能の凄まじさ。そして、この「無限の命」が僕の掌中に収まろうとしているという安堵に。
僕は草原を埋め尽くす白い魔獣たちを見つめた。
これですべてが僕のものになる。誰にも脅かされない、僕だけの平穏な未来が、すぐそこにある。
目の前に広がる、数千、数万という白の絨毯。それは本来、あらゆる生命を食い尽くす絶望の化け物のはずだった。けれど、シリウスが「愛」という名の安らぎを強制共有させている今、この場に満ちているのは不気味なほどの静寂だけだ。
僕は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……やるか」
僕は、泥にまみれた膝をゆっくりと地面につき、這いずるようにして一匹の大兎へと歩み寄った。
雪のように白い毛並み、赤い瞳、そして額から突き出した小さな一本の角。見ているだけで、前世で読んだあの凄惨な食害の記憶が蘇り、背筋が凍りつく。
僕は震える手を伸ばし、その温かい毛玉をそっと抱きかかえた。
暴れる様子はない。シリウスの権能に当てられた大兎は、ただされるがままに僕の腕の中に収まっている。僕は覚悟を決め、その小さな胸元に自分の耳を押し当てた。
ドクン、ドクン、ドクン……。
聞こえてくる。
小さく、けれど激しく打ち鳴らされる、生命の鼓動。
「心臓……確かにあるね」
その重み、温かさ、そして鼓動。それらすべてを僕の感覚が捉えた瞬間、意識の隅にある『リスト』に、新たな紅い灯火がポッと灯った。
(掌握……完了)
僕は安堵の溜息を吐き出し、その兎を地面に降ろすと、隣に座り込んでいる別の個体に手を伸ばした。
一匹。また一匹。抱きかかえ、鼓動を聞き、リストへと加えていく。
僕は機械的に作業を繰り返した。十匹、二十匹……。灯火が増えるたびに、僕の心を満たしていた死への恐怖が、少しずつ霧散していくのを感じる。
その時だった。
「……? あれ?」
ふと、違和感を覚えて作業を止めた。
僕は今、次の獲物を探して手を止めている。なのに、脳内の『リスト』の中で、紅い灯火が――僕が掌握した覚えのない光が、キラキラと輝きながら増え続けているのだ。
(も、もしかして、本当に…?)
慌てて周囲を見渡す。けれど、そこにいるのはシリウスと、大人しく座っている大兎たちだけだ。
僕は目を見開き、リストの推移を注視した。
一、五、十……。増えている。僕が何もしなくても、確実に。
ふと、目の前の大兎が、ブルルと身震いした。
すると、その身体が二つに分かれるように盛り上がり、一瞬の後に、全く同じ姿をしたもう一匹の兎がそこに出現した。
増殖。三大魔獣の一角たる、大兎の持つ理不尽な生態だ。
そして、その分裂したばかりの新しい個体の胸にも、すでに僕の『掌握』の刻印が刻まれていた。
「……あ」
理解した。
大兎は群れ全体で一つの生き物。一匹を掌握すれば、そこから分裂し、増殖したすべての個体に僕の権能が引き継がれる。そして、奴らは十万程度までという上限こそあれど、一匹さえ残っていれば増え続ける。
掌握の手を止めていても、リストの数は加速していく。
「……は、はは」
乾いた笑いが、喉の奥から漏れ出した。
これだ。これだよ。僕が求めていたものは。
ラインハルトという『質』の暴力も、スバルという『やり直し』の網も。そんなもの、この「無限」のストックの前では何の意味もなさない。
「あ……あははははははッ!!」
僕は天を仰ぎ、声を高らかに、狂ったように笑った。
頬を伝うのは、恐怖ではなく歓喜の涙だ。
「すごい……すごいよ! これで、もう僕は死なない! いくらでも消費して強くなれる! 万が一死んでもいくらでも生き返れる! この子たちが勝手に増えて、僕の生存をいつまでも保証してくれるんだ!!」
僕は口を大きく開けて、草原を埋め尽くす白い絶望を見つめた。
いや、違う。これは絶望なんかじゃない。
僕だけに許された、絶対に侵されない、永遠の平穏を約束する『神の肉壁』だ。
「あはははっ、あはははははははははははははははははははは!!!!」
増殖し続ける紅い灯火の群れを背景に、僕は世界で一番安全な檻を手に入れたことを、腹の底から喜び、笑い続けた。
脳裏に広がる『権能』のリスト。そこには、数え切れないほどの紅い灯火が、まるで真夏の夜の星空のように密集し、激しく瞬いていた。大兎が分裂し、増殖するたびに、僕の『資源』は自動的に、そして無限に積み上がっていく。
「すごい……。これならもう、スバルの庇護なんていらないな」
僕は、泥にまみれた膝を払いながら、小さく独り言ちた。
あのお人好しで、暑苦しくて、勇気と無謀に満ち溢れた男の「居場所を作ってやる」なんて甘い言葉に縋る必要は、もうどこにもない。
「シリウスの補助も、もう十分だ」
彼女の『憤怒』による洗脳があったからこそ、この「無限のストック」が手に入った。
けれど、いつまでもあのドロリとした吐き気のする「愛」に晒され続けるのは御免だ。僕は僕として、誰にも邪魔されない平穏な時間を、僕だけの力で勝ち取れるようになったのだから。
僕は、大兎の群れの中でうっとりと身をよじっている包帯の女へと歩み寄った。
「――シリウスさん。用事は済みました。もう、この場から離れましょう」
わざとらしく、甘えるような子供の声を絞り出す。
シリウスは僕の声に反応し、恍惚とした表情のまま、包帯の隙間から覗く左目を僕に向けた。
「あら、アンタレス。もういいのですか? この子たちと、もっともっと愛を分かち合わなくていいの? ごめんね、私はまだ、この幸福な時間に浸っていたいのだけれど……」
シリウスが名残惜しそうに大兎の群れを見渡す。
「はい。いいんです。僕はもう、十分に『満足』しましたから」
僕は意識の奥底にあるリストから、手近な灯火を十個、無造作に選び取った。
「『十命消費』」
冷徹な宣言と共に、十匹の大兎の命が僕の内側へと流れ込んでくる。
大兎一匹の命の質は、人間の一人分に比べれば五分の一程度。非常に脆く、スカスカなエネルギーだ。けれど、ラインハルトを消費した時のような爆発的な全能感には及ばずとも、ただこの場から距離を離すための強化としては、今の僕には十分すぎるほどの膂力がみなぎった。
「よっ……!」
僕は驚愕に目を見開くシリウスの華奢な身体を、片腕で強引に抱え上げた。そして、強化された脚力で思い切り地を蹴る。
衝撃波が草原を揺らし、僕たちは一瞬にして大兎の群れから数十メートル後方へと飛び退いた。背後で、シリウスの「愛」の共有が解けた大兎たちが再び飢餓に狂い、食らい合う音が遠ざかっていく。
十分に距離を取り、不気味な静寂が漂う森の入り口付近で、僕はシリウスを地面に降ろした。
シリウスは、突然の出来事に目を白黒させていたが、やがて僕の顔を覗き込み、頬を染めて身をよじった。
「ああ、アンタレス! なんて力強い! ごめんね、私、あなたのその『傲慢』なまでの強引さに、また新しい愛の形を見つけてしまいました……! 素敵、本当に素敵よ!」
彼女の狂った称賛を、僕は冷めた瞳で見つめ返した。
もう、彼女に縋る子供を演じる必要はない。この女が僕に牙を剥こうとしたところで、今の僕にはそれをねじ伏せるだけの『資源』が無限にあるのだから。
僕は、懐から取り出したばかりのような、冷徹な平熱の声で告げた。
「シリウスさん。……実はね、言っておかなきゃいけないことがあるんです」
「何かしら? 隠し事は良くないわ。言ってちょうだい、私の愛しい子」
僕は、彼女の包帯だらけの胸元――その心臓が脈打つ場所に、白く細い指先をそっと向けた。
「……お前の命も、すでに僕が『掌握』しているんだ。あの日、お前が僕を抱きしめた、その瞬間に」
シリウスの動きが、一瞬で凍りついた。
彼女の魂の根元を、僕の『傲慢』の牙がしっかりと咥え込んでいる。僕が望めば、いつでも彼女の命を、僕のための『資源』として刈り取ることができる。
沈黙が森を満たす中、僕はかつてないほど自由な笑みを深めていった。