真悟と健司は、このところ莉子と下校することが多くなっていた。部活終わりのタイミングが合えば、陽介が合流することもしょっちゅうだ。あの一件以来、彼らには家族のような絆が生まれていた。
真悟が莉子に尋ねる。
「…じゃあ、寛太おじちゃんが戻ってこられるの再来月以降なんだ」
「うん。やっぱり就労ビザの件とか、住所をちゃんと届けてなかったとかいろいろあって、暫く向こうの警察に拘留されるんだって。ただ、12年も前の話だからそこまで大ごとにはならないみたいで。法律も変わってるし」
「それにしても、加納さんってすげえなあ。ベンチャーの社長ってあんな人ばっかりなのかな」健司が独りごちる。
竜朗の動きはまさしく八面六臂だった。取引先だけではなく、日本の警察と現地の警察にも密に連絡を入れ、さらには寛太が発見された後のケアも万全に執り行っているらしい。何なら現地に毎週行きそうな勢いだ。実際にはまだ行けてないが。
「…莉子ちゃん、緊張するんじゃない?お父さんに会うの」
真悟が尋ねる。莉子は175cmと大柄な真悟の顔を、下から覗き込むように見上げた。
「しないと言えば嘘になるけど、多分本当に緊張してるの寛太さんだと思うよ。小さいときの私たちしか知らないんだし。帰ってきてくれたとしても、その後上手くいくのかどうかはよくわからないし…」
莉子は少し考え込んだ。真悟と健司も、黙って莉子を見つめる。
「…だけど、親子なんだしさ。12年分埋めないと。そこは頑張るよ」
「そうだね」
話しているうちに芦名公園に着いた。すっかり待ち合わせスポットだ。陽介が手を振っている。今日の待ち合わせには桐島も合流している。
真悟は天を見上げた。なんか、嘘みたいな数ヶ月だったな。
雪子と竜朗、それに夏美は、手向けの花を持って北上墓地にいた。昨日の晩からずっと雨が降っている。
透の墓は、墓地の入り口から少し奥まった場所にあった。雨なので線香をつけるのが難しい。黙祷をしてから、3人は誰からともなく話し始めた。
「寛太とZoomで話が出来ました」竜朗が切り出す。全く前フリがなかったので、雪子も夏美も驚いた。
「おととい、拘留と取り調べが終わって、いったん仮釈放という感じらしくて。まあ、帰国についてはほぼ心配ないと思います」竜朗が続ける。
「いや、最初は本当に画面越しにも目も合わせられない感じで。謝ってるんですけど、そもそも言葉が出てこないというか。私も正直、何を話したらいいか最初は困りましてね。
それでも言ったんですよ。莉子ちゃんと陽介君が凄く楽しみにしてるぞって。そしたらもう彼泣いちゃって、暫く会話も出来なくて…」
話しながら、竜朗も少し涙ぐんでいた。
「…雪子さんも、一度彼と話をしてみますか?」
「いえ、大丈夫です。彼が帰ってきてくれるのなら、ちゃんと顔を見てお帰りって言ってあげたいし」雪子が答える。明らかに顔付きが変わったな、と夏美は横から見ていて思う。
暫く歩いてから、雪子が切り出した。
「ここに来る前に、透さんが話しかけてきたんです」
「はい」
「言ってました。『本当にごめんなさい。雪子さんに辛い思いをさせてしまって』と。
だから私は言ったんです。寛太さんを見つけてくれたじゃないですか。それで充分です。本当にありがとう、と」
「彼はなんて?」
「その後、返事はありませんでした」
「そうですか」
3人はそのまま黙って歩き続けた。死後の世界とか並行世界とか、説明の付かないことを説明しようとする考え方は世の中にたくさんある。だけど、今回自分たちが実際に体験してみると、そんな説明は全く無意味だ。
自分たちの体験は、自分たちにしか理解できない。それで十分だ。
帰宅後、雪子は靴箱を開け、寛太の革靴を取り出した。改めて見ると、12年経っても余り劣化していない。もう一回磨いておこう。玄関の片隅に、革靴を並べた。
「お帰りなさい」と書いたメモを入れておこうかな。雪子は悪戯っぽく笑った。
夏美は帰り際にルノアールに寄った。今日は本を読む気にもならない。いつものコーヒーを片手に、窓の外をぼんやりと眺める。
声が聞こえた。夏美は間違いなく、これを待ち構えていた。
『夏美先生、ありがとうございます』
「こちらこそ」夏美はごく小さい声で答える。多分、声に出さなくてもやりとりは出来るのかもしれない。
『…先生。たぶんさようならです…』
ハッキリと分かるほど、声の調子が遠ざかっていた。夏美は少しだけ大きな声で答えた。
「何もかもあなたのお陰よ。本当にありがとう」
声は途絶えた。
全ての窓が閉じられていく。雪子さんをはじめ、みんなに寛太さんを会わせることが出来た。
私は床に座り込んだ。ここには椅子も何もない。座っていることしか出来ない。自分に目があるのかどうかも定かではないが、私は目を閉じた。周りがかすかに明るくなっていくような気がした。
目が覚めた。
薄明るい。全体がぼんやりと白く見える。床を見た。少し足を取られそうな感覚はあるが、充分歩ける。右腕を見てみた。白っぽい服、こんなの持ってたっけ。そう言えば、この場所に来た記憶がまずない。そして、自分の名前が出てこない。とりあえず、暫く歩き続けた。時間の感覚もない。
突然、目の前に何かが現われた。黒いボタンだった。非常ベルのボタンくらいの大きさだ。躊躇することなく「私」はそのボタンを押した。気づけば目の前に、四角い光の枠が浮かんでいた。空中に浮かんでいるように見える。私はおそるおそるその窓の縁に手をかけ、窓の中を覗き込んでみた。
どこかのオフィスだ。余り広くはない。若い男性が見える。20台後半だろうか。はきはきした、人なつっこい笑顔の持ち主だ。どこかで会ったような気がするが、全く思い出せない。
その男性は大きな部屋の扉を開け、中の人物に話しかける。
「加納社長。お忙しいところすみません。浙江省のサプライヤーの件なんですが…」