魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ   作:あのさぁBOT

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第7話『分かれ道』

 馬車が止まり、辿り着いたのは切り立った崖の合間にある、隠れ家という名のジメジメした洞窟だった。

 岩肌からは絶えず冷たい水が滴り、足元は腐敗した落ち葉と泥が混じり合って、歩くたびに不快な音を立てる。

 僕は今、猛烈な胃の痛みに悶えていた。

 

 「……うぅ、気持ち悪い……」

 

 馬車を降りた瞬間、背後から、しゅたっ、と軽やかな、しかし心臓に悪い着地音が聞こえる。

 

 「アンタレス、大丈夫ですか!? 顔色が真っ白ですよ! ああ、なんてこと! 私の愛が、あなたの小さな胃袋さえも熱く焦がしてしまったのね! 共有しましょう! あなたのその不快感を愛の象徴として!!」

 「いや、大丈夫ですから。マジで、近づかないでください……」

 

 シリウスが包帯の隙間から爛々と目を輝かせ、顔を近づけてくるのを必死に手で制する。

 僕が気分が悪いのは、半分は馬車酔いで、もう半分はさっき獲得した十個の新しい命の灯火のせいだ。

 脳内の視界――権能のリストに並ぶ、騎士たちの鮮やかな赤色。その灯火が、まるで彼らの未練のように不規則に明滅している。それが視界の端にチラつくたびに、彼らが自分の舌を切り、喉を潰した光景が、高解像度のリフレインとなって僕の脳裏を焼き切らんばかりに再生される。

 僕はどうも、自分で自分を傷付ける、いわゆる自傷行為というものが生理的に受け付けないらしい。理解の外側にあるというか、倫理や恐怖を超越した「得体の知れない不快感」が、僕の細い神経をヤスリで削るようにかき乱すのだ。

 それに。

 

 (終わった……完全に終わったよ。王都騎士団に正体がバレた上に、生かして帰してしまった……)

 

 魔女教徒を消費するのとは訳が違う。王国の騎士に手を出したとなれば、それは国家への宣戦布告だ。

 もしも彼らが王都に戻って、賢人会とかいう偉い人たちに報告してみろ。間違いなく、あの『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアとかいう、存在自体がバグのような公式チートキャラが、死神のような慈悲深い笑顔で僕を消し飛ばしに来るに決まっている。

 いや、今この瞬間にストックした彼らの命を全て消費すれば、証拠は隠滅できるだろうか? しかし、あれからそれなりに時間が経っている。もうすでに情報が風に乗って伝わっているかもしれないし、下手に能力を遠隔で行使すれば、ラインハルトならその因果の糸を辿って居場所を逆探知しかねない。

 ……あいつなら出来かねない。絶対やる。そう思うと、やはり、いざという時以外は権能の行使を避けるべきなのだ。

 

 「おやおやおや? アンタレス、何をそんなに思策に沈んでいるのデスか! その、眉間に皺を寄せ、世界を呪い、理を否定し、あらゆる可能性を値踏みするような険しくも美しい表情……!」

 

 ペテルギウスが、自らの首をゴキリと真横に折り、身体をコマのようにぐるんぐるんと回転させながら僕の顔を覗き込んできた。

 

 「あ、えと、その……とりあえず、休みます。なんというか……もう限界です……」

 「なるほどなるほど、休息もまた明日の勤勉への投資デス! 明日というさらなる傲慢のために、その矮小で尊大な魂を、魔女の愛という名の繭で休めるのデス!!」

 

 ペテルギウスのやかましい声援を背に、僕はふらふらとした足取りで、洞窟の奥へと歩き出した。

 湿った冷気が肌を刺す。一刻も早く一人になりたい。

 しかし、突然、ペテルギウスが何かに感電したかのような動きで、思い出したかのように声を上げた。

 

 「アンタレス! アンタレス! アンタレッスゥゥウウウ!!」

 「! な、な、なんなんですかもう……」

 「福音デス! 福音書が告げているのデス! 我らが進むべき、新たなる愛の舞台! 魔女への捧げ物を置くべき祭壇の場所をッ!」

 

 ペテルギウスは懐から、あの禍々しい黒装丁の福音書を取り出した。彼は狂ったように指先を血で染めながらページをめくり、その文字を僕に突きつけた。

 

 「見てください! 指し示されていマス! ルグニカ王国の北東、メイザース辺境伯の領地デス!! そこにエミリアという半魔の娘がいると、そう告げられたのデス!! ああ、やっとワタシは愛に、魔女の寵愛に報いることが出来るのデスね……!! ああ! サテラ、サテラあああああああああッ!!!」

 

 ……。

 ………は? メイザース領? エミリア?

 

 「め、めめめめいざざざ、え、エミ、え? え、え……」

 「おや、おやおやおやおや? どうしたのデスかアンタレス? その、今にも心臓が口から飛び出しそうな、驚愕に満ちた、実に勤勉な動揺は……。まさか、アナタの魂もまた、その地にある『愛』に共鳴しているというのデスか!?」

 

 ペテルギウスの顔が、僕の鼻の先数センチまで迫る。彼の息に含まれる血の匂いが鼻をつく。

 冗談じゃない。エミリア? メイザース領?

 それは、この『Re:ゼロから始める異世界生活』という物語が最悪の形で加速する場所じゃないか。

 あそこには、これから『死に戻り』という呪いと執念を背負った少年――ナツキ・スバルがやってくる。そして彼は、地獄のようなループを繰り返し、心を引き裂かれながらも、最終的にはこの目の前の狂人……ペテルギウスを殺害するんだ。

 

 (行きたくない! 死んでも……いや、死にたくないから絶対に行きたくない!!)

 

 あそこに行けば、僕は間違いなく主人公サイドと激突する。

 たとえスバルが今の時点では無力な少年だとしても、彼には「勝つまでやり直す」という絶対の必勝法がある。僕が『赤き心臓』でどれだけ他人を犠牲にして命を積み上げても、彼が時間を巻き戻せば、僕が築いた予備の命の城壁を効率よく崩されて無いも同然になる。

 

 あ、そうだ。名案を思い付いた。

 僕に彼らと同行する義務なんて最初から無い。ここで「あ、ちょっと用事思い出したんで」と言って別れよう。

 野外での一人歩きは魔獣や野盗が怖いが、スバルと敵対して命を削られるよりは百倍マシだ。

 

 僕は震える唇を開き、ペテルギウスに単独行動を提案しようとした。

 その瞬間、背後から世界を凍りつかせるような、シリウスの悲哀に満ちた絶叫が響いた。

 

 「……ああ、なんということ! なんという残酷な! 福音は、私にこれほどまでの試練を与えるというのですかッ!?」

 

 シリウスが、自身の頭を砕かんばかりに両手で抱えながら絶叫した。彼女の手にある福音書は、持ち主の動揺を反映するようにガタガタと震え、ページが勝手にめくれている。

 

 「ペテルギウス! 私の福音は……私の福音は、あなたとは真逆を指しています! ルグニカの南へ向かえと! そこにこそ、私が、私たちが愛を分かち合うべき渇望が、凍てついた魂の救済が待っているのだと!」

 「……なんデス、と?」

 

 ペテルギウスの、奇妙なダンスのような動きがピタリと止まった。

 北東のメイザース領を指すペテルギウスの福音。そして、ただ南という抽象的な地を指すシリウスの福音。魔女教徒にとって絶対の指針である福音書が、今、この二人の大罪司教に別離を突きつけたのだ。

 

 「ああ、なんたる……なんたる不測の事態! しかし! しかしデス! 福音は絶対! 魔女の寵愛に一分一厘の疑いを持つことこそが、最大の怠惰ッ! ならば、ワタシたちはここで分かれ、それぞれの愛の舞台を全うせねばならないのデス!」

 

 ペテルギウスがギチギチと首を鳴らし、その血走った眼球を、獲物を狙う鷹のように僕に向けた。

 

 「そこでデス、アンタレス。アナタという『傲慢』は、どう進むべきか……。アナタ自身の福音は何と答えていマスか?」

 「えっ……。ぼ、僕の福音……?」

 

 嫌な汗が背中を伝う。僕は懐から、重々しい福音書を取りだした。

 正直、中身を見たくない。けれど、二人の狂った視線が僕の手元に集中している。

 覚悟を決めてパラパラとページをめくると、そこには掠れたインクで、あまりにも曖昧な一節が記されていた。

 

 『同胞と共に行動せよ。さすれば、友を得られる』

 

 ……友? 同胞? どっちの?

 ていうか、どっちに行っても大罪司教しかいないじゃん。

 

 「……あ、あの、ええと。僕の福音書は、その、すごく……抽象的というか、曖昧というか。どちらについていけとは、はっきり書かれていなくて……」

 

 僕は恐る恐る福音書の中身を見せ、ペテルギウスとシリウスが左右からそれを覗き込む。

 二人の顔が近すぎて、僕は呼吸を止める。

 

 「『同胞と共に行動せよ』……。ああ、なんという、なんという深遠なる傲慢な一節! 福音はアナタを縛らない! 自らの意志で、自らの生存にふさわしい方を選べというのですか! どちらの愛が、よりアナタという『傲慢』の糧として相応しいかを値踏みせよと! 正に、正に正にィ! 試練デス!!」

 「アンタレス……。私は、あなたの選択を、あなたの愛の形を尊重します。……たとえ私が選ばれようと、ペテルギウスが選ばれようと、あなたが私たちの一部であることに変わりはないのですから……!」

 

 ペテルギウスの、品定めするような鋭い眼。

 シリウスの、ドロドロとした熱を孕んで僕を搦め取ろうとする眼。

 二つの狂気が、僕という小さな存在を板挟みにし、逃げ場を奪う。

 

 究極の選択だ。

 北東へ向かえば、原作の知識通りなら、僕はスバルという確定した破滅に出会う。

 彼は僕がどれほど他人の命を盾にしても、何度でも時間を巻き戻し、僕の首を落とすための最短ルートを構築して戻ってくるだろう。スバルと敵対することは、数十数百の試行錯誤の果てに、確実に「詰み」へ追い込まれることを意味する。

 

 では、南は? ルグニカ王国の南は、ヴォラキア帝国との国境地帯だ。

 僕の記憶が正しければ、原作でシリウスがこの時期に南へ行ったという描写はない。つまり、そこは僕にとっての「未知の領域」だ。そこに何が待っているのか、どんな狂った大罪司教が潜んでいるのか、僕を殺すためのどんな罠があるのか、予測が一切つかない。

 シリウスのあの重すぎる、精神を摩耗させる愛に四六時中晒されながら、暗闇の中を歩くような未知の死地に突っ込む。それはそれで、精神が崩壊するまでにそう時間はかからないだろう。

 

 「さあ、アンタレス! あなたの『傲慢』は、どちらを望んでいるの!? 私の隣で、南の地に愛を振りまくの!? それともペテルギウスと共に北東の試練に臨むの!? 選んで! さあ! さあ!」

 

 シリウスが、僕の小さな手を両手で握りしめた。包帯越しでも伝わるその熱は、もはや温もりではなく、僕を焼き尽くそうとする業火のようだ。

 

 「選ぶのデス、アンタレス! どちらがより勤勉か、どちらがより魔女の寵愛を証明できるか! アナタのその尊大なる自己愛で、我が儘に、不遜に、進むべき道を決めるのデスッ!!」

 

 ペテルギウスもまた、その痩せこけた指をパチンと鳴らし、僕の決断を執拗に急かす。

 

 (ど、どうする……。北へ行けば『既知の絶望』。南へ行けば『未知の絶望』。どっちを選んでも、僕に平穏が訪れることはないだろう)

 

 僕は震える手で、福音書を、まるで命綱のように強く握りしめた。

 どちらを選んでも、僕はきっと地獄を見る。

 

 「……ぼ、僕は……」

 

 続く声が出ない。喉が焼けるように熱い。

 目の前の狂人たちは、僕がどちらを選ぼうとも「それこそが傲慢だ」と称賛し、僕をさらに深い泥沼へと引きずり込んでいくだろう。

 

 心臓の鼓動がうるさい。

 右からはペテルギウスの、腐った肉のような狂気が。左からはシリウスの、内臓を灼くような熱情が。二つの巨大な圧力が、僕という小さな存在を押し潰そうとしている。

 

 (どっちだ。どっちを選ぶのが正解なんだ……)

 

 僕の小さな頭は、すでにパンク寸前だった。視界がチカチカと点滅し、立っているのもやっとの状態で、膝がガクガクと震え出す。

 そんな僕の異変を、シリウスが逃すはずもなかった。

 

 「……アンタレス。そんなに震えて。顔色も、さっきよりずっと酷い」

 

 シリウスが、まるで壊れ物を扱うような手つきで僕の頬を包み込んだ。彼女の手のひらは、僕の冷え切った肌とは対照的に、やはり火傷しそうなほどに熱い。

 

 「怖いのね? 不安なのね? ええ、分かります……。だってあなたは、誰よりも命を愛し、誰よりも『自分』という存在を慈しんでいるのですから。これからの試練を想って、その繊細な魂が悲鳴を上げているのですね」

 「あ……う、……ぅ……」

 

 返事をする気力さえ湧かなかった。

 シリウスは僕の背中に手を回し、ゆっくりと僕を床――冷たい石の上ではなく、いつの間にか敷かれていた、どこかの村から略奪してきたであろう高級な毛布の上へと座らせた。

 

 「ペテルギウス。アンタレスは極限の疲労の中にあります。今日は休ませてあげましょう。しばらく、私が預かりますね」

 「ええ、良いでしょう、シリウス。ワタシは福音の更なる読み込みに没頭しマショウ。……ああ、脳が、脳が震えるぅううう!!」

 

 ペテルギウスが奇声と共に洞窟のさらに奥へと消えていく。

 静寂が訪れた洞窟の中で、シリウスは僕の頭を優しく引き寄せ、自分の膝の上に乗せた。馬車の中でもそうだったが、彼女は膝枕するのがお気に入りらしい。

 

 「大丈夫ですよ、アンタレス。今は何も考えず、眠ってください」

 

 シリウスの指が、僕の髪を梳くように、執拗に、優しく撫でる。

 逃げ出したい。けれど、その指先から伝わってくるのは、彼女の権能によって増幅された「安らぎ」の強制共有だった。

 彼女が「私は今、この子を慈しみ、落ち着かせている」と強く思えば思うほど、僕の心からも不自然なほどに鋭い警戒心が削り取られていく。

 

 「…っ……く…」

 「もしかして、眠れないのですか? ごめんね、気づけませんでした。でしたら、眠れない子のために、私ができることは一つ。……アンタレス、あなたに子守歌を歌ってあげます。私の、愛の歌をね。さあ……聴いて」

 

 シリウスが、低く、掠れた、それでいて不気味なほど澄んだ声で歌い始めた。

 

 「―――。」

 

 それは、どこかの子守歌の旋律だったのかもしれない。

 だが、シリウスが歌うそれは、歌詞の端々に狂気が混じり、リズムは心臓の鼓動を無理やり一定に保たせるような、強引な魔力を帯びていた。

 彼女の喉が震えるたび、その振動が膝を通じて僕の頭蓋に直接響く。

 

 「―――。」

 

 歌声が響くたび、僕の脳裏にある六十個の赤い灯火が、ゆらゆらと子守歌のリズムに合わせて揺れる。

 見知らぬ信徒、そして喉を潰した騎士たちの命。

 彼らの命が、僕を死から守るための重石となって、僕の意識を深い眠りの底へと沈めていく。

 

 「あ……、あ……」

 

 必死に思考を繋ぎ止めようとする。

 北東へ行けばスバルがいる。南へ行けば未知の恐怖が。どちらかを選ばなければ。策を練らなければ。

 しかし、シリウスの権能は無慈悲だった。僕が「焦り」を感じるたび、彼女はそれを「愛」という名の甘い泥で塗り潰し、僕の精神を去勢していく。

 

 「いいんですよ、アンタレス。迷うことも、悩むことも、今はすべて私が代わりにやってあげます。あなたはただ、私の腕の中で、自分の『傲慢』だけを抱きしめていればいいの……」

 

 彼女の指が、今度は僕のまぶたを優しく撫で下ろす。

 抵抗できない。もうまぶたを上げられない。

 

 (――ああ、もういいか……。どうせ、どこに行っても地獄なんだ……)

 

 思考の糸がプツリと切れた。

 スバルという『やり直しの怪物』に目をつけられる恐怖も、未知の暗闇を歩く不安も、今はシリウスの体温に溶けて、遠い霧の向こうへと消えていく。

 

 「……おやすみなさい、アンタレス。夢の中でさえ、私の愛があなたを離さないように……」

 

 意識が途切れる直前、最後に見えたのは、包帯の隙間から覗く、狂おしいほどに澄み渡ったシリウスの微笑みだった。

 そして僕は、深く、暗い眠りに落ちていった。

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