作:しろたく

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真悟

 真悟は6時15分に目を覚ました。

 毎朝、アラームが鳴る前に目が覚める。天井を見る。左上の隅に薄茶色の染みがあって、見る角度によって犬に見えたり、走っている人間に見えたりする。今日は犬だった。ロールシャッハテスト、ってヤツだよな、確か。

 ジャージのまま1階に降りた。母・光代はもう台所に立っている。リビングの奥、小さな壁掛けの仏壇に供えられている父・大介の遺影に、毎日のこととして手を合わせた。大介は真悟が3歳の時に亡くなった。父親の記憶は基本的に殆どない。何となく、手を繋いで近所の公園に連れて行ってもらった朧気な思い出があるだけだ。それでも、こうやって遺影に手を合わせるだけで、父親の人となりが何となく伝わるような気がした。

 光代がリビングに入ってきた。

 「おはよう」「おはよう」

 「今日の部活は?」

 「今日は休み。健司と補習のおさらいだけしたら帰ってくるよ」

 「そう。母さんは今日はちょっと遅いかな。5時くらい」

 「うん」

 真悟は椅子に座る。トーストと目玉焼きと牛乳。光代は真悟の斜め向かいに座り、自分のコーヒーを飲み、トーストとヨーグルトだけを食べる。長年の不動の習慣だ。慌ただしい朝食が終わると、光代と真悟はそれぞれに身支度をして出かけた。

 薄曇りの朝だった。正側高校までは徒歩20分だ。真悟はいつも一人で通学していた。小学校の時は何人かと登校していたが、いつしか一人を好むようになった。真悟はいろいろなことを考えながら歩くのが好きだった。

 途中に古い踏切がある。遮断機が下りると、1分ほど待つことになる。列車が通り過ぎる間だけは、真悟は不思議と何も考えなかった。というより、何かを考えようとすると、するりと逃げていく。

 1限は現代文だ。今日の教材は、ある作家の短編だった。知らない作家だ。教師の声を聞きながら、真悟は窓の外を見ていた。桐島が小声で話しかけてくる。

 「なあ、この話、なんか意味わかる?」

 「わからん」

 「だよなあ。誰かがいなくなる話だろ、これ」

 真悟は教科書に目を落とした。誰かがいなくなる話。その言葉が、胸の少し奥のあたりに引っかかった。ページの文字列が一瞬だけ滲んで見えた。

 「昼メシ、今日は購買行こうぜ」

 「分かった」

 桐島はマイペースなヤツだが、それに引っ張られるのは不思議と嫌ではなかった。

 

 健司は幼なじみだ。模擬テストが近づくと、いつも一緒に放課後1時間は居残って勉強する。桐島と違って健司は余り喋らないタイプだったが、それはそれで真悟のお気に入りだった。

 放課後、真悟は少しだけ寄り道をした。特に理由はなかった。商店街を抜けて昔の住宅街に入る。このあたりに来ることは珍しくない。

 芦名公園の前を通った。小さな公園だった。ブランコが2基と、申し訳程度の砂場がある。平日の夕方で、子供は一人もいなかった。真悟はそこで足を止めた。というより、気づいたら足が止まっていた。

 ブランコがわずかに風で揺れている。その向こうに、古びたベンチが1つだけある。元々は青くペイントされていたのだと思うが、所々塗装ははげ、グレーに近い色合いになっていた。何の変哲もない、ただのベンチだ。

 なぜここで立ち止まっているのか、真悟にもよく分からなかった。

 そのとき、フラッシュバックが来た。

 

 夕方のようだ。

 誰かの声がした。大人の声だ。低くて、少し震えていた。言葉の内容は聞こえない。声の調子だけが残っている。男性が二人立っている。一人は背が高くて、もう一人は少し小さかった。向き合って、何かを言い合っていた。

 真悟は物陰から見ていた。なぜ隠れていたのかは分からない。

 2人の会話は、いつしか言い合いになっていた。背の高い方の男の人が、かなり怒っているようだ。小さい方の男が何か言い返し、それに背の高い方が言い返した。

 その直後、小さい方の男がきびすを返して歩き始めた。ゆっくり、しかし真っすぐに。彼は一切振り返らなかった。背の高い方も、動かなかった。

 真悟は息を詰めていた。背の高い方が言った言葉が聞こえていたのだ。ハッキリと。意味も完全に解った。あれは…

 

 真悟は目を瞬いた。ベンチに座っていた。横にあるブランコが、夕風にわずかに揺れていた。真悟は周りを見渡した。フラッシュバック自体は初めてではない。だが、これだけハッキリとしたイメージと、何より実際の言葉を伴った「光景」を見たのは初めてだった。

 真悟はしばらく立ちすくんでいた。ブランコの揺れもそのまま続いている。暫くしてから、真悟は再び歩き始めた。

 

 夜、布団の中で天井を見た。染みは暗くて見えない。

 誰かがいなくなる話、という言葉が、またふと浮かんだ。自分はあの小さい方の人を知っている気がする。それが誰なのか、どういう人だったのか、全く思い出せない。声の調子だけを覚えている。低くて、少し震えていた。

 芦名公園を通るのは、暫く止めておこうかな。真悟は眠りについた。

 

 

 この男の子は誰なんだろう。

 そう言えば何も食べていない。お腹が減る感じもない。記憶と頭の中がどんどん冴えていくような気がする。次の窓があるかもしれない。

 私は立ち上がって、辺りを見渡した。とたんに、目の前に緑色のボタンが現われた。迷わずそれを押す。これまでと同じように、1m四方の窓が開く。窓の外にいるのは、初老の女性だ。どこかの喫茶店にいる。注文したコーヒーを既に3分の1ほど飲んでいるようだ。女性は窓際の席に座って、じっと外を見ている。

 

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