灰かぶりの魔術戦記 ~ただの補助兵だった孤児の少年、戦場で本物の魔導師に才を見出され、『灰かぶりの英雄』として戦場と魔法学院を成り上がる~   作:星舟能空

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第11話 観測士と装填手

 停戦の朝が終わってから、敵の砲撃は露骨にいやらしくなった。

 

 壕の縁そのものではない。

 炊事の火を起こす場所、刻印板を積む場所、伝令が走りやすい踏み固められた通路、そういう“兵が生きるために使う場所”ばかりを舐めるように削ってくる。

 

 前より正確だ、とシオンにも分かった。

 

 外郭壕の南面で、荷箱の移動を手伝っていた時だった。壕の上を裂いていった砲弾が、刻印板置き場のすぐ脇へ落ちた。土と石と煤が一緒に噴き上がり、銀線入りの板が泥へ散る。

 

 アーデルが舌打ちした。

 

「昨日の停戦で、こっちの癖まで見られたね」

 

 そう言いながら、彼女は散った板を拾い集める。砲火が止む前に次の装填へ回すつもりなのだろう。

 

 シオンも膝をついたが、アーデルは彼の手を止めた。

 

「お前は上」

 

「上?」

 

「観測。リゼと組め」

 

 シオンは思わず顔を上げた。

 

 アーデルはいつものように焼け跡の染みた指で、短杖の先を彼の胸へ向けた。

 

「昨日、信号火を殺しただろ」

 

「あれは、たまたま」

 

「たまたまで火の勢いは読めない」

 

 即答だった。

 

「見えた順番で言え。熱の逃げる向き、火の痩せ方、煙の流れ。曖昧にするな。できるだけでいい」

 

 そう言われると、断る理由はなかった。

 

 シオンは壕の縁を回って、崩れた鐘楼跡を見張り台代わりにした観測所へ上がった。板を渡しただけの粗末な足場で、下を見ればすぐ泥と死臭のする外郭壕、前を見れば修道院砦の西壁と崩れた回廊が広がっている。

 

 リゼはもうそこにいた。

 

 測距杖、記録板、砂時計、墨で書き込んだ地図。彼女の周囲だけが小さな机の上みたいに整っている。

 

「遅い」

 

「さっき言われたばっかりだ」

 

 いつもの調子だった。

 だが、あのオットーが死んだ後の朝を越えた今では、その平板さもただの冷たさには聞こえなかった。

 

 砲声が鳴る。

 

 リゼが顔も上げずに言った。

 

「三つ数えて」

 

「何を」

 

「いいから」

 

 言われるまま、シオンは数えた。

 

「一、二、三」

 

 着弾。

 外郭壕の東寄りで土が跳ねる。

 

「次」

 

 また砲声。

 今度は二つ半で落ちた。

 

 シオンが眉を寄せると、リゼは記録板へ数字を書きつけながら言った。

 

「昨日までと角度が違う。南東の林からじゃない」

 

「分かるのか」

 

「分かるように見てる」

 

 彼女はそれ以上言わない。

 代わりに、測距杖の先を西へ向けた。

 

「あそこ。焼け跡、見える?」

 

 シオンは目を凝らした。

 砦の西壁の一角、崩れた回廊の手前に、昨夜までなかった黒い帯が見える。砲火で焼けた石なのか、油か、それとも別の何かか、ここからでは断定できない。

 

「見える」

 

「色は」

 

「黒……いや、黒だけじゃない。端の方が白い」

 

 リゼが初めてこちらを見た。

 

「白?」

 

 訊かれて、シオンは少し息を呑んだ。

 

 そうだ。

 黒く見えたのは燃えた跡で、その縁だけ白く乾いている。熱の走った場所と、熱が痩せた場所がある。

 

 彼にはそれが、理屈より先に分かる。

 

「……うん。真ん中じゃなくて、右へ逃げてる」

 

 リゼはその言葉をそのまま書きつけ、足元の伝声筒へ口を寄せた。

 

「アーデル、右へ二つ。熱が逃げてる」

 

 すぐ下の壕から、アーデルの苛立った声が返る。

 

「熱じゃ分からん。どっちに火が走った」

 

 シオンは足場から身を乗り出した。

 西壁の焼け跡を、もう一度見た。焦げた石の継ぎ目、白く痩せた縁、煙の細い尾。

 

「右上! 右上へ火が逃げてる!」

 

「最初からそう言え!」

 

 アーデルの怒鳴りのあと、術式砲が唸った。

 

 王国側の火球が西壁の右上へ弧を描き、崩れた回廊の角へ叩きつけられる。次の瞬間、その裏に隠れていた敵の観測旗が遅れて吹き飛んだ。

 

 リゼが短く息を吐いた。

 

「当たり」

 

 シオンの胸も、少しだけ熱くなった。

 

 これは偶然ではない。

 

 そこへ、下からグレンが顔を出した。

 

「お、やってるな観測士殿」

 

 いつもの軽い調子だったが、額には汗が滲み、外套の肩口は煤けている。伝令と護衛を兼ねて、壕と観測所を行き来しているのだろう。

 

「観測士じゃないです」

 

「でも今の、当てたろ」

 

「当てたのはアーデルです」

 

「そういう可愛くない返しする奴は長生きしないぞ」

 

 言ってから、グレンはふと声を落とした。

 

「見えるのはいい。けど、見えたからって前へ出るなよ」

 

 シオンがきょとんとすると、彼は足場へ肘をかけた。

 

「見える奴は、つい見に行く。で、近づきすぎて死ぬ」

 

「……そんなに危ない顔してます?」

 

「ああ。面白いもん見つけた犬みたいな顔してるぜ」

 

 その例えに、リゼが小さく鼻を鳴らした。

 

「似てる」

 

「おい」

 

 抗議しかけたところで、また砲声が重なった。

 

 今度の着弾はさっきより西寄りだった。

 しかも、砲撃の合間に妙な間がある。表から撃っているのではなく、死角を使って回しているような、嫌な間だ。

 

 ディーンが自分で観測所へ上がってきたのは、その三発あとだった。

 

「西回廊の陰に何かいる」

 

 挨拶もなく、そう言った。

 

 リゼがすぐに地図を広げる。

 

「砲角が浅いです。南面じゃなく、崩れた回廊の裏から修正してる」

 

「見に行く」

 

 ディーンは短く決めた。

 

「シオン、リゼ、グレン。俺と来い」

 

 四人はすぐに動いた。

 

 観測所から降りると、砲声はまた遠くなる。だが近くなったのは、石造りの修道院の冷たさだった。西回廊は半分崩れており、聖像の頭が転がり、濡れた石床に灰と血がこびりついている。

 

 ここへ来ると、戦場の質が変わる。

 

 広い空の下の砲戦ではなく、壁と壁のあいだで息を潜める戦いになる。

 

 グレンが先、ディーンがやや左、リゼは後ろで距離と角度を見て、シオンはその真ん中へ押し込まれた。

 

「見ながら足も動かせ」

 

 ディーンが前を向いたまま言う。

 

「止まった奴から死ぬ」

 

 その言葉は、もうシオンの身体へ染みついていた。

 

 崩れた回廊の角を抜けた時、シオンは息を止めた。

 

 壁の一部が砲撃で裂け、その向こうに下へ降りる石階段が覗いていた。

 

 ただの物置ではない。

 もっと古い、修道院本来の地下へ続く入口に見える。

 

 その周囲の石には、普通の術式砲の焦げとは違うものが残っていた。

 

 焼け跡なのに、どこか湿っている。

 赤黒い染みが、石目に沿って細く走っている。

 しかも、その中心だけが妙に冷たい。

 

 火が通ったのに、熱が残っていない。

 

 気味が悪かった。

 なのに目が離れない。

 

 シオンは一歩、また一歩とそちらへ引かれた。

 

 ここに何が走ったのか。

 どう燃えたのか。

 なぜ熱がこんな抜け方をしているのか。

 

 それを確かめたかった。

 

 次の瞬間、脇腹へものすごい衝撃が入った。

 

「っ!?」

 

 景色が横倒しになる。

 石床へ肩から叩きつけられ、息が詰まった。

 

 何をされたのか分からないまま顔を上げる。

 

 その瞬間、さっきまで自分の頭があった位置の石壁が、細く鋭く抉れた。

 

 刃の術式だった。

 

 砕けた石片が雨みたいに降る。

 

 シオンはそこで初めて、自分が死ぬ位置に立っていたと理解した。

 

 押し飛ばしたのはグレンだった。

 

 彼はシオンの上へ覆いかぶさるように半身を伏せ、そのまま槍を回廊の奥へ投げた。短い悲鳴が返り、影がひとつ崩れる。

 

 ディーンはもう走っていた。

 角の向こうへ飛び込み、魔法剣を横薙ぎに払う。鈍い音。何かが壁へ叩きつけられる。

 

 リゼが低く言う。

 

「二人。片方は観測、片方は狙撃」

 

 どこを見てそう分かったのか、シオンには分からなかった。

 ただ、その声に迷いはなかった。

 

 数息ののち、足音が戻る。

 

 ディーンが回廊の角から現れた。剣先に血はない。だが外套の裾に黒い染みが増えている。

 

「終わった」

 

 それだけだった。

 

 シオンはまだ荒い息のまま、グレンを見た。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 言ってから、自分でも情けない声だと思った。

 

 グレンは肩をすくめた。

 

「後で文句は言わせてもらう。今は生きてろ」

 

 それから、いつもの半笑いではなく、少しだけ強い目で続けた。

 

「面白いもの見つけても、立ったまま惚けるな」

 

 その言い方で、シオンはあの王女の時を思い出してしまい、余計に返事に詰まった。

 

「……気をつけます」

 

「そうしろ」

 

 グレンはそれ以上言わなかった。

 

 リゼが崩れた壁へ寄り、血のような紋を見下ろす。

 

「これ、軍の記録にない」

 

 ディーンも一度だけ階段の口を覗いた。

 地下からは冷たい空気が上がってくる。湿っているのに、火の気だけが死んでいるみたいな、嫌な冷たさだった。

 

「今は降りない」

 

 ディーンが断じる。

 

「位置だけ持ち帰る。勝手に潜るな」

 

 シオンは頷いたが、目だけはどうしても階段の奥へ引かれた。

 

 停戦の朝、黒衣の王女が見ていた焼け跡。

 今、自分の前にあるこの冷たい焦げ跡。

 

 同じものではない。

 だが、どこかで繋がっている気がした。

 

 観測所へ戻ると、アーデルは報告を聞いても顔色を変えなかった。

 

「地下、血みたいな紋、冷えた焼け跡」

 

 彼女はシオンの言葉を繰り返し、泥の上へ簡単な図を描いた。

 

「こりゃ、表の砲戦だけ見てても、そのうち足元を食われるね」

 

 その声だけが、少し低かった。

 

 リゼは位置、角度、敵観測兵の潜伏点、地下入口の幅を数字で書き留める。

 ディーンは壕の配置を変え、グレンは何も言わずに槍の穂先を拭っていた。

 

 シオンはもう一度、西壁の方を見た。

 

 遠くで火が上がる。

 煙が流れる。

 熱の逃げる向きが分かる。

 

 けれど今、彼が見ているのは火だけではなかった。

 

 その奥にある、火でも焼き切れない何かだった。

 

 砲声がまた鳴る。

 

 観測所の板が小さく揺れた。

 

 シオンは短杖を握り直しながら、修道院の西壁、そのさらに下にある見えない地下へ意識を向けた。

 

 戦場の表だけでは、もう足りない深みが、どこかに垣間見えた気がした。

 

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