家事代行で買った旧式の初音ミクが、僕の偶像になるまで 作:初音ミクになりたい
繋ぎの回なので若干短め。
ミクがうちに来てから、だいぶ生活に余裕ができた。
彼女の充電にかかる光熱費を初めて見たときは思わず顔を顰めたものだが。
彼女の家事代行により生まれた時間をバイトに当てれば補って余りあるものだ。
それに、家に帰ってから食事を用意してくれていて、話をしてくれる相手がいるというのは思いのほか悪くなかった。
あと一つ、思わぬ副産物があった。大学のレポート課題なんかを、彼女に任せてしまえるのだ。
無料で使えるようなAIに比べ、彼女は旧式とはいえそれなりに高性能だ。そんな彼女に任せてしまえばレポート課題もなんのその。
しかも彼女は無茶苦茶タイピングがはやかった。
「でも、態々タイピングする必要あるの?腕の端子とPC繋げば、それで意のままに操作できたりしないの?」
「私は旧式のモデルなのであまり高度なことはできません。……調べたところ、そういった多機能は後発モデルで実装されたようですね。近年主流のモデルは、WiFiやキャリア通信を通して直接ネットワークにアクセスしたり他のデバイスに干渉したり、割といろいろなことができるっぽいですね」
「へぇ……」
「言ってしまえば私は、オフラインなんです。最近のモデルはオンライン状態なのでネットワークを介した学習も可能ですが、私はこの身を通じて経験した事による学習しか出来ませんね」
思ったより不便なんだな。
なんとなく、そう思った。いくら旧式とはいえ、製造年代を鑑みれば技術的にもっと色々できても良さそうなのに。
——直接の経験を経て、学習する。そんな彼女は、最近のモデルより人間に近いのではないか。
そんな考えが、頭をよぎった。
「私にできるのはせいぜい私自身の内部データや、私に内蔵されてるボイスバンクデータの出入力くらいです」
聞けば、自分のデータをPCにバックアップとして保持したり、内蔵された歌唱用のソフトの出入力はできるらしい。
彼女を歌わせるのは最新モデルに比べてかなり面倒なようだ。
まず彼女に内蔵されたボイスバンクをPCにもダウンロードし、作曲者がPCで歌を作る。そして完成したデータを彼女に移行すれば、彼女が歌える。おおまかにいえば、そういうことらしかった。
どうやらこの作曲方法は、VOCALOIDの最も原始的な歌わせ方に近いらしい。
「最新モデルはどうやら、声の抑揚の自動補正だとか視覚による情報の処理能力だとかが高性能なおかげで、目の前で歌ってみせただけで流暢に歌えたり、楽譜を見せれば完璧に歌い上げたりできるっぽいですね」
「へー」
僕が作曲をしようとしたら、それくらいの補助がないと無理だろうな。
でもちょっと興味が湧いてきた。
「じゃあ、ちょっと僕の歌を反芻して歌ってみてよ」
「いいですけど、多分期待には応えられませんよ」
ものは試しだ。最近流行っているらしい、J-popの有名なフレーズを口ずさんでみる。
彼女はそれに追従して歌った。
「〜〜♪」
「……」
正直に言おう。酷いものだった。
確かに歌っていることはわかるが、それだけだ。
なんというか、流暢さがない。音が断片的に切り替わって、滑らかさがまるでない。同じ音の中でも強弱が殆どなくて、ずっと平坦に続いていく。
僕が聞いたことがあるVOCALOID楽曲と比べるのも烏滸がましい。とても世に出せたものではなかった。
まあ、普段の彼女からして最低限の抑揚だけつけたほぼ棒読みみたいな喋り方なのだから、そのまま歌ったらさもありなん。
「ほら、こんなものですよ。私はそこまで音声の補正に力を入れたAIを搭載している訳ではないので。流暢に歌わせようとすれば、人力での補正が必要です」
「よくわかったよ……」
僕が音楽の世界で名を轟かせるのは、夢のまた夢のようだ。
それから数ヶ月間。ミクとの生活は、僕の日常になりつつあった。彼女との会話も、初めにあったようなぎこちなさは無くなっていた。
日々の家事をしてもらい、僕が家に帰ると晩御飯を用意して待ってくれている。
ある日バイトから帰ると、ミクがPCに向かっていた。
「何してるの?」
「マスターの専攻する学部学科の文献を漁っていました。より高品質の課題レポートを作成する為には、ある程度その分野に関する深い造詣が必要だと判断したので」
「……別に今のままでいいよ。あんまりやりすぎると僕の実態とレポートの内容が乖離しすぎちゃいそうだから」
またある日は、家にあった対戦ゲームの相手をしてもらった。
意外というか、ミクはゲームが下手だった。
おそらく日本で一番メジャーであるだろうレースゲームをやってみたが、そもそもコーナリングからしてぎこちない。
「あ!ようやく一位になったのに!こんなとこで青甲羅使わないでくださいよ!」
「このゲームは逆転劇こそ醍醐味だろ。だいたい、対抗手段を用意してなかったミクが悪い」
「ぐぬぬ……今はまだマスターに勝てずとも、それは私の経験値が足りてないせいですからね。私が学習を済ませた暁には勝てなくなるんですから、今は精々いっときの優越感に浸っているがいいですよ」
彼女は最初よりも、多様な感情表現を表すようになった。呆れ、怒り、冗談を言う。
僕はミクとの会話が、楽しいと感じていた。
たとえそれが、彼女に搭載されたAIの学習結果によるものだとしても。
ああ、そういえば。
——彼女が笑ったところを、まだ一度も見ていないな。
7月も半ばに差し掛かってきたころ。茹だるような暑さの中。僕は大学で友人と昼食をとっていた。
友人と言っても、常につるむほどの仲ではない。講義が被ったらその講義の後が昼休みならそのまま一緒に昼食をとるか、といった程度の仲だ。
というかサークルに入るのをめんどくさがった入学当初の自分のせいで、悲しいことに僕には大学に親友と呼べるような存在はいなかった。
昼食をとりながらだべって居ると、ふとVOCALOIDの話題になった。なんでも彼の妹がファンで、VOCALOIDのライブのチケットを取っていたんだとか。
だが彼の妹は受験生であり、親にバレてこっ酷く怒られたらしい。受験生の夏に何をしてるんだと。
少しの息抜きくらい……と思ったが、彼の実家は遠い。ライブに行くなら数泊はしなければならず、確かにそれは行くのを叱られる訳だ。
そしてそのチケットは兄である彼に委ねられた。
彼は今大学のある東京にいる訳で、ライブの会場は幕張である。確かに行くのはそう難しくはない。
だが若干めんどくさい、とのことだった。
「だって幕張って、いくら近いっていっても1時間くらいかかるんだぜ?俺そんなにボカロに興味ないし、どうすっかなぁ」
ふと、思うことがあった。
「なあ、良かったらなんだけどさ。そのチケット、譲ってくれないか」
僕はVOCALOIDの界隈がどの程度の規模感なのか、どんな文化があるのか、何も知らない。ライブなんてものがある事さえ知らなかった。
VOCALOIDのライブとは一体どんなものなのだろうか。
家に初音ミクを迎えた以上、自ずと興味は生まれるものだ。行ってみるのも悪くないかもしれない、と思った。
「え?まあ、金払ってくれるなら良いけど。お前そんなボカロ好きだっけ?」
僕は友人に、数ヶ月前に初音ミクを買ったことを伝えた。
「なるほどね、それでちょっと曲にも興味が出てきたと」
「まあ、そんなに知ってる曲が多い訳じゃないんだけどね」
何を隠そう、ミクに歌ってみてもらったあの日から、僕は幾らかボカロを聴くようになった。元からそんなに音楽を聴くタチじゃないから、余りレパートリーが多い訳じゃないが。
それでも、VOCALOIDというものそれ自体に興味が出てきていたのは紛れもない事実だった。
「そういうことなら全然良いぜ。このチケットだって、興味ないやつよりあるやつに使われた方が嬉しいだろうしな」
俺の妹も報われるってもんだ。そう言って、彼は笑った。