結局、竜朗のオフィスに土曜日に集まることとなった。喫茶店では人目を憚るし、誰かの家に大勢で押しかけるのもいろいろと不都合が多い。
雪子・莉子・陽介の上島家3名、竜朗、夏美、真悟に加えて健司も参加していた。
「なんでお前まで来るんだよ」真悟は歯ぎしりしながら健司に言った。
「ここまで関わらせといて、俺だけハミ子はねえだろ?」健司はニヤニヤしている。それを見た真悟は余計腹が立った。
竜朗が耳にしたことがあるアパレルメーカーの社長と聞いた中高生たちは、立派なオフィスを想像して色めき立っていたが、実際にはこじんまりした建物だった。ただ、デザインはいかにも今風だ。10名が座れる社長室のテーブルに、総勢7名が席を取った。
竜朗が誰から言うともなく立ち上がり、相互に自己紹介を促した。竜朗と夏美、真悟と他のメンバー、面識のないもの同士がぎこちなく挨拶した。ムリもない。普通では絶対に一緒にならない取り合わせだ。
話はいきなり本題から始まった。4人がそれぞれ、頭の中に響いてきた『声』の話をする。最初に『声』を聞いた雪子と竜朗の話、芦名公園で健司といるときに、声が聞こえて飛び上がった真悟の話。夏美の話は、他の3人とはタイミングが明らかに異なっている。夏美は出されたコーヒーのカップを、いつもの癖でくるくると回しながら静かに話した。まだ、言いたいことの核心は伏せたままだ。
莉子と陽介は終始、目を丸くして聞いていた。雪子から話の主題は何となく聞いてはいたのだが、余りに突拍子もない内容で入ってこない。
竜朗は、手元のメモパッドに全員の話を書き取っていた。一瞬、ホワイトボードに整理しようかと思ったが、思いとどまった。そんな整理の仕方をする内容じゃない。4名全員の話を聞き終わった後、竜朗は寛太の手がかりが見つかりそうなこと、写真のことなどを手短に話した。
「…じゃあ、寛太さんは普通に生きてる可能性が…」莉子が竜朗に尋ねる。
「もちろん、確証は全くありません。あくまで手がかりが見えてきた、と言うことです」
陽介が小さくガッツボーズを取っているのが、莉子の視界に入った。
竜朗は無意識に奥歯を噛みしめた。ここからだ。
何度も何度も、おそらく数百回、頭の中で話すべきことをシミュレーションしたが、手が震えて声がうわずってくるのが分かる。こんなに緊張するのは人生で初めてかもしれない。10億の商談がかかったプレゼンも、今日の話の重さに比べれば児戯に等しい。
「…雪子さん。私は今まであなたにずっと話せずにいたことがありました。寛太さんがなぜいなくなったのか、その原因です」
「確か、寛太さんと何かで言い合いになって、それが原因になったのでは…と」
「ええ、そうです。ですが、さらにそのもとになった話があるのです」
竜朗は大きく息を吸った。人生で一番深い深呼吸だった。
「寛太さんには、付き合ってる人がいたんです」
雪子、そして莉子と陽介が同時に反応した。莉子と陽介は顔を見合わせる。雪子の顔が少し青ざめる。気づいたら、真悟と健司も顔を見合わせていた。
「…どこの女性だったんですか?」雪子がゆっくりと問いかける。
竜朗は答えようとしたが、すぐに言葉が出てこなかった。明らかに唇は震え、手先が冷たくなっている。次の言葉を絞り出した。
「…女性ではない。男性です」
今度は全員がびくっとなった。いや、夏美を除いてだ。夏美は正面を見据えたまま、微動だにしていない。
「…推測ですが、雪子さんが寛太さんと結婚する前後から、その男性との付き合いは始まっていたのではないかと思います」
「男の人と付き合っていて、同時にお母さんとも結婚するんですか?」莉子が尋ねた。完全に理解の埒外という表情をしている。
「…バイセクシャル、ってやつじゃない?そういう人いるよね」陽介が答える。
竜朗は務めて淡々と、説明を続けた。
「私は、真悟さんも通っていた芦名公園に偶然通りかかったときに、寛太さんからその告白を受けたんです。これ以上、雪子さんを裏切り続けるわけにはいかない。全部話さないといけないし、その結果別れることになってもしょうがない、と。私はその話を聞いてかっとなってしまい、寛太さんに酷いことを言ってしまったんです」
「…俺はそれをたまたま近くで聞いてました。あなたは雪子さんを苦しめるだけだ、って。そう言えば、莉子ちゃんは雪子ママの話もしてた。だから覚えてたんだと思います」真悟が話した。彼も顔面蒼白になっている。
ああそうだ。なんであんなに強い口調で怒鳴ってしまったのか。竜朗は思い出していた。同性愛と不倫、確かに世間的には認めがたい話だが、上司と部下に過ぎない関係で彼をそこまで追い込む必要があったのか。
後ろめたかったからだ。不意に竜朗の脳裏に、原の笑顔がよぎった。俺は、寛太に自分と全く同じものを感じた。だから、余計に許せなかったんだな。
「…私、寛太さんの相手の男性を知っています」
夏美が不意に口を開いた。正面をまっすぐ見据えている。眦を決している、という表情だった。
「私のゼミ生だった子なの。名前は水上透。雪子さん、覚えてる?」
雪子はかすかに首を振った。2つ下くらいにそんな名前のゼミ生がいたことは何となく記憶にあったが、顔と名前は全く一致しなかった。
「直接、寛太さんとの関係を聞いたわけじゃないんです。ただ、あの子…透さんから、妻子のいる男性と付き合っていると言う話は聞いていた。そのあと、そのお相手の方が失踪したと聞いた。直後に透さんはゼミを辞めて、付き合いは途絶えました。
彼が亡くなったという話を聞いたのは、おおよそ2年後のこと。多分、彼が寛太さんと付き合ってたんだろうとはずっと思ってた。だけど証拠もないし、こんな話とても言い出すことが出来なくて…」
夏美は唇を噛んで下を向いた。これ以上、話を続けられない。
雪子が嗚咽を漏らした。涙がみるみる両目に溢れ、机に突っ伏す。
寛太との結婚の記憶が、驚くべき速度で脳裏をよぎった。付き合い始めた頃のこと。楽しいときも多かったが、意見や話があわないこともしばしばあった。政治の話や、それこそジェンダーの話などを雪子が挑戦的に持ちかけることもあった。多くの場合、寛太は黙って雪子の話を聞いていた。
莉子を身ごもって、雪子の両親に話をしに行くときだけは、寛太は妙に強情だった。親から黙って離れると言う選択肢を、彼は断じて認めなかった。あれは、私以上に寛太さん自身のけじめだったのか。
それなのに。
「…私は、寛太さんのことを何も解ってなかった。実家から離れて、寛太さんと幸せになれるんだとばっかり思っていた…
あの人がそんなに苦しんでたなんて、何も気づかなかった。何にも解ってあげられてなかった。私が、私がちゃんとしてれば…」
雪子は泣きじゃくった。後半は殆ど言葉にならなかった。
突然、陽介が立ち上がって雪子の隣に座った。雪子の手を両手で強く握る。驚いた雪子が泣き顔のまま、陽介を見上げる。
「母さんは何も悪くねえよ!」
陽介も涙声になっていた。
「父さんがいなくなってから、母さんは俺たちを全力で育ててくれただろ。莉子ともいつも話してるんだよ。母さんをちゃんと支えていこうって。
悪いのは別の男と付き合って、勝手にいなくなった父さんだよ!
母さんが自分を責めることなんか、何もねえよ!」
雪子は身も世もなく、陽介の胸にしがみついて泣いた。莉子も反対側に来て、静かに涙を流しながら2人の肩を支えていた。3人の嗚咽を、他の4人は為す術もなく見守っていた。
真悟が健司の裾を引っ張った。
「お前が泣いてんなよ」
「…しょうがないだろ、こんなん…」