侯爵令嬢アリスルールの魔術剣客伝 ~若干13才の侯爵令嬢は決闘になると最強すぎて魔法大学の天才たちを震え上がらせるようです~   作:星舟能空

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第7話 迷子の標導灯は、三人で囲んでください

 翌朝の掲示環には、いつもの講義札の横へ、見慣れない長札が追加されていた。

 

 基礎導路実習。

 仮班表。

 

 白地に黒い術墨で、ずらりと名前が並んでいる。

 その下へ小さく、補助規則が三行だけ添えられていた。

 

 初年実地科目は原則三人一組とする。

 巨塔内導路術は三点固定を安全基準とする。

 二点ではただの線であり、線は道ではない。

 

 リネットはそこを二度読んだ。

 

「やっぱり三人なんだ……」

 

 思わず口へ出る。

 

 風車町にいたころ、導線魔術はたいてい二点だった。橋を渡す。水車へ流す。家から家へ灯りを送る。始まりと終わりがあれば、線はそれで足りる。

 

 だが、巨塔はそうではない。

 上も下もあり、回廊は円を描き、荷籠は空を横切り、同じ階でも内と外で風向きが違う。二点だけで道を決めると、途中でどこへでも滑っていけてしまう。だから、塔の中の道は三点で閉じる。

 

 起点。

 中継。

 帰着。

 

 手引きの端に小さく書いてあった説明が、今さらになって腑へ落ちた。

 

「よいですね」

 

 隣で、アリスルールが嬉しそうに言った。

 白手袋の指先が、掲示札の端を軽く撫でる。

 

「道にも、途中が必要なのですね」

 

「そこへ感心するんですか」

 

「はい。まっすぐ行けないのは、ちょっと人みたいです」

 

 朝から怖いことを言わないでほしい。

 

 リネットはため息を呑み込み、班表の中央あたりへ目を走らせた。

 

 第四初年、導路基礎、七班。

 

 アリスルール・マクラクラン。

 リネット・ガーランド。

 サフィヤ・ナハル。

 

 やはり、そうなっていた。

 

 しかも名前の脇には、小さな記号がひとつずつ付いている。

 アリスの欄に、銀の刃印。

 自分の欄に、青い路印。

 サフィヤの欄に、黒い札印。

 

 なるほど、とリネットは思った。

 昨日の硝鏡庭の記録と、前日の服務路の印が、そのまま班へ反映されているのだ。

 

 切れる者。

 道を見る者。

 札を読む者。

 

 三点固定。

 

 班分けとしては、たしかに筋が通っていた。

 通っているからこそ、逃げ道がない。

 

 周囲でも、仮班表を見た初年たちが、あちこちで微妙な顔をしていた。

 

 アリスは班表を見上げたまま、小さく首を傾げた。

 

「七班」

 

「はい」

 

「よい班でしょうか」

 

「それは、これから決まるやつだと思います」

 

 答えながら、リネットは自分でも少しだけ気が楽になっていることに気づいた。

 昨日までの三人は、たまたま同じ場所へいた三人だった。

 今日からの三人は、少なくとも制度の上では、同じ仕事をする三人だ。

 

 それなら、まだやりようがある。

 

 掲示環の反対側で、サフィヤが自分の名前を見つけたらしく、静かにこちらへ歩いてきた。

 睡眠の浅そうな影を目元へ残したまま、それでも姿勢は崩れていない。

 

「七班ですね」

 

「そうみたいです」

 

 リネットが答えると、サフィヤは班表の記号を一瞥した。

 自分の札印。リネットの路印。アリスの刃印。

 

「妥当です」

 

 言い方に、少しも感情が乗っていない。

 嫌がっていないのはありがたいが、喜んでもいない。

 

 アリスルールは素直に頷いた。

 

「うれしいです」

 

 サフィヤの睫毛が、ほんの少しだけ止まる。

 

「……まだ何もしていませんよ」

 

「はい。でも、何かする前の班なのですよね」

 

 その言い方は、少しだけわかった。

 決まった瞬間の面白さというものは、確かにある。

 

 班表の下端へ、集合場所が浮かぶ。

 

 九層東導灯廊。

 

 時間は、一刻鐘の半分後。

 

 リネットはその地名を見て、また少しだけ胸が鳴った。

 

 導灯。

 手引きに挿絵だけ載っていた、塔内案内用の小型標導灯だ。荷籠乗り場や階段回廊で、時々ふわふわ浮いているあの小さな灯り。何人かで歩くと、先へ出て正しい通路のほうを照らしてくれる。

 

 風車町にはなかった魔法だ。

 橋へ灯りを点す術はあったが、道そのものを一時的に教える灯りなど、聞いたこともない。

 

 わくわくしてしまう。

 そう思った瞬間、リネットは自分でも少し驚いた。

 

 昨日までは、班分けだの服務だのと聞くだけでげんなりしていたのに。

 

「行きましょうか」

 

 サフィヤが短く言った。

 

「九層は、朝の荷籠が混みます」

 

「階段がいいですか」

 

「ええ」

 

 答えながら、彼女はもう歩き出している。

 その歩幅へ自然にリネットも合わせ、少し遅れてアリスもついてきた。

 

 三人で歩くと、回廊の幅が昨日までと違って見えた。

 ただ同じ方向へ向かっているのではない。

 これから同じ課題へ入る者どうしの距離だ。

 

 七層を過ぎたあたりで、行き交う初年たちの手にも、小さな導鈴が見え始めた。

 青、白、銀。三色の細い金具が紐で束ねられ、手首へ提げられている。

 

「あれ、課題用かな」

 

 リネットが呟くと、サフィヤが頷いた。

 

「導灯は音で寄せると聞いたことがあります」

 

「鈴で?」

 

「はい。ただし、ただ鳴らすだけでは寄ってきません」

 

「どうしたら寄ってくるのですか」

 

 アリスが尋ねる。

 

 サフィヤは少しだけ考えてから答えた。

 

「帰り道だと、信じさせないと」

 

 その答えが、妙に好きだった。

 魔法の説明なのに、人の話みたいだ。

 

 九層東導灯廊は、回廊というより、光を飼っている庭だった。

 

 半円形の大きな実習環の内側へ、透明な壁と橋が何本も差し込まれ、上下にずれた細い小路を作っている。壁面には小さな銀の受け皿が無数に並び、そのいくつかには手のひら大の硝子灯が止まっていた。丸いもの。細長いもの。花弁みたいに薄いもの。中で揺れている光も、白だけではなく、青、薄金、淡い緑と色が違う。

 

 それらは全部、少しずつ呼吸しているみたいに明滅していた。

 

 天井から吊られた風受け板が、細い音を立てて回る。

 その風に乗って、休止中の導灯たちが、ゆっくり揺れる。

 

 綺麗だった。

 まず、綺麗だと思った。

 次に、面倒だとも思った。

 こんなにたくさん光るものが飛び回る実習で、何も起きないはずがない。

 

 中央の広い足場に、セシル補佐が立っていた。

 今日の彼女は記録板でなく、三色の導鈴を束にした輪環を腕へかけている。紺の補佐服の袖を少しだけまくり、眠そうな顔のまま、しかし口調だけははっきりしていた。

 

「揃いましたね」

 

 周囲に集まった初年たちを見回し、短く言う。

 

「今日は基礎導路実習です。やることは単純。迷子の標導灯を、傷つけずに回収して、元の受け皿へ帰す。それだけ」

 

 それだけ、と言われて、誰も安心しなかった。

 導灯廊の奥では、すでに何基かの標導灯が、受け皿を離れてふわふわ漂っている。光の尾を引き、透明な壁の角をするりと回り込み、時々、見えない階段みたいな光筋を一瞬だけ作っては消える。

 

 ただ飛んでいるだけではない。

 道を作っている。

 

 それがかえって厄介そうだった。

 

「先に言っておきます」

 

 セシルは腕の鈴束を持ち上げた。

 

「初年実習が三人班なのは、仲良しごっこをさせたいからではありません」

 

 間を置く。

 何人かの学生が、わずかに顔をしかめた。

 

「巨塔内の導路術は、三点で閉じます。今いる場所、通したい場所、帰したい場所。この三つが揃って、初めて灯りは `道` を理解する」

 

 彼女は青鈴を鳴らした。

 澄んだ音が、導灯廊を一度だけ走る。

 

「一点だと、灯りは呼ばれたと思って警戒します」

 

 次に銀鈴を鳴らす。

 

「二点だと、灯りは `線` だと認識します。線はこの塔の中では危険です。上にも下にも逃げられるから」

 

 最後に白鈴が鳴った。

 

「三点揃って、ようやく帰り道になります。だから三人です。二人では事故、一人では迷子。覚えてください」

 

 その説明は短いのに、嫌なくらい納得できた。

 

 セシルは鈴束を、最前列の班から順に配っていく。

 三色の導鈴。

 

 青が `起`

 銀が `継`

 白が `帰`

 

 札帯へ下げると、ほんのり温かくなった。

 

「役割は固定ではありません。班の中で動かしてください。ただし、最初の三手は、誰がどの鈴を持つか決めてから始めること」

 

 さらに、細い紙札を一枚ずつ渡す。

 

「これが各班の受け皿番号。回収した灯りを、別の皿へ入れたら減点です。灯りは、見た目が似ていても性格が違うので」

 

 性格。

 魔法の説明としては、どうかと思う。

 だがセシルが言うと、なぜか信用できた。

 

「壊した場合は失格」

 

 さらりと言う。

 

「記録席へ飛ばした場合も失格」

 

 遠くの二年見習いたちが、あからさまにうんざりした顔で頷いた。

 たぶん何度もあるのだろう。

 

「では始めます。標導灯は、一班ごとに一基ずつ解放。導路時間は鐘三つぶん。終わらなければ強制停止です」

 

 セシルはそこで、少しだけ口元を引いた。

 笑っているわけではない。

 だが、面倒なものを見る前の顔だった。

 

「あと、迷ったら追うな。帰り道を作れ」

 

 それだけ言って、最初の導灯が放たれた。

 

 受け皿から離れた小さな硝子灯が、すう、と宙へ浮く。

 薄青の光尾を引きながら、透明壁の角を一つ曲がり、次の瞬間には二階ぶん上の小路へ抜けた。

 

 速い。

 しかも、ただ速いのではない。

 人の目線の外へ消えるのが上手い。

 

 先頭班の三人が慌てて鈴を鳴らした。

 青。銀。白。

 順番は合っている。だが位置が悪かった。

 導灯は一瞬だけ振り返るみたいに揺れ、それから嫌がるように光を細くして、逆向きの壁際へ逃げる。

 

「だから追うなって言ってるでしょう」

 

 セシルの声が飛ぶ。

 

「前から鳴らすと、逃げます」

 

 別の班では、二人が同時に銀鈴を鳴らして、導灯が壁の上でくるくる回り始めた。

 どこへも行かないのに、誰のところへも来ない。

 

 その様子を見ただけで、リネットは頭が痛くなった。

 

「難しいですね」

 

 アリスルールが、楽しそうに言った。

 

「楽しそうですね……」

 

 サフィヤはそういいながら、配られた受け皿札を、もう二度ほど読み返していた。

 細い紙の端に、いつもの整った字で小さな受け皿番号が書かれている。

 

「七班、受け皿は東廊三列目、十七番」

 

「見つけられそうですか」

 

「番号だけなら」

 

 サフィヤは導灯廊の奥を見た。

 そこには番号札のついた銀皿がびっしり並んでいる。

 

「でも、あの標導灯がそこを `帰り先` と認識しているとは限りません」

 

「どういうことですか」

 

「古い灯りだと、皿の方角や導路名で帰るものがあります」

 

 また、知らない現実だった。

 リネットは胸の奥が少しだけざわつく。

 こういうのを事前に知っている子は強い。

 

 その時、七班の受け皿で、標導灯がひとつ、静かに持ち上がった。

 

 白銀の薄い硝子殻の中に、淡い青緑の火が入っている。

 丸ではなく、少しだけ細長い。

 尾を引く光も、他の灯りより細くて長い。

 

「綺麗です」

 

 アリスが小さく言う。

 

 その一拍後には、灯りはもう受け皿を離れていた。

 

 真っ直ぐではない。

 床から半身ほどの高さを滑り、次の瞬間、壁際の細い風筋を掴んで跳ねる。さらに透明板の角でひらりと向きを変え、そのまま上の細路へ。

 

「速……っ」

 

 リネットは反射で青鈴を鳴らした。

 甲高い音が響く。

 灯りが一瞬だけ揺れた。

 

「継、入れます」

 

 サフィヤが銀鈴を鳴らす。

 今度は少しだけ、灯りの尾がこちらを向いた。

 

 だがそこで、アリスが白鈴を鳴らすより早く、導灯はふっと姿勢を低くした。

 

 嫌がった。

 

 そう見えた瞬間には、もう横の透明壁へ沿って逃げていた。

 

「あ」

 

 リネットは慌てて追いかける。

 しかし、小路は上へ下へずれている。目の前にあるようで、足場が一段違う。導灯は人ひとりが通るのをためらうような細い光橋さえ、何もなかったみたいに抜けていく。

 

「前から追うとだめです」

 

 サフィヤの声。

 その通りだ。

 だが、止まって考えるには速すぎる。

 

 導灯は三つ目の角を曲がったところで、ふいに足元へ淡い矢印を浮かべた。

 正しい案内みたいな顔をしている。

 リネットは一歩そちらへ踏みそうになって、ぎりぎりで止まった。

 

 違う。

 矢印の向きが、受け皿の並びと逆だ。

 

「誘われないでください」

 

 セシルの声が、遠くから飛ぶ。

 

「標導灯は、帰りたくない時ほど親切な顔をします」

 

 なんて嫌な性格設定だ。

 だが、妙に納得できる。

 

 七班の導灯は、さらに上へ逃げようとしていた。

 東導灯廊の上層端には、細い保守梁が何本も走っている。学生用の小路ではなく、導灯や補助員が触るための裏の道だ。あそこへ上がられたら、初年の足では面倒になる。

 

 リネットは足を止めた。

 追えば追うほど、灯りは逃げる。

 なら、追わない。

 

 思考が、風車町の橋補修へ戻る。

 流れ物は、追うより先に、通りたい場所を狭める。

 

「サフィヤさん!」

 

「はい」

 

「あの灯り、保守梁へ上がりたいんじゃなくて、そっちの風筋を使いたいだけです。上の梁手前、三つ目の角へ継を置いてもらえますか」

 

 言いながら、リネットは自分で驚いた。

 考えるより先に口が動いていた。

 

 サフィヤは一拍だけ導灯を見て、それから頷く。

 

「できます」

 

 彼女は銀鈴を持ったまま、外周の細路へ回った。

 歩幅が小さいのに速い。札帯が邪魔にならない角度で身体をひねり、透明板の継ぎ目だけを渡っていく。

 

 アリスはまだ白鈴を持ったままだった。

 

「わたしはどういたしましょう」

 

「まだ鳴らさないでください!」

 

「はい」

 

 素直すぎる返事だった。

 だが、この子に余計な説明をしている暇はない。

 

 リネットは青鈴を鳴らしたまま、自分が少しだけ位置を変える。

 灯りから見て、真後ろではなく、半歩横。

 逃げ道をひとつだけ残す。

 

 導灯は予想通り、その逃げ道へ滑った。

 上へではない。横へ。

 風筋の太いほうへ。

 

 そこへ、サフィヤの銀鈴が入る。

 

 ちりん。

 

 音は小さいのに、導灯の尾がはっきり曲がった。

 今度こそ、道として認識したのだろう。

 

「今です」

 

 サフィヤが言う。

 

 アリスが白鈴を鳴らした。

 

 音は綺麗だった。

 綺麗すぎたのかもしれない。

 

 導灯は一瞬だけこちらを向き、それからくるりと回って、白鈴のさらに奥へ飛び抜けた。

 受け皿ではない。

 その後ろに並ぶ、古い銀皿の列へ。

 

「え」

 

 リネットは目を見張った。

 番号は十七番のはずだ。だが灯りが向かったのは、そのさらに隣、少し煤けた古い皿の並びだった。

 

 サフィヤが小さく息を呑んだ。

 

「……やっぱり」

 

「何かわかりましたか」

 

 彼女は受け皿札を裏返した。

 裏の端に、ごく小さな、ほとんど消えかけた古字がある。

 

「この灯り、西服務旧式です」

 

「旧式?」

 

「番号だけでは帰りません。方路名で帰ります」

 

 その言葉で、リネットも見えた。

 導灯の腹に刻まれた細い旧印。服務路で、炭箱や海塩箱に混じっていた古い搬送印と、少し似ている。

 

「西服務って」

 

「ここの新しい学生皿じゃなくて、昔の服務導灯棚の名残です」

 

 サフィヤの声が少しだけ速くなる。

 焦っているのではない。読みがつながった時の速度だ。

 

「だから十七番ではなく、西東路三番のつもりで動いています」

 

「そんなの、今から変えられるんですか」

 

「古字で呼べば」

 

「呼んでください」

 

「やります」

 

 サフィヤは受け皿列の端へ走った。

 新しい銀皿ではなく、少し奥の、今は使われていない古い小棚の前へ。

 そこには普段閉じられているはずの細い風受けがあり、煤けた古字で `西東路` と刻まれていた。

 

 リネットはぞくりとした。

 この塔は、使われなくなった道がそのまま残っている。

 そして、古い灯りはまだその道を覚えている。

 

 アリスが、導灯を見上げたまま呟く。

 

「迷っていたのではないのですね」

 

「え?」

 

「帰り先だけ、古かったんです」

 

 そうかもしれない。

 迷子と呼んでいたが、灯りのほうから見れば、自分の知っている帰り先へ戻ろうとしていただけなのかもしれない。

 

 その時だった。

 

 別の班の導灯が斜め上から飛び込んできた。

 追いかけられて、逃げ場を失い、七班の導灯の進路へ割り込む。

 二つの光尾が絡み、透明板の角で一瞬だけ反射して、どちらがどちらかわからなくなる。

 

「まず」

 

 リネットは歯を食いしばった。

 ここで見失ったら終わる。

 

「あれ、どっちがうちの灯りですか」

 

 リネットには、もう尾の細さくらいしか違いがわからなかった。

 サフィヤは古字棚の前で銀鈴を構えたまま、短く答える。

 

「左です」

 

「なんで」

 

「うちの方が、逃げる時に一拍ためます」

 

 それだけで判断したのか。

 リネットは驚く暇もなく青鈴を鳴らし直す。

 

 だが、二灯の光尾がまた交差する。

 今度は本当にわからない。

 

 その瞬間、アリスが動いた。

 

 白鈴を左手へ持ち替え、右手で細剣を抜く。

 

「壊さないでくださいよ!」

 

 反射で叫ぶと、アリスは真面目に頷いた。

 

「はい。灯りではなく、道のほうです」

 

 意味がわからない。

 わからないまま、剣はもう閃いていた。

 

 二灯が交差した、その少し上。

 透明板の角へ一瞬だけ生まれた、偽の光橋。

 

 アリスはそこだけを切った。

 

 硝子でも灯りでもない。

 導灯どうしの逃げ道が重なって、一瞬だけできた `どちらのものでもない道` を、刃の腹で叩き落とす。

 

 ぱちり、と小さな音がした。

 

 光橋が消える。

 すると二灯は、はっきり別れた。

 片方は上へ逃げ、もう片方――七班の導灯だけが、わずかにためて、こちらを向く。

 

 アリスの目が、ひどく明るかった。

 

「こちらです」

 

 その声は、もう誰より導灯へ向いていた。

 

 リネットは青鈴を保つ。

 灯りの今いる場所。

 サフィヤが古字棚の前で銀鈴を鳴らす。

 通したい場所。

 

 残るひとつ。

 帰らせる場所。

 

 アリスは白鈴を握ったまま、古字棚の少し手前へ立った。

 新しい受け皿の前ではない。

 古い方路名を覚えている灯りが、怖がらずに降りられる距離。

 

 そして、今度は鳴らす前に、やわらかく言った。

 

「そちらでよろしいのですね」

 

 誰に言っているのか、わからなかった。

 灯りかもしれないし、道かもしれないし、自分たち自身かもしれない。

 

 白鈴が、澄んで鳴る。

 

 その音へ、導灯の青緑の火がふっと細くなった。

 警戒ではない。

 息を吐くみたいな細さだ。

 

 次の瞬間、小さな硝子灯がするりと降りてきた。

 青。銀。白。

 三つの音を細い線で結びながら、迷うことなく古字棚の受け皿へ滑り込む。

 

 かちり。

 

 収まった。

 

 導灯の尾が一度だけ長く光り、それから安堵したみたいに淡く呼吸する。

 

 鐘が鳴った。

 赤ではない。青だ。

 回収成立を告げる、短く乾いた音だった。

 

 リネットはその場でしゃがみ込みたくなった。

 足の力が抜ける。

 

「……帰った」

 

「はい」

 

 サフィヤが静かに答える。

 その声にも、いつもの平たさとは別の温度が少しだけ混じっていた。

 

 アリスは受け皿の中の灯りを見つめ、ほんとうに嬉しそうに微笑んだ。

 

「よかったです」

 

「何がですか」

 

 思わず聞き返すと、彼女は当然みたいに言った。

 

「帰り道が、間に合いました」

 

 その時、セシル補佐がこちらへ歩いてきた。

 記録板を片手に、いつもの眠そうな顔のまま、受け皿と古字棚を見比べる。

 

「……なるほど」

 

 短い一言だった。

 

「新しい十七番ではなく、旧西東路三番認識。だから現行皿へは戻らず、古字で呼んだ」

 

 セシルは受け皿の縁を軽く指で叩く。

 

「誰が気づきました」

 

「サフィヤさんです」

 

 リネットがすぐ答える。

 

「わたしは風筋を見ただけで、アリスは偽橋を切って」

 

「そう」

 

 セシルは記録板へ何かを書いた。

 筆先が速い。

 

「じゃあ、三人とも正解」

 

 それだけで終わるかと思った。

 だが彼女は少しだけ、リネットたち三人を見た。

 

「覚えておきなさい。今みたいなのが、三人班を三人班にする正解です」

 

 珍しく、説明する声だった。

 

「ひとりが古字を読む。ひとりが風の癖を見る。ひとりが余計な道だけ切る。どれか一つ欠けたら、あの灯りは壊すか、逃がすか、見失うかのどれかでした」

 

 淡々としている。

 だがそれで十分だった。

 

 七班の近くにいた別班の学生たちが、少しだけこちらを見る目を変えたのがわかる。

 

 セシルはさらに、記録板の端へ別の札を差し込んだ。

 

「七班、次時より層間搬送基礎へ仮繰り上げ」

 

 リネットは目を剥いた。

 

「は?」

 

「は、ではありません」

 

 セシルはもう次の記録へ目を落としている。

 

「古い導灯を壊さずに帰した班を、いつまでも迷子灯廊で遊ばせておくほど、下層は暇じゃないんです」

 

 遊ばせておく、という言い方はひどい。

 だが否定しにくい。

 

「そんな急に」

 

「急に回るのが巨塔です」

 

 そう言って、彼女は歩きながら付け足した。

 

「嫌なら、次は失敗してください」

 

 無茶を言う。

 だが、そのひどさが少しだけこの人らしかった。

 

 去っていくセシルの背を見送りながら、リネットは深く息を吐いた。

 

「層間搬送って」

 

「上へ運ぶのですね」

 

 アリスが嬉しそうに言う。

 

「人か物かは、まだわかりませんが」

 

「そこを楽しみにしないでください……」

 

 サフィヤが、古字棚から受け皿札を回収しながら、ぽつりと呟いた。

 

「でも、たしかに」

 

 彼女はそこで少しだけ言葉を選ぶ。

 

「悪くない班かもしれません」

 

 リネットはそちらを見る。

 サフィヤはいつも通りの顔だ。いつも通りの顔なのに、今の一言だけは、ちゃんとこちらを見て言っていた。

 

 アリスルールの目が、ぱっと明るくなった。

 

「はい。わたしも、そう思います」

 

 その返事が、今日は少しも怖くなかった。

 いや、少しは怖い。

 少しは怖いけれど、それだけではなかった。

 

 導灯廊の上では、まだ他班の灯りが逃げ続けている。

 青鈴が鳴り、銀鈴が追い、白鈴が届かず、どこかで赤鐘が細く鳴る。

 光の尾が透明板を渡り、使い古しの受け皿が静かに息をしている。

 

 巨塔には、こんな魔法がある。

 人を驚かせるためでなく、毎日を動かすための魔法。

 けれど、毎日を動かす魔法ほど、いったん迷うと厄介で、綺麗で、面白い。

 

 リネットは受け皿の中で落ち着いた青緑の灯りを見ながら、ようやく少しだけ笑った。

 

「三人でよかったですね」

 

 自分の口からそんな言葉が出たのが、少し意外だった。

 

 アリスは嬉しそうに頷き、サフィヤはほんの少しだけ視線を逸らした。

 けれど否定はしない。

 

 その小さな沈黙が、もう班の形をしていた。

 

 九層東導灯廊の高窓から、昼前の光が斜めに差している。

 硝子殻に反射した細い灯りが、白手袋の指先、青鈴の縁、黒い札帯の金具を順に撫でていく。

 

 起点。

 中継。

 帰着。

 

 三点そろって、道になる。

 

 その理屈が今日は、魔術の話以上に、班そのものの話みたいに思えた。

 

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