「おたえ、バイトいこ!」
「うん」
演技の才とはつまるところ、異なる世界を視て溶け込む才である。耳目を引き我は此処にありと全身体で主張し、自らの内に広げた世界を観るものの目に押し付ける才である。己を違う己に、世界を違う世界に書き換える才である。在らざるものを在り得らせる才である。
「おたえは今日リペアの方だっけ?」
「ううん、それは明日。今日はギター教室」
「いいなー! 私も教えられるくらい説明上手になりたいよ」
「弾いてる姿を魅せて背中で教えてもいいと思う」
「それかっこいいっ」
意思ひとつ。かくあれかしと振る舞えば人は神になり、芒は亡霊となり、黒猫は妖怪になり、死者は生者となり、嘘は真実となる。
極まれば主演はもはや演じるまでもない。その役者を知るものはあらゆる舞台に幻視する。そこに真の主演がいるかの如く振る舞い出す。
強すぎる光は去らず、影を焼き付ける。
「
そこにいるのだ。
控えめな歩幅で楚々と顎を引き、表情の薄い面持ちでギターを背負う少女が。
月ノ森女子学園の一年生であり、この花咲川女子高等学校の廊下を歩いているはずがない──しかし、もしも、ここにいたならば。
友人とバンドを組む明るい先輩を立てて、その音色に師事できないことを惜しんでみせるはずだった。
そう演じるに違いないという認識が、
「ギターを歌わせるのが一番上手なのは香澄だもんね」
「ふぬぬ……おたえ〜、シフト変わっちゃだめ?」
「今日は私」
「いじわる〜!」
声はない。穏やかな先輩の背中にそっと隠れるような姿が共通認識としてあった。二人の女子生徒の間のみならず、
校門までやってきた二人は人影を見つけた。
上品な紺色のセーラー服に身を包んだ、繊細なビスクドールの少女。色素は春を迎えた若芽のように淡く、長い髪は風を食んでさらめいている。無骨なギターケースの不釣合、西日に睫毛の翳ることすら美しい、幽玄な容貌だった。
主演が降り立つ。
場面が切り替わる。
つい先程まで話していたはずの幻が綺麗さっぱりと霧散したことに気が付かないまま、二人は更新されたシーンに演じ入った。
「お待たせー
「……」
「今日はQUEENやってみようね。送ったやつ聞いた?」
「……ぜんぶ」
「すごーいっ! 結構あったんだよね?」
「うん、有名なのだいたい送った」
ギターを教えている先輩たちと無口で勤勉な後輩が下校する一幕がプロット通りに遂行されてゆく。
あらゆる人々が主演女優の演技に沿って動く舞台を。
『いやあ、睦ちゃんが出てくれると話が早いね!』
幼い頃。バラエティ番組に女優・森みなみの娘として引っ張り出されて、何度かテレビに映された。求められているのは華やかな芸能人の子供としての、従順で大人しくてちょっぴり面白可笑しい、「芸能人の娘」のテンプレートそのもの。それを上手く当てて型抜きした自分を振り撒いていると思い通りに場がまとまって話が進んでゆくことは、なんとなく理解していた。
ある撮影中、若いスタッフがケータリングの数を間違えた。食事の用意には少々かかるという。別に食べなくとも構わないが、「森みなみの娘」はほんの少し癇癪を起こして、それからにっこり笑ってスタッフを近くのコンビニまで走らせた──自分の手を引かせて。
些細なワガママを言って、少々振り回して見せて、へとへとになったスタッフを現場責任者の前に乱暴に放り出して毒気を抜く。それ自体がコメディのワンシーンのようで、他のスタッフたちも、出演者たちも、台本を渡されたかのように場の空気に従った。
このとき、はっきり自覚した。
演目に従って糸に引かれるビスクの操り人形──だが。
自分で動けば、操者が、観客が、舞台が、糸につられて丸ごと動くのだと。
己は主演であり、脚本家であり、監督だと。
一度顔を合わせれば充分だった。その場に合った自分を、たった一度見せてやる。するとその後も「若葉睦ならどうしてくれるか」と勝手に調整し始める。実際の仕事を求めて声をかけてきた者も、次第に勝手にし始める。その場に睦がいるかのように、頭のなかに刻み込まれた手本を反芻しながら動き出す。
己自身の振る舞いは、何もない世界にテクスチャーを張る。周囲のすべてをそのように動かす。
「森みなみの娘」を演じることはつまり、周囲に「森みなみの娘を支えるスタッフ」を演じさせること。役名はなんでもいい。「大人しい女子生徒」を演じることは、クラスメイトに「甲斐甲斐しい世話焼きな友人」を演じさせること。「手のかかる無口で可愛い娘」を演じることは、母に「自己主張の薄い娘に手を焼く不器用な母」を演じさせること。徐々に、しかし歴然と、全てが思い通りになっていく。
ただ器の求めに応じて流れるだけだった水は、自ら形を変えることを知った。
さて、考えた。
主演の人形が舞台を降りて、外から糸を引いていたとしても。
あるべき姿がそこになく、演者たちの振る舞いによってぽっかりと輪郭を示されるのみだとしても。
糸が動いて。
舞台が回って。
演目が滞りなく進む──ならば。
果たして、それは正しかった────否。
「お待たせー睦ちゃん、今日は──」「あれ観た? 駅前のさあ」「まだ四月なのに暑くない? 睦ちゃんは平気?」「美味しかった! 流石良いところ知ってるね睦ちゃんは」「うん、うん……お仕事だったらしょうがないね、また今度遊ぼ」「あっ若葉さん、今日休みでしょ、今からあれ行くんだけど一緒に」「睦ちゃん!」「睦ちゃん」「若葉さん」「睦」「睦さん」「睦ちゃん」────
「どしたの?」
「……眩しかった、だけ。です」
「わかる。窓ピカピカだよね」
真新しい外観はモダンなガラス張りで一見ライブハウスらしくなかった。実際に中にはリハーサルスタジオや楽器店、カフェが備えられており、ライブハウスとひと言で表しては正確性を欠く大きな音楽施設であった。
睦は先輩の背について自動ドアを抜けた。機材との兼ね合いで湿度と気温調整のための冷房が利いている。薄っすらと肌寒い。肩にかかるギターケースを握り締めて目を伏せる。
「まだちょっと時間あるね。どうする?」
「……弾きます」
「じゃあカフェだね。セッションしよっか」
有名人の娘である。また睦自身も今や新進気鋭のバンドでギターを奏でる身である。生来他者との関わりに積極的でなく孤独に安らぎを覚える質であった睦は、街中でファンに声をかけられることを疎んだ。
求められているのは偶像であり実体ではない。
「私も私も! 私も睦ちゃんと弾きたい!」
「ダメだよ。シフトは守らなきゃ」
「な、なんかおたえに言われるの不思議とショック!」
「……ふふ」
「笑われたあ!」
今も同じだ。有名税に苦しむただの少女に騒ぎ立てない優しい人たちをキャスティングして、穏やかな日常を脚本立てして、音楽に励む何の変哲もない女子高生を演じる。
世界は劇場だ。
主演は若葉睦。有名人の娘であるがギタリストとしてはまだ未熟者。そして、プロもやってくるライブハウスにおいて、有名人の肩書きにさしたる意味はない。
助演──舞台上の全て。
今この瞬間、世界は睦を『ただの若葉睦』足らしめるためにある。
RiNG内のカフェには小さなステージがあった。アンプも二つ。先輩の片割れ、直接師事する黒髪の少女がコンボアンプに腰掛けて睦に椅子を譲った。睦はギターをギグバッグから取り出してもう一方のスタックアップにシールドを挿し、足を組んで様になる先輩とは対照的に膝を揃えて椅子に座る。セッティングは任せきりにしていた。弾くのを好むがサウンドには興味がない。ぼうと眺めていた。
それより、先輩の聞きやすいようにしてほしいというのが本音であった。音を出せというサインを受ける。七弦ギターをストロークし耳でチューニングする傍ら、先輩の手によって出音も整えられていく。
「……よし。今日も良い音だね、睦」
わからない。睦は小さく頷いた。
指は滑らかに動く。身体に強張りはない。ギターを弾けるのなら他はどうでもよかった──自覚があるが故に、ささやかな罪悪感を抱く。
「さ、やろっか──心を重ねて、音で教えて」
そう言ってカウントする先輩に追従して爪弾き始める。
己の肉体を使って直接交流するくらいには感謝も好意もありながら、睦は彼女らに決定的に関心を持てないでいた。意思が希薄であった。己の全ては偽りであると承知していた。
────否。
かつては真実もあった。
既に過去であった。
「イマジナリーフレンド……いえ」
アンティークな内装の喫茶店、奥のボックス席。口付けたティーカップから感じる慣れ親しんだ銘柄の風味と共に、少女──
反芻した言葉がいまひとつ馴染まない。角砂糖をひとつ落とす。マドラーで緩やかに溶かす。もう一度口付けて、しばらく吟味して、ソーサーへと満足げにカップを返した。ほつれひとつない上流階級の所作であった。
「いいえ。近くはあるのでしょうけれど、本質的ではない。イマジナリーフレンドはその人にしか見えないもの。ですが睦、貴女の仰るそれは他者にも認識される────
滔々と述べる祥子に対し、睦は殊更正否を返す気がなかった。便利に活用してはいるが畢竟「できるからしている」というだけの、鳥が飛び、魚が泳ぐような、機能の行使に近いものである。
マンゴージュースのストローを控えめに啜る。反応の薄さは友として分かりきっていて、祥子は気にせず続ける。
「理想を刺激し投影させ、架空の『若葉睦』像を共同幻想として受肉させる────一つの身体に数多の心を宿すのが多重人格であれば、安直なネーミングですが、さしずめ多重身体といったところでしょうか。面白い発想でしてよ」
複数の肉体ではなく、同じ存在の重複。多重、とは言い得て妙だと睦は思った。自ら話しておきながらどこか他人事のように、そういうものか、と飲み込む。
睦は祥子の理知を疑ったことなど一度としてなかった。実態が形而上学的存在であろうと熱核融合反応を繰り返すガス体であろうと、照らされるものからすれば恵みの光に変わりない。
「Ave Mujicaで展開している世界観はゴシック、グランギニョルですが……他ジャンルから着想を得るというのは思いつきませんでしたわね。知識がないではありませんから、ええ、なかなかどうして──」
「……役に、立てそう?」
「ええ。ありがとう睦、とても参考になりましたわ」
微笑みはふわりと花の綻びだった。年頃の少女らしいそれは普段、目にすることは少ない。
舞台と音楽を両輪とするメタルバンド・Ave Mujica。総指揮を執る祥子は恵まれた生まれながら、その生活や親類との縁、友人との絆、全てを失う憂き目に遭い、しかしまだ若い──あるいは幼いとすら言える齢にして全てを取り戻しつつある才媛であった。
張り詰めるピアノ線の日々である。鍵盤に触れながら思うのは春の暖かさより、遠く、冷たい未来のことばかりである。それでもなお折れずにいられる支えのひとつが、幼馴染の睦である。自らの庇護する者たちにその責任を果たす絶対の神たらんとする彼女にとって、己の放つ光を素直に返す睦は導の月であった。
ふと、祥子は思い至った。
「睦、もしかしたら、ですけれど」
「……?」
「あなたのアイデアにおける睦が、つまり他者からの捉え方の数だけ複製されるものだとして」
「……」
「わたくしの幼馴染としての貴女も──わたくしが都合よく解釈して睦の皮を被せただけの、空想になってしまいますの?」
それは。
有名な女優の娘でも気鋭のバンドのギタリストでもなく、若葉睦という個人を知る──とりわけ、彼女と友好を深くする者にとって、空恐ろしい想像であったが。
睦は──物理的存在である睦本体は、ふるふると首を振った。
「……
「……そうですの?」
「……できない」
朴訥とした語り口は──祥子の都合の良い思い込みでなければ──切々と本心を伝えようとする真摯さとして響いた。
「『上手くギターが弾けない不器用な女の子』は、『若葉睦』と乖離するから。
「あら……それでは」
祥子はまた微笑んだ。
「ただの友人として側にある時だけは、わたくしが睦を独り占めですのね」
「……うん」
少しだけ、嘘をついた。
『若葉睦』と乖離するから、映らない。
それは。
『若葉睦』
Ave Mujicaにおける睦は『モーティス』という役名を与えられ仮面を被りながら、まるで関係なく才能を恙無く発揮した。転写にあたって重要なのは雛形を見せることであり正体など考慮されない。
若葉睦個人の人格は、なんら重要でない。
故に。
「ごきげんよう」
登校して。挨拶して。
「ごきげんよう、
そう返された瞬間、悟った。
謀叛だ。
仮面役者が主演を騙って。
自分を殺しに来たと、悟った。
「ごきげんよう」
「そよ。……きょう、時間ある……?」
朝の教室はほのかに肌寒く、人もまばらである。クラスメイトである友人に辿々しく尋ねて、素の自分の不器用さにはにかんだ。
CRYCHIC──中学時代、祥子を発起人に一時だけ活動したピアノロック・バンドの元メンバーであり。
『演技』を転写せずにただの友として仲を深めてきた、睦なりに信頼を置く少女だった。
「睦ちゃん、えっと、いいけど……そっちから誘ってくれるなんて珍しいね。どうかしたの?」
瞠目して、すぐに気遣わしげに眉を撓らせた。
優しい少女である。
複雑な家庭環境であると聞く。故にこその警戒心もあるはずだが、彼女は短くない付き合いの中で正真正銘初めてである睦からの誘いに、まず心配を覗かせた。
微かに罪悪感が胸を疼かせるがおくびにも出さず、睦は続けようとして。
「
クラスメイトたち──友人足り得ない有象無象の群れが割り込んできた。
「先日の公演、お見事でしたわ!」
「耽美で退廃的で、だけどエレガントで──」
飴を舐める子供のように表層的な感想を『らしくない』態度で聞き流す。月ノ森女子学園における若葉睦のイメージは静寂と従順さで、友人との時間に踏み込まれて機嫌を損ねる姿は意外性を差す。
それで演目が切り替わる──はずだった。
「でしょー? 会心だと思ったんだよ」
睦の隣に立つ少女が、徒に微笑んだ。
それは、実存在を持たない。
「せっかく舞台に立つんだし? スポット浴びるなら相応のことしないとね──主演みたいに」
上品な紺色のセーラー服に身を包んだ、繊細なビスクドールの少女。色素は春を迎えた若芽のように淡く、長い髪は風を食んでさらめいている。とりわけ目を引くのは林檎の如く赤いベレー帽と────何より、仮面。
口も鼻も覆い隠す黒いレースの下で、猫のない笑みが耳から耳まで届くように裂けていた。
「また観てね」
「ええ、是非!」
黄色い悲鳴をあげる旧友と、唐突に現れた友人のドッペルゲンガーを前にして。
そよは、ふたつに割れそうなほど頭を痛めていた──比喩でなく。事実としてその精神は割断の寸前であった。
家庭環境の問題から、かつて友人たちと手を取り合ったCRYCHICでの思い出を心の拠り所にしている。文字通り掛け替えのない、彼女の魂柱である。そこには勿論、『黙々とギターの練習に励んでいた無口な友達』としての睦も含まれている。
なのに。
「そよ」
手を握られて。
音もなく、二人は教室を抜け出した。
『モーティス』と取り巻きの会話が遠くなる。人の気配が遠くなる。不思議なほど誰ともすれ違うことなく校舎を出て、二人は園芸部が世話をする生け垣に囲われたガゼボへ辿り着いた。
動悸が薔薇と草土の香りに鎮められてゆく。腰が抜けて座り込んだそよの隣に睦も腰掛け、左手を握った。案じるような素振りもなく淡々と側にいるだけの、気遣いと呼ぶには不器用に過ぎる態度であった。
しかし、そよには──友人には十分に通じていた。
「……む、つみ、ちゃ……」
「……大丈夫。主演は、私」
理由とも言えない理由だが、断言には有無を言わさない説得力があった。もとより理由でなく相手への情で納得する性分のそよは、泰然とした睦の態度でもって人心地がついた。
「……いまの、何……?」
「私。……ううん、
「……意味わかんない」
「私の演技を、みんな見たがる。見たいから、勝手に心のなかに私を作る。……でも、
「……意味」
後半は飲み込まれた。続ける気力もないと言わんばかりに項垂れてそれきり沈黙する。
鳥が鳴いている。朝の光は柔く優しかった──CRYCHICとして過ごした日々、かつての友の歌声が耳の奥で谺する。
『春日影』と名付けられた詩であった。かつての友、バンドの核たる歌を担った少女による、祥子を思って描かれた詩。睦に『ただの若葉睦』である心地良さを教えてしまった歌が、人形の身体に響いている。
「……そよ。私の敗北条件は、モーティスにCRYCHICのみんなに接触されること──『ただの若葉睦』が、みんなに忘れられること」
モーティスは月の海のひとつ、
祥子は命名に際してこう告げた──汝、死を恐れることなかれ。
思いだした洗礼句に、睦は内心にて続けた──
「勝利条件は、全部消すこと」
──況んや、殺すことをや。
「……全部、って?」
「私の演技を観た人たちの数だけ私が遍在してる。モーティスもその一つ。私だと思われてないだけで、根本は同じ」
「……記憶でも消すの」
「……わからない。思いついてない、から」
「……睦ちゃんさ、結構いい加減っていうか、あんまり後先考えないよね。まとめてから喋ってよ」
首を傾げそうになりながら、そよが言うのならそうなのだろうと睦は斜めに頷いた。
睦の幼く受動的な仕草を横目に観て、そよは理不尽に巻き込まれた怒りを表層に、しかし内心、暗い喜びを覚えてもいた。離婚する両親も壊れるバンドも繋ぎ止められなかった自分が、大切な友人の一大事で役に立てるかもしれない。そよは「勘弁してよね」と言いながら、理解不能な事態に立ち向かう術を考えつつあった。
「……睦ちゃん」
「……」
「勝ち方はわからないけど──ひとまず、CRYCHICの皆を集めれば、負けない?」
「……うん。みんながいれば、負けな──」
「いーけないんだー」
「ひ──っ!?」
「……モーティス」
赤いベレー帽を被った仮面の少女が、気づけばそよの隣で足を組んで座っていた。
「授業サボっちゃうんだ。言いつけちゃおっかなー」
「……『若葉睦』が授業を抜け出しても仕事に行くと思われるだけ。それか」
「『友達に連れ帰られる睦ちゃん』が代わりに現れるだけ? ズルいよね。身代わりを置くだけ置いて自分だけ自由なんてさあ」
顔の殆どを覆い隠すレースの仮面から覗く双眸はうっそりと細められていた。モーティスは若葉睦である。若葉睦でありながら若葉睦でない存在である。故に彼女だけは他の睦たちに許されない糾弾の権利を手にしていた。彼女だけが、
「無責任だなぁ、睦ちゃん。自分が始めたことなのに、困ったらぜーんぶ人任せ。いきなり変なことに巻き込まれてそよちゃんもかわいそーにね」
「そんなこと……っ」
睦は立ち上がって反論などせず、座ったまま膝にかかるスカートを弱々しく握りしめるばかりであった。事実ではあっても義理と情から反射的に庇おうとしたそよも、彼女を観て言葉に詰まった。
モーティスは姿を消し、嘲笑だけが宙にべとりと張り付いたまま喋る。
「そよちゃんだけじゃないね、祥ちゃんも
「…………」
「……だんまり。いいよ、最期までずっとお人形してればいい──空っぽになった体を
笑みも消えて、今度こそモーティスはいなくなった。
睦にはその実、抱えていた選択肢があった。一方は今まさにしている、かつての同胞を頼って負け筋を潰す道であった。知る限り最上の才を持つ祥子でさえ一人では無力である。まして『ただの若葉睦』にできることなどたかが知れている。
だが────気づいた。自覚した。己によって諭されてしまった。
友人に縋る弱者だからこそ、若葉睦はもう、友人を頼れない。
「……そよ、ごめん……ごめんなさい」
「睦ちゃん! 睦ちゃん、待って────!」
立て続けの超常現象に摩耗したそよは咄嗟に動けなかった。足に力が入らない。逃げ去る友人を追いかけることも叶わないまま、ただ伸ばした手が空を切るのみであった。
走る。
走る。
走る。
「睦ちゃん!? あれ、学校は」「ねえ、あれってもしかして若葉睦じゃ」「睦」「若葉さん」「睦ちゃん」
「────うるさいっ……!」
シーンが切り替えられない。些細な動きであろうと世界に噛み合い連動していた手応えがあったのに、今はそれが詰まり、空回りして、無用な流れを生み出している。完璧に制御できていたエキストラにアドリブを許している。否、アドリブどころか与えてもいない役を持って舞台に出しゃばりかねないほど、睦は主演としての存在感を削られていた。
「ひっどーい。ファンに冷たいね」
偏にモーティスの悪意故であった。
池袋駅前は平日午前中でも人の波が絶えない。しかしその渦中にあって尚、モーティスが現れれば暗転と共にスポットが差し、二人は舞台の上で対峙させられた。
場所の指定はない。ここは心象風景の描かれるシーンであった。
睦は、この場面を終わらせる台詞を渡されていない。
モーティスが主役であった。
「睦ちゃんさあ。人に興味ないよね」
仮面とベレー帽以外全く同じ姿見写しの少女が、息の乱れた睦の蠕動する首に指を這わせた。
「隣の席の娘の名前知ってる? 知らないでしょ。担任の先生の顔覚えてる? 先生の娘さんが結婚したんだってみんなが盛り上がってたの、知ってる? 知らないよね」
モーティスはあくまでも笑みを崩さないでいた。抱きしめるように首へ腕を回し、絞め落とすように背後へ回る。優美な殺意であった。甘やかに、毒々しく、囁き続ける。
「私は──私たちはね、睦ちゃん。周りの人たちをよく知ってるの。触れ合う人たちを蔑ろになんてしないの。香澄先輩もたえ先輩も優しいよね? 無口でろくすっぽ反応しない睦ちゃんに笑顔で話しかけてくれて、課題曲弾いたらご褒美に星のシールなんかくれちゃって。
図星だと気がつくまで一瞬かかった。
そうだ。睦はイマジナリーフレンドでない己の身体で交流する二人のことさえ、碌に認識していなかった──
「人の顔もわからない睦ちゃん。気持ちもわからない睦ちゃん。迷惑も思惑もわからない睦ちゃん。役の挙動しか見えてない、他人が人間だなんて少しも考えてない睦ちゃん!」
モーティスは童女のように笑った。
「人間じゃないくせに生きようとしないでよ」
仮面の下で裂けた笑みは黒黒とした亀裂を空に走らせた。宙にばきりと音を立てて現れた暗闇の大口はモーティスの顔より何倍も大きく、少女らしい赤いベレー帽と、唯一顕になっていた睦と同じ瞳を覆い隠した。
巨大な化け物が首から上だけをまろび出して食いつかんとしていた。
睦は────
「うるさい」
──ポケットに入っていたボールペンを握り締めて、思い切り突き込んだ。
「ア────アァァァァぁ゛ぁああ゛あああああっ!」
「祥がいてくれたらいい。そよがいてくれたらいい。また燈にも、立希にも会いたい……ギターを、歌わせられるように、なりたい」
もう一度異形の怪物の
睦の中にあった選択肢のもう一方であった。
仲間を頼ることができない、ならば。
────全ての自分を、一人で殺し切る。
「生きて、したいことがある──『若葉睦』らしくなくても」
「がっ、あ、ぁぁぁああっ、睦、睦ちゃ────」
細腕を一段と高く振り上げ、渾身の力で振り下ろさんとする。暴れる怪物の頭が砕ける。仮面がちぎれる。狂乱する少女が般若の形相で伸ばす手の先には睦の──顔。
仮面でない素顔を剥ぐことなど出来やしない。
「ずるいよ、勝手だよ! 周りに応えてるのも、ダイキライな演技なんかしてるのも、ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ私達なのに────!」
劈く悲鳴はどこにも響かない。
所詮は──イマジナリーフレンドである故に。
「私だって、生きたいのに────!」
「……私もそう。だから」
とどめを刺した。
少女は跡形もなく霧散した。
「……殺せる。殺せるなら、一人でやらなきゃ……」
池袋の人波に睦も飲まれていく。
その後ろ姿を